夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

満洲国の根本理念と協和会の本質に就て

2019年02月27日 | 歴史資料

 

 

秘 満洲国の根本理念と協和会の本質に就て

  昭和十一年九月十八日 関東軍司令部

 満洲国の根本理念と協和会の本質とは建国以来一貫不動のものなるもややもすれば歪曲誤解せられ易きに鑑みここに軍司令官の意図を体し永久にその拠る所を明かならしめんとす。

昭和十一年九月十八日 関東軍参謀長 板垣征四郎

目次
一、 満洲建国の世界史的意義
二、 建国精神の真義
三、 日満一体不可分の真義
四、 満洲国政治の特色
五、 満洲国政治(王道政治)の運営(皇帝、軍司令官、政府、協和会の相関)
六、 満洲帝国協和会の本質と其使命
七、 協和会と政権
八、 軍司令会の内面指導と政府及協和会各首脳者


一、満洲建国の世界史的意義
 
 階級闘争を手段とし無産階級を煽動してその国際的提携支援により世界革命を企図するソ連の野望と資本主義的侵略により植民地の膏血を搾取して本国人の安逸を計らんとする、英、米、仏、和等の世界政策とは共にその不純功利的な当然の酬いとして幻滅の方向を巡ろうとして居る時に、独り皇道を基調とし共存共栄を目的とする我道義的世界政策にのみ赫々たる光明を認めらる。

 満洲建国は『六合を兼て都を開き八紘をおおいて宇となすべき』我肇国以来の大理想を顕現する為の第一段階であって天皇の御稜威により旧東北軍権の暴政に苦悩しつつあった三千万民衆を救い更に全アジア民族を白人の桎梏より解放し次いで白人共にも覚醒の機を与えるべき大使命を実現する為の第一歩的意義を有するものである。

 実に我大和民族は内には優秀なる資質と卓越せる実力とを有しながら外には寛仁謙譲の態度を以て他民族に交わり裸一貫なんらの特権も持たない平等の境地において俯仰天地に愧じず中外に施して悖らざる道義を以て(※1)他の民族を指導啓蒙しあたかも長兄が血を分けた弟に対する如き慈愛を以てその足らない点を補い努めない者には大慈の鞭を加えまつろわない者は顕正の剣によってまつろわせ恩威並び行い我に悦服信頼し進んで道義による世界の再建に協力せしめ以て天皇の大御心に副い奉るべき天与の使命を有するものである。

 治外法権を我より自発的に一方的に撤廃した真精神はすなわち在満大和民族が進んで特恵的条件を放棄し喜んで平等の境地に立ち他民族と共に栄えんとする決意を内外に闡明したものである。

 万一満洲を以て日本の属国か又は保護国ないし植民地の様に考えるものがあったならそれは大なる誤である、また英、仏等の植民政策に見る様に各種民族を操縦離間しこれを対立相克させて結束して背反する力を減殺する様なことやあるいは故意にこれら民族を低文化、無教養の状態に放置しあるいはソ連が階級闘争により各民族内部に革命運動を醸成させる様なことやあるいは清朝の蒙古政策に見る様に他民族を去勢し無気力、衰滅に導こうとした様な非道義的、権謀的、欺瞞政策は我国是に鑑み断じて採らない所である。

 各民族はおのおのその伝統と希望とを持って居る、従ってこれを強権を以て圧迫すれば一時的には屏息随従するであろうが結局はその民族を絶滅させない限り何時かは反噬離間するものであることは英国のアイルランド統治に見ても明らかである。

 これすなわち冒頭に述べた諸国の世界政策がいずれも幻滅の悲運に際会して居る原因であると共に道義を基調とし共存共栄を信条とする我皇国独自の世界政策に赫々たる光明を認められる反証である。

 我一部の国民中にも『満洲国は独立国家であって何時背反するか判らないから条約等で強く縛って置く必要がある』と云う様な考えを抱いて居る者があるかも知れぬがこの様な考えは西洋的法文至上主義より発したもので極めて消極的思想であり、天皇の大御心を奉体し天壤と共に無窮に発展する大和民族の信念と矜持とを有しないものの思想である。

ニ、建国精神の真義

 満洲国建国は前述の様に道義世界完成の第一段階であってその建国の根本精神は究極する所日本精神に一致し、天皇の大御心に帰着するものである。

 その発するや旧東北軍権の暴虐より三千万民衆を救い次いで久しく白人の専制搾取下に苦しんで居た全アジア民族を解放せんとする大慈大悲の勇猛心となり、その結ぶや日満の一徳一心となり民族協和となり、その実るや王道楽土の完成となりしいては支那四億の民をして自ら満洲国を渇仰羨望させ又求めずして印度三億の民に自覚を促し、全アジア、全世界をして期せずして天皇の大御心に帰依し道義世界の再建に偕行協力せしめる様な無限の発達性を有するものである。

三、日満一体不可分の真義

 満洲国は建国の本義に基き日本と皇道によって固く結合したいわゆる皇道連邦内における一独立国家である。

 皇道連邦とは決して権力と服従の関係より生ずるものではなく四海に光被する天皇の御稜威の下に万邦が喜んで生成発展し侵略なく搾取なく日本を精神的、道義的盟主として結成せらるべき一大連合国家群の姿である。

 今卑近な例を取って話せば、秀吉の馬標であった千成瓢箪が最もよく日満の関係否皇道連邦の貌を明示して居る、皇道すなわち天皇の大御心を軸心としてその周囲に無数の瓢箪が連結せられて居る有様はあたかも皇道による一大連合国家すなわち皇道連邦の姿である、個々に見れば各瓢箪はそれぞれ個々の生命を持ち瓢箪としてそれぞれ独立の機能を具有して居るが全体的には強靭なる道義の葛(かずら・つる)によって根軸(皇道)に固く接合し同一の総合的生命体を形成して居るのである、誰か個々の瓢を以て誰か千成瓢箪に非ずというものがあろうか、日満一体不可分の関係及これを拡大した皇道連邦の概念は正に前述の通りである、保護国的思想を以て論ぜは千個の瓢箪を某一個の大きな瓢箪に呑み込んだ形になるものであって満洲国育成の根本精神に全然背馳するものである。

 従って天皇は皇道連邦の精神的核心として道義を以て被圧迫民族を解放し真の世界平和を実現し給う中心であり、満洲国皇帝は回鑾訓民詔書にも宣べられた様に天皇の大御心を以て御心とせられ且天皇の御名代たる軍司令官の御輔導により満洲国民の中心として王道楽土を完成せらるべき主権者である、その関係はあたかも月が太陽の光りによって光輝を発する様に皇帝は天皇の大御心を奉し給うことによって皇帝としての尊厳を保持し給うものである、すなわち満洲国皇帝に忠勤を尽すことは直に以てその光源たる日本天皇に忠誠を尽しその無窮の恩沢に浴し得るゆえんとなるのである。

 また別の観点から満洲国を見ると我大和民族は他の民族と共に平等の立場において満洲国構成の道義的中核分子としてともにその国家を形成して居るものである換言すれば日本と満洲国とはその構成内容において血を分けた国家である、印度における英国人の立場(征服者)と満洲における日本人の立場(特権を放棄せる一構成分子)とはその根底において全然ちがった点があることを判然認識し又認識させねばならぬ。

四、満洲国政治の特色

 日満一徳一心、民族協和、王道楽土、道義世界の実現を理想とする満洲国の政治は弊害多き過去の政治形態に執着することなく、真に新国家の本質と実情とに適合する公明正大のものでなくてはならない、従って

① 満洲国においては議会政治を否定する

 議会政治は民主的、唯物的の政治に堕し又いわゆる衆愚の政治に陥り易い、文化の程度いまだ十分ならざる満洲国において特に然るのである。また議会政治なるものは必然的に政党政治を誘導し、党利に偏し、党略に陥り遂には朝野両党の対立抗争のみに止らず四海同胞の国家を化して仇敵雑居の国家となすおそれがある。我満洲国のごとく絶対に民族的対立を排除し、一貫せる方針の下に計画的施設を進め以て民族協和、安居楽業平和境を出現せしめんとする国家においては議会政治は正に否定せらるべきである

②満洲国においては専制政治を排除する

 共産党専制によるソ連の政治形態、又は蒋介石政権による武断専制の中国政治は共に道義国家たる満洲国の運営に即応しないものである、ソ連の暴圧政治はソ連邦特異の国情を基礎としたもので同国にのみ強行せらるべきものであり、また武権専制の中国政治はその変態的現状においてのみ強行し得るのであって両者共にその人民を窮迫困厄のドン底に陥らしめておる、この様な政治組織が満州国の本質に合致し得ないことは勿論である。

