夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

2025(令和7)年03月14日(金)晴れ。 #歴彩館

2025年03月14日 | 日記・紀行

2025(令和7)年03月14日(金)晴れ。 #歴彩館

 

歴彩館を久しぶりに訪れました。正式には、京都府立京都学・歴彩館と呼ぶそうですが、ここでは単に歴彩館といいます。本当に久しぶりで、コロナ武漢ウィルス騒動がおきてからは、府立図書館やこの歴彩館などの公共施設に足を運ばなくなっていました。それが今すっかり習慣化していることにも気づきました。

以前に歴彩館をおとづれた時の記録を残しています。ブログ日記のそれを検索してみると、2017年の秋のことでした。

府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館 - 作雨作晴 https://is.gd/WDgjrm

そのときから、すでに五年も経過してます。時間の早さにあらためて驚くばかりです。歴彩館がオープンしたのは、平成29年4月28日だそうですから、以前に私がおとづれた時は、まだ歴彩館もオープンして半年も経ってはいませんでした。そのとき私が館内で読書をしているときにも、施設の関係者が空調の設備を見回っているようでした。その前年に閉館した京都府立総合資料館の古い建物もそのまま残っていました。ところが今日おとづれたときには、その面影はまったく消え去って、その跡地には新しい建物が立っていました。

まだ若かった三十を超えてまだまもないころに、妻に弁当を作ってもらって、資料館に通った頃に見つめた、あたり一帶の面影がすっかり消えているのに驚きました。

また、歴彩館のなかも、私が前におとづれたときとは大きく様変わりしていました。一つは府立大学の図書館と連携されていて、図書も著しく増加して蔵書の規模も内容も各段によくなっていたことです。

開架書庫に並べられた膨大な数と量の本の背表紙をゆっくりと読み取りながら歩いていると、まず、桝田啓三郎文庫目録 という私には懐かしい名前の分厚く大きな目録本が目につきました。

というのは、私が高校生の頃に読み始めたキルケゴールの本は、ほとんどすべてこの桝田啓三郎の翻訳だったからです。「反復」も「不安の概念」も「死に至る病」も「誘惑者の日記」もすべて桝田啓三郎の翻訳で読みました。桝田啓三郎はキルケゴールの全集本の完成を目指していたはずですが、それは確か未完に終わったようです。それとは別に多くの翻訳者の手になる、白水社から出版されていたキルケゴールの著作集も買い揃えました。

キルケゴールは激烈なヘーゲル批判者として哲学史に登場しています。しかし、その後の私の思想的な遍歴の中で、私の興味と関心は、聖書のキリスト教と彼が批判の対象としたヘーゲル哲学そのものの方へと移行してしまい、いくどかの転居のあいだに、今は私の手元にはキルケゴールの著作は、売り払ったのか処分したのか、一部の文庫本を除いて、ほとんど残っていません。

それはとにかく、まだできてまもないこの歴彩館に以前におとづれたときとくらべて、図書の量と質が比較にならないくらいによくなっていました。マルクス・ヘーゲル系の哲学者である牧野紀之氏の本「辞書で読むドイツ語」もありました。牧野氏には、青年時代に短い間でしたが、直接習ったことがあります。牧野紀之氏についてはいずれ何らかの形で論評したいと考えています。

また、京都大学の前身である尊攘堂の創設に関わった品川弥二郎の著作全集もありました。和歌や日本古典の蔵書も充実していました。しかし、このときに開架の棚を見た限りでは、牧野紀之さんが未知谷という出版社から出しているヘーゲル『小論理学』や『精神現象学』の翻訳と註解の大著も『関口ドイツ文法』もありませんでした。また、「冠詞論」などで知られているドイツ語学者の関口存男の著作集も見当たらないようでした。哲学関係の文献については大したものはなさそうでした。

とはいえ、これほどの質と量の内容のある図書を蔵した歴彩館を京都府市民に開放してくださっている関係者の方々には本当に頭が下がります。府立大学の蔵書も連携して閲覧できるようになったせいもあると思います。大学関係者の方々にも感謝の念しかうかびません。このすばらしい歴彩館を京都府市民は、それに相応しく利用活用して、その恩恵に応えていくことができればいいのにと思いました。

 

ちなみに、キルケゴールに触れた私の過去の論考。

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十五節 [道徳と個人] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/WYvgPl
ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 十三〔決断について〕 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Ri5u3Z
業平卿紀行録8 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/91AEkl
ルイス・フロイス - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/6xoDnU
私の哲学史(3)──キルケゴール(主体性について) : 夕暮れのフクロウ https://is.gd/NXb1Wh

