夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識   第三十四節[自由よりも生命をえらぶ従僕]

2024年04月18日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識   第三十四節[自由よりも生命をえらぶ従僕]

§ 34

Indem von zwei einander gegenüberseienden Selbstbewusstsein jedes sich als ein absolutes Fürsichsein(※1)gegen und für das andere zu beweisen und zu behaupten streben muss, (※2) tritt dasjenige in das Verhältnis der Knechtschaft, welches der Freiheit das Leben vorzieht  und damit zeigt, dass es nicht fähig ist, durch sich selbst von seinem sinnlichen Dasein(※3) für seine Unabhängigkeit zu abstrahieren.(※4)

第三十四節[自由よりも生命をえらぶ従僕]

互いに対立して存在する二つの自己意識は、反対するにせよ賛同するにせよ、それぞれが一個の絶対的な自覚的な存在として、自己を他者に対して証明し主張するよう努めなければならないから、自由よりも生命を選び、その結果として自己の独立性のために自分の肉体的な存在を捨て去ることのできない自己意識は隷従の関係に置かれることになる。

 

※1
 ein absolutes Fürsichsein 一つの絶対的な「自覚的な存在」。意識の自己分裂の結果、自己を自己として自覚する。「独立的な存在」「自立的な存在」とも訳せる。

※2
自己意識は他の自己意識との対立を通して自己を確認する。

※3
「sinnlichen Dasein 感覚的なそこにある存在、肉体的な存在」
それぞれの「自己意識」の承認をめぐる闘争において、自由のために肉体的生命をすてることのできないものは、隷従の立場に陥る。

※4
これまでの叙述の展開からも分かるように、ヘーゲルの処女作『精神の現象学』で詳細に考察された意識の進展が、この哲学入門の第二課程の「精神現象論」おいて簡潔に叙述されている。意識は、「1、感性的意識」から「2、知覚」へと、さらに「3、悟性」をへて「自己意識」に至る。「自己意識」は「欲望」を経て、この第三十四節で「自己意識」は他の自己意識との関係に入る。それは対立的な関係であり「支配と隷従の関係」である。この過程をへて自己意識は第三段の「理性」に至る。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自己意識 第三十三節[主人と従僕の関係の発生]

2024年04月11日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識   第三十三節[主人と従僕の関係の発生]

§33

Aber die Selbstständigkeit  ist die Freiheit nicht sowohl  außer  und von dem sinnlichen, unmittelbaren Dasein, als vielmehr in demselben. Das eine Moment ist so notwendig, als das andere, aber sie sind nicht von demselben Werte.(※1)

第三十三節[主人と従僕の関係の発生]

しかし、自立するということは外部にあって 肉体的な直接的にそこにあるものから自由であるということではなく、むしろ内面における自由である。一つの契機は他の契機と同じように必然的なものであるが、しかし、それらの価値については同じではない。

Indem die  Ungleich­heit  eintritt, dass dem einen von zweien Selbstbewusstsein die Freiheit gegen das sinnliche Dasein, dem andern aber dieses gegen die Freiheit als das Wesentliche gilt, so tritt mit dem gegenseitigen Anerkanntwerdensollen in der bestimmten Wirk­lichkeit das Verhältnis von Herrschaft  und Knechtschaft  zwi­schen ihnen ein; oder überhaupt des Dienstes  und Gehorsams, insofern durch das unmittelbare Verhältnis der Natur (※2) diese Verschiedenheit der Selbstständigkeit vorhanden ist.