③ 満洲国は王道政治の実現を企図する

 王道政治は哲人政治である、これは禅譲放伐を肯定する支那旧来のいわゆる王道思想に基く政治とはその主旨を異にし大日本天皇の大御心を政治上に顕現完成することを理想とするものである、すなわち動もすれば国家本位より離れ党争の弊に陥り、あるいは衆愚の政治に流れ易い議会政治の顰に倣うことなく、また私人私党の利権に走り易い専制政治の弊に陥ることなくひたすらに道義の顕揚と人民の康福とを庶幾わせ(こいねがわせ)給う天皇の大御心を以て心とする哲人および哲人的組織体によって運営せらるる政治がすなわち王道政治である。

五、満洲国政治(王道政治)の運営(皇帝、軍司令官、政府、協和会の相関)

  王道政治は皇道を生命とする哲人および哲人的組織体により運営せらるべきものであることは前述の通りである、しからば満洲国における政治はいかなる哲人、いかなる哲人的組織体により運営せらるべきであろうか。

 満洲国皇帝は回鑾訓民の詔書に明示し給えるごとく一徳一心大日本天皇の大御心を御心とせらるる意義において哲人であり天皇の御名代たる軍司令官の御後見により満州国における王道政治の中心たるべきものである。

 満洲国政府は皇帝を中心として建国精神を政治的に発動顕現せしむるものであり、その構成分子たる官吏は建国精神の体得者中より任命せらるべきである。(政府および官吏の性質右のごとくであるから万一政府の行う所にして建国の精神に背馳するに至ったならば既にその資格は喪失せられその存在は許さるべからざるものであり、その官吏にして建国の理念に反するものあらばこれまた即時満洲国外に去らしむべきものである)

 関東軍司令官は畏くも天皇の大御心を奉じその御名代たる資格において公人的哲人として皇帝の御輔導に任じかつ大御心を奉じて満洲国政府の内面指導に任ずるものである。

 以上述べた様に政府は皇帝を中心として官治機構を構成するが未だこれのみを以て哲人的政治の機構が完成したとは言い得ないのである。

 けだし満洲国は建国日なお浅くいまだ一般に建国精神の真義が徹底せず、国内諸民族は従来必ずしも和親なりと云うを得ず、むしろ対立抗争の歴史を有しまた国際情勢を考察するに列国中には満洲国の発展を悦ばないものがあり、なかんずく接壤隣邦中には思想的に武力的に満洲国を撹乱して反満抗日の気運を作らんと企図して居るものがあり、しかも国内民族中には民族性と地理的歴史的関係よりして隣邦の撹乱工作に感染し易き特性を有して居るものがある、かくの如き不健全なる環境においてこれら障害に対抗しこれを排除して天皇の大御心に基く建国精神を普及徹底しいかなる外力作用があっても巍然(ぎぜん)として建国精神を堅持する国民を養成することは真に国家の大業にして政府機構のみに委してなし得るものではない、しかのみならず満洲国民の大部は三千年来官治行政に虐げられた歴史こそあれこれによって慈育せられた経験を持たない、従って民衆はややもすれば政府と官吏を目して苛斂誅求の暴圧者とみなすことはあってもこれをもって民衆の慈育者であり、その生命財産および生活の保護者たりと信頼して赤裸裸の気分を以て接近して来る様なことは容易に望み得ない所である。

 もとより満洲国政府の官吏は建国精神の体得者中より任命せられ燃ゆるがごごとき熱誠を以て民衆に接しこれに対して建国精神を注入することに努むべきことは勿論であるがその立場はとかく日常行政の処理に忙殺せられまた必然的に官治行政の分野以上に民衆生活の内部に深く浸透することは不可能なものである。

 ここにおいてか建国精神を普及徹底しいかなる誘惑策動に対してもこれを堅持し実践する国民を養成すべき全国的組織を必要とするものであってその機関が野に在りて政府の政治的発動に照応し民衆と共に自らの実践を以てこれを教導し建国精神の真義を民衆に徹底せしめもって日満一徳一心に基く真の王道楽土を建設し民族共和して道義世界を実現せしむる様に努める必要がある、この必然的要求より生まれたものがすなわち満洲帝国協和会である。

 以上述べたる所の皇帝、軍司令官、政府、協和会が渾然一体の哲人的組織体となりて活動する時始めて王道政治の実現を期待し得るのである。

(協和会設立の歴史)

 協和会はその淵源を満洲事変前における旧東北軍権の飽くなき暴政、圧迫、搾取に対する民衆の奮起に端を発しこれを膺懲する為に満洲青年聯盟および雄峯会等の結成となって現われ日満憂国の志士を核心として皇道国家の建設に献身的活動を為し次いで国家の公的機関たる自治指導部となりて建国運動に尽瘁し軍司令官の直系指導下においてあるいは匪賊の討伐に随伴しあるいは軍閥暴政の社会的汚毒を粛正し建国精神を思想的に、教化的に、政治的に実践具現せしめることを生命として建国の天業に参与貢献し各民族合意合作の国家完成に努力し来ったものである。

 昭和七年七月満洲国協和会が国家機関として設立せられたが実質的にその前身は前述のごとく建国に先たちて産れて居たものと見るべきである。

六、満洲帝国協和会の本質と其使命

 満洲帝国協和会は官民一途の全国的組織体であって皇帝は協和会精神の最高具現者として軍司令官の御後見により協和会指導の中核たるものである。
 しかしてその使命とする所は建国精神を全国民に徹底しこれが実現に身命を惜まざる熱烈なる建国精神の体得者を養成すると共に政府の政治的発動顕現に照応し教化的、思想的、政治的に実践し民衆を教導しかつ政府の行う所をして民情に即せしむるに力むるのである。

 その民族と階級と職域のいかんを問わず真に同志たり得る資質を有するものを簡抜し、指導し、訓練し、陶冶していかなる困難いかなる障碍に会するも毫も屈せず撓まず死力を尽して建国精神を護持し実践ししかも燃ゆるがごとき熱情を以て四周の同胞を感化し指導し得る真の協和会員を獲得しこれらの会員の協力奮闘により遂に全国民を誘導強化し以て建国精神を満洲全土に徹底せしむることが絶対必要である。

 また野に在る協和会員が民衆と共に実践し垂範し建国精神の顕現に努むると共に民意を未然に察してこれを政府に通じ政府の行う所をして民衆の実際生活に即応せしめ、よって以て哲人政治をして専制政治に陥らしめず、官民を結合し『政治の発動とその実践』とを調和融合して始めて能く満洲国の健全なる発達を図り得るのである。

 皇道宣布の使命を有する組織体を協和会の名を以てするゆえんのものはかの大偉業が天の時(満洲事変)地の利(大陸の一角)によりて発生せりとただ人の和を以て更に重要なる素因とし特に数民族合作の新国家の基礎確立には民族協和を以て先決の要件と為すからである。

 『すなわち同一理念を有する血盟的同士を各民族間に求め民族内部ならび相互の融和結合を図り外力又は内争によって民族の分裂解体運動が起る様な場合においてもこれを未然に防止しいわゆる砂を堅める「セメント」の作用を為すものである』

七、協和会と政権

 協和会の本質とその使命は前述のごとくであって政権獲得を唯一の目標とする現存政党のごときものとは断じてその軌を同うするものではないすなわち求むることなき絶対愛を以て政府を抱擁する精神的母体であってその主張する所は寸毫も権利の獲得ではなくまたその実践する所は法に縛られた義務でもない、政府と協和会とはただその職能を異にするといえど相呼応して官民一体建国精神の実現道義世界の完成を期するものである。

 右の如きを以て協和会は政府の従属機関たらざると共にまた断じて政府と対立する機関でもない、従って協和会は議会政治に見るがごとく野党の立場において故意に政府の施設を論難攻撃するものでもなくまた与党として政府と苟合し野次と腕力とを以て野党を制圧せんとする様な低級な政党でもないすなわち結合して私利私権に走ることなく実践して一方に偏することなき唯一永久の有機的機関である。

 しかして政府の官吏は熱烈なる建国精神の体得者でなければならない必然の結果として協和会員中よりこれを求めらるべきである。
 右の如く官吏は固より熱烈なる協和会員なりといえども官治の分野における職責は政府官規の統制を受けるものであって政治的発動顕現に関する指導を協和会機関に仰ぐものではない従って協和会と政権との混淆を来すがごときことは在り得ないのである。

