夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 八[行為について]

2019年08月23日 | ヘーゲル『哲学入門』

§8

Das theoretische Vermögen fängt von einem Daseienden, Vor­handenen, Äußerlichen an und macht es zu einer Vorstellung. Das praktische hingegen fängt bei einer innerlichen Bestim­mung an. Diese heißt /Entschluss,/ Vorsatz, Leitung, und macht das Innerliche wirklich äußerlich, gibt diesem ein Dasein. Dies Übergehen von einer innerlichen Bestimmung zur Äußerlichkeit heißt /Handeln./(※1)

§8[行為について1]

理論的な能力は、そこに在る物、手もとに在る物、外に在る物から始めて、そしてそれを表象に作る。これに対して、実行的な能力は内にある規定から始まる。この内なる規定とは、決意(Entschluss)、意図(Vorsatz)、統制(Leitung)と呼ばれるもので、これらは内に在る物を実際に外に現すことによって、これらに定在を与えるものである。内なる規定から外在性へのこの移行は、行為(Handeln)と言われる。

※1

 

前節に引き続き、理論的な能力と実行的な能力の違いについて考察している。理論的な能力は、私たちの外に在る物についての私たちの考え(Vorstellung)を作ることであるが、実行的な能力とは、私たちの内にある規定(einer innerlichen Bestim­mung)に、決意(Entschluss)、意図(Vorsatz)、統制(Leitung)といった意思の内容に外在性を与えること、それらを行為によって外に現す能力である。改めて言うまでもないきわめて常識的なことが述べられている。

 
 
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八月の読書

2019年08月17日 | 歴史
 
八月の読書

今月の一冊として、ハミルトン・フィッシュの『FDR:THE OTHER SIDE OF THE COIN How We Were Tricked into Word War Ⅱ』の邦訳 『ルーズベルトの開戦責任』(渡辺 惣樹訳 草思社  2014年9月)を図書館から借りて読んでいます。

本書を読もうと思った動機は、先の日米戦争の終戦から七四年を経過した今日においても、現代の日本という国家社会を深く根底から決定的に規定している歴史的事件として、この日米戦争の影響は深刻で、私たちの現在もこの戦争の存在抜きにしては考えられないからです。それで本書がこの戦争の真実を少しでも深く知ることの一助にもなればと思いました。

実際に300万にのぼると言われる戦死者が、時代が時代なら幸福に生き永らえることもできたはずなのに、戦争のために生を断絶させられることになりました。また、そうした戦没者の方々のみならず、私たち戦後生まれの世代も、母親たちの胎内から幼少期へと、さらに老年期から死に至るまで、私たちの心身にはこの戦争の影響を深く刻み込まれてそれぞれの生涯を生きることになります。だから私たちは自己の存在をより客観的に把握するためにも、先の日米戦争の歴史的な真実を知る必要があると思います。また、それなくして日本という国家社会の正しい未来像も描けないからです。

特に、この日米戦争を「勝利」によってではなく「敗戦」で迎えなければならなかったために、戦後の日本社会にもたらされた断絶と混乱による悲喜劇は、今日の日本国民の精神により深刻に投影されています。その深刻さの度合いは、アメリカやイギリスなどの「戦勝国」の国民、国家社会とは比較になりません。いわゆる「慰安婦問題」や「靖国問題」に見られる国論の分裂もその例だと思います。

裁判事件などでもそうですが、多くの事件の真実を知るためには、その事件の現象に関わる事実をより全面的に客観的に探索してゆく必要があると思います。このことは歴史な事件としての先の日米戦争について言えます。裁判官は被告と原告の両者の主張を公平に聞く必要があります。

また、日米戦争について回顧し評価するとしても、そこには様々な見方があります。もちろん、先の日米戦争に対する歴史観の国家国民の間でもっとも支配的なものは、いわゆる戦勝国GHQの手によって行われた「東京裁判」の過程で明らかになった、戦勝国の歴史観、価値観に基づいたいわゆる「東京裁判史観」と言われるものです。それが戦後日本の国家国民の基本的な歴史観となったのは、敗戦国の宿命ともいうべきものでやむを得なかったと思います。

