ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

大塚博堂さんの思い出~もう子供でも鳥でもないんだから

2005-09-06 20:11:56 | Weblog
このところ、双子座大型さんのご登場で、大塚博堂(おおつかはくどう、本名:ひろたか)さんの話が何度か出てきたので、今日は博堂さんの思い出を語ることにしよう。

あれはワシが確か13歳の頃。既に大分の放送局OBSにギターをかかえて出入りし、当時、一つの番組名で全国各地でローカル制作していた番組「たむたむたいむ」(確かスポンサーは松下電器だったと記憶している)のローカルコマーシャルソングを歌ったりしてた。VIC音楽総合企画という音楽事務所の社長や、元かぐや姫(9月1日のエントリ参照)の大嶋三平さんたちにお世話になりながら、いろんな歌番組やイベントで「お仕事」をもらい始めた頃だった。

「ハートフルな男が独り」というキャッチが書かれたフライヤーを、ある日事務所で見せられた。それが博堂さんとの最初の「出会い」である。最初のワシのリアクション。

「えーっ?32歳でデビュー?おっさんやん」・・・すみません。
「なになに?デビューシングルは『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』?ダスティン・ホフマンって誰?」・・・すみません。
「ふむふむ、別府市出身かぁ・・・」ってな具合。

そしてダスティン・ホフマンとは誰かわからぬまま『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を聴いたワシ。でもまあ中坊に簡単にわかる曲じゃないわな。ただ同郷(正確にはワシは大分市出身であるが)ってこともあって、記憶に強く残ったワシは、ファーストアルバムを買ったのだ。当時、ワシはフォークにどっぷりつかっておった。博堂さんの歌は、一つのジャンルでくくることに違和感を感じる、いわゆるフォークとは少し違った深さを感じたのを覚えている。

そして・・・当時、改装中でイベント会場として貸し出していた、大分駅前の長崎屋の生鮮食料品フロア(B1)で、博堂さんのデビューライブを見たのは、確かそんなことがあった直後のこと。博堂さんはマーチンの00タイプのアコギ。そしてリードギターの方は確かフェンダーのストラトを弾いてたと記憶してる。ただ、いかんせん30年も前の話である。ワシの記憶が正しいかどうかはわからんし、今となっては検証する手立てもない。

『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』、『あなたという名の港』、『新宿恋物語』、『一冊の本』と、ファーストアルバムからの曲を立て続けに演奏されてた。ワシの感想「シブイなぁ、格好いいなぁー、大人だなぁー!」。そう、ワシはまだ毛も生えそろっていない(どこの?)無邪気な少年であったわけだ。ライブが終わったあとに、少しお話させてもらった記憶がある。が、何をしゃべったかは残念ながら記憶していない。博堂さんとしゃべったのは、結果的にはこれが最初で最後となった。

その後の博堂さんの活躍は、博堂さんの甥にあたる大塚郷さんが作ったホームページ(http://www6.ocn.ne.jp/~go-o/hakudou1.html)に詳しい。ワシの記憶に強烈に残っているのは『悲しみ通せんぼ』を「夜のヒットスタジオ」で熱唱してた博堂さんである。唄う博堂さんを前方からクレーンカメラで追いかけてた映像は、今でも頭に残っている。その後、何かの授賞式のTV中継(だったと思う)で、博堂さんが『もう子供でも鳥でもないんだから』を唄ったのを見た。そして、それがワシが見た最後の博堂さんの姿だった・・・

1981年5月18日、博堂さんは脳内出血でこの世を去った。享年37歳。デビューからわずか5年余り。あまりにも早いスピードで駆け抜け、博堂さんは風になったのだ。Only The Good Die Young(早死にするのは善人だけ)とは良く言ったものである。ワシが心より尊敬するフレディー・マーキュリー(そういえば昨日が誕生日だったかも)、少なからず影響を受けた村下孝蔵さんやジョン・レノンそしてジョン・デンバー。みんな、まだこれからって時に亡くなってしまっている。なんだか、ミュージカルWe Will Rock Youのワンシーンのように、自分の中で彼らの残像が見え隠れするような気さえする。

ところで、大分は都町に「B-Flat」というお店がある(写真参照)。いわゆるスナックのようなお店。だが、グランドピアノ、ドラム、ベース、ギター、パーカッションと全て揃っているお店で、マスターの渡辺さんはミュージシャンである。ワシは大分に帰省すると必ずこの店にお邪魔するのだけど、いつもマスターと二人で演奏する。(興に乗れば、他のお客さんのためにピアノやギターで生カラオケもやっちゃう。)その店で、必ず歌うのが博堂さんの『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』。ワシはキーが高いので、普段この曲はEm(ホ単調)で唄うのだが、この店ではいつもオリジナルキーのCm(ハ単調)で唄う。さすがに大分では博堂さんを身近に感じる人が多く、いつも何人かは一緒に口ずさんでる。

そう・・・唄は永遠なのだ、それを作った人がいなくなっても・・・
Comments (6)
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