八、軍司令官の内面指導と政府および協和会各主脳者

 協和会の本質は前述の通りであって時代と人によってその解釈を異にすべきものではない、満洲国においては軍、官、民と民族のいかんを問はず進んで協和会に入り相互に切磋琢磨してその発展を計り官吏は官吏の立場より建国精神の軌道外に出ずるを戒めまた野に在る協和会員は朝に在る同士会員たる官吏の政治的発動に呼応し率先これが実践に努め両者融合して各機能の運営に熟し庶政の根基大本にして確立するに至ったならば軍司令官の内面指導は大綱の把握のみに止め政治、経済、思想、教化等の直接指導は真の協和会員より成る政府および協和会の各主脳者を通じてこれを行わしめ自らは沈黙の威信を保持して力を統帥に傾注することが可能となるであろう、またかくあることを理想としておるのである。

※1

上記本文中の次の個所「中外に施して悖らざる道義を以て」について


この個所は明らかに、「教育勅語」の「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の一節からの引用と考えられる。

「教育勅語」については、大東亜戦争の敗北後に、国家主義の元凶として、GHQから「国家神道、軍国主義、国家主義的「イデオロギー」ノ宣伝、弘布ヲ禁ズル」とされたものである。

しかし、GHQが「教育勅語」について「国家主義的なイデオロギー」として、国家神道の聖典とみなした根本的な理由は、必ずしも明確ではない。

その理由の一つについて、教育勅語の中の一節「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の「中外」の解釈の誤りにあることをかねて主張されていたのは、佐藤雉鳴氏である。この教育勅語の一節は、上記の関東軍司令部によって発せられた「満洲国の根本理念と協和会の本質に就て」の中でも引用されている。

佐藤雉鳴氏は神道の「詔」の研究をしておられるらしいが、氏の指摘によれば「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の「中外」の「中」とは朝廷のことであり、したがってこの場合の「外」とは日本国内のことだという。それが「教育勅語」の起草者、井上毅たちの趣意であったとのことである。

それにもかかわらず、起草者である井上毅たちの死後、東大教授の井上哲次郎によって書かれた教育勅語の注釈書『勅語衍義』などによって、「中外」が「日本国内外」と解釈され、そのために「教育勅語」が第一次世界大戦後の軍国主義の風潮の蔓延とともに、GHQから日本の「世界支配」の、「国家主義」イデオロギーの根拠、元凶と見なされることになったという。

※参考

教育勅語
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽

連合国軍最高司令部指令:文部科学省 https://is.gd/UfR6Qe

 



 

 
 
 
 
 
 
 
 
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〇八憲章=中華連邦共和国憲法要綱

2017年07月13日 | 歴史資料

 

反政府活動によって中国当局の手で投獄され、2010年にノーベル平和賞を授与された中国の民主活動家の劉暁波氏らによって二〇〇八年に明らかにされている「08憲章=中華連邦共和国憲法要綱」をここにも記録しておきます。中国国内に踏みとどまりながら劉暁波氏は中国の民主化と中華連邦共和国の実現を目差されていましたが、夢半ばにして獄中にて死に至る病に冒されたようです。

08憲章=中華連邦共和国憲法要綱

 

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。

 民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。

8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。

14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。



(括弧)内は訳注。
2008-12-12 01:19:56
中国異論派選訳

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

(転載自由、出典明示)


 ※出典
思いつくまま
http://goo.gl/qv86
 
08憲章=中華連邦共和国憲法要綱
 

 

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Remarks at Hiroshima Peace Memorial

2016年05月27日 | 歴史資料
For Immediate Release

Remarks by President Obama and Prime Minister Abe of Japan at Hiroshima Peace Memorial

Hiroshima Peace Memorial
Hiroshima, Japan

5:45 P.M. JST
 
PRESIDENT OBAMA:  Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.  A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.  
 
Why do we come to this place, to Hiroshima?  We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past.  We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner.  Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become. 
 
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man.  Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting, but against their own kind.  On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold; compelled by nationalist fervor or religious zeal.  Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated.  And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time. 
 
The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations.  Their civilizations had given the world great cities and magnificent art.  Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth.  And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes; an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.  In the span of a few years, some 60 million people would die -- men, women, children no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. 
 
There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism; graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.  Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction; how the very spark that marks us as a species -- our thoughts, our imagination, our language, our tool-making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction. 
 
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth.  How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.  Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.  Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. 
 
Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds; to cure disease and understand the cosmos.  But those same discoveries can be turned into ever-more efficient killing machines. 
 
The wars of the modern age teach this truth.  Hiroshima teaches this truth.  Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us.  The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution, as well. 
 
That is why we come to this place.  We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell.  We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.  We listen to a silent cry.  We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.
 
Mere words cannot give voice to such suffering, but we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.  Someday the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness.  But the memory of the morning of August 6th, 1945 must never fade.  That memory allows us to fight complacency.  It fuels our moral imagination.  It allows us to change. 
 
And since that fateful day, we have made choices that give us hope.  The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war.  The nations of Europe built a Union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy.  Oppressed peoples and nations won liberation.  An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspire to restrict and roll back, and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons. 
 
Still, every act of aggression between nations; every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations –- and the alliances that we’ve formed -– must possess the means to defend ourselves.  But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear, and pursue a world without them. 
 
We may not realize this goal in my lifetime.  But persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.  We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles.  We can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. 
 
And yet that is not enough.  For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.  We must change our mindset about war itself –- to prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they’ve begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy, but by what we build. 
 
And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.  For this, too, is what makes our species unique.  We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past.  We can learn.  We can choose. We can tell our children a different story –- one that describes a common humanity; one that makes war less likely and cruelty less easily accepted. 
 
We see these stories in the hibakusha –- the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb, because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here, because he believed their loss was equal to his own. 
 
My own nation’s story began with simple words:  All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.  Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens.
 
But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for; an ideal that extends across continents, and across oceans.  The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious; the radical and necessary notion that we are part of a single human family -– that is the story that we all must tell. 
 
That is why we come to Hiroshima.  So that we might think of people we love -- the first smile from our children in the morning; the gentle touch from a spouse over the kitchen table; the comforting embrace of a parent –- we can think of those things and know that those same precious moments took place here seventy-one years ago.  Those who died -– they are like us.  Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life, and not eliminating it.  
 
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done. 
 
The world was forever changed here.  But today, the children of this city will go through their day in peace.  What a precious thing that is.  It is worth protecting, and then extending to every child.  That is the future we can choose -– a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.  (Applause.) 

広島平和記念公園

2016年5月27日

 71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。

 私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、12人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。

 広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。

 広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。

 世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

 物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。

 科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。

 現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。

 だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。 声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。

 単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。

 あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。

 しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。

 私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。

 しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。

 とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。

 私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。

 しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。

 だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。

 国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。

 この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。

 


PRIME MINISTER ABE:  (As translated.)  Last year, at the 70th anniversary of the end of war, I visited the United States and made a speech as Prime Minister of Japan at a joint meeting of the U.S. Congress.  That war deprived many American youngsters of their dreams and futures.  Reflecting upon such harsh history, I offered my eternal condolences to all the American souls that were lost during World War II.  I expressed gratitude and respect for all the people in both Japan and the United States who have been committed to reconciliation for the past 70 years.  
 
Seventy years later, enemies who fought each other so fiercely have become friends, bonded in spirit, and have become allies, bound in trust and friendship, deep between us.  The Japan-U.S. alliance, which came into the world this way, has to be an alliance of hope for the world.  
 
So I appealed in the speech.  One year has passed since then.  This time, President Obama, for the first time as leader of the United States, paid a visit to Hiroshima, the city which suffered the atomic bombing.  U.S. President witnessing the reality of atomic bombings and renewing his determination for a world free of nuclear weapons -- this gives great hope to people all around the world who have never given up their hope for a world without nuclear weapons.  
 
I would like to give a whole-hearted welcome to this historic visit, which had been awaited not only by the people of Hiroshima, but also by all the Japanese people.  I express my sincere respect to the decision and courage of President Obama.  With his decision and courage, we are opening a new chapter to the reconciliation of Japan and the United States, and in our history of trust and friendship. 
 
A few minutes ago, together, I and President Obama offered our deepest condolences for all those who lost their lives during World War II and also by the atomic bombings.  Seventy-one years ago in Hiroshima and in Nagasaki, a great number of innocent citizens’ lives were cost by a single atomic bomb without mercy.  Many children and many citizens perished.  Each one of them had his or her life dream and beloved family.  When I reflect on this sheer fact, I cannot help but feel painful grief.  
 
