夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

※追記 :「概念と存在」の関係について

2021年11月19日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

※追記:「概念と存在」の関係について

 

[道徳の主体としての心情]について論じた、ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十四節 の最後のパラグラフの中でヘーゲルは「概念と存在の関係」について触れています。
前のパラグラフからのその展開に論理的必然性はないと思いますが、それはとにかく、ここでもあらためて「概念と存在の関係」についてヘーゲルがこれまで論じている個所を参考までに追記しておきたいと思います。

とくに「概念と存在」を「分断して」認識することしかできない悟性的思考の欠陥について指摘することは大切で、唯物論者にして経験主義者のマルクスなどは、このヘーゲルの概念観を正しく理解できず誤解して「神秘化している」とか「形而上学的な公理に歪曲している」などと批判して国家理念を破壊しています。

 

§ 280c[悟性的思考と国家理念の破壊] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/EK5uJr

「存在」と「概念」 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tEC6it

1月1日(水)のTW: 「誰かこの日本語をクリアーに・・・」 - 作雨作晴 https://is.gd/738Wrb

ヘーゲル哲学史 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/9LEnr9

§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

 

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十四節 [道徳の主体としての心情] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ujeFUH

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十四節 [道徳の主体としての心情]

2021年11月17日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§34

Die Gesinnung ist die subjektive(※1) Seite der moralischen Hand­lung oder die Form derselben. Es ist darin noch kein Inhalt vor­handen, welcher, wie das wirkliche Handeln, gleich wesentlich ist.(※2)

第三十四節

心情 は道徳的な行為の主体的な側面であり、または、道徳的な行為そのものの形式 である。心情は、なお道徳的な行為のうちには、現実的な行為のように、本質的であるところの内容に等しいものを何らもたない。

Erläuterung.

説明


 Mit dem rechtlichen Verhalten soll wesentlich auch das moralische verbunden sein. Es kann aber auch der Fall sein, dass mit dem rechtlichen Verhalten die Gesinnung des Rechts nicht verbunden ist; ja sogar, dass eine unmoralische Gesinnung dabei statt findet. Die rechtliche Handlung (※3)ist, insofern sie aus Achtung vor dem Gesetz geschieht, zugleich auch moralisch. 

法的な行為にはまた道徳的な行為が本質的に結びついていなければならない。しかしまた、法的な行為と法の心情が結びついていないという場合がありうる。いやそれどころか、一個の不道徳な心情がそこに代わって見いだされるという場合もありうる。
法的な行動は、それが法律に対する敬意より生じたものであるかぎり、同時にまた道徳的である。

Das rechtliche Handeln, und zugleich mit der moralischen Gesin­nung, ist schlechterdings zuerst zu verfolgen, und dann erst kann das moralische Handeln als solches eintreten, worin kein rechtliches Gebot (keine Rechtsschuldigkeit) vorhanden ist. Die Menschen handeln gern bloß moralisch oder edel und schenken oft lieber weg, als dass sie ihre Rechtsschuldigkeiten erfüllen. Denn in der edlen Handlung geben sie sich das Bewusstsein ihrer besondern Vollkommenheit, da sie hingegen im rechtlichen Handeln das vollkommen Allgemeine ausüben, das ihnen mit Allen gleich ist.

法的な行為は、そして同時になによりもまず断じて道徳的な心情をもって行われなければならない。そうすれば、その時にまず道徳的な行為そのものが、そこに法的な命令なくして(法的な義務なくして)生じてくる。人間は、法的な義務を果たすことよりも、ただ道徳的にだけでなく、あるいはすすんで高尚に行為することの方を、恵むことの方をしばしばより好む。というのも、高尚な行為においては、人間は自己に特殊な満足感を得るからであるが、それに対して、法的な行為においては、すべてに一律の全く一般的なことを等しく果たすに過ぎないからである。

(※4)Alles Wirkliche enthält zwei Seiten, den wahren Begriff und die Realität(※5) dieses Begriffs, z. B. der Begriff des Staates ist die Sicherung und die Verwirklichung des Rechtes. Zur Realität gehört nun die besondereg Einrichtun der Verfassung, das Verhältnis der einzelnen Gewalten u. s. f. Zum wirklichen Men­schen gehört auch, und zwar nach seiner praktischen Seite, der Begriff und die Realität des Begriffs. 

すべての現実的なものは二つの側面を含んでいる。真の概念とその概念の実在性である。たとえば、国家の概念は法を保全しそれを実現することである。ところで、憲法の特殊な制度や個々の権力の関係といったものは実在性に関わるものである。現実の人間にも、また、そして確かにその実際の側面から見れば、概念と概念の実在性をもっている。

Zu jenem gehört die reine Persönlichkeit oder die abstrakte Freiheit, zu diesem die beson­dere Bestimmung des Daseins und das Dasein selbst. Zwar ist in diesem ein Mehreres, als im Begriff enthalten, aber zugleich muss es diesem gemäß und durch ihn bestimmt sein. Der reine Begriff des praktischen Daseins, das Ich, ist der Gegenstand des Rechts.

概念に属するのは純粋な人格性もしくは抽象的な自由であり、概念の実在性には、その人間あり方の特殊な規定であり、そしてその人間のあり方それ自身が含まれる。確かに、概念の実在性の中には概念の中に含まれているよりももっと多くのものがあるが、しかし同時に概念の実在性は概念に一致していなければならず、そして概念によって規定されてある。実際にそこに存在する純粋な概念、「私」が法の対象である。

 


(※1) 

Subjekt  (知覚・思考・行動などの)主体。認識上の主観。
die subjektive Seite
ここでは道徳的な行為の担い手としての心情だから、主体と訳した。

(※2)
心情は道徳的な行為の形式であって、そのものとしては現実的な行為のような内容をもたない。「愛」とか「畏敬」とか「正義感」とか「慈悲」といったものは「心情」であって、「納税」とか「労役」といった特定の内容をもたない。

Form und Inhalt 形式と内容

重要な対概念。両者は切り離せない。形式なくして内容なく、内容なくして形式もない。
概念はすべて内部に対立しながらも分離できない二者を含んでいる。「純粋な概念」とされる「私」「自我」もその内部に対立しつつも分離できない二者を、すなわち「意識」を含んでいる。

(※3)
法と道徳における心情の意義と関係については、前節や第二十三節でも論じられている。

(※4)
これまで「道徳的な心情と法的な行為」の関係について論じてきて、ここからテーマが「概念とその実在性(現実性)」に代わっているが、このテーマの変更にどのような論理的な必然性があるのかわからない。法の対象が「私」「自我」すなわち「純粋な概念」であることを導き出すためか。

(※5)
概念とその実在性(現実性)について
実際の事物は、「真の概念」と「概念の実在性」をもっている。前者は普遍的な存在であり、後者は特殊性であり個別的なものである。すべての事物は概念として「個別性 – 特殊性 − 普遍性」の連結したものである。
事物(実在するもの)は、その内部に概念を根拠としてもっている。というよりも、それぞれ概念を根拠として事物が派生してくる。とくに生命あるものがそうである。

 

 

 

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