夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十七節[国民の美徳について]

2022年07月26日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十七節[国民の美徳について]
 
§57

Die Gesinnung des Gehorsams gegen die Befehle der Regierung, der Anhänglichkeit  an die Person des Fürsten und an die Ver­fassung und das Gefühl der Nationalehre  sind die Tugenden des Bürgers jedes ordnungsmäßigen Staates.(※1)

第五十七節[国民の美徳について]

政府の命令に対する服従の 心情、君主の人格と憲法への忠誠の 心情、そして、国家の名誉へ の感情は、秩序ある国家のすべての市民の美徳である。


※1
ヘーゲルの生きた時代のプロシア国家、ドイツ国民の美徳。
 
 
ヘーゲルの生きた時代のプロシア国家の啓蒙君主であるフリードリッヒ2世、次代のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の統治下において、ドイツ国民の美徳は、文学においてはゲーテやシラー、ヘルダーリン、音楽においてはバッハやベートーベン、哲学においてはカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルたちによって遺憾なく発揮された。

もし、ドイツ国民が革命によって共和制をとることなく、二〇世紀においても君主制を継続させていたならば、独裁者ヒトラーの台頭と暴政をも許すことなくドイツ民族の汚名と恥辱も避けられたかもしれない。しかし、それも人間の歴史のIFでしかない。

 
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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十六節[愛国心について]

2022年07月25日 | ヘーゲル『哲学入門』

§56

Bloß nach der rechtlichen Seite betrachtet, insofern der Staat die Privatrechte der Einzelnen schützt, und der Einzelne zunächst lauf das Seine sieht, ist gegen den Staat wohl eine Aufopferung eines Teils des Eigentums möglich, um das Übrige zu erhal­ten. Der Patriotismus aber gründet sich nicht auf diese Berech­nung, sondern auf das Bewusstsein der Absolutheit des Staats. (※1)

第五十六節[愛国心について]

たんに法的な側面のみからみれば、国家が個人の私権を保護するものであり、また、個人が第一に自己の権利を追い求めるものであるかぎり、確かに個人は残りの財産を確保するために、自分の財産の一部を国家のために犠牲にすることもできる。しかし、愛国心 はこうした打算にではなく、国家の絶対性 についての自覚に基づいている。

Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze auf­zuopfern, ist um so größer in einem Volke, je mehr die Einzel­nen  für das Ganze mit eigenem Willen und Selbsttätigkeit handeln können und je größeres Zutrauen sie zu demselben haben. (Schöner Patriotismus der Griechen.) (Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.).(※2)

財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情が、民族のうちに大きければ大きいだけ、よりいっそう個人自己の意志と 独立心とをもって全体のために行為することができ、各個人はさらに大きな信頼を全体に対してもつ。(ギリシャ人の美しい愛国心。)(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別。)


 ※1
das Bewusstsein der Absolutheit des Staats.
「国家の絶対性についての自覚」が、
Diese Gesinnung, Eigentum und Leben für das Ganze
「財産と生命を全体のために犠牲にするこの心情」の根拠である。
つまり「愛国心」は「国家の絶対性の意識」から生じる。

「Gesinnung」心情、志操、心的態度、心根、精神。

※2

ここにまた「若き日本人特攻隊兵士の美しい愛国心」も追記されるべきかもしれない。

Unterschied von Bürger als Bourgeois und Citoyen.(ブルジョワとしての市民(私人)と公民との区別)については、このヘーゲルの問題意識を受けてマルクスは次のように説明している。

「いわゆる人権、つまり公民の権利から区別された人間(ブルジョワとしての市民(私人))の権利は市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間および共同体から切り離された人間の権利にほかならないということである。」
(マルクス『ユダヤ人問題によせて』城塚登訳、岩波文庫版41頁)

ただ、ここで指摘しておくべきは、市民社会においては、利己的人間も、他者の欲求を充足させることなくしてはその利己主義をも満たし得ないこと、をマルクスは見落としていることである。

いずれにしても、ヘーゲルの国家論の詳細については『法の哲学』§257以下を見なければならず、その過程で改めて、マルクスの「ブルジョワとしての市民(私人)と公民との相違」についての見解も批判的に検証することになるはずである。

 

 

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