Even today, there are victims who are still suffering unbearably from the bombings.  Feeling of those who went through unimaginable tragic experiences, indeed, in this city 71 years ago -- it is unspeakable.  In their minds, various feelings must have come and gone -- that of those, this must be in common:  That any place in the world this tragedy must not be repeated again.
 
It is the responsibility of us who live in the present to firmly inherit these deep feelings.  We are determined to realize a world free of nuclear weapons.  No matter how long and how difficult the road will be, it is the responsibility of us who live in the present to continue to make efforts.  
 
Children who were born on that unforgettable day lit the light believing in permanent peace.  To make every effort for the peace and prosperity in the world, vowing for this light -- this is the responsibility of us all who live in the present.  We will definitely fulfill our responsibility.  Together, Japan and the United States will become a light for hope, for the people in the world.  Standing in this city, I am firmly determined, together with President Obama.  This is the only way to respond to the feelings of the countless spirits -- victims of the atomic bombs in Hiroshima and Nagasaki.  I am convinced of this.  (Applause.)
 
END                                     
6:05 P.M. JST

 【安倍総理発言】
 昨年、戦後70年の節目に当たり、私は、米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の内閣総理大臣として、スピーチを行いました。
 あの戦争によって、多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に、改めて思いをいたし、先の戦争で斃(たお)れた、米国の全ての人々の魂に、とこしえの哀悼を捧げました。
 そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に、感謝と尊敬の念を表しました。
 熾烈に戦いあった敵は、70年の時を経て、心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は、世界に「希望」を生み出す同盟でなければならない。私は、スピーチで、そう訴えました。
 あれから1年。今度は、オバマ大統領が、米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。
 米国の大統領が、被爆の実相に触れ、「核兵器のない世界」への決意を新たにする。「核なき世界」を信じてやまない世界中の人々に、大きな「希望」を与えてくれました。
 広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだ、この歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
 日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に、新たなページを刻む、オバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆様と共に敬意を表したいと思います。
 先ほど、私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲となった全ての人々に対し、哀悼の誠を捧げました。 
 71年前、広島、そして長崎では、たった一発の原子爆弾によって、何の罪もない、たくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめる時、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
 今なお、被爆によって、大変な苦痛を受けておられる方々も、いらっしゃいます。
 71年前、正にこの地にあって、想像を絶するような悲惨な経験をした方々の「思い」。それは、筆舌に尽くし難いものであります。様々な「思い」が去来したであろう、その胸の中にあって、ただ、このことだけは間違いありません。
 世界中のどこであろうとも、
 再び、このような悲惨な経験を
 決して繰り返させてはならない。
 この痛切な「思い」をしっかりと受け継いでいくことが、今を生きる私たちの責任であります。
 「核兵器のない世界」を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく、努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任であります。
 そして、あの忘れ得ぬ日に生まれた子供たちが、恒久平和を願って点(とも)した、あの「灯(ともしび)」に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす、それが、今を生きる私たちの責任であります。
 必ずや、その責任を果たしていく。日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に「希望を生み出す灯」となる。この地に立ち、オバマ大統領と共に、改めて、固く決意しています。
 そのことが、広島、長崎で原子爆弾の犠牲となった、数多(あまた)の御霊の思いに応える、唯一の道である。
 私は、そう確信しています。



 

 

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上原良司1

2015年04月29日 | 歴史資料

上原良司

時間に余裕があれば、上原良司と彼の生きた時代とをできる限り詳しく調べて、彼の生きた時代のその歴史的な社会的背景について考えてみたいと思って います。それで、いつの日か、伝記の形か小説の形にか、とにかく大日本帝国憲法下の日本がどのような必然性をもって大東亜戦争に突入せざるを得なかったの か、その背景を批判的歴史の観点から考えてみたいと思います。

日本が大日本帝国憲法のような自由な憲法をもちながら、どのような必然的な経路を辿って戦争へと突入していったのか、特にその思想的な哲学な批判的 観点から考察できればいいと思います。幸いにもネットが発達してきて、さまざまな情報や知識を手に入れやすくなっているので、そうした仕事は一般的に昔に 較べてはるかに容易になってきていると思います。

ほとんど無名の内にこの世を去り、かろうじて僅かな遺書などによって歴史に名を留めている上原良司の生涯について知られる機会にもなればと思いま す。今のところ彼の故郷に足を踏み入れたことは未だなく、ほとんどがWIKI をはじめとする、インターネット上の知識に拠っています。

 

上原良司

上原 良司
Ryoji Uehara.jpg
佐賀県の目達原基地にて
生誕 1922年9月27日
日本の旗 日本 長野県池田町
死没 1945年5月11日(満22歳没)
日本の旗 日本 沖縄県嘉手納
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1943年 - 1945年
最終階級 陸軍大尉
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上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人

人物・来歴

長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師の上原寅太郎の三男として生まれ、旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。2人の兄、良春と龍男はともに慶應義塾大学医学部を卒業後に軍医となり、龍男は良司が慶大に進学した年に、ニューヘブリデス諸島の沖で潜水艦と共に沈んで戦死している。

旧制松本中学校を卒業後に上京し、慶應義塾大学予科に入学。1942年に慶應義塾大学経済学部に進学するが、経済学部在学中に徴兵猶予停止によって学徒出陣、大学を繰り上げ卒業した。1943年12月1日に陸軍入営[1]歩兵第50連隊に配属となり、第2期特別操縦見習士官として熊谷陸軍飛行学校入校、館林教育隊にて操縦訓練を開始し、1944年熊谷陸軍飛行学校を卒業した。

1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として愛機の三式戦闘機「飛燕」に搭乗して知覧から出撃、約3時間後に沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入して戦死、享年22。

戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)では「所感」という題名の遺書が巻頭に掲載されている。この文章は多くの人々の胸に響き、映画「きけ わだつみのこえ」やドキュメンタリー番組でも特集されるなど戦没学生の手記の代表格とされ度々取り上げられている。なお、特攻出撃前夜に、陸軍報道班員に「所感」を託していた[2]

2006年10月22日、池田町に上原の記念碑(石碑)が建立された。

遺書

「所感」

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムイタリアは如何、ナチズムドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。 理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で

遺本

遺本となった羽仁五郎著「クロォチェ」にはところどころに○印が付され、それをたどると愛する女性へ送られた言葉が浮かび上がる。

「きょうこちゃん、さやうなら。僕は きみが すきだつたしかし そのときすでに きみは こんやくの人であつた わたしは くるしんだ。そして きみの こうフクを かんがえたとき あいのことばをささやくことを だンネンしたしかし わたしは いつもきみを あいしている」

上記の遺書「所感」の後半に「天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思う」と記されているが、その彼女こそが、「きょうこちゃん」こと石川子である。石川は上原の日記にもたびたび登場しており、「こんやくの人であつた」と記されているように、1943年に他の男性と婚約している。「天国において会える」と書いているのは、石川が1944年に結核で病死しているためである。上原は過酷な訓練の毎日においても、常に石川に対して淡い恋心を抱いていた。

関連項目

脚注

外部リンク

カテゴリ:

 

※出典  WIKI 「上原良司」の項より。

 

 

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北岡伸一座長代理「無謀な戦争」?

2015年03月25日 | 歴史資料

北岡伸一氏は、「侵略戦争」 発言もそうだったけれど、歴史的事実に「無謀だ」とか「侵略」だとか自分の「道徳的評価」を持ち込んで断罪する。この人はどんなに偉い人なんだろう?RT : 70年談話有識者懇の議事要旨 北岡座長代理「無謀な戦争」 s.nikkei.com/1CKoodC


 
 
※追記20150406
上のツィッターでリンクした記事を記録しておきます。

70年談話有識者懇の議事要旨 北岡氏「無謀な戦争」

http://goo.gl/ZCEBxF

2015/3/23 22:54
政府は23日、安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年談話に向けた有識者懇談会の第2回会合の議事要旨を首相官邸のホームページに公開した。冒 頭に座長代理の北岡伸一国際大学長と外部有識者として出席した奥脇直也東大名誉教授が見解を示し、北岡氏は「世界の大勢を見失った、かつ無謀な戦争でアジ アを中心に多くの犠牲者を出してしまった」と指摘した。

 2回目の会合は13日に開き「20世紀の経験からくむべき教訓」を議題とした。北 岡氏は「1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない」と発言。奥脇氏は侵略の定義に関し「今なお国際社会が完全な一致 点を見いだしたとまでは言えない」と述べた。

 他の意見は匿名で掲載。「当時の価値観から見てもこれは侵略であった」「国際法から見ても侵 略と言わざるを得ず、侵略という言葉を用いるべきだ」との発言がある一方、「現在の価値観であの戦争は侵略であったと断定することがよいことなのか疑問に 思うことがある」との意見も出た。

 Copyright © 2015 Nikkei Inc. All rights reserved.
 
