雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

”気が利かない”と捉えるか、”普通のこと”と捉えるか。

2024-01-12 23:30:04 | 仕事

ニュースを観ていたら、能登地震の被災地は過去の大震災と比較すると復興が遅いと。

それは勿論最重要の救出救援救護もさることながら、その後の医療であったり食料品や生活必需品、

そしてライフライン、全てにおいてで、衝撃がそれ程激しかったということも原因のひとつらしい。

お水が無いのは辛いだろうな・・・。明日は雪が降るそうだ。

私は自分で勝手に、半島だからかなと思っていた。要は四方八方からのアプローチが出来ないから。

船使っているのだろうかとか考えたりもしたけれど、そんな私が考えるようなことはとうに知識人が

やってるよね。

ケチな政府。1人20万円『貸します』じゃなくて『差し上げます』にすれば?と思うよ。パーティー券の

キックバックを1億円も貯め込んでる人いるんでしょ?政治家貰い過ぎ・ズルいことし過ぎなんだから。

こういう時にパーッと、私財(元を正せば、そうとも言えないと思うが)投げ売って困っている人たちの

少しでも役に立てばどうなのさと、私は思いますけどねぇ。1億円で500人分だ。気前良く寄付したら

評価上がるかもよ。しかし政治家は誰もそんなことしないだろうね。ケチだもの。金の亡者だもの。

政治家なんて、国民のことなんか考えてないのよ。自分さえ良ければいいのよ。ったく・・・。

被災者の方たちが、1日も早く少しでも楽になるようにと願っている。

 

私は昨日は静岡、今日は群馬県に泊まりの出張だった。

静岡は新年の挨拶がてらだったが、3軒回ったうちの2軒目で昨年末の改修工事がきちんと終わってないと

指摘され凹む落ち込む。というより”愕然と⤵”の方が正しいかも。新年早々上手く行かないものだと、

仕事、気を引き締める。

 

書きたかったメインは今日の話。

商社さんと高崎駅で待ち合わせだった。駅でレンタカーしますと聞いていた。早めに着いたが、商社の営業さん

(電話やメールは何度も。Web会議もやっているが実際に会ったのは今日が初めて)同じ新幹線だった。

私はてっきり、先に来て車借りた後、私と待ち合わせだと思っていたのだが、駅から歩いて5分ほどのところへ

一緒に行く。私にしたら”ふうん・・・”だった。まあ、私らメーカーからしたら商社さんはお客さんになるので、

文句は言えないが、本当に”ふうん・・・”だわ。

それから昼食。私は誰かと食事する時、相手や周りの人のスピードを見ながら自分も食事する。家族以外で

特に仕事中は。早い人には自分も早く食べて待たせないようにするし、ゆっくりの人には自分もゆっくり。

その人何も考えてなさそうだった。やたら時間掛かったわ。若いのに感覚がよく分からない。

ま、時間も余裕があったからいいんだけれど。

お客様に面会して名刺交換。『あっ!車に名刺置き忘れてきた!』あのねぇ・・・営業が名刺忘れるって

どういうこと?と私なら思うよ。後で取りに行ってたけど。

打合せが終わってパソコンやカバンを片付けるのも、私は凄く急ぐ。ぐちゃぐちゃでもいいのでさっさと仕舞う。

お客様や同行者を待たせるのがイヤだから。それは今の仕事を始めた時の師匠が超厳しい人だったので、そのせい、

いや、お陰だ。その人、私よりかなり時間が掛かったわ。”まだかいな・・”と思いながら待ってた。

打合せの後現場確認もしたのだけれど、その時もレイアウトをあーだこーだと言いいながら、なかなか締めようと

しない。内心 ”アンタが決めるこっちゃ無いよ””さっさと終わろーぜ”と私はイライラ。

『こちらで最適案を考えますので』『もう現場は結構なので終わりにしましょう』と、ピシャリ!と言ったわよ。

彼は東京支社から来ているので、東京まで帰ればいいだけだが、私は大阪まで帰らなければならない。

そこんとこ考慮してくれてる?してないよね、多分。用が済んだらさっさと帰ろうぜ!だらだら長居は無用よ。

で、又車に乗って高崎駅に来たが素通り。”えっ!?ここで降ろしてくれるんじゃないの?”