二つの自己意識のうちの一方は、肉体的な存在よりも自由を本質的なものとみなし、もう一方はそれに対して、自由よりも肉体的な存在を本質的なものとみなすという 不平等の  生じることから、お互いが認められたいという特定の現実のなかにおいては、両者のあいだに主人と従僕の関係が生まれてくる。言いかえれば、自立することについて、生まれつきの直接的な関係を通してこの区別が存在するかぎりは、奉仕服従 の関係が一般に生まれてくる。

 

※1
Das eine Moment ist so notwendig, als das andere
「一つの契機は他の契機と同じように必然的である」
私たちの自由には、「精神面の自由」と「肉体面の自由」があるということである。いずれの自由も人間にとって必然的なものであるが、いずれに価値を見出すかは同じではない。

※2
durch das unmittelbare Verhältnis der Natur
「生まれつきの直接的な関係を通して」
自然の世界においては、諸動物の間に典型的に見られるように、また人間の場合においてもそうだが、能力、素質、環境、遺伝などの側面において、剥き出しの不平等、区別が存在する。その結果として弱肉強食の関係が、主人と従僕の関係が生まれる。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自己意識 第三十二節 [他者による「私」の自由の承認]

2024年03月30日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十二節[他者による「私」の自由の承認]

§32

Um sich als freies geltend zu machen und anerkannt zu werden, muss das Selbstbewusstsein sich für ein anderes als frei vom natürlichen Dasein darstellen. Dies Moment ist so notwendig, als das der Freiheit des Selbstbewusstseins in sich. (※1)Die absolute Gleichheit des Ich mit sich selbst ist wesentlich nicht eine unmit­telbare, sondern eine solche, die sich durch Aufheben der sinn­lichen Unmittelbarkeit dazu macht und sich damit auch für ein anderes als frei und unabhängig vom Sinnlichen. (※2)So zeigt es sich seinem Begriff gemäß und muss, weil es dem Ich Realität gibt, anerkannt werden.(※3)

第三十二節[他者による「私」の自由の承認]

自己を自由なもの として主張し、また認められるためには、自己意識は他者に対しても自然的な(必然性に支配された)存在から自由なものとして  自らを示さなければならない。この要素は自己意識の内部における自由と同じように必然的なものである。「私」と自己自身との絶対的な同一性というのは本質的に直接的なもの(媒介のないもの)ではなく、むしろ感覚的な直接性を揚棄することを通して同一性を実現するようなものである。そうして、また他者に対しても自己が感覚的なものに依存しない自由なものであることを明らかにする。かくして自己意識は自らが自己の概念にふさわしいものであることを示し、かつ他者からも自己意識は自由なものとして認められなければならない。なぜなら、そのことによって「私」に(自由の)実在性が与えられるからである。


※1
自己意識の概念とは、自己意識つまり「私」が自由である、ということである。個人が自由であることを自ら主張し、他者からも自由であることが認められるためには、第一に、自己自身の内部において自由であることを示すのみならず、第二に、他者に対しても自らが自然的な定在からも自由なものであること(als frei vom natürlichen Dasein)を明らかにしなければならない。この二つの要素は自己意識が自由であることを証明する上で、必然的なものである。

※2
「私」の自己自身との絶対的な同一性ということは、自己意識が二つに分裂していることによって生じるものであるが、それは直接的なもの(媒介のないもの)ではなく、つまり、自己意識そのものの「反省 Reflexion」を通して、「私は私である」という同一性が明らかになる。
感覚的な直接性を揚棄することを通して(durch Aufheben der sinn­lichen Unmittelbarkeit )というのは、たとえば「眼の前にあるチョコレートを食べるか食べないか、いったん欲望を中断して」ということである。

※3
自己意識、すなわち「私」がその概念にふさわしい「自由な存在」であることの実在性を得るためには、他者からもそのように認められなければならない。「私」が本質的に社会的な存在であるからである。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自己意識 第三十一節 [自己と他者の自由について]

2024年03月16日 | ヘーゲル『哲学入門』

久しぶりのアップロード。いつ辿り着くか。

ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十一節[自己と他者の自由について]