 
※追記20150325
 
官邸ホームページに、21世紀構想懇談会の議事要旨が公開されています。ここにも記録して起きます。
http://goo.gl/dJymLR
 
 
第一回 議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai1/gijiyousi.pdf
 
第二回 議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai2/gijiyousi.pdf
 
 
第 二回 議事要旨の中にも、北岡伸一氏の「侵略戦争」観や「無謀な戦争」論に対する一部有識者の反論が示されています。現在のところ北岡伸一氏らが主張するような一方的 な「大日本帝国政府悪者論」ではなく、それに対する反論の方に共感できるものです。北岡先生のような偉い学者でもない浅学無知のゆえに、私自身の歴史観を 詳細に具体的に展開できてはいません。取りあえず、その反論の根拠となるいくつかの資料を参考までに取り上げておきたいと思います。
 
過去の歴史のなかに、現在の価値観にもとづいた道徳的な評価を持ち込むことに意味があるのか、それがどのような条件において認められるか、などの問題があると思います。
 
Ⅰ 侵略の定義
a
国際連盟期における国際連盟規約11条、ジュネーブ議定書ロカルノ条約不戦条約などで戦争の違法化が合意されつつあったものの、侵略の定義化は非常に困難であった。オースティン・チェンバレンは侵略を定義すれば無実のものにとっては罠となり、侵略を企図する者にとっては抜け道を探すための基準となると述べ、その定義化に反対している。
 
b
その後たびたび侵略の定義に関する特別委員会が設置されて討議が行われたが、結論が出たのは24年後の1974年になってからであり、12月14日国際連合総会決議3314が成立した。
 
※ したがって、大東亜戦争開戦時1941年には「侵略」についての国際的な定義はまだ確定されていなかった。
     
      (以上 WIKI 「侵略の定義」より  http://goo.gl/elWGjy )
 
 Ⅱ 日本側の「開戦の詔勅太平洋戦争 開戦の詔勅 
          (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

天 佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司ハ勵職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定 ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニス ルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞 意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ 相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ 匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢 テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延 セシメテ此ノ間却ツテ々經濟上軍事上ノ脅威ヲ大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ 帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠 勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

  御 名 御 璽

   昭和十六年十二月八日
 

<現代語訳文>

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私 はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささ げ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

そ もそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかり ごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところであ る。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さ いわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権 は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を 助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私 は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を 遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態 がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。 ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 太平洋戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書) http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm

 

Ⅲ 日米開戦時における軍令部総長、永野修身における参戦意識

1939年以来、アメリカからの経済的制裁を受けるようになっていた日本は石油などの不足資源の多くを蘭印からの輸入に頼っていた。1941年6月5日海軍省で算定した結果によると日本国内には1年半~2年分しか石油備蓄がなく、このことは海軍の軍令を司る立場にあった永野にとって死活問題だった。また、一部報道では過激な開戦派によるクーデターとそれに伴う国家の暴走を警戒していたともいわれている。7月30日ABCD包囲網について昭和天皇から意見を求められた際には、海軍としては対米戦を決断するならば早期に開戦をした方が有利と奉答している(詳細は下記)。その手段として、日米交渉が決裂した場合に備え、連合艦隊司令長官だった山本五十六が進めていた真珠湾攻撃作 戦を採用した。山本のハワイ作戦ついては、その投機性の高さから軍令部内では反対する意見が根強くあった。当初、永野自身もアメリカとの戦いについては南 方資源地帯の確保と本土防衛を主軸とした漸減邀撃作戦を構想しており、太平洋まで出てアメリカと直接対決する想定しておらず、「余りにも博打すぎる」と慎 重な態度を示した。しかし、山本が本作戦が通らなければ連合艦隊司令部一同が総辞職すると強く詰め寄ったため、1941年11月5日、最終的に永野が折れる形で決着した。

帝国国策遂行要領』が陸海軍中央の折衝を重ねて起草され、1941年9月3日、大本営政府連絡会議にて決定された。最初、海軍案では「戦争ヲ決意スルコトナク」という文字があったが、これに陸軍が難色を示し、戦争決意の文字をいれるように強く迫った。海軍は苦慮し「戦争ヲ辞セザル覚悟ノモト二」 とニュアンスを若干緩める形で会議はまとまった。一方で永野は、木戸内大臣の執務室を訪れ、対英米戦の施策について説明したという。鳥居は、軍令部総長の 異例の訪問は帝国国策遂行要領から対米戦決意の文字を抹消するため、内大臣の協力を求めたのではないかと推察している。 この時期、永野はアメリカという国を知る者として、軍事的外交の専門家として、会議の場では常に決まったいくつかの助言している。まず、中途半端な態度で 臥薪嘗胆をして交渉を長引かせたとしても何の解決にもならず、軍事、外交上、日本の立場を不利にするだけであること、臥薪嘗胆で行くなら腹を据えてアメリ カに譲歩するつもりで挑んだ方が良いこと、戦うなら今以外に戦機はこないこと、但し、海軍としては戦った場合、国力の問題から2年以後は戦う自信がないこ となどである。また、首相と外相には開戦に至らない様にする覚悟と勇気が政府にあるか言明を求めていた。 その後9月6日の御前会議にて『帝国国策遂行要領』は付議され採択された。

会 議後、永野は統帥部を代表する形で「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合 は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した 日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」と 語った。

11月1日に行われた連絡会議で、最後の国策方針を決める際、東條首相が慣習に沿って、これまでに挙げられた

  • 1.戦争を極力避け、臥薪嘗胆する
  • 2.直ちに開戦を決意、政戦略の諸施策等はこの方針に集中する
  • 3.戦争決意の下に、作戦準備の完整と外交施策を続行し妥結に努める

の3案の他にないかと出席者に尋ねた。この時、永野は、第4案として「日米不戦」を提案。この際、陸海軍は矛を収めて政府に協力し、交渉だけで問題を解決する方針を提示した。これに対し、東條英機首相兼陸軍大臣は「交渉条件を低下させることはできない」とだけ述べ、第4案はボツとされた。因みに東條陸軍大臣兼首相は、日米開戦の焦点となった支那駐兵問題については撤兵には絶対反対の姿勢をとっており、同じく陸軍統制派の杉山元参謀総長や木戸幸一内大臣と連帯関係にあった。

第1案に賛成したのは東郷茂徳外務大臣と賀屋興宣大蔵大臣だけだった。これに対し、永野は政府が武力発動を放棄して外交だけで問題を解決することを言明しない以上、責任はもてないとして第1案には反対した。この時、既に米国政府は日本本土に対する先制攻撃作戦を許可していた。海軍は、日本周辺に大量のB25をはじめとする爆撃機が配備されつつあること、来年初頭には米陸軍の戦力配備が完了し、打つ手がなくなることをつかんでいた。

       (wiki  永野修身 の項  http://goo.gl/lIQgXb)

Ⅳ  東京裁判、日本側弁護人ベン・ブルース・ブレイクニーの弁論

1946年5月14日、

「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

「歴 史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側 の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷よ り却下されねばならない」

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下したの名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の 名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、 戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、 これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

WIKI ベン・ブルース・ブレイクニー の項  http://goo.gl/gTbIpK

東京裁判: ブレイクニー弁護人の弁論

 

日米開戦 アメリカ最大のタブー - YouTube.flv

 

 

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The Middle East’s Maze of Alliances(中東における同盟関係の迷路)

2014年09月22日 | 歴史資料

 


NATIONAL REVIEW ONLINE          www.nationalreview.com       
September 11, 2014 12:00 AM

 
The Middle East’s Maze of Alliances


It’s increasingly difficult to navigate the web of transitory enemies and allies in the region.

By Victor Davis Hanson

Try figuring out the maze of enemies, allies, and neutrals in the Middle East.

In 2012, the Obama administration was on the verge of bombing the forces of Syrian president Bashar Assad. For a few weeks, he was public enemy No. 1 because he had used chemical weapons on his own people and because he was responsible for many of the deaths in the Syrian civil war, with a casualty count that is now close to 200,000.

