夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

満洲国の根本理念と協和会の本質に就て

2019年02月27日 | 歴史資料

 

 

秘 満洲国の根本理念と協和会の本質に就て

  昭和十一年九月十八日 関東軍司令部

 満洲国の根本理念と協和会の本質とは建国以来一貫不動のものなるもややもすれば歪曲誤解せられ易きに鑑みここに軍司令官の意図を体し永久にその拠る所を明かならしめんとす。

昭和十一年九月十八日 関東軍参謀長 板垣征四郎

目次
一、 満洲建国の世界史的意義
二、 建国精神の真義
三、 日満一体不可分の真義
四、 満洲国政治の特色
五、 満洲国政治(王道政治)の運営(皇帝、軍司令官、政府、協和会の相関)
六、 満洲帝国協和会の本質と其使命
七、 協和会と政権
八、 軍司令会の内面指導と政府及協和会各首脳者


一、満洲建国の世界史的意義
 
 階級闘争を手段とし無産階級を煽動してその国際的提携支援により世界革命を企図するソ連の野望と資本主義的侵略により植民地の膏血を搾取して本国人の安逸を計らんとする、英、米、仏、和等の世界政策とは共にその不純功利的な当然の酬いとして幻滅の方向を巡ろうとして居る時に、独り皇道を基調とし共存共栄を目的とする我道義的世界政策にのみ赫々たる光明を認めらる。

 満洲建国は『六合を兼て都を開き八紘をおおいて宇となすべき』我肇国以来の大理想を顕現する為の第一段階であって天皇の御稜威により旧東北軍権の暴政に苦悩しつつあった三千万民衆を救い更に全アジア民族を白人の桎梏より解放し次いで白人共にも覚醒の機を与えるべき大使命を実現する為の第一歩的意義を有するものである。

 実に我大和民族は内には優秀なる資質と卓越せる実力とを有しながら外には寛仁謙譲の態度を以て他民族に交わり裸一貫なんらの特権も持たない平等の境地において俯仰天地に愧じず中外に施して悖らざる道義を以て(※1)他の民族を指導啓蒙しあたかも長兄が血を分けた弟に対する如き慈愛を以てその足らない点を補い努めない者には大慈の鞭を加えまつろわない者は顕正の剣によってまつろわせ恩威並び行い我に悦服信頼し進んで道義による世界の再建に協力せしめ以て天皇の大御心に副い奉るべき天与の使命を有するものである。

 治外法権を我より自発的に一方的に撤廃した真精神はすなわち在満大和民族が進んで特恵的条件を放棄し喜んで平等の境地に立ち他民族と共に栄えんとする決意を内外に闡明したものである。

 万一満洲を以て日本の属国か又は保護国ないし植民地の様に考えるものがあったならそれは大なる誤である、また英、仏等の植民政策に見る様に各種民族を操縦離間しこれを対立相克させて結束して背反する力を減殺する様なことやあるいは故意にこれら民族を低文化、無教養の状態に放置しあるいはソ連が階級闘争により各民族内部に革命運動を醸成させる様なことやあるいは清朝の蒙古政策に見る様に他民族を去勢し無気力、衰滅に導こうとした様な非道義的、権謀的、欺瞞政策は我国是に鑑み断じて採らない所である。

 各民族はおのおのその伝統と希望とを持って居る、従ってこれを強権を以て圧迫すれば一時的には屏息随従するであろうが結局はその民族を絶滅させない限り何時かは反噬離間するものであることは英国のアイルランド統治に見ても明らかである。

 これすなわち冒頭に述べた諸国の世界政策がいずれも幻滅の悲運に際会して居る原因であると共に道義を基調とし共存共栄を信条とする我皇国独自の世界政策に赫々たる光明を認められる反証である。

 我一部の国民中にも『満洲国は独立国家であって何時背反するか判らないから条約等で強く縛って置く必要がある』と云う様な考えを抱いて居る者があるかも知れぬがこの様な考えは西洋的法文至上主義より発したもので極めて消極的思想であり、天皇の大御心を奉体し天壤と共に無窮に発展する大和民族の信念と矜持とを有しないものの思想である。

