雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

大相撲の思い出。昔が懐かしい

2018-10-14 13:09:58 | 日記
大相撲元横綱の輪島さんが亡くなって、益々大相撲が遠くに行った気がする。
黄金の左に金色の回し。懐かしい。

私の、大相撲との付き合いは結構古い。
祖母がお相撲大好きで 欠かさずテレビ観ていたので、一緒によく観た。
千代の山まで知っている。千代の山も栃錦も若乃花も強かった。朝潮も好きだった。
ところどころ飛ぶが、大鵬・柏戸・輪島・貴ノ花、その後は北の湖・千代の富士、そして
貴乃花へと続くのだ。

私はどちらかと言えばあんこ型はあまり好きじゃなくて、大鵬より柏戸だったし、輪島・貴ノ花は
どちらも好きだったし、最終的には貴乃花光司しか居ない。
高見山・曙・武蔵丸・小錦ら外国人力士たちも嫌いじゃ無かったよ。彼らは今のモンゴル勢とは
全然違ったし。曙は貴乃花に勝つと憎々しかったが(笑)。
北の湖は本当に憎いほど強かったが、やはり堂々とした昭和の大横綱だ。
そして千代の富士も凄かったが、北の湖とは又違う感じで、千代の富士は私の中では
”チャンピオン!”というイメージの様な気がする。
みんな寡黙で、ペラペラしゃべるお相撲さんなんて居なかった。
ましてや外国人勢でも”相手にキス”?”土俵にキス”?なんて・・・・。有り得ない。
日本の大相撲なのに。何考えてんだか。そしてそれを誰も咎めないと言うね、おかしな構図。
罪を犯して辞めて行く人間にね。あのイベントね。平成の大横綱を追い出しといてね。
腐った相撲協会。早く潰れろ。

自分自身直接では無いけれど、周りには大相撲と結構縁のある人が居た。
小学校の時、仲の良かった友だちの家は大きなお寺だった。その頃の花籠部屋が大阪場所の時に
宿舎にしていた。
お寺の庭には立派な土俵があり、お相撲さんたちの泊まる別棟があり、台所にはかまどや、大きな
大きなお釜がいくつもあった。
友だちが赤ちゃんの時、初代の若乃花(貴乃花の伯父さんになる人)に抱っこしてもらっている
写真もあった。

中学高校時代の部活の2年先輩に、それはそれは綺麗でスタイル抜群の憧れの人が居た。
あの時でも今でも十分、女優さんに、それもトップクラスの女優さんになれるのでは?と思う位
美しい人だった。高校生の時で既に色気あったな・・・。勿論清楚な品のある色気ね。
お寿司屋さんのひとり娘だった。
その人は何故?どうして?知り合いになったのかは知らないが、先代の貴ノ花と仲が良く、
”満ちゃん”と呼んでいた。時々お寿司を食べに来ていたそうだ。
多分その先輩と貴ノ花は同い年だったと思う。古くからの友だち?みたいな感じだったな。

そして父の友人が、多分”北の湖”だったと思うが、贔屓にしていて”タニマチ”やっていた。
最初の頃は部屋があまり豊かでなかったらしく、お米だのお酒だのお醤油だのをいっぱい差し入れ
して喜んでもらっていたと。食べる量が半端ないので助かると。
ところが北の湖が強くて、どんどん出世して行くと”もうお米やお酒は結構ですので・・・”と
言われ出したそうだ。つまり、もうお金でいいよってことかな。
その人、笑って言ってたけど。

今も友だちのお兄さんはお父さんの代からの東西会の会員している。
何度か観戦、誘ってもらったが私は都合が付かず行けてない。土俵のすぐ下辺りで観られる
そうだ。他の友だちは入れ代わり立ち代わり、大阪場所(春場所?)観に行ってるよ。
勿論昔は升席だけれど何度か観に行ったことはある。
藤島部屋の多分打上げのパーティー?の時のお土産だと思うがバスタオルがある。
そのバスタオルには力士たちの名前が書いてあり、”貴花田”であり、”若花田”だ。
憎っくき安芸ノ海の名前もあるわ。大阪後援会と書いてある。
そして昔の父のお土産だが”不知火諾右衛門”という、調べるとあまり強くなかった横綱土俵入の、
浮世絵っぽい絵が中に書いてある大きな鉢?食器を持っている。大きさも形も色も好きで、よく使う。
そんな私のお相撲関係の思い出。

そんなこんなも、相撲が好きで、そして贔屓の人が居て、こそ 興味もあれば関心もあり
好きにもなれるということ。
元貴乃花部屋の力士たちには頑張ってもらいたいが、興味は薄れてるよ。
今の相撲協会はクソだから。
昔の大相撲が懐かしい。


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