§31

Diese Selbstanschauung (※1)des einen im andern ist 1) das abstrakte Moment (※2)der Diesselbigkeit. 2) Jedes hat aber auch die Bestim­mung, für das andere als ein äußerliches Objekt und insofern unmittelbares, sinnliches und konkretes Dasein zu erscheinen. (※3)3) Jedes ist absolut für sich und einzeln gegen das andere und fordert auch für das andere als ein solches zu sein und ihm dafür zu gelten, seine eigene Freiheit als eines fürsichseienden (※4)in dem andern anzuschauen oder von ihm anerkannt zu sein. (※5)


第三十一節[自己と他者の自由について]

ある者が他者の中に自己を見るというこの自己直観は、1) この自他同一性の抽象的な境界である。 2) しかし、それぞれは、また外部の客体として、つまり直接的で感覚的な具体的なそこにある存在として相手に現れるという意味ももっている。 3) それぞれは、それ自身として絶対的であり、また他者に対するところの個別者であって、そうしてまた、他者に対しても、一個のそのようなものとしてあることを要求し、そうして、そのために一つの独立した(絶対的かつ必然的な)ものとして彼自身の自由を、他者の中において直観すること、あるいは、自身が他者からもそのように認められることを要求する。

※1
Diese Selbstanschauung (この自己直観)は前節の“Es schauet im Andern sich selbst an.”(他者のうちに自己自身を見る)を受けている。ここでの自他の相互認識は意識の段階にあってまだ抽象的である。

※2
ここでのMomentは、FaktorとかUmstandの意で、「水は魚のMomentである」という意味で環境とか境界の意にとった。要素、契機、要因などとも訳される。

※3
自己も他者も、意識として観念的に抽象的に存在するのみではなく、肉体として感覚に捉えることのできる相互に具体的な客体である。

※4
als eines fürsichseienden「一つの独立した(絶対的かつ必然的な)ものとして」と訳した。
 
概念は、「an und für sich」な 存在 (潜在的から顕在的な存在へと、あるいは、無自覚から自覚的な存在へ)として発展するものである。その発展は、絶対的であり、したがって必然的であり、他者に依存しないから独立的である。

「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

※5
自己と他者の自己意識はそれぞれとして絶対であり、その自己意識の「Freiheit 自由」は、それ自身においても絶対的であり、また他者からもその自由が認められることを要求するものである。  1) 普遍 →   2) 特殊  →  3) 個別 の進展の論理。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自己意識 第三十節 [同じ自己意識としての「私」と他者]

2024年03月05日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級 第二段 自意識 第三十節[同じ自己意識としての「私」と他者]

§30

Ein Selbstbewusstsein, das für ein anderes ist, ist nicht als bloßes Objekt für dasselbe, sondern als  sein anderes Selbst. Ich ist keine abstrakte Allgemeinheit, in der als solcher kein Unter­schied oder Bestimmung ist. Indem Ich also dem Ich Gegenstand ist, ist es ihm nach dieser Seite als dasselbe, was es ist. Es schauet im Andern sich selbst an.

第三十節[同じ自己意識としての「私」と他者]

他者に対して存在する一つの自己意識は、他者に対する単なる客体としての自己意識ではなくて、むしろ、自己意識の他のもう一人の自己として 存在している。「私」とは、その中にこうした何の区別も規定もない抽象的な普遍性ではない。「私」は「私」を対象としているのだから、「私」をこの側面から見れば、彼も「私」としてあるところと同じものとして存在している。「私」は他者のうちに自己自身を直観している。

 

※1
「私」も「他者」も、同じ自己意識であることには変わりはない。だから「私」は他者のうちに自己を見ることになる。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識  第二十九節 [主と僕]

2024年02月01日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自意識  第二十九節[主と僕]

B. Herrschaft und Knechtschaft(※1)

§29

Der Begriff des Selbstbewusstseins als eines Subjekts, das zu­gleich objektiv ist, gibt das Verhältnis, dass für das Selbstbewusstsein ein anderes Selbstbewusstsein ist.(※2)

B. 主であることとしもべであること

第二十九節[主と僕]