それはある意味でやむを得ないものですが、戦後半世紀を過ぎて七四年を経過しようとする今日、あらためてこの「東京裁判史観」を検証する必要があると思います。特に敗戦国として顧みられることのなかった「大日本帝国政府」の立場を、彼らの論理を検証する必要があると思います。そうでなければ、先の日米戦争の公平な評価はできないでしょう。

何れにしても、戦後半世紀以上を経過した今日こそ、様々な利害によって隠されていた事実が現れて来ることによって、さらに歴史的な真実の追求は可能になると思います。日米戦争の当事者中の当事者であるルーズベルト大統領に対する批判者としての、このアメリカの政治家による証言もその一つです。同じアメリカ人の政治家が当時の日米戦争を、あるいは当時の日米関係をどのように観察していたかを知る上で参考になるかもしれないと考えたからです。それは、あの日米戦争をより客観的に認識することになるはずです。


「私は二十五年間、共和党の下院議員であった。一九三三年から四十三年まで外交問題委員会、一九四〇年から四五年までは議員運営委員会の主要メンバー であった。・・・・・・・・
私は今では、あのルーズベルトの演説は間違いだったとはっきり言える。あの演説のあとに起きた歴史をみればそれは自明である。アメリカ国民だけでなく本当のことを知りたいと願う全ての人々に、隠し事のない真実が語られなければならない時に来ていると思う。あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである。彼は日本に最後通牒を突きつけていた。それは秘密裏に行われたものであった。真珠湾攻撃の十日前には、議会もアメリカ国民をも欺き、合衆国憲法にも違反する最後通牒が発せられていた。
 今現在においても、十二月七日になると、新聞メディアは必ず日本を非難する。和平交渉が継続してる最中に、日本はアメリカを攻撃し、戦争を引き起こした。そういう論説が新聞紙面に踊る。しかしこの主張は史実とは全く異なる。クラレ・ブース・ルース女史(元下院議員、コネチカット州)も主張してるように、ルーズベルト大統領はわれわれを欺いて、(日本を利用して)裏口から対ドイツ戦争を始めたのである。」
(本書18ページ)

「「英国チャーチル政権の戦時生産大臣(Minister  of  Production)であったオリバー・リトルトンは、ロンドンを訪れた米国商工会議所のメンバーに次のように語っている。(一九四四年)。「日本は挑発され真珠湾攻撃に追い込まれた。アメリカが戦争に追い込まれたなどという主張は歴史の茶番(a  travesty  on  history)である」
 天皇裕仁に対して戦争責任があると非難するのは全く間違っている。天皇は外交交渉による解決を望んでいた。中国及びベトナムからの撤退という、それまで考えられなかった妥協案まで提示していた。米日の戦いは誰も望んでいなかったし、両国は戦う必要がなかった。その事実を隠す権利は誰にもない。特に歴史家がそのようなことをしてはならない。両国の兵士は勇敢に戦った。彼らは祖国のために命を犠牲にするという崇高な戦いで命を落としたのである。しかし歴史の真実が語られなければ、そうした犠牲は無為になってしまう。これからの世代が二度と同じような落とし穴に嵌るようなことはなんとしても避けなければならない。」(19ページ)

「ルーズベルトとチャーチルの二人がアメリカをこの戦争に巻き込んだ張本人である。チャーチルはのちにこの戦争は不必要な戦争であったとも言っている。これには驚くばかりである。チャーチルが喜んでいるのは、軍事力だけではなくアメリカの巨大な資金援助がイギリスになされたからだ。」

「私は、この書の発表を、フランクリン・ルーズベルト大統領、ウェストン・チャーチル首相、ヘンリー・モーゲンソー財務長官、ダグラス・マッカーサー将軍の死後にすることに決めていた。彼らを個人的にも知っているし、この書の発表は政治的な影響も少なくないからである。彼らは先の大戦の重要人物であり、かつ賛否両論のある人々だからである。
私はこのような人物の評判を貶めようとする意図は持っていない。私は歴史は真実に立脚すべきだとの信条に立っているだけである。それは、言ってみれば、表側だけしか見せていないコインの裏側もしっかり見なければならない、 と主張することなのである。 コインの裏側を見ることは、先の大戦中あるいは戦後すぐの時点では不可能であった。戦争プロパガンダの余韻が充満していた。そうした時代には真実を知ることは心地よいものではない。しかし、今は違う。長きにわたって隠されていた事実が政府資料の中からしみ出してきている。これまで国民の目に触れることのなかった資料が発表されはじめたのである。」(23ページ)

