夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第八節[意志と所有] 

2020年05月30日 | ヘーゲル『哲学入門』

§8

Der Wille, indem er eine Sache (※1) unter sich subsumiert, macht sie zu der  seinigen.  Der  Besitz  ist dies Subsumiertsein einer Sache unter meinen Willen.

第八節[意志と所有]

意志は一個の事物を自己のもとに従属化することによって、それを 自分自身のもの とする。所有物 とは、私の意志の下にある、一つの物件のこうした従属物のことである。

Erläuterung.

Zum Subsumieren(※2) gehören zwei Stücke(※3), etwas All­gemeines und etwas Einzelnes. Ich subsumiere etwas Einzelnes, wenn ich ihm eine allgemeine Bestimmung beilege. Dies Subsumieren kommt überhaupt im Urteilen vor. Das Subsumierende im Urteilen ist das Prädikat und das Subsumierte das Subjekt. Die Besitznahme ist das Aussprechen des Urteils, dass eine Sache die meinige wird.

説明

包摂には、普遍的なものと個別的なものという二つの要素が必要である。私が個別的なものに普遍的な規定を与えるときは、私は個別的なものをそのうちに包摂している。この包摂は一般的には判断のうちに現れる。判断において包摂するものは述語であり、包摂されるものは主語である。占有とは、その物件が私のものであるということを、判断に言い表したものである。

Mein Wille ist hier das Subsumierende. Ich gebe der Sache das Prädikat, die meinige zu sein. Der Wille ist das Subsumierende für alle äußerlichen Dinge, weil er an sich das allgemeine Wesen ist. Alle Dinge aber, die nicht selbst sich auf sich beziehen (※4), sind nur notwendige, nicht freie. Dies Verhältnis macht also, dass der Mensch das Recht hat, alle äußerlichen Dinge in Besitz zu nehmen und aus ihnen ein Anderes, als sie selbst sind, zu machen. Er behandelt sie damit nur ihrem Wesen gemäß.(※ 5)

私の意志はここでは「包み込むもの」である。私は物件に対して私のものであるという述語を与える。意志はそれ自体として普遍的な存在であるから、意志はすべての外にある物を包み込むものである。しかし、それ自身として自己を自己に関係することのないすべての物は、単なる必然的なものにすぎず、自由なものではない。それゆえに、この関係は、人間がすべての外にある物を占有する権利をもつこと、そして、それらを現在あるものとは別のものに作りかえる権利をもつことを意味する。そこで人間は物をただその本質にふさわしいように取り扱う。


(※1)Sache 
事物、事柄、「物件」

(※2)Subsumieren
subsumieren(より包括的な、抽象的な概念、命題、条項などの中に)
包含すること、包摂すること。
sub  下に
summieren まとめる、合計する、総括する

(※3)
Stücke 断片、条項
全体のうちの切り離された一個の部分。ここでは Moment と同義と考えていいと思う。概念を構成する要素は、個別、特殊、普遍。


(※4 )
Alle Dinge aber, die nicht selbst sich auf sich beziehen, sind nur notwendige, nicht freie.
ここに「物」との対比において、ヘーゲルの人間観の独自性がよく出ている。「物」はそれ自体として「自己に自己を関係させること」がないから必然性に支配される存在である。それに対して人間は、それ自体として「自己に自己を関係させる」存在、すなわち「自己を意識する」ゆえに自由な存在である。

(※5)
ヘーゲルはここで聖書の創世記第一章第26節〜第28節を念頭においていたのだろうか。

26
神はそして言われた。「私たちに形どって、私たちに似せて人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべてのもの、地に這うものすべてを支配させよう」。
27
そうして 神はご自身の形に人をつくられた。神のかたちに人をつくり、それらを男と女とにつくられた。
28
そして 神は彼らを祝福され、そして彼らに言われた。「生めよ、ふえよ、地を満たせ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地の上に動くすべての生きるものとを支配せよ」。



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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第七節[法における禁止と命令]

2020年05月19日 | ヘーゲル『哲学入門』

§7

Erlaubt, jedoch darum nicht geboten, ist rechtlicher Weise Alles, was die Freiheit der Anderen nicht beschränkt oder keinen Akt derselben aufhebt.
(※1)

第七節[法における禁止と命令]

他人の自由を制限しないこと、あるいは他人の行動を妨害しないことなら、すべてが合法であり許されている。もっともだからといって、命ぜられているわけではない。


Erläuterung.

Das Recht enthält eigentlich nur  Verbote,  keine Gebote und, was nicht verboten ist, das ist erlaubt. Allerdings kann man die Rechtsverbote positiv als Gebote ausdrücken, z. B. du sollst den Vertrag halten!

説明

法は本来的にはただ 禁止事項 のみが含まれていて、命令は含まれていない。そして禁じられていないことは許されている。もっとも、法的な禁止事項であっても、たとえば「汝ら契約を守るべし!」と言うように、命令として積極的に表現することはありうる。

Der allgemeine Rechtsgrundsatz, von welchem die anderen nur besondere Anwendungen sind, heißt: du sollst das Eigentum eines Andern ungekränkt lassen! Dies heißt nicht: du sollst dem Andern etwas Positives erweisen oder eine Veränderung in Umständen hervorbringen, sondern enthält nur die  Unterlassung der Verletzung  des Eigentums.