再びレンタカー屋さんへ一緒に。『先にここで降りて先に帰って下さい』と言って欲しかったなぁ。

特に親しい訳でも無いし、仕事以外に話がある訳でも無い。72歳のおばーさんを(72歳とは思ってないだろうが

60歳過ぎ?位には思っているはず)歩かせて付き合わせますか・・・と思った次第。

これを気が利かないと言うか気が回らないと言うか、と捉えるか、これが普通でしょと捉えるか。

どうなんだろ?私がワガママなのか?

車返却して駅に辿り着いたら、『在来線で帰る』とか言い出して”好きにすれば!?最初から一緒に新幹線

乗る気もなかったのなら、尚のこと先に帰らせてくれよ~”と思ったものでした。

倹約するんでしょうね。在来線乘って帰って、会社への申請・請求は新幹線でするんでしょうよ。

それは別に咎めないけどね。若いんだから少しでも浮かせたいんだろうから。

でもその人、レスポンスは早い方だし、真面目って感じ。そこは良いかなと感じている。

一緒に仕事するんだから把握しとかなくっちゃ。色んなタイプの人がいるなぁと。面白いよ。


『二十歳の君へ』そして『青い薔薇』

2024-01-10 13:45:00 | 社会

毎年成人の日を迎える若者に、サントリーが伊集院静さんの『二十歳の君へ』と題する言葉を

贈っていた。

伊集院静さんが亡くなった今、どうするのだろう・・・?と案じていたが、どうも昨年にお創りになった

ものが載っていたみたいね。当日、テレビでは別のものを観たので、やっぱりもう無いのね・・と思って

いたのだけれど、良かった。

あの、伊集院静さんの毎年若者たちに贈る言葉を楽しみにしていたので、これからは寂しいわ。

さすがいい文章だな・・・と惚れ惚れするような珠玉の言葉たちだった。本になって出版されているらしい。

被災地で20歳を迎えた人も居ることだろう。言葉に言い尽くせないほどの悲しみの中に居る人も居るかも

知れない。

でも、これからの人生を自分らしくたくましく生きて行って欲しいなと、関係ないおばさんは思うのですよ。

 

サントリーと言えば”青い薔薇”  あるところで”青い薔薇”という言葉を見たのでね。

青い薔薇はこの世に無いと言われていた。自然界では無理なんだそうだ。後で吸い上げての着色は出来るが。

それをサントリーは長年に亘って研究を重ね、DNAの改良で”青い薔薇”を生み出した。

まだ完全に”青い”といい切れるほどではないかもだが。

かつて、”青い薔薇”の合言葉は『不可能』『存在しない』だった。

それが今は『夢かなう』『奇跡』『神の祝福』なんだそうだ。

不可能を可能にする努力はいかばかりのものかと思うが、それが奇跡を生み夢が叶い、神の祝福まで頂けると

したら、なんと素晴らしいことよ!花言葉まで替えてしまうなんて!と単純な私は思う。

 

そうよ、若い人は何をも諦める必要なんて無い。与えられた時間はいっぱいあるのだもの。

それをどう使うかは自分次第。これからの人たちが夢や希望を持てる社会であるように。

そして努力すればしただけの結果が不公平無く理不尽無く与えられる世の中であるようにと、

残り時間が段々減ってくるおばちゃんは思うのですよ。

 

ああもっと若かったら、能無しのヘタレの政治家たちを蹴散らして、政治家を目指していたかも知れない。

いや、若い時にもっと必死になって勉強して、研究者かも。いやいや、やっぱりスーパー営業ウーマンか?

もしかしたら、家庭の主婦に収まって、良い妻・母を理想としていたかも!なーんてね💧

アホみたいなこと考えている私でした(^_^;)

遅らばせながら、新成人おめでとう!


”完璧な人”なんて居ない

2024-01-08 19:29:20 | 社会

ある方のところで”完璧”という文字を見た。2度目である。以前にも少し書いたけど。

私は、機械関係の仕事をしているので”完璧”という言葉には結構敏感だと思っている。

何故なら・・これは私の持論なので、正しいかどうかは判らないし、そもそもが正しい正しくないと

言う評価が当て嵌まるのかさえもわからない。

私の考える”完璧”の話。

人間が造るものに”完璧”は無いと思っている。それは物理的な話。少しの狂いも許されないはずの宇宙工学でさえ

”パーフェクト(完璧)”は無いのだ。計算し尽くされたとしても、それは99.999999・・・という天文学的な数字で

あっても、100%ではない。何度も何度も研究や実験や計算を重ねても、何億万分の1でも上手く行かないことがあれば、

それはもう100%のパーフェクトではない。99.9999999・・・で宇宙にロケットなどを飛ばしているのだと思う。

 