 

 

 
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ヘーゲル『哲学入門』目次(1)

2019年08月14日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
 
ヘーゲル『哲学入門』目次(1)


 
 
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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 七[理論と実行、形式と内容]

2019年08月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

§7

Es wird überhaupt, insofern davon die Rede ist, dass der Geist Bestimmungen (※1) erhalte, die Unbestimmtheit des Ich oder des Geistes vorausgesetzt. Die Bestimmungen des Geistes gehören ihm an, auch wenn er sie von anderen Gegenständen erhalten hat. Insofern etwas darin ist, was, als ein von ihm unabhängi­ger Inhalt, nicht von ihm herkommt, gehört ihm dabei doch immer die Form an; z. B. bei der Einbildungskraft kommt der Stoff zwar von der Anschauung her, aber die Form besteht in der Art, wie dieser Stoff anders verknüpft worden ist, als er in der Anschauung ursprünglich vorhanden war. In einer reinen Vorstellung, z. B. der des Tieres, gehört der bestimmte Inhalt der Erfahrung an, aber das Allgemeine darin ist die Form, die vom Geist herkommt.

 

第七節 理論的能力と実行的能力の相違(精神の形式と内容)

精神が諸規定を手に入れるということが言われる限り、それは一般に「私」(自我)、あるいは精神があらかじめ規定されてはいないということが前提されている。また精神がその諸規定を、たとえもし他の対象から手に入れるとしても、精神の諸規定は精神に属するものである。精神から独立したものとして、精神に由来しない何かがその諸規定の中にあるとしても、そこではつねに形式は精神に属している。たとえば、想像力においては素材は確かに直観から来るけれども、しかし、これらの素材が直観のうちにもともと存在していたものとは他のものと結合されるように、その形式はその方法にある。一つの純粋な表象において、たとえば「動物」の表象において、その規定された内容は経験に属しているが、しかし、その中にある普遍性は精神に由来する形式である。

 Diese Form ist also das eigene Bestimmen des Geistes. Beim theoretischen Vermögen macht es nun den wesentlichen Unter­schied aus, dass nur die Form im Bestimmen des Geistes liegt, hingegen beim praktischen der Inhalt(※2)auch vom Geist her­kommt. Im Recht z. B. ist der Inhalt die persönliche Freiheit. Diese gehört dem Geist an. Das praktische Vermögen erkennt Bestimmungen als die seinigen, insofern es sie überhaupt will. Wenn sie auch als fremde Bestimmungen oder als gegebene erscheinen, so müssen sie aufhören, fremde Bestimmungen zu sein, insofern ich sie will. Ich verwandle den Inhalt zu mir, setze ihn durch mich.

 

これらの形式は、だから精神に固有の規定である。ところで、理論的な能力においては、形式は精神の規定のうちにのみあるのに、これに対して、実行的な能力においては内容もまた精神に由来するという本質的な相違を成している。たとえば、法においては、その内容は人格の自由である。人格の自由は精神に属している。実行的な能力は、それが一般に意欲する限り、諸規定を自分のものとして認識している。もしまた諸規定が、よそよそしい諸規定として、あるいは与えられたものとして現れた場合にも、私が欲する限りは、よそよそしい規定ではなくなる。私は内容を私の方へ変換し、私は私によって内容を作り出す。

(※ 1)
この諸規定(Bestimmungen)が何であるか、具体的に考えてみると、たとえば、私たちは経験から「馬」の表象を手に入れる(私たちの感覚に馬のその姿形を印象付けられる、つまり外から決められ、規定される(bestimmen)けれども、純粋な表象としての「馬」、つまり動物の種属としての普遍的な「馬」という表象についてはそれは私たちの精神に由来するということである。