After Obama’s red lines turned pink, we forgot about Syria. Then the Islamic State showed up with beheadings, crucifixions, rapes, and mass murders through a huge swath of Iraq and Syria.

Now the United States is bombing the Islamic State. Sometimes Obama says that he is still seeking a strategy against the jihadist group. Sometimes he wants to reduce it to a manageable problem. And sometimes he says that he wants to degrade or even destroy it.

The Islamic State is still trying to overthrow Assad. If the Obama administration is now bombing the Islamic State, is it then helping Assad? Or when America did not bomb Assad, did it help the Islamic State? Which of the two should Obama bomb ― or both, or neither?

Iran is steadily on the way to acquiring a nuclear bomb. Yet for now it is arming the Kurds, dependable U.S. allies in the region who are fighting for their lives against the Islamic State and need American help. As Iran aids the Kurds, Syrians, and Iraqis in the battle against the evil Islamic State, is Teheran becoming a friend, enemy, or neither? Will Iran’s temporary help mean that it will delay or hasten its efforts to get a bomb? Just as Iran sent help to the Kurds, it missed yet another U.N. deadline to come clean on nuclear enrichment.

Hamas just lost a war in Gaza against Israel. Then it began executing and maiming a number of its own people, some of them affiliated with Fatah, the ruling clique of the Palestinian Authority. During the war, Mahmoud Abbas, president of the Palestinian state, stayed neutral and called for calm. Did he wish Israel to destroy his rival, Hamas? Or did he wish Hamas to hurt his archenemy, Israel? Both? Neither?

What about the Gulf sheikdoms? In the old days, America was enraged that some of the Saudis slyly funneled cash to al-Qaeda and yet relieved that the Saudi government was deemed moderate and pro-Western. But as Iran gets closer to its nuclear holy grail, the Gulf kingdoms now seem to be in a de facto alliance with their hated adversary, Israel. Both Sunni monarchies and the Jewish state in near lockstep oppose the radical Iran/Syria/Hezbollah/Muslim Brotherhood/Hamas axis.

But don’t look for understandable Shiite--Sunni Muslim fault lines. In this anti-Saudi alliance, the Iranians and Hezbollah are Shiites. Yet their allies, the Muslim Brotherhood and Hamas, are Sunnis. The Syrian government is neither, being Alawite.

They all say they are against the Sunni-extremist Islamic State. So if they are enemies of the Sunni monarchies and enemies of the Islamic State, is the Islamic State then a friend to these Gulf shiekdoms?

Then there is Qatar, a Sunni Gulf monarchy at odds with all the other neighboring Sunni monarchies. It is sort of friendly with the Iranians, Muslim Brotherhood, Hezbollah and Hamas ― all adversaries of the U.S. Why, then, is Qatar the host of CENTCOM, the biggest American military base in the entire Middle East?

Is Egypt any simpler? During the Arab Spring, the Obama administration helped to ease former president and kleptocrat Hosni Mubarak out of power. Then it supported both the democratic elections and the radical Muslim Brotherhood that won them. Later, the administration said little when a military junta displaced the radical Muslim Brotherhood, which was subverting the new constitution. America was against military strongmen before it was for them, and for Islamists before it was against them.

President Obama and Turkish Prime Minister Tayyip Recep Erdogan were said to have a special friendship. But based on what? Erdogan is strangling democracy in Turkey. He is a big supporter of Hamas and at times a fan of Iran. A NATO ally, Turkey recently refused to let U.S. rescue teams use its territory to stage a rescue mission of American hostages ― two of them eventually beheaded ― in Syria.

Ostensibly, America supports moderate pro-Western consensual governments that protect human rights and hold elections, or at least do not oppress their own. But there are almost no such nations in the Middle East except Israel. Yet the Obama administration has grown ever more distant from the Jewish state over the last six years.

What is the U.S. to do? Leave the Middle East alone, allowing terrorists to build a petrol-fueled staging base for another 9/11?

About the best choice is to support without qualification the only two pro-American and constitutional groups in the Middle East, the Israelis and Kurds.

Otherwise, in such a tribal quagmire, apparently there are only transitory interests that come and go.

― Victor Davis Hanson is a classicist and historian at the Hoover Institution, Stanford University, and the author, most recently, of The Savior Generals. You can reach him by e-mailing author@victorhanson.com. (c) 2014 Tribune Media Services, Inc.

※出典

【 The Middle East’s Maze of Alliances】 Victor Davis Hanson

NATIONAL REVIEW ONLINE          www.nationalreview.com       
September 11, 2014 12:00 AM

http://goo.gl/L9Ipa4


中東における同盟関係の迷路

中東の領域内での転変する敵と味方の網の目をすり抜けることはますます困難になっている。

ビクター・デービス・ハンソン

中東における敵、同盟国と中立派の間の入組んだ迷路を解く図式を考えてほしい。

2012年に、オバマ政権は、シリアの大統領バッシャール・アサドの軍隊を爆撃する寸前だった。
数週間の間、アサドは彼自身の国民に対して化学兵器を使ったので、そして、シリアの内戦における死の多くに対して、現在約20万人に及ぶとされるる犠牲者数に、アサドに責任があるという理由で、彼は社会の第一の敵だった。

オバマの危険な赤信号がピンク色に変ったあと、我々はシリアについて忘れていた。それから、イラクとシリアの広大な地域を通して、イスラム国が、斬首、磔、強姦と大量殺人とともに姿を現してきた。

現 在、アメリカ合衆国はイスラム国を爆撃している。ある時はオバマは言う。彼はまだジハードの戦士集団に対して戦略を模索していると。ある時は、オバマは言 う。彼はそれを制御可能な問題にまで切りつめたいと言う。そしてある時は、彼は、それを解体するか、あるいは破壊さえしたいと言う。

イ スラム国は依然としてアサドを転覆しようとしている。もし現在オバマ政権が、イスラム国家を爆撃するなら、それはアサドを支援することになるのか?あるい は、アメリカはアサドを爆撃しない場合は、それはイスラム国を助けることになるのか?オバマは両者のうちのどれを爆撃すべきなのか? あるいは両方とも爆撃するのか、それともいずれも爆撃しないのか?

イ ランは、核爆弾を着実に手に入れる途上にある。それでも、今のところは、イランはクルド人(彼らはイスラム国に対して自分たちの命を守るためにために戦っ ており、アメリカの援助を必要としている地域の信頼できる米国同盟国である)を武装させている。邪悪なイスラム国との戦いにおいて イランがクルド人、シリア人とイラク人を援助するとき、テヘランは友となるのか、敵になるのか、あるいはそのどちらでもないのか?イランの一時的な援助 は、イランが核爆弾を手に入れる努力を遅らせることになるのか、急がせることを意味するのか?  イランがクルド人に援助を送ったちょうどその時、イランは核の濃縮に関して白状すべきさらにもう一つの国連最終期限をまぬかれた。

ハ マスは、イスラエルに対してガザでの戦争に負けたばかりである。その後、ハマスは何人かの彼らの仲間の人々(彼らの一部はファタハに、パレスチナ自治政府 の支配する派閥に属していた)を処刑したり、不具にし始めた。戦争の間は、マフムド・アッバス(パレスチナ国家の大統領)は中立の立場にとどまって、平静 を呼びかけていた。イスラエルがアッバスのライバルであるハマスを滅ぼすことを彼は望んだか?あるいは、彼はハマスが彼の宿敵であるイスラエルを痛めつけ ることを望んだか?両方ともか?いずれでもないか?

湾 岸首長国などについてはどうか?昔日においては、サウジの一部がこっそりアルカイダに現金を注ぎ込んでいることに、アメリカは切歯扼腕してきた。そして、 なおサウジアラビアの政府が穏健で親西側であると思って安心している。しかし、イランが核の聖杯に近づくにつれて湾岸の王国は、今では嫌われものの敵、イ スラエルと事実上の同盟関係にあると思われる。スンニ派の君主制国とユダヤ人国家は、共同歩調を取って、急進的なイラン/シリア/ヒズボラ/イスラム教徒 兄弟団/ハマスの枢軸に反対している。

し かし、シーア派 ― スンニ派イスラム教のわかりやすい断絶を利用しようともとめてはいけない。この反サウジアラビアの提携では、イラン人とヒズボラは、シーア派である。それ でも、彼らの盟友(イスラム兄弟団とハマス)は、スンニ派だ。そして、シリア政府はアラウィー派でそのどちらでもない。

彼らは皆スンニ派の過激派イスラム国に反対であると言う。それなら、彼らがスンニ派の君主制の敵であり、イスラム国の敵であるならば、イスラム国は、これらの湾岸の首長国にとって友人なのだろうか?