日本語で言うところの完璧と完全は、私はパーフェクトとコンプリートと解釈している。

コンプリート(完全)よりパーフェクト(完璧)の方が精度は高いと言うか、出来の善し悪しで言うと

上という捉え方。実際の英語でどういう解釈か詳しいことは知らないが。

 

私が考える”パーフェクト”というのは、芸術の分野などでは有り得るとは思う。

例えば絵画であったり音楽であったり演奏であったり舞踊であったり書であったり。

要は、観る人聴く人感じる人に依って評価が分かれるもの。ある人にはとてつもない感動を与えるもの。

そこには数字で表れる”正解”というものがない。

夫々の人の感性に訴えるもの。ある人はパーフェクトだ!ブラボー!と言い、ある人はそうでも無いという。

好き嫌い・感じ方、色々あるものね。ある人にとって完璧なら、それでいいのだ。

数学みたいに正解が一つしか無い、割り切れるもので満点取ったら完璧(パーフェクト)だけどね。

 

そして人間のこと。

完璧な人、完全無欠な人って居るの?という話が前にも出たが、誰がみるか?誰が感じるか?に依っても

多分違うよね。非の打ち所がない美人だハンサムだと言っても、そういう顔が好きじゃない人も居るかも

知れない。性格が良い、最高だ!と言っても、そう感じない人も居るかも知れない。

だから万人が認める”完璧な人”なんて居ないんだと思う。夫々が完璧だと感じていれば良いんじゃないかと。

そもそも、何をして”完璧”と言うの?どういう人であれば完璧なの?

逆に完璧な人なんて気持ち悪くない?完全無欠なんて。少し位、ヘボいところがあってもいいんじゃない?

出来が悪くったって、それも一つの個性であり可愛げだったりすることもある。人間らしくっていい。

完璧な旦那さまと暮らしていたら、肩凝るだろうな・・・。そんなことを考えた。

 

”完璧”という言葉は、滅多矢鱈 気軽に使う言葉じゃないと思う。

世の中にパーフェクトなことなんて、そうそう無いと思う。0.000000001・・・が 0にならなければ完璧とは

言わないのだから。

『あなた完璧な人ですか?』なんて、人に問う?

私聞かれたら『完璧じゃないですが、それが何か?完璧じゃなければ人として何か問題?』って聞くよ。

誰が誰を評価するの?

あ、世の中に、パーフェクト!と思えるほど、息を呑むほどに美しい、自然界の生き物はあるよねとは思う。

”完璧”という言葉に異常に敏感に反応する私でした💧


海保機とJAL機の事故。責めるんなら国を責めて

2024-01-04 11:29:18 | 社会

こんな風に思い、こんなことを書く人が居るんだ・・・と信じられない気持ち。

ざっくり言うと

  海保機の機長がの説明をしている。己の保身しか考えていない。

  事故原因の張本人は”海保機の機長”。自分はいち早く機外へ脱出して被害を免れたが

  自分のことだけで無く、他の人のことも考えて適切な対応をとっていたら5人も助かったかも。

  事故原因の中心人物として、この行動は如何なものか。

というもの。しかし見直しに行ったらそのコメントはもう消えていた。削除されたのか見当たらなかった。

 

今、機長はどんな思いでいると思う?やけどで重症とのことだが意識はある。

尋常じゃない苦悩の中だと普通なら想像出来る。

勿論、どこかでミスが有ったからあの重大事故なのだが、機長の責任か!?

それを言うなら、あんな殺人的ラッシュの空港で、地震の救援物資を届けさせる為に彼らに指示を出した

国や海保はどうなの!?そこに責任はないとでも?国に責任はないのか!?

もう、何往復もしていたと読んだ。どれほどの疲労・疲弊だったことだろう。

ただただ任務を果たそうと、被害に遭った方たちに一刻も早く物資を届けたい。その一心だったに違いない。

頑張っていたに違いない。そんな彼らを責めるのは違うだろ。よくもそんなことが言えるなと、

はらわたが煮えくり返る思いだ。

 

事故の原因を究明するのは勿論大事。今後のためにも必要だと思う。でも、誰かを責めて何になる?