ニ、建国精神の真義

 満洲国建国は前述の様に道義世界完成の第一段階であってその建国の根本精神は究極する所日本精神に一致し、天皇の大御心に帰着するものである。

 その発するや旧東北軍権の暴虐より三千万民衆を救い次いで久しく白人の専制搾取下に苦しんで居た全アジア民族を解放せんとする大慈大悲の勇猛心となり、その結ぶや日満の一徳一心となり民族協和となり、その実るや王道楽土の完成となりしいては支那四億の民をして自ら満洲国を渇仰羨望させ又求めずして印度三億の民に自覚を促し、全アジア、全世界をして期せずして天皇の大御心に帰依し道義世界の再建に偕行協力せしめる様な無限の発達性を有するものである。

三、日満一体不可分の真義

 満洲国は建国の本義に基き日本と皇道によって固く結合したいわゆる皇道連邦内における一独立国家である。

 皇道連邦とは決して権力と服従の関係より生ずるものではなく四海に光被する天皇の御稜威の下に万邦が喜んで生成発展し侵略なく搾取なく日本を精神的、道義的盟主として結成せらるべき一大連合国家群の姿である。

 今卑近な例を取って話せば、秀吉の馬標であった千成瓢箪が最もよく日満の関係否皇道連邦の貌を明示して居る、皇道すなわち天皇の大御心を軸心としてその周囲に無数の瓢箪が連結せられて居る有様はあたかも皇道による一大連合国家すなわち皇道連邦の姿である、個々に見れば各瓢箪はそれぞれ個々の生命を持ち瓢箪としてそれぞれ独立の機能を具有して居るが全体的には強靭なる道義の葛(かずら・つる)によって根軸(皇道)に固く接合し同一の総合的生命体を形成して居るのである、誰か個々の瓢を以て誰か千成瓢箪に非ずというものがあろうか、日満一体不可分の関係及これを拡大した皇道連邦の概念は正に前述の通りである、保護国的思想を以て論ぜは千個の瓢箪を某一個の大きな瓢箪に呑み込んだ形になるものであって満洲国育成の根本精神に全然背馳するものである。

 従って天皇は皇道連邦の精神的核心として道義を以て被圧迫民族を解放し真の世界平和を実現し給う中心であり、満洲国皇帝は回鑾訓民詔書にも宣べられた様に天皇の大御心を以て御心とせられ且天皇の御名代たる軍司令官の御輔導により満洲国民の中心として王道楽土を完成せらるべき主権者である、その関係はあたかも月が太陽の光りによって光輝を発する様に皇帝は天皇の大御心を奉し給うことによって皇帝としての尊厳を保持し給うものである、すなわち満洲国皇帝に忠勤を尽すことは直に以てその光源たる日本天皇に忠誠を尽しその無窮の恩沢に浴し得るゆえんとなるのである。

 また別の観点から満洲国を見ると我大和民族は他の民族と共に平等の立場において満洲国構成の道義的中核分子としてともにその国家を形成して居るものである換言すれば日本と満洲国とはその構成内容において血を分けた国家である、印度における英国人の立場(征服者)と満洲における日本人の立場(特権を放棄せる一構成分子)とはその根底において全然ちがった点があることを判然認識し又認識させねばならぬ。

四、満洲国政治の特色

 日満一徳一心、民族協和、王道楽土、道義世界の実現を理想とする満洲国の政治は弊害多き過去の政治形態に執着することなく、真に新国家の本質と実情とに適合する公明正大のものでなくてはならない、従って

① 満洲国においては議会政治を否定する

 議会政治は民主的、唯物的の政治に堕し又いわゆる衆愚の政治に陥り易い、文化の程度いまだ十分ならざる満洲国において特に然るのである。また議会政治なるものは必然的に政党政治を誘導し、党利に偏し、党略に陥り遂には朝野両党の対立抗争のみに止らず四海同胞の国家を化して仇敵雑居の国家となすおそれがある。我満洲国のごとく絶対に民族的対立を排除し、一貫せる方針の下に計画的施設を進め以て民族協和、安居楽業平和境を出現せしめんとする国家においては議会政治は正に否定せらるべきである

