夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

梅雨が明ける――ヨブの忍耐をもって

2011年07月11日 | 日記・紀行

梅雨が明ける

昨日の十日、日曜日は午前中から山の畑に行く。この日の作業は、草刈り。そして、冷や麦のご相伴に与り、弁当を食べた後、無花果、柿、桃と見て回る。枇杷の木は、前々回に茎が根腐れを起こしているのを見て、その成長を断念したばかり。美しい萌黄色の若葉をつけていたので期待していたのだが、野鹿に二度も新芽を喰われて、それ以来成長を止めた。そしてこの春、枇杷の木の死を確認したばかり。この秋には、新しい苗木で再び挑戦するつもり。

今の柿の木も三本目の苗木でようやく根付いたばかり。虫食いもない美しい若葉をつけていたのに、春の終わり頃に、これもすっかり野鹿に喰われてしまった。今日あらためて見ると、再生の双葉があちこちに見られた。

全てを独占しているような、たった一人の山で、濡れたシャツと肌着を脱いで上半身、裸になる。ほとんど純白に近い肌をまだ強い昼下がりの陽光にさらす。鳥のさえずりを聞きながら、わずかな木陰を探して腰を下ろす。

無花果は、猿や鹿に枝を割かれたり折られてしまって、まともな樹形も損なわれていたにもかかわらず、何とか今のところはよく成長している。垂れた枝枝に添え木などしてやると、その下に何とか涼しげな樹陰らしきものができる。大きく育った無花果の樹陰で、夏の甘い午睡に浸るのが夢だ。

どうやら梅雨明けの宣言があったらしい。見上げる空も、夏に近い。青空を見ながら、今もなお苦難の日々を耐えている東北の人たちのことを思う。冷却設備が地震と津波で破壊され、海からのヘドロと腐った冷凍魚などから、ハエも湧き衛生環境も劣悪だという。自分にできることは何もない。ヨブの忍耐をもって耐え抜かれ、夏を乗り切られんことを、ただ祈ることができるばかり。

武田邦彦教授のブログによれば、

「(福島原発)事故直後は、北海道産の牛乳は北海道産でしたが、今では、福島、茨城、千葉の牛乳は大量に西日本に送り、そこで、「汚染された牛乳」と「綺麗な牛乳」をまぜて、ベクレルを規制値以内に納めていることも分かってきました」そうだ。それが本当なら、生産者、商業者たちの地に墜ちたモラル。気の毒な日本国民。生産者、商人にも生活がある?

「誠実な社会を取り戻したい・・・牛乳と柏市の放射線」
http://takedanet.com/2011/07/post_088c.html


また、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開を巡る国の公開説明会で、九州電力による組織ぐるみの「やらせメール」事件が発覚したばかり。東電も九電も、その上にあぐらをかくばかりの地域独占大企業だが、図体はでかいが、ネズミほどのモラルもない。

電力会社は電力不足と節電を訴えるが、肝心の火力発電や原子力発電、水力発電などの実体の正確な情報開示もない。またもや騙されているかと国民の疑念が募るばかり。

官僚の電力会社への天下りが、行政の公正を歪めているのに、どの政党にも、この不正を糺す力がない。また、電力会社からの巨額の政治献金を受け取る政治家たちに、公正な電力行政を期するなど百年河清を待つようなもの。

政治家に対する「企業献金」を止めさせて、政治と行政の中立化、公正化を図るためのはずだった「政党助成金」。しかし、「助成金」は手に入れたが、いまだ、どの政党も「企業献金」を止めさせることができない。政治家たちの濡れ手に粟だけが残る。

さしあたっては、池田信夫氏が自身のブログで主張されているように、今政府によって国会に上程されている「原子力賠償支援機構法案」を廃案にし、東電自身と株主と金融機関に明確な責任を果たさせることである。そして、電力事業を自由化して、電力事業の地域独占を廃止し、官民癒着の歪んだ電力行政を改革してゆかねばならない。

参照
池田信夫『民主党政権は電力自由化でよみがえる』
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51725473.html

 

 

 

 

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