 

 

 

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明けましておめでとうございます

2025年01月05日 | 日記・紀行

「初夢図」

「初夢図」は、白隠禅師が「一富士、二鷹、三茄子」をモチーフにして描いた禅画です。今年の年賀状は、この絵を素材に使わせていただきました。

この「初夢図」には、次のような意味が含まれているそうです。「富士山」は禅の不動心や悟りの境地を、「鷹」は禅の精神的な高揚や集中力を、「茄子」にはその具体的な成果や実りが、それぞれ象徴されているそうです。三つ目の茄子がなぜ白いのか私にはわかりません。禅的には「無心の境地で得られる実り」と解釈されているそうです。

白隠 慧鶴(はくいん えかく)1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。諡は神機独妙禅師、正宗国師。


※出典

白隠慧鶴(はくいん えかく) - 
Wikipedia https://is.gd/qv7VK3

 

 

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年の終わりに

2024年12月31日 | 日記・紀行

20240407

年の終わりに

 

時の過ぎるのは早いもので、今日で2024年令和6年も終わります。今年最後の私の日記ブログ「作雨作晴」を見てみると、「このブログの人気記事」のトップに、「戦争はなぜ起きるか」 - 作雨作晴 https://is.gd/vnqanA
が上がっていました。見ると投稿日が2008年07月25日となっていましたから、それからすでに16年以上も経過していることになります。

2008年頃といえば、当時は福田康夫内閣で、自民党内閣も麻生太郎内閣へとコロコロと入れ替わり、よく言われる「失われた20年」とかが始まって間もなくの頃でした。その間に日本国が「失った時間」は、G7といわれる欧米先進国と比べても、今となっては取り返しのつかないものです。日本の政治家たちや日本銀行など、政治と経済政策に的を得ていなかったからだと思います。

しかし、いずれにせよ、戦争についても、その頃アメリカとの長期化した戦争で泥沼化していたイラクでは、アメリカはこの年に就任したオバマ大統領によって撤退の姿勢を示し始めていました。

パレスチナでは、イスラエルとガザ地区を実効支配するハマスとの対立がすでに激化していました。すでにほぼ20年前の2006年にも、イスラエルはヒズボラーに反撃するために、レバノンのカナに攻撃を仕掛けていました。その時の感想も記事にして投稿してあります。「カナの婚礼(ヨハネ書第二章)」 - 作雨作晴 https://is.gd/l17Odi

戦争については、人類の歴史と切って切り離せるものではありません。年末の今この時もなお悲惨な戦争は止むことはありません。そして、戦争の当事者たちは、相手方、敵方の非道、悪行をいずれも声高に批判します。

しかし、戦争については、その論考の中でも論じたように、それぞれの敵、味方双方にいずれにも言い分があり、そのどちらの言い分にも、それなりの「根拠」はあるものです。それは、先の第二次世界大戦における日中戦争、日米戦争における日本や中国、アメリカの立場も同じことだと思います。

この年末にもシリアのアサド政権が崩壊するなど、争いの絶えない一年でしたが、その時間ももう残り少なくなりました。幸いにGOOブログには、記事一覧で索引できる機能があるので、一年の終わりに調べてみました。振り返ってみて、一年間の仕事量としては、あまりにも貧弱で涙が出そうなほどですが、これが今の私のできる能力ということかもしれません。

振り返ってみても、今年に入ってからとくに、日記と紀行の投稿があまりにも少ないですが、それは私の連れ合いが体調を悪くして、外出する機会が少なくなってしまったこともあります。そうでなければ、花の季節や紅葉の季節には、名所、観光地、寺社仏閣などももっとたくさん訪れて、そこで撮り溜めた写真などと共に、この日記ブログに記事としてあげることができただろうと思います。ふだんから出不精の私は、一人では自ら進んで外出することも少ないからです。連れ合いの体調が回復すれば、紀行文などももっと書けることになるかもしれません。

そのために「日記ブログ」を自称しているにもかかわらず、日記や紀行文は少なく、ヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解の記事ばかりが目立ちました。それにしても、あまりにも仕事量が少ないです。この調子だと、最後までたどり着くのにどれくらい時間がかかることやら。

ただ、「ヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解」の仕事の目的についてですが、これまでそれを明確には述べてこなかったと思います。もちろん、それはヘーゲル哲学を日本国民に紹介することを目的としていることは言うまでもありません。