同時に客体的でもある一つの主体としての自己意識という概念は、その自己意識に対して他の自己意識が存在するという関係におかれる。

 

※1
自己意識の概念の進展において、まず欲望において客体的でもありかつ主体である個人(前節)に自己意識が確立されるが、この自己意識の対象は、単なる物からつづいて他の自己意識へと向き合うことになる。その関係性は、さしあたっては「主であることとしもべであること」(Herrschaft und Knechtschaft)である。

金子武蔵氏は「主であることと奴であること」と訳し(岩波版『精神の現象学』)牧野紀之氏は「主人であることと召使であること」(鶏鳴出版『精神現象学』)、武市健人氏は「支配と隷属」(岩波文庫『哲学入門』)とそれぞれ訳している。

 Herr
主、主人、主君、殿
Herrschaft 
支配、主権、領土
Knecht
僕しもべ、使用人、召し使い、奴隷、 従者、下僕
 Knechtschaft
隷従、隷属、奴隷制

-schaft 接尾辞
 名詞・形容詞・動詞などにつけて、性質・状態といった抽象的意味を持つ女性名詞をつくる。
(註解において有用であればドイツ語についても文法的、語学的注釈もしていくつもりです。)

※2
「主であることとしもべであること(Herrschaft und Knechtschaft)」の関係性は、ただ個人の間ばかりとはかぎらない。それは諸動物において典型的に現れ、さらには国家や部族、民族、企業など、意志と欲求とをもつあらゆる主体同士の間にも現れる。たとえば敗戦の結果としてのアメリカと日本。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識  第二十八節 [欲望の自己感覚]

2024年01月19日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第二段  自己意識  第二十八節[欲望の自己感覚]

§28

In der Begierde verhält sich das Selbstbewusstsein zu sich als  einzelnes.  Es bezieht sich auf einen selbstlosen Gegenstand, der an und für sich ein anderer, als das Selbstbewusstsein. Dies er­reicht sich daher in seiner Gleichheit mit sich selbst in Rücksicht auf den Gegenstand nur durch Aufhebung desselben. Die Be­gierde ist überhaupt: 1) zerstörend ; 2) in der Befriedigung der­selben kommt es deshalb nur zu dem Selbstgefühl des Fürsichseins des Subjekts als einzelnen(※1), dem unbestimmten Begriff des mit der Objektivität verbundenen Subjekts.(※2)

 

第二十八節[欲望の自己感覚]
  
欲望においては、自己意識は自ら自己に対しては「個別者」としてふるまう。欲望において自己意識は、自己をもたない本来的に他者である対象と、自己意識として関係する。したがって自己意識は自ずから、ただ対象を食い尽くすことのみを通して、対象との関係において自分自身と対象とが同等であることを実現する。

欲望は一般的に
1) 破壊的であり
2)こうして欲望が充足されると、ただ個別者としての主体に、自分自身であるという自己感覚の自覚のみが生じてくるが、その自己感覚は主体と客体とがからまった、あいまいな概念である。

 


※1
 dem Selbstgefühl des Fürsichseins des Subjekts als einzelnen は
直訳すると、「個別的なものとしての主体の自覚的存在の自己感覚へ」となるが、わかりにくい。
とくに、「Fürsichseins」は「自己に向かう存在」だが、この場合の「sich」は「Ich」=「私」「自我」「自分」の代名詞であり、したがって「Fürsich」は「自覚しつつある私、あるいは自覚した私」である。これに対し「Ansich」は「まだ無自覚な私」である。

※2
「私」とは、すなわち「自己意識」のことであるが、この「自己意識」は「欲望」によって、自分自身であるという個別的な独立した意識を確立する。この欲望の対象は、さしあたっては「物」、すなわち「自己をもたない対象」である。それゆえに、この場合に生じる自己感情(感覚)は、主体と客体の境があいまいである。食い尽くされた肉は、自らの身体と区別がつかない。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自己意識  第二十七節 [欲望の充足]