「汝ら他人の財産を侵すべからず!」と言われているようなことは、一般的な法的原則の他のものへの特殊な適用にすぎない。このことは他人に何か積極的なことを実証しなければならないとか、あるいは状況に変化をもたらさなければならないということではなくて、ただ財産の 毀損のないこと が意味されているにすぎない。

Wenn also das Recht als positives Gebot ausgedrückt wird, so ist dies nur eine Form des Ausdrucks, welchem, dem Inhalt nach, immer das Verbot zu Grunde liegt.(※2)

それゆえにたとえ積極的な命令として法が言い表されているとしても、これはただ表現の形式であるにすぎない。内容からみれば、その根底にはつねに禁止が存在している。


(※1)
法の目的は自由であるから、「他人の自由を制限すること」あるいは「他人の行動を妨害すること」の他は原則としてすべて合法であり、すべて許されている。
その反面、「他人の自由を制限すること」あるいは「他人の行動を妨害すること」は禁じられている。しかし、だからといってそのことで何か積極的な行為が命じられているのではない。本来的に法が規定するのは禁止の事項である。

(※2)
形式(die  Form)と内容(der Inhalt) 
思考の必要十分条件を充足するために、つねに「形式」と「内容」の両面から考察される。ヘーゲル哲学においては形式と内容は不可分で、形式が内容を生む。



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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第六節 [法における強制と自由]

2020年05月12日 | ヘーゲル『哲学入門』

§6

Diejenige Handlung, welche die Freiheit eines Andern be­schränkt oder ihn nicht als freien Willen anerkennt und gelten lässt, ist widerrechtlich.

第六節[法における強制と自由]

他人の自由を制限したり、あるいは、自由な意志としての他者を認めず受け入れない行為は違法である。

Erläuterung.

Im absoluten Sinne ist eigentlich kein Zwang ge­gen den Menschen möglich, weil Jeder ein freies Wesen ist, weil er seinen Willen gegen die Notwendigkeit behaupten und Alles, was zu seinem Dasein gehört, aufgeben kann.(※1)

 説明

絶対的な意味において、人間に対する強制は本来的に不可能である。
なぜなら各人は自由な存在だからである。人間は必然性に対抗して自分の意志を主張し、彼の現存在に属するすべてのものをも投げ捨てることができるものだから。

 Der Zwang  findet auf folgende Weise statt. An und für sich die Seite des Da­seins (※2) des Menschen wird irgend etwas als Bedingung desselben angeknüpft, so dass, wenn er das Erstere erhalten will, er sich auch das Andere gefallen lassen muss. Weil das Dasein des Menschen von äußeren Gegenständen abhängig ist, so kann er an und für sich           einer Seite seines Daseins gefasst werden.(※3)

強制 は次のようにして起きる。人間の現存在の一面には、ある何ものかにはそのものの制約が結び付いているのであり、その結果として、人間が一つのものを得ようとすれば、そのとき彼は他のものをも受け入れざるをえないのである。人間の現存在は外部の事物に依存しているゆえに、だから人間は本来的にその現存在の一面において拘束される。

Der Mensch wird nur gezwungen, wenn er etwas will, mit dem noch ein Anderes verbunden ist und es hängt von seinem Willen ab, ob er das Eine und damit auch das Andere , oder auch  keines von beiden  will. Insofern er doch gezwungen wird, ist, wozu er bestimmt wird, auch  seinem Willen gelegen. Der Zwang ist insofern nur etwas Relatives.  

人間は、ただ次のような場合にのみ強制される。もし人が他者と結びついているものを欲するとしても、その 或る物 とともに、なおまた 他のもの をその人が望んでいるか、あるいはまた、そのいずれをも 望んでいないかどうかがその人の意志にかかっている場合である。その人がなおそうして強制されている限りにおいては、彼がそのように規定されているところもまた彼の意志のうちにある。それゆえに強制は相対的なものにすぎない。

 Rechtlich  ist er, wenn er geübt wird, um das Recht gegen den Einzelnen geltend zu machen. Dieser Zwang hat eine Seite, nach welcher er kein Zwang ist und der Würde des freien Wesens nicht widerspricht, weil der Wille an und für sich und für sich auch der absolute Wille eines Jeden ist. Die Freiheit findet überhaupt da statt, wo das Gesetz, nicht die Willkür eines Einzelnen herrscht.(※4)

個人に対して法を行使するためである場合は 合法 である。この強制には何ら強制ではない一面があり、そうして自由な存在の尊厳とも矛盾しない。なぜなら、本来的に意志はまた各人の絶対的な意志でもあるからである。自由は一般的に、個人の恣意ではなくて法律の支配するところに成り立つ。
 

(※1)
人間は、たんに地位や名誉や財産のみならず、自らの生命さえも投げ捨てることができる。

(※2)
das Dasein
哲学ではふつう「定在」と訳される。語源的には「そこに存在している事物」のことである。自然的な、動物的な存在でもある人間は、他の自然の存在物とおなじく、そもそも有限な存在であり、つねに何らかの制限、制約の中に生きている。
まず人間は男性か女性かに性的に規定されており、その限界を超えることはできない。だから女性であれば出産という生理は生まれつきのものである。

(※3)
また、たとえば男性ならば家庭をもつことは夫としての役割を引き受けることであり、この家庭から父親をきりはなすことはできない。権利の背面には義務があくまでついてまわる。だから、この場合の「義務」はある意味では強制はあるけれども、それはみずからの意志の選択の結果としての強制であり、絶対的なものではなく相対的なものである。

(※4)
自由な存在としての人間に対して認められる唯一の強制は、「法」による強制のみである。「法」の意志は「すべての人」の意志でもあり、法の執行は「犯罪者」自身の意志でもあるから、人間の尊厳にも自由にも反しない。この「法の支配」するところにのみ自由はある。ただし、この場合の「法」は、理性としての、自然法としての「法 Das Recht」であって、たんなる実定法ではない。





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