(※2)
法の内容は「人格の自由」である。理論的な能力においては、この「人格の自由」も精神の形式に過ぎないが、実行的な能力においては、たとえ、初めは「人格の自由」が他から与えられたよそよそしいものであっても、私が「人格の自由」を欲する限り、実際に行動してそれを自分のものとしてその内容を実現してゆく。
理論的な能力と実行的な能力の本質的な相違は、後者が、「自由」などの精神の規定の「内容」を作り出して(setzen)ゆくところにある。

 

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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 六[思考について]

2019年08月05日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§6

Im gemeinen Leben /verwechselt/ man Vorstellung und Denken und wir nennen auch dasjenige Denken, was nur Vorstellung der Einbildungskraft ist. In der /Vorstellung/ haben wir eine Sache vor uns auch nach ihrem äußerlichen unwesentlichen Da­sein. Im /Denken/ hingegen sondern wir von der Sache das Äußerliche bloß Unwesentliche ab und heben die Sache nur in ihrem Wesen hervor.

第6節[思考について]

普通の生活の中で、人は、表象と思考を/混同して/いる。そして、私たちは想像力であるただの表象に過ぎないものをまた思考そのもののように呼んでいる。/表象/の中においては、私たちは事物を私たちの前に、外にある非本質的な「そこに在る物(定在)」そのままにもっている。それに対して、/思考/においてはむしろ私たちは、外的なものを、本質的に重要でないものを、事物から取り去り、そして、事物をただその本質においてのみ取り上げる。

 

Das Denken dringt durch die äußerliche Erscheinung durch zur Innern Natur der Sache und macht sie zu seinem Gegenstand. Es lässt das Zufällige einer Sache weg. Es nimmt eine Sache nicht, wie sie als unmittelbare Erscheinung ist, sondern scheidet das Unwesentliche von dem Wesentlichen ab und abstrahiert also von demselben. — In der Anschauung haben wir einzelne Gegenstände vor uns. Das Denken /bezieht/ dieselben auf einander oder /vergleicht/ sie.

思考は外にある現象を突き抜けて事物の内的な本性にまで掘り抜く。そして、内的な本性を自らの対象にする。思考は事物から偶然的なものを取り去る。思考は事物を、それを直接的な現象としてあるがままに把握するのではなく、むしろ、非本質的なものを本質的なものから切り離し、そして、つまり本質的なものを抽象する。⎯ 直観においては私たちは個々の対象を私たちの前にもっている。思考はこれらを相互に/関連づける/か、あるいは、それらを/比較/する。

In der Vergleichung hebt es, was sie mit einander /gemeinschaftlich/ haben, heraus und lässt dasjenige, wodurch sie von einander sich /unterschei­den,/ weg und erhält dadurch /allgemeine/Vorstellungen. — Die allgemeine Vorstellung /enthält weniger/ Bestimmtheit als der einzelne Gegenstand, der unter dieses Allgemeine gehört, weil man eben das Allgemeine nur durch Weglassen des Einzelnen erhält.

比較することによって、思考は、事物が互いに/共通して/もっているものを取り出し、そしてそれらが互いに/異なるもの/を取り除き、そして、それによって普遍的な表象を手に入れる。(※1)⎯ 普遍的な表象は、これらの普遍的なものの下に属している個々の対象と比べて、その規定性は/より少ししか含んでいない/。というのも、人はまさに(個々の対象の)固有性を取り除くことによってのみ、普遍的なものを手に入れるからである。

Dagegen /umfasst/ das Allgemeine /mehr/ unter sich oder hat einen weit größeren Umfang. Insofern das Denken einen allgemeinen Gegenstand hervorbringt, kommt ihm die Tätigkeit des Abstrahierens zu und damit die /Form/ der Allgemeinheit, wie z. B. in dem allgemeinen Gegenstande, Mensch. Aber der /Inhalt/ des allgemeinen Gegenstandes kommt ihm, als Abstrahieren, nicht zu, sondern ist dem Denken gegeben und unabhängig von ihm für sich vorhanden.