2024年01月10日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自己意識  第二十七節[欲望の充足]

§27

Die Tätigkeit der Begierde hebt also das Anderssein des Ge­genstandes, dessen Bestehen überhaupt auf und vereinigt ihn mit dem Subjekt, wodurch die  Begierde befriedigt  ist. Diese ist sonach bedingt: 1) durch einen äußeren, gegen sie gleichgültig bestehenden Gegenstand oder durch das Bewusstsein; 2) ihre Tätigkeit bringt die Befriedigung nur durch Aufheben des Ge­genstandes hervor. Das Selbstbewusstsein kommt daher nur zu seinem  Selbstgefühl. (※1)


第二十七節[欲望の充足] 
  
欲望の活動は、したがって、対象の他者性を、対象の存在一般を廃止し、そうして対象と主体とを一体化する。こうして 欲望が満たされる。欲望の充足は、だから次の条件を必要としている。
 1) 欲望とは無関係に存在する外部の対象によって、もしくは、意識を通して、
 2) 欲望の活動は、ただ対象を手に入れることによってのみ充足感をもたらす。
自己意識は、したがって、ただその 自己感情 にのみ帰着する。

 

※1
前節の§26によって明らかにされた「衝動」は必ずしもそこに意識は介在しなかったが、本節§27で説明されているように、「欲望が充足」するための条件としては、まず外部に他者性をもった対象が存在すること、そして、それを意識していること、次に、その外部の対象を手に入れ、また食い尽くすこと、それによって意識の主体と一体化することである。こうして自己意識は欲望充足の自己感情に行き着く。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十六節[衝動]

2023年12月22日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十六節[衝動]

§26

Dies Gefühl seines Andersseins widerspricht seiner Gleichheit mit sich selbst.(※1) Die  gefühlte Notwendigkeit,  diesen Gegensatz aufzuheben, ist der  Trieb. Die Negation oder das Anderssein stellt sich ihm als Bewusstsein, als ein äußerliches, von ihm ver­schiedenes Ding dar, das aber durch das Selbstbewusstsein be­stimmt ist: 1) als ein dem Trieb  gemäßes  und 2) als ein  an sich Negatives,  dessen Bestehen von dem Selbst aufzuheben und in die Gleichheit mit ihm zu setzen ist.

第二十六節[衝動]

(自意識の)他者性のこの感情は、意識の自分自身との同一性に矛盾している。この矛盾を解消しようとする 感じられた必然性  衝動 である。否定もしくは他者は、意識として、一個の外的なものとして、自分とは異なる物として現れてくるが、しかし、それは自意識によって規定されているものである。
 1) 衝動に相応するも のとして、そして
2)それ自体否定的なもの として、その存在は自意識自身によって解消せられ、そうして、自己に一致したものとされる。


※1
欲望とは「感じられた矛盾」である。
自意識の中に生まれる他者、外的なものは、自己の本来的な同一性に、アイデンティティに反する矛盾するものであるから、自意識はそれを解消して、同一性を、アイデンティティを回復しようとする。それが衝動である。

(自意識内の他者性や異物を排除しようとする衝動、これが民族的な規模で起きたものがイスラエルとハマスなどの異民族間で起きている抗争である。だからお互いに破滅したくなければ、それぞれの国内で過激派を抑制して二つの国家を別個に形成し、平和を確立して共存の関係を作り上げるしかない。移民問題などもこうして必然的に発生する。)

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識 第二十五節[欲望]

2023年12月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十五節[欲望]