それでは、なぜヘーゲル哲学なのか。それには、個人的な理由と社会的な、あるいは公的な理由と目的があります。後者の目的としては、より直接的には、ヘーゲル哲学の「絶対的国家観」を日本国民に明らかにすることです。ヘーゲルの「絶対的国家観」とは、要するに「立憲君主国家体制」のことですが、我が国の現行の日本国憲法は、かならずしも必要にして十分な国家哲学の上に構築されたものではないと思い、この哲学の紹介が、その改善に役立つと考えているからです。

また、現在の日本国民と日本国は、事実上マルクス主義の「階級国家観」に深く影響されていると思います。そのために、社会と人間にとって根本的に重要である「自由」が往々にして深刻に損なわれているという私なりの現実認識もあります。

このヘーゲルの「絶対的国家観」を、─── それは「自由にして民主的な独立した立憲君主国家、日本」として私なりに定式化していますが、⎯⎯ この国家理念(イデー)を一般日本国民はいうまでもなく、政治家たちも自覚することもなければ、まして、それを追求することもありません。このことが日本国の「国家概念」の歪みとして、政治や経済、文化、教育など多くの側面に現象することになっているのではないでしょうか。

今年一年ももうまもなく終わります。この一年の質量ともに貧弱に終わった仕事の内容を反省するとともに、私の立場からするヘーゲル哲学の紹介が、少しでも日本国民と国家に役立ち貢献することを願いつつ、来たる年も引き続き微力を尽くしていきたいと考えています。
今年の一年のご愛読ありがとうございました。
皆様の来たる年のより良き一年と平安とをお祈り申し上げます。

 

 年の終わりに - 作雨作晴 https://is.gd/7gFDee

 

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「夕暮れのフクロウ」記事一覧(20240517〜20241231)

2024年12月31日 | 日記・紀行
 
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「夕暮れのフクロウ」記事一覧(20240104〜20240517)

2024年12月31日 | 日記・紀行

 

 

 

 

 

 

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2024(令和6)年12月10日(火)晴れ、時々曇り。#「樋口陽一憲法学批判」

2024年12月10日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年12月10日(火)晴れ、時々曇り。#「樋口陽一憲法学批判」

 

久しぶりの日記。といっても先月の11月には、12日と18日とたった二日分だけれども、このブログ「作雨作晴」には投稿していました。けれども、プライベートなこともあって、日記・紀行Aのカテゴリーで上げていたから公開はしてはいませんでした。

だから、もともと更新も小まめに行うブログではなかったけれど、さらに歳が行くにつれて、確かに能力も──もともと能力といえるほどのものはないとしても──それもさらに低下してきているのかもしれません。

しかし、ともあれこんなブログ日記であっても、遠くに住む親族や親戚に対して、また、今は遠くに離ればなれに暮らすようになった知人、友人たちに対しても、この日記の投稿と更新は、その内容はとにかく、私の消息を知らせ、安否を確認してもらう伝手にもなりその役目も果たしていると思います。

ただ、たといこのブログに日記の記事としては投稿しないとしても、個人的にはパソコン上には日記アプリを通して、ほぼ毎日、日記を書いているのは書いてます。

それは中学生の頃からの習慣で、パソコンやインターネットが出てくるまでは、ほんとんど大学ノートに記録していました。ただ、プライベートな問題や公開する価値や必要のことを思うと、時折、日記・紀行Aのカテゴリーで非公開で投稿するだけでした。しかし、これまでも気が向けば後からでも日付を遡って投稿したりしています。

それはさておき、久しぶりに日記でも投稿しようという気になったのは、今日の「このブログの人気記事」(私の記事にそのようなものがあるとして)の2番目に

「7月3日(金)のTW:#樋口陽一「憲法論」批判」

 という、ほぼ10年ほど前に書いた記事が上がっていたことからでした。(gooブログにこの欄があるおかげで、折々に昔に書いた記事にさかのぼれます。)

昔に投稿したツイッターの記事の中で、

「憲法学者たちの「平和主義」には何か狂信的なカルト的性格すら感じるのは私だけでしょうか。「樋口陽一氏の憲法論ノート(1)」 - 作雨作晴 blog.goo.ne.jp/askys/e/48c5dd…しかし残念ながら、それ以後に樋口陽一憲法論の批判は全然進んでいません。」