②満洲国においては専制政治を排除する

 共産党専制によるソ連の政治形態、又は蒋介石政権による武断専制の中国政治は共に道義国家たる満洲国の運営に即応しないものである、ソ連の暴圧政治はソ連邦特異の国情を基礎としたもので同国にのみ強行せらるべきものであり、また武権専制の中国政治はその変態的現状においてのみ強行し得るのであって両者共にその人民を窮迫困厄のドン底に陥らしめておる、この様な政治組織が満州国の本質に合致し得ないことは勿論である。

③ 満洲国は王道政治の実現を企図する

 王道政治は哲人政治である、これは禅譲放伐を肯定する支那旧来のいわゆる王道思想に基く政治とはその主旨を異にし大日本天皇の大御心を政治上に顕現完成することを理想とするものである、すなわち動もすれば国家本位より離れ党争の弊に陥り、あるいは衆愚の政治に流れ易い議会政治の顰に倣うことなく、また私人私党の利権に走り易い専制政治の弊に陥ることなくひたすらに道義の顕揚と人民の康福とを庶幾わせ(こいねがわせ)給う天皇の大御心を以て心とする哲人および哲人的組織体によって運営せらるる政治がすなわち王道政治である。

五、満洲国政治(王道政治)の運営(皇帝、軍司令官、政府、協和会の相関)

  王道政治は皇道を生命とする哲人および哲人的組織体により運営せらるべきものであることは前述の通りである、しからば満洲国における政治はいかなる哲人、いかなる哲人的組織体により運営せらるべきであろうか。

 満洲国皇帝は回鑾訓民の詔書に明示し給えるごとく一徳一心大日本天皇の大御心を御心とせらるる意義において哲人であり天皇の御名代たる軍司令官の御後見により満州国における王道政治の中心たるべきものである。

 満洲国政府は皇帝を中心として建国精神を政治的に発動顕現せしむるものであり、その構成分子たる官吏は建国精神の体得者中より任命せらるべきである。(政府および官吏の性質右のごとくであるから万一政府の行う所にして建国の精神に背馳するに至ったならば既にその資格は喪失せられその存在は許さるべからざるものであり、その官吏にして建国の理念に反するものあらばこれまた即時満洲国外に去らしむべきものである)

 関東軍司令官は畏くも天皇の大御心を奉じその御名代たる資格において公人的哲人として皇帝の御輔導に任じかつ大御心を奉じて満洲国政府の内面指導に任ずるものである。

 以上述べた様に政府は皇帝を中心として官治機構を構成するが未だこれのみを以て哲人的政治の機構が完成したとは言い得ないのである。

 けだし満洲国は建国日なお浅くいまだ一般に建国精神の真義が徹底せず、国内諸民族は従来必ずしも和親なりと云うを得ず、むしろ対立抗争の歴史を有しまた国際情勢を考察するに列国中には満洲国の発展を悦ばないものがあり、なかんずく接壤隣邦中には思想的に武力的に満洲国を撹乱して反満抗日の気運を作らんと企図して居るものがあり、しかも国内民族中には民族性と地理的歴史的関係よりして隣邦の撹乱工作に感染し易き特性を有して居るものがある、かくの如き不健全なる環境においてこれら障害に対抗しこれを排除して天皇の大御心に基く建国精神を普及徹底しいかなる外力作用があっても巍然(ぎぜん)として建国精神を堅持する国民を養成することは真に国家の大業にして政府機構のみに委してなし得るものではない、しかのみならず満洲国民の大部は三千年来官治行政に虐げられた歴史こそあれこれによって慈育せられた経験を持たない、従って民衆はややもすれば政府と官吏を目して苛斂誅求の暴圧者とみなすことはあってもこれをもって民衆の慈育者であり、その生命財産および生活の保護者たりと信頼して赤裸裸の気分を以て接近して来る様なことは容易に望み得ない所である。