A. Die Begierde

§25

Beide Seiten des Selbstbewusstseins, die setzende und die auf­hebende(※1), sind also unmittelbar miteinander vereinigt. Das Selbstbewusstsein setzt sich durch _Negation des Andersseins_ und ist _praktisches_ Bewusstsein. Wenn also im eigentlichen Bewusstsein, das auch das _theoretische_ genannt wird, die Bestimmungen desselben und des Gegenstandes sich _an sich selbst_ veränderten, so geschieht dies jetzt durch die Tätigkeit des Bewusstseins selbst und für dasselbe.(※2) Es ist sich bewusst, dass ihm diese auf­hebende Tätigkeit zukommt. Im Begriff des Selbstbewusstseins liegt die Bestimmung des noch nicht realisierten Unterschiedes. (※3)Insofern dieser Unterschied überhaupt in ihm sich hervortut, hat es das Gefühl eines Andersseins in ihm selbst, einer Nega­tion seiner selbst, oder, das Gefühl eines Mangels, ein _Bedürfnis._(※4)

 

A. 欲望

第二十五節[欲望]

自意識の二つの側面、定立する面と止揚する面は、したがって互いに直接に結びついている。自意識は他の存在を否定すること を通して自己を定立するから、実践的な 意識である。それゆえ、また理論的 とも呼ばれる本来の意識において、意識の規定と対象の規定 それ自体が 変化するときは、今このことが、意識自身の活動を通して、意識そのものに対して起きる。この止揚する活動が意識にもたらされることは意識自ら知っている。自意識の概念のうちには、まだなお実現(解消)されていない区別が存在している。この区別一般が意識の中に少しでも残っているかぎり、意識は自分自身の中に他者の感情を、自分自身が否定される感情をもつ。言いかえれば、欠乏の、欲望 の感情が生まれる。

 

※1

die setzende und die auf­hebende Seiten(定立する側面と、止揚する側面)

「定立する側面」とは自意識の対象を変えようとする側面であり、「止揚する側面」とは自意識が対象を意識内に表象もしくは観念として保存することである。

意識は自己を対象とすることによって自意識(自己意識)となったが、自意識には二つの側面があり、一つは、対象を意識する場合 ── すなわち「対象意識」と、もう一つは、自分自身を意識する場合 ──「自己意識」である。

前者が、止揚する側面(die auf­hebende Seiten)すなわち理論的意識であり、後者が定立する側面(die setzende Seiten)すなわち実践的意識である。

※2

自己意識、すなわち実践的意識は、たとえば、鉄を変えて剣にしようとするが、そのことによって同時に、対象も鉄から剣へと変化する。こうして自意識の活動によって対象意識、理論的意識も変化する。

※3

die Bestimmung des noch nicht realisierten Unterschiedes. (まだなお実現されていない区別の規定)─── 「いまだ解消されていない区別の規定」ととった。

※4

自意識の活動によって、たとえば、鉄という対象を剣に変えようとしたのに、いまだ鉄が釘にしかならなかったならば、自意識の概念のうちには、釘と剣との区別が残されたままである。自意識にはそこに自ら否定された感覚が残り、そこから欠乏と欲望の感情が生まれる。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十四節[自意識の三つの段階]

2023年11月27日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十四節[自意識の三つの段階]

§24

Das Selbstbewusstsein hat in seiner Bildung oder Bewegung die drei Stufen: 1) der Begierde, insofern es auf andere Dinge; 2) des Verhältnisses von Herrschaft und Knechtschaft, sofern es auf ein anderes, ihm ungleiches, Selbstbewusstsein gerichtet ist; 3) des allgemeinen Selbstbewusstseins, das sich in anderen Selbstbewusstsein und zwar ihnen gleich, so wie sie ihm selbst gleich, erkennt.