そ れから、カタール(すべての他の近隣のスンニ派の君主制と争っているスンニ派の湾岸の君主国)がある。カタールは、イラン人、イスラム兄弟団、ヒズボラと ハマス──米国のすべての敵とある種の友好関係にある。それなら、なぜ、カタールはCENTCOM(Central Command 中央指令)、中東で最大規模のアメリカ軍基地の接待役なのか?

エ ジプトは、いくらかはより単純だろうか?アラブ春の間に、オバマ政権は、前大統領で泥棒政治家ホスニ・ムバラクが権力を失ってゆくのを助けた。それから、 オバマ政権は、民主選挙とそこで勝利した急進的なイスラム兄弟団の両方を支持した。後になって暫定軍事政権が急進的なイスラム兄弟団を排除したとき、オバ マ政権はほとんど何も言わなかった。暫定軍事政権は新しい憲法を覆した。アメリカが軍事独裁者を支持する以前には、アメリカは軍事独裁者に反対していた。 そして、イスラム教徒に反対する前には、アメリカはイスラム教徒のために存在した。

オ バマ大統領とトルコのTayyip Recep エルドアン首相は、特別な友情があると言われていた。しかし、何に基づいてそう言うのか?エルドアンは、トルコで民主主義を窒息させている。彼は、ハマス の有力な支持者であり、時にはイランの味方である。NATO同盟者であるトルコは最近に、合衆国の救助隊がシリアのアメリカ人人質の救出作戦を行う段階で その領土を使わせることを拒否した。──結局は 彼ら二人は首を切られたが── 

人 権を保護して選挙を開くか、少なくとも彼ら自身の国民を圧迫しない穏やかな親西欧の、共感性のある政府を、表向きはアメリカは、支持してきた。しかし、そ のような国は、イスラエル以外はほとんど中東にはない。それでも、オバマ政権は、この六年の間つねにユダヤ人の国から距離を置くようになった。

アメリカは何をなすべきか?中東を孤独に置き去りにすべきか?もう一つの9/11テロのために、テロリストたちが石油で勢いづいた中継基地を建設することを許したままで。

最良の選択については、中東で唯一の二つの親米的で立憲的な集団、イスラエルとクルドを、無条件に支援することだ。
 
さもなければ、中東のような部族の沼地においては、見せかけの、右往左往する一時的な利益だけがあるだけだ。


──── ビクター・デービス・ハンソンは、フーバー研究所とスタンフォード大学所属の古典学者で歴史家。近著『救世主の将軍たち』の著者。 author@victorhanson.comに電子メールを送れば連絡をとることができる。(c) 2014 トリビューン・メディア・サービス社

 


※混迷を深めてゆく中東情勢

前に引用したクラウトハマーの小論(The Problem with Obama’s ISIS Strategy(オバマのISIS戦略の問題)) では、空爆だけによってはイスラム国を壊滅に追いやるという根本目的を達成できないことを主張していましたが、確かに地上軍を、陸軍を投入することなくし て失地を回復できないと思います。原則はその通りですが、しかし、上記のビクター・デービス・ハンソンの小論でもわかるようにイスラム国の勢力が 膨張しはじめているイラク北部地域、さらにシリアでは、地域の当事国の敵対関係が入組んでおり、イスラム国を殲滅することが、アメリカと敵対しているシリ アを援助することになる一方、同じ対立関係にあるイランとはイスラム国を攻撃するうえで協力しあえるのかなど、実際の具体的な戦術のうえで、地上軍の投入というアメリカの政 治的な選択をきわめてむずかしくしています。

イラクやアフガニスタンにスンニ派親米政権を確立して、アメリカはそれらを間接的に支援することに よってイスラム国の台頭を押さえ壊滅させることができれば理想的なのでしょうが、実際はアフガニスタンもイラクもそれらの国内政治情勢はむしろ混迷を深めつつあり ます。イスラム国はシーア派でイラク国内にも同じシーア派がいます。アメリカが直接関与することなくしてイスラムテロ勢力を押さえきれないと思います。

ビ クター・ハンソンは「最良の選択は、中東で唯一の二つの親米的で立憲的な集団、イスラエルとクルドを、無条件に支援することだ。」と言っていますが、「イ スラエルとクルドを支援する」だけでは、オバマ政権が目的としている、イスラム国の殲滅という目的は実現できないでしょう。

か といって中東を放棄しアメリカがこの地域を置 き去りにしたとき、そしてこの地域がイスラム国に乗っ取られたときには、さらにアメリカ本土へのテロ攻撃は厳しさを増すと思います。いずれにしてもアメリ カの苦悩は深いですが、そうしてアメリカが中東の泥沼に気を奪われ足を取られることは、北東アジアにおいては中国の膨張政策を容易にさせることになりま す。そうして日本の同盟国アメリカの存在感が世界において相対的に低下してゆくことは、必然的に日本が従来のような一方的なアメリカ依存では立ちゆかなく なって来るということでもあります。日本もさらに自主独立の性格を強めてゆかざるを得ません。アメリカもそれを求めてくるでしょう。このことは必ずしも悪 いことばかりではないと思います。日本国内の朝日新聞問題なども、こうした国際関係を背景にその意義を見ることも必要だと思います。

 

 

 

 

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The Problem with Obama’s ISIS Strategy(オバマのISIS戦略の問題)

2014年09月15日 | 歴史資料

The Problem with Obama’s ISIS Strategy

NATIONAL REVIEW ONLINE
www.nationalreview.com
     
September 11, 2014 8:00 PM


The Problem with Obama’s ISIS Strategy

The president’s war plan against the group suffers from a glaring mismatch of ends and means.

By Charles Krauthammer


In his Islamic State speech, President Obama said many of the right things. Most importantly, he finally got the mission right: Degrade and destroy the enemy.

This alone will probably get him a bump in the polls, which have dropped to historic lows. But his strategic problem remains: the disconnect between (proclaimed) ends and means.

He’s sending an additional 475 American advisers to Iraq. He says he’s broadening the air campaign, but that is merely an admission that the current campaign was always about more than just protecting U.S. personnel in Irbil and saving Yazidis on mountain tops. It was crucially about providing air support for the local infantry, Kurdish and Iraqi.

The speech’s only news was the promise to expand the air campaign into Syria and (finally) seriously arm the secular opposition. But this creates a major problem for Obama. Just a month ago, he ridiculed the non-jihadist rebels as nothing but a bunch of “doctors, farmers, pharmacists, and so forth.” Now he deputizes them as our Syrian shock troops. So he seems finally to have found his Syria strategy: F-16s flying air support for pharmacists in tanks.

Not to worry, says the president. We’ll have lots of other help ― “a broad coalition to roll back this terrorist threat.” He then proceeded to name not a single member of this stout assembly or offer even an approximate number.


Democrats have a habit of accusing George W. Bush of going it alone in Iraq. According to the Center of Military History of the U.S. Army, Bush had 37 nations with us. They sent more than 25,000 troops. So far, Obama has a coalition of nine: eight NATO members plus Australia. How many of those ― or of the much touted Arab coalition behind us ― do you think will contribute any troops at all?

And what will this campaign look like? Not Iraq or Afghanistan, the president reassured the nation. The model will be Somalia and Yemen.

Is he serious? First, there’s no comparing the scale. This year has seen 16 air strikes in Yemen, two in Somalia. Two! That doesn’t even count as a pinprick.

Third, are these results we want to emulate? Yemen and Somalia are failed states ― unsafe, unstable, bristling with active untamed insurgencies. We occasionally pick off a leader by drone ― an absurdly inadequate strategy if the goal is to “degrade and ultimately destroy” the Islamic State, which the administration itself calls a terror threat unlike any we’ve ever seen.

 Second, there is no comparing the stakes. Yemen and Somalia are strategically marginal. The Islamic State controls a vast territory in the heart of oil-rich Mesopotamia, threatening everything of importance in the Middle East.

And beyond the strategy’s halfhearted substance is its author’s halfhearted . Obama’s  and ambivalence are obvious. This is a man driven to give this speech by public opinion. It shifted radically with the televised beheading of two Americans. Every poll shows that Americans overwhelmingly want something to be done ― and someone to lead the doing.

Hence Wednesday’s speech. Its origins were more political than strategic. Its purpose was to save the wreckage of a presidency at its lowest ebb. (If this were a parliamentary democracy, Obama would lose a vote of non-confidence and be out of office.) Its point was to give the appearance of firmness and purpose, i.e., leadership.