と書いていました。

樋口陽一氏は東京大学の名誉教授ですが、樋口氏「率いる」憲法学界や、いわゆる左翼と呼ばれる人々たちや、さらに若者ら集団を挙げて、今は亡き安倍晋三元首相の改憲論や安保法制に対して、反対の論陣を張っていたことはよく知られています。また、東大法学部出身で、法政大学の政治学者である山口二郎氏は「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と言ったとか。

いずれにせよ、私は「現行日本国憲法」は極めて欠陥の多い(もちろん「それなりの意義」は認めているつもりですが)憲法だと考えており、したがって、その改憲か無効化を主張しています。それゆえ護憲論の立場に立つ「樋口憲法学」については基本的に肯定できないのは言うまでもありません。

私などは自慢ではないけれども、憲法学には全く素人で、能力的に「樋口憲法学」の足許にも遠く及ばないことはわかっています。私の「樋口憲法学批判」が一向に進まないのも私の無能力のせいでもあります。

とはいえ、「樋口憲法学批判」を進める意欲をなくしたもう一つの理由としては、憲法学者の樋口陽一氏が、故宮沢俊義氏の憲法論を引き継ぐ形で、「天皇ロボット論」を唱えていることを知ったこともあります。

これまでヘーゲル哲学を多少なりとも読みかじり、また、「立憲君主制」の必然性とその意義を主張するヘーゲルの「法の哲学」を支持する立場に立とうとする私にとっては、故宮沢俊義氏や樋口陽一氏の「天皇ロボット論」は「話」にもなりません。だから、

『天皇機関説』と『象徴天皇ロボット論』 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/54Lvs0
を書いたり、
牧野英一 著『最後の一人の生存権』 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/SUvfxf)
の中で、

「今は亡き東大名誉教授の奥平康弘氏は「「天皇制」は民主主義と両立しない」と主張されていましたし、今なお憲法学の権威とされる樋口陽一氏は「天皇ロボット論」を唱えておられます。私などの立場からすれば、自著の憲法学術書をたとい背丈ほどに積み重ねられようと、こうした言説を主張される限り「樋口陽一憲法学」はそれ一発でアウト、と断ぜざるを得ません。ただ誤解のないよう言っておきますが、どのような言説、理論を主張されようが、それは彼らの「学問の自由」ではあります。」

などと書いたりしました。

いずれにせよ、少なくともこの問題については、私なりに決着がついており、「樋口陽一憲法学批判」に時間を浪費するぐらいなら、ヘーゲルの『法の哲学』の研究の方にこそ時間を振り向けたいと考えているからです。

 

2024(令和6)年12月10日(火)晴れ、時々曇り。#「樋口陽一憲法学批判」 - 作雨作晴 https://is.gd/xodOjv

 

 

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2024(令和6)年11月12日(火)翳。#自然、#カテゴリー、#反省規定、#概念

2024年11月12日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年11月12日(火)翳。#自然、#カテゴリー、#反省規定、#概念

久しぶりに公園にくる。紅葉もようやく色濃くなり始めた。

ヘーゲル『哲学入門』の第二篇  論理学  第六節 の「思考の種類とその意義」の翻訳と註解を書き始めているが足踏みしている。

そこで挙げられている「思考の種類」とは、1)カテゴリー、2)反省規定、3)概念 の三種類である。これら三種類の概念とそれらの関係が今ひとつ明確にならない。そのために時間がかかっている。

哲学のもっとも基本的な対象は物であり世界である。

私の前には、秋の兆しを宿した公園が存在している。そして、また私は、季節が秋であるという、時間の意識をもって公園を眺めている。

この第六節の中でもヘーゲルが述べているように、私たちの眼前に存在する物の世界、すなわち「存在」とは、もっとも根本的で直接的なカテゴリーである。

それを、2)の「反省規定」によって、つまり、同一性や差異性、原因、結果、根拠など調べることによって、たとえば「植物」を「動物」と比較したり、植物が細胞の葉緑素によって、二酸化炭素と水から有機物を合成する因果関係などを洞察することによって私たちの意識はその本質を認識し、さらに「存在」から「本質」へと統合(アウフヘーベン)することによって私たちは「植物」という「概念」を形成する。

つまり、1)カテゴリー、2)反省規定 のこの二者を媒介として、次の段階へ、3)概念 へと進む。これが、カテゴリーを静的にしか捉えることのできなかったカント哲学と、動的に捉え直したヘーゲル哲学との違いである。

だから、カテゴリーと反省規定は「客観的論理学」の対象であり、概念は「主観的論理学」の対象である。さらにそれらも統一されて「理念」の段階へと進む。

秋の風情を私たちの眼前に広げて見せる公園の色づいた木々、流れる川のせせらぎ、家々の背後に延びる山林など「自然」は、いまだ理念が実現されないままに取り残されて存在している。ヘーゲルの表現によれば、それは理念の外化された姿だという。