第二十四節  [自意識の三つの段階]

自意識の形成あるいは活動には三つの段階がある。
1) 欲望───自意識が他の物に向けられる場合。(※1)
2) 支配と隷従の関係───自意識が自分と対等でない他の自意識に向けられる場合。(※2)
3) 普遍的な自意識───他の自意識が自分と彼が同質であると認めるように、同時にまた自意識も他の自意識の中に自己を認める場合。(※3)


※1
自意識はまず個人として生きるためには、欲望をもって他の物に向かわなければならない。他の物とは水や空気などの無機物にかぎらず、果実や魚肉など、さらには同じ個体としての異性に向かう。それは食欲であり、性欲などである。(個別)

※2
次に自意識は、同じく多くのさまざまな他者との社会関係におかれて、他の自意識と向き合うが、さしあたっては、お互いの承認をめぐって抗争する関係である。その端的な例は戦争である。敗者の自意識は命が欲しければ勝者に隷属し支配されるしかない。(特殊)

「Herrschaft und Knechtschaft」については、金子武蔵氏は「主であること奴であること」、牧野紀之氏は「主人であること召使であること」と訳している。     

※3
自意識は第二の段階を経ることによって、さらに家族、市民社会、国家や人類といった人倫の社会に向かい「普遍的な自意識」に至る。

「私は私である」というここでの自意識の命題がフィヒテの「自我哲学」が踏まえられていること、また、自意識が三つの段階(個別ー→特殊ー→普遍)をたどるその発展の論理過程については、金子武蔵氏の訳業になる『精神現象学』の解説などに詳細に説明されている。ただ、このヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解は「生活に使える哲学」として、基本的な骨格のみの把握を目指している。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

2023年11月21日 | ヘーゲル『哲学入門』


ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

§23

Dieser Satz(※1) des Selbstbewusstseins(※2) ist ohne allen Inhalt. Der Trieb des Selbstbewusstseins besteht darin, seinen Begriff zu realisieren und in Allem sich das Bewusstsein seiner zu geben. Es ist daher: 1) tätig, das Anderssein der Gegenstände aufzu­heben (※3)und sie sich gleich zu setzen; 2) sich seiner selbst zu ent­äußern (※4)und sich dadurch Gegenständlichkeit und Dasein zu ge­ben. Beides ist ein und dieselbe Tätigkeit. Das Bestimmtwer­den des Selbstbewusstseins ist zugleich ein sich Selbstbestimmen (※5)und umgekehrt. Es bringt sich selbst als Gegenstand hervor.

第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

自意識のこの命題にはまったく内容がない。自意識の衝動とは、自らの概念を実現すること、そうして、あらゆるものの中に、自らを意識することである。それゆえに自意識は、1)対象の他者性を廃して、そうして、対象を自分と同じものにする。2)自分自身を外在化して、それによって自分自身に対象性と存在を与える。1)2)の両方は同じ活動である。自意識が規定されるというのは、同時に、自分を自己規定することであって、その逆も同じである。自意識は自らを客体として作り出す。


※1
Dieser Satz  
この命題とは、
Ich=Ich、Ich bin Ich.「私=私」「私は私である」という自意識の命題。

命題とは判断を文に表したもの。その判断の正否が問われる。

※2
 Selbstbewusstseins  「自意識」と訳した。武市健人氏も同じ。金子武蔵氏や牧野紀之氏は「自己意識」と訳している。

※3
aufheben  持ち上げる、廃する、止揚する、揚棄する、などと訳される。
対象の他者性がなくなるだけで、対象性は保存され残っている。

※4
ent­äußern
外部に現す、外在化する、外化する。
行動によって自己を外部に存在させ客体化する。労働は自己の外在化である。
1)は理論的な立場、2)は実践的な立場といえる。両者は同じ一つの活動の両側面である。

※5
「自意識」の衝動は、人間の生産活動のあらゆる側面に見られる。
自動車や船舶をはじめ、政治や国家に至るまで、すべては概念を実現しようとする人間の自意識の衝動の結果である。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

2023年11月10日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

 

 Zweite Stufe. Das Selbstbewusstsein.

