夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 十[人間と動物における衝動]

2019年11月02日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§10【人間と動物における衝動】


Auch die Tiere haben ein praktisches Verhalten zu dem, was ihnen äußerlich ist. Sie handeln aus Instinkt zweckmäßig, also vernünftig. Da sie es aber unbewusst tun, so kann von einem Handeln nur uneigentlich bei ihnen die Rede sein. Sie haben /Begierde/ und /Trieb,/ aber keinen vernünftigen /Willen./ Beim Menschen sagt man von seinem Trieb oder seinem Begehren auch Willen.


動物はまた、彼らの外部にあるものに対しては実行的にふるまう。動物はその本能から、彼らは合目的に、すなわち理性的に行動する。しかし、そこで動物は無意識にそれを行うので、だから動物においては、行動についてはただ本来的な議論は行うことはできない。動物は/欲望/と/衝動/をもっているが、しかし、理性的な/意志/はもたない。人間においてはその衝動や欲望についてもまた意志と言われる。

Genauer gesprochen aber unterscheidet man den Willen von der Begierde; der Wille, im Unterschied von der eigentlichen Begierde, wird alsdann das /höhere Begehrungsver­mögen/ genannt. — Bei den Tieren ist von ihren Trieben und Begierden selbst der /Instinkt/ unterschieden, denn Instinkt ist zwar ein Tun aus Begierde oder Trieb, das aber mit seiner unmittelbaren Äußerung nicht beschlossen ist, sondern noch eine weitere, für das Tier gleichfalls notwendige Folge hat. Es ist ein Tun, worin eine Beziehung auch auf etwas Anderes liegt; z. B. das Zusammenschleppen von Körnern durch viele Tiere. (※1)Dies ist noch nicht die ganze Handlung, sondern es liegt noch weiter hinaus ein Zweck darin, nämlich ihre Nahrung für die Zukunft.

しかし、厳密にいえば、意志と欲望とは区別される。意志は、本来の欲望とは区別されて、/より高い欲求能力/と呼ばれる。動物においては、/本能/は彼らの衝動や欲求そのものとは区別される。というのも、本能は確かに欲望や衝動からくる行為ではあるが、しかし、それは直接的な表出で完結するのではなく、そうではなくむしろ、さらに引き続いて、動物にとっても同じように必然的な連鎖をもつものだからである。本能とは、またそのうちに何か他のものとの関係があるところの行為である。たとえば、多くの動物によって種子が共同して集められることなど。これらは、なお未だ全ての行動ではなく、むしろ、その向こうには未だなおさらに一つの目的がある。すなわち、それらは、将来のためにそなえられた餌である。

Der Trieb ist fürs Erste etwas /Innerliches,/ etwas, das eine Be­wegung von sich selbst anfängt oder eine Veränderung aus sich hervorbringt. Der Trieb geht von sich aus. Durch äußere Um­stände erwacht er zwar, aber dessen ungeachtet war er schon vorhanden. Er wird dadurch nicht hervorgebracht.

衝動は、まず第一に、ある種の/内的なもの/である。それは自己自身から発する一個の運動であるようなものであり、あるいは、自から作り出す一つの変化である。衝動は自から出て来る。衝動は確かに外にある環境を通して目覚めるものだが、しかし、いずれにせよ、衝動はすでにそこに存在していたのである。衝動は外から作り出されるものではない。

Mechanische Ursachen bringen bloß äußerliche oder mechanische Wirkungen hervor, die vollkommen durch ihre Ursachen bestimmt sind, in denen also nichts enthalten ist, was nicht in der Ursache schon vorhanden ist; z. B. wenn ich einem Körper Bewegung gebe, so ist in demselben nichts, als die mitgeteilte Bewegung. Oder wenn ich einen Körper färbe, so hat er nichts weiter mehr, als die mitgeteilte Farbe. Hingegen wenn ich auf ein lebendiges Wesen einwirke, so macht diese Einwirkung aus ihm noch ganz etwas Anderes, als es unmittelbar ist. Die Wirksamkeit des lebendigen Wesens wird dadurch erregt, sich aus sich in ihrer Eigentümlichkeit zu zeigen.

機械的な原因は単に外的な、あるいは機械的な結果のみをもたらす。その結果というのは、その原因によって完全に規定されているものであり、その原因のなかにすでに存在していないものは、同じく結果の中には何一つ含まれてはいない。
たとえば、もし、私が物体に運動を与えると、その時に物体には伝達された運動以外の何ものもない。あるいは、もし私が物体に着色するとすれば、その時には物体は塗られた色彩以外のものをもたない。それに対して、もし私が生物に働きかける場合は、この作用は生物に元々にあったものとは全く別のものを生物に引き起こす。生物の活動性はそれによって刺激され、生物の固有性を自から示すようになる。

Fürs Zweite ist der Trieb 1) dem Inhalt nach /beschränkt; 2)/ nach der Seite seiner Befriedigung als von äußerlichen Umstän­den abhängig /zufällig./ Der Trieb geht nicht über seinen Zweck hinaus und heißt insofern blind. Er befriedigt sich, die Folgen mögen sein, welche sie wollen.
Der Mensch setzt insofern seine Triebe nicht selbst, sondern hat sie unmittelbar oder sie gehören seiner /Natur/ an. Die Natur aber ist der Notwendigkeit unterworfen, weil Alles in ihr be­schränkt, relativ oder schlechthin nur in Beziehung auf etwas Anderes ist. Was aber in Beziehung auf etwas Anderes ist, das ist nicht für sich selbst, sondern abhängig vom Andern. Es hat seinen Grund darin und ist ein /Notwendiges./ Insofern der Mensch unmittelbar bestimmte Triebe hat, ist er der Natur unterworfen und verhält sich als ein notwendiges und unfreies Wesen.(※2)


第二に、衝動は、1)その内容については/限界/がある。;2)衝動の充足の面から見れば、外部の環境に依存しているものとして/偶然的/である。衝動はその目的を超えてゆくことはなく、その限り盲目的であると言える。衝動は、その意図した結果がどのようなものであるとしても、自己を充足させる。この点においては人間はその衝動を自ら設定するのではなく、そうではなく人間は衝動を直接にもち、あるいは自然に(生まれつきに)持っている。しかし、この自然は必然性に支配されている。なぜなら、自然のうちにある全てのものには限界があり、相対的であり、あるいは絶対的にただ他の或るものとの関係においてのみ存在するものだからである。しかし、他の或るものとの関係において存在するものは、それは自身で独立的に存在するものではなくて、むしろ他者に依存して存在するものである。それは自らの根拠を他の或るものにもち、そして一個の/必然的なもの/である。人間が直接に衝動に規定されているかぎり、人間は自然に支配され、そうして、自ら一個の必然的な不自由な存在として振る舞うのである。

(※1) ヘーゲルはここで、アリや ミツバチなどの社会性のある昆虫たちの集餌行動を念頭においているのだろうか。
(※2)この節では、本能と衝動や欲望との違い、もしくはまた、同じく自然性に規定される存在としての動物と人間の共通性について論じている。人間も衝動に駆られて行動するかぎり、動物と異なる存在ではない。

 

 


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