§7
Es wird überhaupt, insofern davon die Rede ist, dass der Geist Bestimmungen (※1) erhalte, die Unbestimmtheit des Ich oder des Geistes vorausgesetzt. Die Bestimmungen des Geistes gehören ihm an, auch wenn er sie von anderen Gegenständen erhalten hat. Insofern etwas darin ist, was, als ein von ihm unabhängiger Inhalt, nicht von ihm herkommt, gehört ihm dabei doch immer die Form an; z. B. bei der Einbildungskraft kommt der Stoff zwar von der Anschauung her, aber die Form besteht in der Art, wie dieser Stoff anders verknüpft worden ist, als er in der Anschauung ursprünglich vorhanden war. In einer reinen Vorstellung, z. B. der des Tieres, gehört der bestimmte Inhalt der Erfahrung an, aber das Allgemeine darin ist die Form, die vom Geist herkommt.
第七節 理論的能力と実行的能力の相違(精神の形式と内容)
精神が諸規定を手に入れるということが言われる限り、それは一般に「私」(自我)、あるいは精神があらかじめ規定されてはいないということが前提されている。また精神がその諸規定を、たとえもし他の対象から手に入れるとしても、精神の諸規定は精神に属するものである。精神から独立したものとして、精神に由来しない何かがその諸規定の中にあるとしても、そこではつねに形式は精神に属している。たとえば、想像力においては素材は確かに直観から来るけれども、しかし、これらの素材が直観のうちにもともと存在していたものとは他のものと結合されるように、その形式はその方法にある。一つの純粋な表象において、たとえば「動物」の表象において、その規定された内容は経験に属しているが、しかし、その中にある普遍性は精神に由来する形式である。
Diese Form ist also das eigene Bestimmen des Geistes. Beim theoretischen Vermögen macht es nun den wesentlichen Unterschied aus, dass nur die Form im Bestimmen des Geistes liegt, hingegen beim praktischen der Inhalt(※2)auch vom Geist herkommt. Im Recht z. B. ist der Inhalt die persönliche Freiheit. Diese gehört dem Geist an. Das praktische Vermögen erkennt Bestimmungen als die seinigen, insofern es sie überhaupt will. Wenn sie auch als fremde Bestimmungen oder als gegebene erscheinen, so müssen sie aufhören, fremde Bestimmungen zu sein, insofern ich sie will. Ich verwandle den Inhalt zu mir, setze ihn durch mich.
これらの形式は、だから精神に固有の規定である。ところで、理論的な能力においては、形式は精神の規定のうちにのみあるのに、これに対して、実行的な能力においては内容もまた精神に由来するという本質的な相違を成している。たとえば、法においては、その内容は人格の自由である。人格の自由は精神に属している。実行的な能力は、それが一般に意欲する限り、諸規定を自分のものとして認識している。もしまた諸規定が、よそよそしい諸規定として、あるいは与えられたものとして現れた場合にも、私が欲する限りは、よそよそしい規定ではなくなる。私は内容を私の方へ変換し、私は私によって内容を作り出す。
(※ 1)
この諸規定(Bestimmungen)が何であるか、具体的に考えてみると、たとえば、私たちは経験から「馬」の表象を手に入れる(私たちの感覚に馬のその姿形を印象付けられる、つまり外から決められ、規定される(bestimmen)けれども、純粋な表象としての「馬」、つまり動物の種属としての普遍的な「馬」という表象についてはそれは私たちの精神に由来するということである。
(※2)
法の内容は「人格の自由」である。理論的な能力においては、この「人格の自由」も精神の形式に過ぎないが、実行的な能力においては、たとえ、初めは「人格の自由」が他から与えられたよそよそしいものであっても、私が「人格の自由」を欲する限り、実際に行動してそれを自分のものとしてその内容を実現してゆく。
理論的な能力と実行的な能力の本質的な相違は、後者が、「自由」などの精神の規定の「内容」を作り出して(setzen)ゆくところにある。
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