第二段  自意識

§22

Als Selbstbewusstsein schaut Ich sich selbst an und der Aus­druck desselben in seiner Reinheit ist Ich = Ich, oder: Ich bin Ich.(※1)

第二十二節[自意識としての私]

自意識として「私」は、自分自身を見つめ、そして、この自意識の純粋な形での表現が「私=私」であり、もしくは、「私は私である」。

 

※1
意識の自己内分裂という類的な極限に達した人類は、ついに意識の対象を「私」そのものに向ける。それが自意識(Selbstbewusstsein)である。この自意識は「私は私である」として定式化される。

第一段 の「意識一般」においては、意識の対象は「客体」に向けられていたが、この第二段「自意識」において、意識はその対象を「意識の主体そのもの」すなわち「私」に向ける。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

2023年11月08日 | ヘーゲル『哲学入門』


ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

§21

Oder unmittelbar: das  Innere  der Dinge ist der Gedanke oder Begriff derselben. Indem das Bewusstsein das Innere zum Gegenstande hat, hat es den Gedanken oder eben so sehr seine eigene Reflexion oder Form(※1), somit überhaupt sich zum Gegenstande.(※2)

第二十一節[物の観念もしくは概念]

あるいは直接的に言えば、物の 内的なもの とは、物の 観念 もしくはその概念である。意識が内的なものを対象とするかぎり、意識は観念を、もしくは、まさに意識にとってまったく固有であるところの反省を、あるいは形式を対象にもち、したがって、一般的に意識は自己を対象にもつのである。

※1
意識は自己内分裂することによって、自身を反射する。それは意識の形式であり、そのことによって自己を反省する。
意識が「内的なもの」を対象にするというのは、物についての観念や概念を対象にするということである。それは自分自身を対象とすることである。


※2
意識は、A 感覚的な意識 ー→ B 知覚 ー→ C 悟性 へと進んできて、外的なものから内的なものへと意識の対象が移り行く。そして今や、ついに自分自身を意識の対象にする。すなわち「自意識」の段階に入る。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

2023年11月06日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

§ 20

Dieser Begriff, auf das Bewusstsein selbst angewandt(※1), gibt eine andere Stufe desselben. Bisher war es in Beziehung auf seinen Gegenstand als ein Fremdes und Gleichgültiges. Indem nun der Unterschied überhaupt zu einem Unterschied geworden ist, der eben so sehr keiner ist, so fällt die bisherige Art des Unterschie­des des Bewusstseins von seinem Gegenstande hinweg. Es hat einen Gegenstand und bezieht sich auf ein Anderes, das aber unmittelbar eben so sehr kein Anderes ist, oder es hat sich selbst zum Gegenstande.

第二十節[自己を対象とする意識]

 意識そのものに用いられたこの概念は、別の次元の段階の意識を与える。これまで、意識はその対象とは、異質な無関係のものだった。ところが今や、(意識と対象との)区別一般が、もはや区別がまったくないような一つの区別になってしまったので、その結果、意識をその対象から区別するこれまでのようなあり方はなくなってしまう。意識は一つの対象をもち、自らを一個の他者に関係させはするが、しかし、その他者はもはや直接的にはまったく他者でないような他者であり、言いかえれば、意識は自己自身を対象としてもつのである。


※1

「精神の現象学」として、意識との関係を「今ここにある」対象からはじめて、その弁証法的な関係を追考してきたが、先の第十九節において、意識は「力と法則」という概念の段階にまで進行してきた。

それまでは、意識の対象は意識の外にあって、意識そのものとは異物であり無関係なものであった。しかし、先の第十九節において「力と法則」という概念にまで進んでくると、「力と法則」の概念には、その外的な対象と意識それ自体との区別が消え失せてしまっている。ここに至って意識は別の次元の意識をもつにいたる。すなわち、意識はその対象として他者でない他者、すなわち自己自身を意識の対象とする。

リンゴの樹から落下するリンゴの果実は、意識にとってはまったく外的なものであり異物であるが、意識がリンゴの樹から落下する果実の力やその力の法則性を意識するにいたると、意識と力や法則との区別はなくなる。力や法則は意識そのものである。

 

 

 

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