 

 

 

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2024(令和6)年09月26日(木)晴れ。#牧野紀之

2024年09月26日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年09月26日(木)晴れ。#牧野紀之

昨日、本が届いた。

牧野紀之 著『マルクスの空想的社会主義』(論創社2004・06・20)である。本当は、もっと早く手に入れて、私なりに「論評」すべきであったにも関わらず、今になってしまった。しかし、まだここしばらくは机上において、チラチラ覗き読みしながら、準備していきたいと思っている。時間がどれだけかかるかわからない。

というのも、私は『ヘーゲル哲学入門』の翻訳と註解をすでに初めており、それも第二課程の第一篇「精神の現象論または意識の科学」の「第三段 理性」のところまでで、「第二篇  論理学」以下はまったく手つかずのままに残っているからである。それを優先するつもりだし、また、これまで曲がりなりにも行ってきた翻訳と註解も決して満足のゆくものではなく、あらためて見直す必要もあるからである。また、これまで少しだけ手をつけただけに終わっている聖書の『詩篇』の翻訳と註釈にも取り組みたいといった思いもある。

「まえがき」だけ読んだ。

本書は「マルクスとエンゲルスの社会主義思想は空想的社会主義思想の一種でしかなかった」ということを証明することを目的としたものである。(まえがき1)

牧野氏自身は、マルクスやエンゲルスの社会主義思想はフーリエやオーエンたちの社会主義とちがって、空想的ではなく科学的であると信じてきた。しかし、現在はマルクスやエンゲルスの社会主義も「空想的」であると考えるようになった。だから本書は当然に牧野氏の「自己批判の書」でもある。(まえがき1)

「空想」と「科学」との違いを明確に判別するための基準が明らかにされなければならない。そのために、『空想から科学へ』『経済学批判の序言』さらに『資本論第一巻』のマルクス・エンゲルスの三つの著作に対する検証を行う。それは「弁証法的唯物論の認識論」の立場から原理的に考え直すことになる。それが本書の主たる内容になる。(まえがき5)

この牧野氏の自己批判に対し、これまで曲がりなりに行ってきた私のマルクス批判は、「実証的」であり新約聖書の「ブドウ樹の良し悪しは、その実を見ればわかる」といった、もっとシンプルな常識論、認識論からの批判だった。また、過去のマルクス主義の信奉者たちの行ってきた悪行と、共産主義政府の統治下に置かれてきた民衆の抑圧された不自由と貧困の現実も、マルクス主義の理論的実践的破綻をすでに証明している。

これまで牧野紀之氏は生粋の徹底したマルクス主義者だった。しかし、牧野氏は自己批判して、もはやマルキストではない。牧野氏によって「科学的社会主義」の思想的な根拠が否定されてしまった。とすれば、その他の世のいわゆる凡俗共産主義者、自称マルクス信奉者たちはこれから一体どうするつもりなのだろうか。

 

私のこれまでの論考の中にも、いくつかマルクスの思考の誤りを理論的に指摘しています。

§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2cyzsacj

事物の価値と欲求 ⎯⎯⎯ 価値の実体について - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/29z8dm77

価値は消費者のニーズで決まる⎯⎯マルクス「労働価値説」のまちがい - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2csnagrx

など。

日本には戦前の昔から伝統的にマルクス主義が広く深く浸透しています。アカデミズムやマスコミの世界はもうほんとんど赤の世界と言っていいほどではないでしょうか。だから、我が国には自称「マルクス主義者」たちは五万といるはずなのに、マルクスの考えの誤りについての私の指摘に対する反論は、いまだどこからも聞こえてきません。

 

 

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明けましておめでとうございます

2024年01月04日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年01月04日(木)雨のち晴

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

 

※追記20240120

龍字賛
無学絶宗

無学絶宗(一七〇九~九五)は、江戸中期の曹洞宗の禅僧。華厳曹海の法を嗣ぐ。諸師に参学し、その数一五三人といい、歴住地は越前の永建寺をはじめ一〇ヶ寺に及んだ。
 本資料は、「龍」の字を大書した墨蹟。永建寺の歴代記である『曹紹山歴住伝燈録』に、「常採毫書龍字、道俗尊信多(常に毫を採り龍字を書す、道俗の尊信多し)」と記されるほど、絶宗は龍字を好んで書した。
詳細
 • タイトル: 龍字賛
 • 作成者: 無学絶宗
 • 実際のサイズ: 総丈H135.5×W72.1本紙H40.0×W55.0
 • 媒体/技法: 紙本墨書


