農家 民宿 レストラン・あんすろーじ

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を目指す 日本一百性が似合わない二人の
生き生きしすぎてる・・・日常

親孝行の仕方

2011年04月05日 22時23分14秒 | 東日本大震災
おばんでございます~~~

東北自動車道も一般車が自由に走れるようになりました。

週末には多く他県車がICから下りてきました。

家族親族の安否確認やお見舞いなどに来られているんでしょうね…


月に一度山口県から田舎の年老いた父母の所にかよって来る息子さん。

新幹線が全線開通していないので山口から来る事がかないません。

病院受診の予約日でしたので、山口の息子さんの代理で
病院の付き添いをしてきました。

しかし検査結果はあまり思わしくなく、
急いで家族の方々と面会を希望される担当医。

始めは秋田空港までやって来て、レンタカーで一関乗り捨て・・・

山形空港から岩手まではやはり遠い。

高速バスの乗り換え…

色々な交通ルートを模索しました。




陸続きの日本。

少々距離が有っても、介護に通う事は可能であると思っていた。

しかし今回の災害は、初期には電話も通ぜず・・

両親の安否確認もままならず。

生活物資が手に入らず…(送ろうにも宅配便が動かなかった)

停電・断水による水運びなど…

田舎の爺ちゃん婆ちゃんだから乗り越えられたのだと私は思う。



話は元に戻ります。

息子は羽田空港から花巻空港までの臨時便が一席空きが有り

私達が迎えに行く事で、田舎に来る事が可能となりました。


帰りは高速バスの乗り継ぎで東京までそれから新幹線と…
(仕事の予定に間に合うでしょうか?)


親はいつまでも元気でいて欲しい…

親はいつまでも元気でいるもんだと思ってた…

只漠然とそう思っていた…


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私もそう思ってました。 (ひちゃたけ)
2011-04-06 22:05:07
うちは祖母と叔父に育ててもらいましたが、いつまでも自分自身の中の祖母は強く厳しくでした。
一昨年の亡くなる一ヶ月位前までずっとそう思っていました。
入院する前日に風呂に入れてくれと叔父に頼まれて帰った時、こんなにも弱くなっていたのだと年月を実感した事はありませんでした。
それでも気丈でいようとする祖母はうちの力を借りて風呂に入ろうとはせず、唯一足が浮腫んで上手く上がらない為、下着を脱がすはかせるだけの手伝いをしました。

自分も歳を重ねているのだから、祖母も歳を重ねていて当然。
でも何故でしょうか。
強いままでした。
弱いなんて…考えたくなかったのかも。

人は失ってからとかその寸前でないと大切さに気付きにくいですよね。
もっと、祖母が元気なうちに…。
恩返しをすれば良かったと未だに思います。
未だ祖母はうちの夢枕に立ちません。
叔父曰く、うちが弱ってない証拠だと言ってはくれますが、夢でも逢えないのは淋しい限りです。

短時間でも帰って来た息子さんは、本当に孝行ものですね。
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遠距離 (あみ)
2011-04-11 07:19:58
結局息子さんは地震の為帰れませんでした。

今回(今日も)木曜日の余震で帰れず今回も私が病院までお伴です。

男性なので仕事が優先されます。

私的にはちょっと複雑な気持ちです。

ひちゃたけさんのお婆ちゃん、可愛がってくれたんだろうな~。
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