 もとより満洲国政府の官吏は建国精神の体得者中より任命せられ燃ゆるがごごとき熱誠を以て民衆に接しこれに対して建国精神を注入することに努むべきことは勿論であるがその立場はとかく日常行政の処理に忙殺せられまた必然的に官治行政の分野以上に民衆生活の内部に深く浸透することは不可能なものである。

 ここにおいてか建国精神を普及徹底しいかなる誘惑策動に対してもこれを堅持し実践する国民を養成すべき全国的組織を必要とするものであってその機関が野に在りて政府の政治的発動に照応し民衆と共に自らの実践を以てこれを教導し建国精神の真義を民衆に徹底せしめもって日満一徳一心に基く真の王道楽土を建設し民族共和して道義世界を実現せしむる様に努める必要がある、この必然的要求より生まれたものがすなわち満洲帝国協和会である。

 以上述べたる所の皇帝、軍司令官、政府、協和会が渾然一体の哲人的組織体となりて活動する時始めて王道政治の実現を期待し得るのである。

(協和会設立の歴史)

 協和会はその淵源を満洲事変前における旧東北軍権の飽くなき暴政、圧迫、搾取に対する民衆の奮起に端を発しこれを膺懲する為に満洲青年聯盟および雄峯会等の結成となって現われ日満憂国の志士を核心として皇道国家の建設に献身的活動を為し次いで国家の公的機関たる自治指導部となりて建国運動に尽瘁し軍司令官の直系指導下においてあるいは匪賊の討伐に随伴しあるいは軍閥暴政の社会的汚毒を粛正し建国精神を思想的に、教化的に、政治的に実践具現せしめることを生命として建国の天業に参与貢献し各民族合意合作の国家完成に努力し来ったものである。

 昭和七年七月満洲国協和会が国家機関として設立せられたが実質的にその前身は前述のごとく建国に先たちて産れて居たものと見るべきである。

六、満洲帝国協和会の本質と其使命

 満洲帝国協和会は官民一途の全国的組織体であって皇帝は協和会精神の最高具現者として軍司令官の御後見により協和会指導の中核たるものである。
 しかしてその使命とする所は建国精神を全国民に徹底しこれが実現に身命を惜まざる熱烈なる建国精神の体得者を養成すると共に政府の政治的発動顕現に照応し教化的、思想的、政治的に実践し民衆を教導しかつ政府の行う所をして民情に即せしむるに力むるのである。

 その民族と階級と職域のいかんを問わず真に同志たり得る資質を有するものを簡抜し、指導し、訓練し、陶冶していかなる困難いかなる障碍に会するも毫も屈せず撓まず死力を尽して建国精神を護持し実践ししかも燃ゆるがごとき熱情を以て四周の同胞を感化し指導し得る真の協和会員を獲得しこれらの会員の協力奮闘により遂に全国民を誘導強化し以て建国精神を満洲全土に徹底せしむることが絶対必要である。

 また野に在る協和会員が民衆と共に実践し垂範し建国精神の顕現に努むると共に民意を未然に察してこれを政府に通じ政府の行う所をして民衆の実際生活に即応せしめ、よって以て哲人政治をして専制政治に陥らしめず、官民を結合し『政治の発動とその実践』とを調和融合して始めて能く満洲国の健全なる発達を図り得るのである。

 皇道宣布の使命を有する組織体を協和会の名を以てするゆえんのものはかの大偉業が天の時(満洲事変)地の利(大陸の一角)によりて発生せりとただ人の和を以て更に重要なる素因とし特に数民族合作の新国家の基礎確立には民族協和を以て先決の要件と為すからである。

 『すなわち同一理念を有する血盟的同士を各民族間に求め民族内部ならび相互の融和結合を図り外力又は内争によって民族の分裂解体運動が起る様な場合においてもこれを未然に防止しいわゆる砂を堅める「セメント」の作用を為すものである』