それで殉職した5人の方たちが戻るのなら、機長は甘んじてその責めを受け入れるだろう。

彼らがどんな状況で日本の国を国民の1人1人を守ろうと日々努力精進しているか知らないはずはなかろうに。

機長は『爆発した』と言った。あの海保機に乗っていた6人の方々は、JAL機がぶつかったとは誰も思って

無かったと思う。自分たちが離陸の為に出た滑走路に、JAL機が着陸して来るなんて夢にも思ってなかった

だろう。そんな状況だったように思う。

万一、受け取り方に誤解があったのだとしても、機長1人が悪い訳じゃない。

管制官もギリギリのところで任務を果たしていることだろう。

責めたいのなら国を責めて。この国を、日本というこの国を。そしてその代表たる◯◯大臣を責めて。

もっと上の人たちは責任感じるべきだ。こんな重大事故。ヘラヘラしてんじゃないよ。そうとしか思えない。


海保機とJAL機の事故。私が勝手に思うには・・・

2024-01-04 09:50:54 | 社会

元日は、地震の揺れの後 慌ててテレビを点けると、いきなりの『高いところへ逃げてくださいっ!』の

大声の連呼だった。驚いた。

2日夜、ニュースを観ようとテレビを点けた途端、いきなり火の海の画面だった。又驚いた。

何?何?何?一体何が起こっている?と訳分からなかったが、海保機とJAL機の事故だと知って衝撃だった。

燃えているのは飛行機だった。

新年早々、一体何が起きているの?いたたまれない災害と事故が続き、日本どうした!?大丈夫か?と

暗澹たる気持ち。

 

JALの乗客乗員が全員無事だったことは幸いだった。奇跡だ!と海外でも絶賛されている。

でもでも・・・祈っていたけど海保の方たちが亡くなった。

そりゃそうだろう。あんな大きな飛行機に衝突されれば、物理的に考えて小さい方はぶっ飛ぶだろう。

海保機は、地震関連の物資を運ぶところだったと。精鋭たちの命がけのミッション。気の毒過ぎる。勿体ない。

最初の会見の国土交通省の航空局長とやらは、とても感じが悪かった。笑いも有った。信じられない。

昨日は国交大臣の交信記録の発表・報告もあったが、どうしてもっとキリッと悲痛な顔にならないのか?

頬が緩んでいるように見える。理解出来ない。

 

衝突前後の交信記録とかが発表され、どうも海保の聞き間違い?理解が違う?みたいなことになっているが本当に?

私が理解出来ないのは、交信記録に有った次のやり取り。

  17:45:11 JA722A(衝突した海保機): タワー、JA722A C誘導路上です。

       東京タワー(管制塔): JA722A、東京タワー、こんばんは。1番目。C5上の滑走路停止位置まで

                  地上走行してください。

  17:45:19 JA722A(衝突した海保機): 滑走路停止位置 C5に向かいます。1番目。ありがとう。

 

滑走路停止位置というのは滑走路上のことじゃないの?ということ。

C5上の滑走路停止位置というのが誘導路上だと言うなら、どうして滑走路停止位置と言うのだろう?

誘導路停止位置にすれば良いのでは?と素人は思う。ま、これ全部英語だし、専門用語だろうから

解らないながら勝手に言っているのだが。

海保の方は誘導路上だと最初に言い、管制塔に言われ 滑走路停止位置に向かいますと言葉が変わった。

ここがポイントでは?これが誤解のもとでは?海保はその時、滑走路上の停止位置、つまり離陸の位置に

向かい離陸の態勢に入ろうとしたのでは?と私なりに考えた。

海保の機長は離陸の許可をもらったと言われている。でなければ、どうしてこんな違いが生まれるのだろう?

知識も無く実際のところは解らないのに言っているのだが、何だか海保が間違っているような論調ばかりで

海保が気の毒だという思いがある。誰が悪いとかではなく。

海保機の方は当たられて一瞬にして爆発だよね。海保の次長が会見で言われていたように、痛恨の極み。

仰る通りだと思う。

 

能登の地震の被害もどんどん大きくなっている。倒れたビルの下には普通のお家が在って、

下敷きになってぺちゃんこに押し潰されていた。別のところでは帰省している子どもさんが、

1階が潰れて下敷きになっているって、お父さんが言う。言葉もない。

 

神様は居るのでしょ?だったら何とかしてよ。日本助けて欲しいわ。

悲しむ人が1人でも少なくなるように・・くらいしか、祈ることしか、出来ない。

くりさんを見習って、私もさとふるで能登地震の寄付申し込んだ。悲しいお正月だ。