ありゃーもう9月なのねー。夏も終わりやねー。さてさて、今週に入ってこれと言ったイベントのないワシ。なので今日は、音楽の思い出話でも・・・
かぐや姫というフォークグループがあった。
ほとんどの人の頭にあるのは、南こうせつ(本名:南高節)さんがメインボーカル&ギターで、伊勢正三(本名:伊勢正三)さんがリードギター&ボーカルで、山田パンダ(本名:山田つぐと)さんがベース&ボーカルの、いわゆる「二代目」かぐや姫であろう。実は、今となってはあまり知られていないのだが、このかぐや姫には「初代」がある。(余談だが、こうせつさんと正ヤンは、ワシの高校の先輩だったりする。)
山田パンダさんの代わりに大嶋三平さん、伊勢正三さんの代わりに森進一郎さんがいたのが、その初代かぐや姫である。このグループ、メンバーが変わってから「神田川」、「赤ちょうちん」、「妹」などのヒットを後日飛ばすとは思えないぐらいハチャメチャなグループであった。1枚出したアルバムが「レッツゴーかぐや姫」。そういや当時レッツゴー三匹というトリオ漫才があったなぁ・・・と思うぐらいベタなタイトル。
中身も「酔いどれかぐや姫」、「妻という名のかぐや姫」云々というストーリー仕掛け。ビートルズのアビーロードのB面もビックリというくらいの、コンセプトアルバム?であった。かろうじて、黒人兵士と村の娘の密かな愛を歌ったソフトな反戦歌である「あわれジャクソン」という曲があったりもするが、「雨は降る降る、布団はぬれる・・・越すに越されぬ安下宿」という、なんとも情けない歌いだしで始まる「変調田原坂」があったり・・・(ちなみに原曲は「雨は降る降る、人馬はぬれる・・・越すに越されぬ田原坂」という歌いだしである)しかも笑うのが、歌詞の多くがまだ売れる前の阿久悠(あくゆう)さんにより書かれたということ。あの阿久さんが、本当にこの歌詞書いたの?というぐらい、愉快な内容である。
実はワシ、この初代かぐや姫の大嶋さん(普段は三平ちゃんと呼んでおるが)に、中学時代からお世話になっておる。彼が大分弁丸出しでやっていた番組「ヤング・エクスプロージョン」(すっげえタイトル!ある意味時代を感じて格好いいかも)の収録スタジオに中学時代のワシはちょくちょくお邪魔し、頼まれもしないのに番組内でギターを弾いたりしておった。実に迷惑なガキだったと思う。そのガキの時代ってのはワシが12歳~13歳の頃の話だから、すでに30年前。「生類憐みの令」が日本列島を席巻していた頃のことである。(ウソ)
大分に帰るたびに三平ちゃんとは会っているような気がする。夜に都町(東京で言うと歌舞伎町であり、博多で言うと中州みたいなとこ)で一緒に飲むか、あるいは別府にある三平ちゃんの?別荘で温泉に入りながら飲んでいるかのどっちか。昨年、九州フォークジャンボリーに出演したときは、元かぐや姫のお二人と一緒に演奏する機会にも恵まれた。「恵まれた」とは実は社交辞令。ワシは初代かぐや姫のネタをいっぱい仕込んであったのだが、このオッサン達、昔の自分達の曲をちーっとも覚えちゃないのである。仕方ないので、ジローズ(二郎さんのグループ)の「戦争を知らない子供達」を一緒に演奏したのだけど、結局彼らが歌ったのはコーラスだけ・・・考えてみれば、初代かぐや姫をバックにリードボーカルやったようなものなので、それはそれで気持ちよかったけどねー。
写真はワシ(中央)と初代かぐや姫の森進一郎氏(左)同じく大嶋三平氏(右)
かぐや姫というフォークグループがあった。
ほとんどの人の頭にあるのは、南こうせつ(本名:南高節)さんがメインボーカル&ギターで、伊勢正三(本名:伊勢正三)さんがリードギター&ボーカルで、山田パンダ(本名:山田つぐと)さんがベース&ボーカルの、いわゆる「二代目」かぐや姫であろう。実は、今となってはあまり知られていないのだが、このかぐや姫には「初代」がある。(余談だが、こうせつさんと正ヤンは、ワシの高校の先輩だったりする。)
山田パンダさんの代わりに大嶋三平さん、伊勢正三さんの代わりに森進一郎さんがいたのが、その初代かぐや姫である。このグループ、メンバーが変わってから「神田川」、「赤ちょうちん」、「妹」などのヒットを後日飛ばすとは思えないぐらいハチャメチャなグループであった。1枚出したアルバムが「レッツゴーかぐや姫」。そういや当時レッツゴー三匹というトリオ漫才があったなぁ・・・と思うぐらいベタなタイトル。
中身も「酔いどれかぐや姫」、「妻という名のかぐや姫」云々というストーリー仕掛け。ビートルズのアビーロードのB面もビックリというくらいの、コンセプトアルバム?であった。かろうじて、黒人兵士と村の娘の密かな愛を歌ったソフトな反戦歌である「あわれジャクソン」という曲があったりもするが、「雨は降る降る、布団はぬれる・・・越すに越されぬ安下宿」という、なんとも情けない歌いだしで始まる「変調田原坂」があったり・・・(ちなみに原曲は「雨は降る降る、人馬はぬれる・・・越すに越されぬ田原坂」という歌いだしである)しかも笑うのが、歌詞の多くがまだ売れる前の阿久悠(あくゆう)さんにより書かれたということ。あの阿久さんが、本当にこの歌詞書いたの?というぐらい、愉快な内容である。
実はワシ、この初代かぐや姫の大嶋さん(普段は三平ちゃんと呼んでおるが)に、中学時代からお世話になっておる。彼が大分弁丸出しでやっていた番組「ヤング・エクスプロージョン」(すっげえタイトル!ある意味時代を感じて格好いいかも)の収録スタジオに中学時代のワシはちょくちょくお邪魔し、頼まれもしないのに番組内でギターを弾いたりしておった。実に迷惑なガキだったと思う。そのガキの時代ってのはワシが12歳~13歳の頃の話だから、すでに30年前。「生類憐みの令」が日本列島を席巻していた頃のことである。(ウソ)
大分に帰るたびに三平ちゃんとは会っているような気がする。夜に都町(東京で言うと歌舞伎町であり、博多で言うと中州みたいなとこ)で一緒に飲むか、あるいは別府にある三平ちゃんの?別荘で温泉に入りながら飲んでいるかのどっちか。昨年、九州フォークジャンボリーに出演したときは、元かぐや姫のお二人と一緒に演奏する機会にも恵まれた。「恵まれた」とは実は社交辞令。ワシは初代かぐや姫のネタをいっぱい仕込んであったのだが、このオッサン達、昔の自分達の曲をちーっとも覚えちゃないのである。仕方ないので、ジローズ(二郎さんのグループ)の「戦争を知らない子供達」を一緒に演奏したのだけど、結局彼らが歌ったのはコーラスだけ・・・考えてみれば、初代かぐや姫をバックにリードボーカルやったようなものなので、それはそれで気持ちよかったけどねー。
写真はワシ(中央)と初代かぐや姫の森進一郎氏(左)同じく大嶋三平氏(右)