龍字賛 - 無学絶宗 — Google Arts & Culture https://is.gd/lZtbKT

 

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2022年クリスマス

2022年12月25日 | 日記・紀行

2022年12月25日夜、ベランダから写した比叡山麓の夜景。雪曇の切れたわずかな晴れ間に星々が美しく輝いています。

今年もクリスマスの夜を迎えました。クリスマスおめでとうございます。今年もクリスマスの宵を共に過ごすことのできなかった方々に平安な一夜の幸をお祈りします。

 

ながき道を ひとりあるきて

罪多き 過ぎし日よ

すくいぬしの み声を聞きて

こころうごき  わき立ちぬ   (讃美歌Ⅱ-140)

 

 

Präludium Und Fuge in E-Moll (Bwv 548)

詩篇第百三篇註解 - 海と空 https://is.gd/hr0wXw 

 
 
 
 
 
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アメリカ情勢、大統領制、武漢肺炎ウィルス、ガルシン『信号』など

2020年12月09日 | 日記・紀行

 

2020年令和2年12月9日(水)晴れ、無事。

さらに混迷を深めているアメリカ情勢。アメリカ合衆国では、大統領選挙の「選挙不正」などをめぐって、さらに国内の混迷が深まっているようである。選挙の投票で決着がつかなければ、また、大統領選挙の過程において不正が存在したのかどうかが当事者によって訴えられているのなら、その実態が司直の手によって解明され、司法の手で国家元首である大統領を選出するという結果にならざるを得ないのかもしれない。

アメリカ合衆国はそれでも曲がりなりにも「法の支配」を国是とする国家であり、まかり間違っても、かっての南北戦争のような内乱が起きるとは思われない。

要するに、アメリカ合衆国の大統領制は、国家元首を選挙で選出する共和国であるということであり、その意味でも、ヘーゲルの『法の哲学』の§275 君主権 以下を一昨年かに翻訳したときに、君主選挙制度の、共和主義国家体制の欠陥についても触れていたのを思い出す。

ヘーゲルはその論考の中で、「国家の団結の象徴としての君主の意義」と、「君主権の世襲の根拠」を論証したのちに、それにちなんで、その傍証として、君主選挙制、選挙公国の原理的な欠陥について論じていた。君主選挙制、選挙公国とは、アメリカのような大統領制国家、共和制国家体制のことである。

「一つの選挙協定によって、特殊な意志の方向性に国家権力が支配されることになる。そこから、特殊な国家権力が私有財産へと転じ、国家の主権の弱体化と喪失、そして、その結果として国家の内部からの解体と、外からの破壊がもたらされることになる。」

アメリカ大統領制国家の現実においては、共和党と民主党の対立の激化による内部からの解体と、大統領選挙における中国共産党やロシアなどの外国からの干渉などをまねくなど、「外からの破壊」がもたらされることになる。

私もまた、この個所の註解において

「アメリカやロシアなどの大統領制をとる共和国は、君主を選挙で選出するという意味で、ここでヘーゲルのいう「das Wahlreich 」(選挙君主制・選挙公国)にほかならない。ロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領の例に見るように、 悟性推理にすら、 事実に強制されて 大統領制(君主選挙制)が劣悪なものであることを理解している。」と書いていた。

だから「共和制国家論者」であった元東大名誉教授の憲法学者、奥平康弘氏に対して、こうした観点から私は批判していたが、その後数年にして奥平康弘氏はお亡くなりになった。しかし、故奥平氏と同じ立場に立つ憲法学者の樋口陽一氏については、このようなヘーゲルの「国家観」について樋口氏がどのように評価されているのか、それはわからない。

- [§281a[国家の団結を守る君主]]
- [§281b〔君主の世襲制の根拠〕]
- [§281c〔 最悪の制度としての君主選挙制〕]
- [§281 補註〔国家体制における君主と支配者〕]

 

中国武漢風景をテレビで見る。武漢肺炎ウィルスからの社会防衛、防疫に、中国共産党政権下の全体主義国家体制が有利に機能したようである。しかし、この中国発祥の「武漢肺炎ウィルス」が、「アメリカから持ち込まれた」と中国の民衆が主張しはじめているのはいただけない。