それに対して、普遍的なものは、自らのうちに、より多く包含しており、あるいは、より広く大きな外延を持っている。思考が普遍的な対象を作り出す限りにおいて、それは抽象化の働きをともない、そして、それによって普遍性の形式を、たとえば、普遍的な対象としての「人間」を、手に入れる。しかし、抽象されたものとしての普遍的な対象の内容は、思考に属するものではなくて、むしろ、思考に与えられ、そして思考とは無関係に独立して存在する。(※2)

Dem Denken kommen noch vielfache Bestimmungen zu, die einen /Zusammenhang/ zwischen den mannigfaltigen Erschei­nungen ausdrücken, welcher /allgemein/ und /notwendig/ ist. Der Zusammenhang, wie er in der sinnlichen Anschauung ist, ist nur ein äußerlicher oder zufälliger, der so sein oder auch nicht so sein kann. Ein Stein z. B. macht durch sein Herunterfallen einen Eindruck in eine weiche Masse.

思考にはなお、/普遍/とか/必然 /といった様々な現象の間の関係を言い表すところの多様な諸規定が含まれている。感覚的な直観においては、その関係は、そうあることもできれば、また、そうあることができないといった、外的な、あるいは偶然の関係にすぎない。一つの石は、たとえば、その落下によって、柔らかな物体に一つの凹みを作る。

In der sinnlichen Anschauung liegt das Herunterfallen des Steins und dass hierauf, in der Zeit, eine Aushöhlung in der Masse vorhanden ist, wo der Stein sie berührte. Diese beiden Erscheinungen, das Herunterfallen des Steins und die Aushöhlung der Masse, haben sich in der Zeit succedirt. Allein dieser Zusammenhang enthält noch keine Notwendigkeit, sondern es könnte, dem Ausdruck nach, unter denselben Bedingungen, das eine geschehen und das andere nicht darauf folgen.
Wenn hingegen die Beziehung dieser zwei Erscheinungen auf einander sich als ein Zusammenhang von Ursache und Wirkung bestimmt oder als /Kausalität,/ so ist dieser Zusammenhang notwendig oder ein Zusammenhang des Ver­standes.

感覚的な直観においては、石の落下ということがあって、そして、それから時をおいて続いて、石がそれに接触したところの物体に凹みができているという事実がある。石の落下と物体の凹みというこれらの二つの現象は時間的に連続して起きた。しかし、この関係だけでは、まだ何の必然性も含まれておらず、むしろ、同じ条件下において、一方は起きても、そして他方はそれに続かなかったとも言いえば言える。これとは反対に、この二つの現象の相互の関連性が、原因と結果の関係として、あるいは因果関係として、規定されるなら、したがってこの関係は必然的なものであり、あるいは、悟性の関係である。

Es liegt darin, dass, wenn unter denselben Bedingungen das eine geschieht, das andere darin enthalten ist. Diese Bestimmungen sind Formen des Denkens. Der Geist setzt sie nur /aus sich  selbst,/ (※3)aber es sind /zugleich Bestimmungen des Seienden./ Wir kommen erst durch das Nachdenken darauf, was Grund und Folge, Inneres und Äußeres, was wesentlich oder unwesentlich ist. Der Geist ist sich dabei nicht bewusst, dass er diese Bestimmungen willkürlich setzt, sondern er spricht darin etwas aus, was ohne sein Zutun für sich vorhanden ist.(※4)

それは、同じ条件のもとで、もし一つのことが起きるときには、そこに他方が含まれるということである。これらの規定は思考の形式である。精神はそれらをただ自己自身からのみ作り出す [setzen]。しかし、それは/同時に存在するものの規定/である。私たちは、追考によって初めて、根拠と帰結が何であり、内的なものと外的なものが何であり、何が本質的で、あるいは何が非本質的であるかを知るに至る。精神はそこでは自らこれらの諸規定を勝手に作り出している [setzen]ということを意識してはいない。むしろ、精神の関わりなくして独立して存在している何か、をそのうちに言い表しているのである。

(※1)
唯物論者マルクスたちによれば、人はこうした手続きによって「概念」を作るとされる。彼の「概念観」については改めて検証したい。

(※2)

客観的観念論

(※3)

setzen

verb: 設定する、置く、 据える、付ける

哲学用語としては、普通には「定立する」とか「措定する」として訳される。ここでは、「因果関係」とか「必然性」といった「概念」など、形而上学的な存在を、自我、すなわち「私」が作り出す働きのこと。フィヒテの用語法がヘーゲルにも引き継がれている。

 (※4)

 

 

 

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