You could sense that Obama had been dragged unwillingly into this new unproclaimed war. Which was reminiscent of Obama’s speech five years ago announcing the surge in Afghanistan. In the very next sentence, he announced a fixed date of withdrawal. Then added, lest anyone miss his lack of enthusiasm, “The nation that I’m most interested in building is our own.”

Meaning, not Afghanistan

At the time, I called it the most uncertain trumpet ever sounded by a president summoning the country to war. I fear the campaign against the Islamic State will be a reprise.

Even the best war plans run into trouble. This one already suffers from a glaring mismatch of ends and means ― and a grand coalition that is largely fictional. Difficulties are sure to come. How will the commander-in-chief, already reluctant and ambivalent, react to setbacks ― the downing of the first American pilot or perhaps a mini--Tet Offensive in Baghdad’s Green Zone engulfing the U.S. embassy?

On that day, we will need a steady, determined president committed to the mission. Do we have one even now?

 

― Charles Krauthammer is a nationally syndicated columnist. (c) 2014 The Washington Post Writers Group

 

 ※出典

【The Problem with Obama’s ISIS Strategy】 Charles Krauthammer

http://goo.gl/EPQxPS

 

オバマのISIS戦略の問題


その集団に対する大統領の戦争計画は、目的と手段の明らかなミスマッチに苦しんでいる。

チャールズ・クラウトハンマー

イスラム国家演説のなかで、オバマ大統領は多くの正しいことを述べています。最も重要なことは、大統領が最終的に敵を劣化させ、破壊するミッションの権利を得たことである。

これだけで、おそらく彼に過去最低水準まで低下してきた世論調査において支持の拡大を得ることになるだろう。しかし、彼の戦略的な問題が残っています。:(公表された)目的と手段との間の断絶があることである。

彼 は、イラクへの475人のアメリカ人顧問を追加して送っている。彼は空爆を拡大すると言っているが、それは単なる信認に過ぎない。現在の空爆は、ちょうど いつもアルビルに米国の人員を保護し、山頂にアジズ人たちを救い出すことを認めるぐらいのものである。それは、地元のクルド人とイラク人の歩兵に空から支 援を与えるうえで決定的だった。

演説の唯一のニュー スは、シリアへの空爆を展開して、(最終的に)真剣に世俗的な反対勢力に武装させることを約束したことである。しかし、これは、オバマにとって大きな問題 を作りだす。ほんのひと月前までは、彼は、非ジハード主義反政府勢力のことを、「医師、農民、薬剤師たち等々」の集まりに過ぎないなどと嘲笑していた。い まや彼は私たちのシリア突撃隊としてそれらに代理させている。そうして彼は最終的に彼のシリアの戦略を見出したようだ。F-16 が戦車内の「薬剤師」の ために航空支援に飛んでいる。

心配していない、と大統領は言った。私たちは、他にも多くの支援がある、このテロリストの脅威を巻き返すために広範な同盟をもつだろう、と。 彼はその時、たった一つもこの確かな会議の名前を挙げることもなければ、およその数すら提供するところまで行かなかった。

イ ラクに単独で向かったジョージ・W・ブッシュ元大統領を民主党は非難するのがつねである。米軍の軍事歴史センターによると、ブッシュ大統領は我々と伴にす る37カ国を持っていた。彼らは、25,000人以上の軍隊を送った。これまでのところ、オバマ氏は、 NATO加盟国の八カ国に加えてオーストラリアの九カ国の同盟を持っている。これらのうちの一体どれだけ多くが、あるいは、または私たちの背後にあっても てはやされているアラブ連合がどれだけ軍隊に貢献するとあなたは考えるだろう?

そして、この空爆は何に似て見えるだろうか?イラクやアフガニスタンではなく、大統領は国民に自信を持たせました。ソマリアとイエメンがそのモデルになるだろう。

彼は真剣だろうか?第一に、比較すべき何の尺度もない。今年は、イエメンで16回の、ソマリアの2回の空爆が見られた。 2つです!そんなものはあっても針を刺したようなもので、カウントさえされません。

第二に、比較する標識がありません。イエメンとソマリアは戦略的に重要ではない。イスラム国家は石油が豊富なメソポタミアの中心に広大な領域を支配している。そして、中東で重要な国のすべてを脅しています。

第 三に、それらは我々が模倣したい結果だろうか?イエメンとソマリアは野蛮な反乱が活発で、安全でない不安定な失敗した国家である。そして、これまで今まで 見たどれとも異なるテロの脅威と政府自体が呼んでいるイスラム国家を、弱化させて最終的に破壊することがもし目標がであるとしても、我々は折々に不合理で 不十分な戦略で、無人機によって指導者を狙い打ちにしているだけである。

そ の戦略の気の乗らない内容の向こうにあるのは、その作者(オバマ)の冷淡な気持ちだ。オバマの不承不承とためらいは明らかである。オバマは世論によってこ うした演説を行うように駆り立てられる男だ。首を切られた二人のアメリカ人がテレビで放映されるとともに、状況は根本的に変わった。すべての世論調査で は、何かが為されるべきこと、誰かがリードして行動することをアメリカ人が圧倒的に望んでいることをあらゆる世論調査は示している。

そ れゆえに、水曜日のスピーチである。戦略的であるより、その発端は政治的だった。その目的は、どん底にある大統領職の残骸を保存することだった。(これが 議会制民主主義であるならば、オバマは不信任の票?を失って、政権を失っているだろう。)演説の要点は、確乎としてあることと、目標(すなわち、リーダーシップの)見せかけを与えることだった。

この新しい宣戦布告のない戦争にオバマがしぶしぶ戦争に引きずり込まれたことを、あなたは感じとることができただろう。それはアフガニスタンで増派を発表す る5年前の、オバマ氏の演説を彷彿とさせるものだった。まさに次の宣言では、彼は撤退の期日を発表した。その時、彼の熱意の欠乏を誰にも見つからないように 「私が建設に最も興味を持っている国家は、我々自身のもの(国家)である。」と付け加えられた。

意味しているのは、アフガニスタンのことではない。

私は当時、その演説のことを、今までに大統領によって国に戦争を呼びかけて吹き鳴らされたトランペットの中で、最も中途半端のものと呼んだ。
私は、イスラム国家に敵対する空爆が同じことの繰り返しになるのではないかと恐れている。

最良の戦争計画さえトラブルに陥る。この戦争計画はすでに目的と手段の明らかなミスマッチの組合せに悩まされている。そして大部分が虚構である大連立。困難は必ずやって来る。すでにためらいがちで迷っている最高司令官は、挫折にどのように対応するのか。アメリカのパイロットの最初の撃墜、または、バグダッド の緑の地帯の米国大使館を巻き込むたぶん小型のテト攻勢か?

その日には、私たちは使命をゆだねられたまじめな断固とした強い意志を持った大統領を必要とするだろう。 私たちはそれを今にも持ちえているか?



チャールズ・クラウトハマーは全国的に同時に配給されるコラムニストです。 (c) 2014 ワシントンポスト著作家組合

 ※追記

おおざっぱな翻訳なので誤訳もあるかもしれません。先般ISISの手先によってアメリカ人が処刑される様子が動画で世界に流されたことを切っ掛けに、アメリカ国民の世論の流れが一気に「イスラム国」懲罰への支持と大きく動いたようです。

原則として、私は他 人のことを右派とか左派とか呼んで、そうしてレッテルを貼って他人の思想を固定観念や偏見で見て喜ぶつもりは毛頭ありませんが、それでも上記の小論の筆者 であるチャールズ・クラウトハマーはアメリカでは「右派」の論客として知られているようです。私には右派でも何でもない当たり前のことを言っているように 思うのですが。

極東の日本ではなかな分かりませんが世界の大国アメリカ国民の眼は今大きく中東に向いています。

その優柔不断によって
すでに多くの国民の支持を失いレームダック化し始めたオバマ大統領が、このアメリカ人の公開処刑を切っ掛けに、ISISに対して空爆のキャンペーンをはじめました。しかし、クラウトハマーは、オバマ大統領の戦略の中途半端さを見抜いています。

ISISを殲滅するには現在のオバマ大統領のような及び腰では駄目だというの です。目的と手段のミスマッチを主張しています。オバマ大統領の戦略の挫折を予測して、アメリカ人パイロットが撃墜され、イラクのアメリカ大使館がベトナ ム戦争時のように、イスラム兵の攻勢に巻き込まれる事態になったとき、オバマ大統領はいったいどのように対処するのか懸念しています。





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