七、協和会と政権

 協和会の本質とその使命は前述のごとくであって政権獲得を唯一の目標とする現存政党のごときものとは断じてその軌を同うするものではないすなわち求むることなき絶対愛を以て政府を抱擁する精神的母体であってその主張する所は寸毫も権利の獲得ではなくまたその実践する所は法に縛られた義務でもない、政府と協和会とはただその職能を異にするといえど相呼応して官民一体建国精神の実現道義世界の完成を期するものである。

 右の如きを以て協和会は政府の従属機関たらざると共にまた断じて政府と対立する機関でもない、従って協和会は議会政治に見るがごとく野党の立場において故意に政府の施設を論難攻撃するものでもなくまた与党として政府と苟合し野次と腕力とを以て野党を制圧せんとする様な低級な政党でもないすなわち結合して私利私権に走ることなく実践して一方に偏することなき唯一永久の有機的機関である。

 しかして政府の官吏は熱烈なる建国精神の体得者でなければならない必然の結果として協和会員中よりこれを求めらるべきである。
 右の如く官吏は固より熱烈なる協和会員なりといえども官治の分野における職責は政府官規の統制を受けるものであって政治的発動顕現に関する指導を協和会機関に仰ぐものではない従って協和会と政権との混淆を来すがごときことは在り得ないのである。

八、軍司令官の内面指導と政府および協和会各主脳者

 協和会の本質は前述の通りであって時代と人によってその解釈を異にすべきものではない、満洲国においては軍、官、民と民族のいかんを問はず進んで協和会に入り相互に切磋琢磨してその発展を計り官吏は官吏の立場より建国精神の軌道外に出ずるを戒めまた野に在る協和会員は朝に在る同士会員たる官吏の政治的発動に呼応し率先これが実践に努め両者融合して各機能の運営に熟し庶政の根基大本にして確立するに至ったならば軍司令官の内面指導は大綱の把握のみに止め政治、経済、思想、教化等の直接指導は真の協和会員より成る政府および協和会の各主脳者を通じてこれを行わしめ自らは沈黙の威信を保持して力を統帥に傾注することが可能となるであろう、またかくあることを理想としておるのである。

※1

上記本文中の次の個所「中外に施して悖らざる道義を以て」について


この個所は明らかに、「教育勅語」の「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の一節からの引用と考えられる。

「教育勅語」については、大東亜戦争の敗北後に、国家主義の元凶として、GHQから「国家神道、軍国主義、国家主義的「イデオロギー」ノ宣伝、弘布ヲ禁ズル」とされたものである。

しかし、GHQが「教育勅語」について「国家主義的なイデオロギー」として、国家神道の聖典とみなした根本的な理由は、必ずしも明確ではない。

その理由の一つについて、教育勅語の中の一節「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の「中外」の解釈の誤りにあることをかねて主張されていたのは、佐藤雉鳴氏である。この教育勅語の一節は、上記の関東軍司令部によって発せられた「満洲国の根本理念と協和会の本質に就て」の中でも引用されている。

佐藤雉鳴氏は神道の「詔」の研究をしておられるらしいが、氏の指摘によれば「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の「中外」の「中」とは朝廷のことであり、したがってこの場合の「外」とは日本国内のことだという。それが「教育勅語」の起草者、井上毅たちの趣意であったとのことである。

それにもかかわらず、起草者である井上毅たちの死後、東大教授の井上哲次郎によって書かれた教育勅語の注釈書『勅語衍義』などによって、「中外」が「日本国内外」と解釈され、そのために「教育勅語」が第一次世界大戦後の軍国主義の風潮の蔓延とともに、GHQから日本の「世界支配」の、「国家主義」イデオロギーの根拠、元凶と見なされることになったという。

※参考

教育勅語
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽

連合国軍最高司令部指令:文部科学省 https://is.gd/UfR6Qe

 



 

 
 
 
 
 
 
 
 
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