小説 ガルシン『信号』を再読する。
私たちの世代の育ちの中では、幼少期にはいまだテレビも存在せず、まして青少年期にもインターネットやスマートフォンなどその片鱗すら見えなかった。だから、室内での子供時代の娯楽といえば、赤胴鈴之助や、鉄腕アトム、鉄人28号などの漫画を読み耽るか、ラジオ放送から聞こえてくる物語や歌謡曲、落語、漫才などだった。また寝床についてから、ジャン ・クリストフや紅楼夢、鉄仮面や大地や、静かなるドン、告白録などの大河小説を少しずつ読み進む楽しみもあった。
今日久しぶりに短編ながら翻訳小説を読んで、少年時代のように小説の世界に純粋に没頭する甘美な時間をすこし思い出した。

 

 

 

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石清水八幡宮へ行く

2019年03月24日 | 日記・紀行

 

石清水八幡宮へ行く

石清水八幡宮に行った。残された時間が少しずつ短くなって来ることを自覚するようになると、少しでも多くの場所をこの世の見納めに訪れておきたいと思うようになる。本当はあと一二週間ほど待って、花の満開の折にでも来ればよかったのだろうけれど、ここもまた花見の観光客で混雑することが予想される。

長らく洛西に住んでいたので、いつも眺める景色は東向きだった。それも桂川、淀川の西岸からがほとんどで、淀川を渡って訪れることもなく、だから伏見、淀、久御山、八幡市には本当に縁がなかった。石清水八幡宮を訪れるのも初めてだった。

石清水八幡宮は歴史のあるお宮で、紫式部の「源氏物語」や兼好法師の「徒然草」にも記録されている。とりわけ、徒然草の中では、麓にあった極楽寺を八幡宮と思い込んだ仁和寺の法師が、「神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と肝心の山の神には参らずに帰ったことから、「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」と兼好法師に皮肉られたことで知られている。

山道のように続く寂びた参道を歩いていて、あらためて想起させられ痛感したことは、明治維新の「廃仏毀釈」によって、幕末までには存在していた多くの壮大な寺院や僧坊が毀され廃棄されたことである。その事跡を見ても明治維新が単なる維新ではなく、悟性的で狂信的な精神によって遂行された「革命」であったことがよくわかる。

大化の改新以来、「神仏習合」の伝統として、両者の長所を理性的に融合し保存してきた長い日本の歴史がある。それを引き裂き破壊し伝統と文化を毀損したのは、革命という悟性的な精神で行われた「明治維新」である。そのために、仁和寺の法師が八幡宮と取り違えた極楽寺も取り壊されてもう見ることもできない。

もちろん、吉田松陰や坂本竜馬たちの殉難のうえに成し遂げられた「明治維新」の偉業はどれほど高く評価されてもいい。「明治維新」がなければ、日本社会が旧套墨守の旧態依然としたままに終わり、中国や朝鮮などとおなじ歴史的な宿命を背負うことになったかもしれない。

しかし、だからといって「明治維新」というコインの裏側を見過ごすこともできない。歴史は勝者によって書かれるという。明治維新もそうである。そのために私たちが学んだ「明治維新」という「歴史」には、その「負の側面」はほとんど語られることがない。全てが薔薇色に描かれていると言える。

しかし、歴史の真実の追求には時効はない。「廃仏毀釈」という深刻な文化と伝統の破壊をはじめとする「明治維新」の負の側面についても、これからも歴史的な検証は行われてゆく必要がある。

石清水八幡宮の参道を辿り、男山の山頂から美しい京都の町並みを見下ろし眺めながら思ったことだった。

 

 

織田信長が天正8年(1580年)に八幡宮に寄進した土塀

 

 

 
 
 
 
 
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あけましておめでとうございます

2019年01月03日 | 日記・紀行

あけましておめでとうございます。

今年の年賀状の図柄は、西行が東北への旅の途上、遠州の天竜川の渡しで船に乗って渡ろうとしたときの情景を描いた「西行物語絵巻断簡 法師堪忍図」を使わせてもらいました。

そのとき船は乗り込んでくる旅人でいっぱいになりました。船頭は法師である西行に下船するよう命じ、彼の頭を打擲したそうです。西行はあがらうことなく手を合わせて祈りながら命ぜられるままに船を降りたというエピソードが描かれています。

室町時代、1500年頃の作品だそうです。

 

挿絵とあらすじで楽しむお伽草子
 第12話 西行物語 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 https://is.gd/Gom9pR

 https://is.gd/5FCY9E

 

 

 
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NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

2017年04月18日 | 日記・紀行

 

NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

十八日の夕方遅くなって、ふだんチャンネルを合わせることの多いNHKの「ニュース6:30 京い ちにち」を見ていると、新しく始まったらしい番組で「京の農家めし、漁師めし」の「第一回 たけのこ」が放送されていました。荒山キャスターが食材の「た けのこ」を取材するために西京区へ訪れた様子を何気なく見ていると、画面に「土の塾」の名前が出てくると同時に、塾長の八田逸三さんが映し出されていたの で驚きました。少しも変わらずお元気そうでした。放置され荒れ果てたままになっていた竹林を、再び開墾してたけのこ畑に蘇らせたことなどが紹介されていま した。塾長さんの他にも高橋さんや長岡さんなど私の見知った方々も番組に出ておられました。

「土の塾」には、ニ、三年前まで私も参加させ てもらっていて、とても充実した楽しい農作業の時間を畑で過ごさせてもらっていました。しかし止む得ない事情で洛西から引越しせざるをえなくなり、その後 も時間にもあまり余裕がなくなってきて、とりあえず退塾の形になっています。農作業初心者の私に、塾長や仲間の人からは、ジャガイモ、ショウガ、ネギなど の植え方、育て方などを懇切に教わるなど、折角にとてもお世話になっておりながら、そのままズルズルと塾長にもきっちりと挨拶もすることなく、本当に失礼 したままです。お詫びの言葉もありません。

洛西の大原野にある塾の畑から見下ろす京都市内の眺望は、私の密かな楽しみでした。自分で苗木 から育てたイチジクもわずかでしたがその実も味わうことも出来ました。果実を楽しみに植えた桃が春にはきれいな花を咲かせていました。ただ、梅干し用に植 えた梅の木の苗木三本と柿の木は、とうとう何の収穫もないままになったのは心残りです。たった五年ほどの間でしたが、暑い夏に汗をかきながら収穫したトマ トやキュウリの味わいも忘れられません。トマトをもいだ時にかいだ匂いは幼い時の懐しい記憶をふたたび蘇らせてくれました。

秋の収穫祭 も、暑かった夏と寒い冬の間の塾の人たちとの共同作業も懐かしいです。残された人生の時間でやり遂げなければならない課題もまだ多く、引っ越し以来、山の 畑からも遠ざかったままになっています。私が「土の塾」に農作業のお世話になっていた時のことは、このブログにも記録してあります。精神的労働と肉体的労 働の調和、牧野紀之さんの「午前勉強、午後労働、夜娯楽」の「自然生活」はいまもなお私の追究する夢です。しかし、この立場もある意味では、若者の立場で あり、ヘーゲルの現象学の用語で言えば、「徳の騎士」のそれにほかなりません。いずれは「世路」に敗北する定めにあります。こうして若者もまた現実の論理 を骨身にしみてわからせられるのです。

 

 「ニュース630京いちにち」 https://goo.gl/5Yynwt

 

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平成二十八年秋

2016年11月18日 | 日記・紀行

 



2016年11月18日(金)晴れ

もう十一月も中旬が過ぎ、今年もさらに晩秋が深まりつつある。このままでは二〇一六年の秋も何の記憶もなく終わってしまいそうだった。それでよく晴れた今日、普段の行き来に見慣れた景色をデジカメで撮して今年も記録しておくことにした。

川端通りの桜並木の紅葉ももう少し早ければもっと綺麗な盛りを撮れたはずだったけれど、今はもうすでに多くの紅葉も散ってしまっている。賀茂川に一羽の白鷺が舞い降りて来る。川辺ではベンチに座って女性がひとりバイオリンを弾いていた。音は私のいるところまでは聴こえては来ない。

大きな樹木に紅葉が溢れている様を見るときには美しいピアノ協奏曲が聴こえてきそうな気がする。昔、学生時代に鞍馬の奥山で見た全山に楓などの紅葉のあふれる光景の一瞬もいつの日か反復してみたい。

空海や紫式部や西行たちも眺めたに違いない比叡山は今日も秋の空を背景に佇んでいる。

私の課題もまだ果たせてはいない。それは我が国の国家哲学の基礎としてのヘーゲルの自由な哲学の意義の再評価とその論証である。それによって「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての理念(イデー)と永遠性を我が国に回復することである。それはまた明治憲法の制定に力を尽くした井上毅の仕事を引き継ぐことである。

最澄は今も比叡の山に眠っている。彼のライバルだった空海は高野山に下ったけれど。

 

 

 

              

 

 

 

 

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