虹の彼方に ~ over the rainbow ~

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「スミス伝説」 後期編

2008-11-03 01:56:29 | The Smiths / Crowded House


ご訪問してくださり、ありがとうございます




「なんかオレ達さ…短い間に、すごい駆け足で来ちゃったよな…」 

「そうだな…」 「ここらで、少し休もうか…」 




ザ・スミスが所属していた、ラフ・トレードとの契約をめぐる紛争で、アルバム『 The Queen Is Dead 』は、

発売が大幅に遅れ、また、メンバーは、バンドの多忙なスケジュールをこなさなければならず、イギリスのメディアは、

バンドのゴシップ記事を書き立てました…。


アメリカでの、レコード各社による契約争奪戦があったにもかかわらず、セールス的には、思ったほどの反響はなく、

バンドのメンバーは、燃えつきかけ、ストレスを抱えていたようです…。


ジョニー・マーは、後にNMEとのインタビューで、

「当時のことは『不調』という言葉では半分も言い表せない。僕はものすごく病気だった。ツアーが完全に終わるまでには

ちょっと…危険な状態だった。僕は自分を抑えられる以上の量の酒を飲んでいた」と語っています。


'87年には、アルバム『THE WORLD WON'T LISTEN』が発売されました。モリッシーはこのタイトル(「世界は聴かないだろう」)

について、「メジャーな音楽ファンから、ほとんど知られていないことへの不満を、表したものだ」と、言ったそうですが、

『THE WORLD WON'T LISTEN』は、皮肉なことに、アルバムチャートで2位を記録しました。


一見、バンドは好調なようでしたが、メンバーの考え方の違いが、表面化してきて、特に、モリッシーとジョニー・マーの

間の緊張が、高まっていたそうです。


こうしたことから、バンドは分裂の危機にさらされていたのです。'87年に、ついに、ジョニー・マーが、バンドを去ることが、

発表されました。


抜け殻となったバンドは、ジョニー・マーの代わりのギタリストの募集を、試みたようですが、

ザ・スミスの、最も重要な人物の1人である者の、代わりになれる者など、地球上どこを探しても、見つかるわけが

ありませんでした。

なぜなら、ザ・スミスは、ジョニー・マーであり、モリッシーでもあったからです。アンディや、マイクも、同じように。


メンバーの関係が悪化した原因について、ジョニー・マーが他のミュージシャンとの仕事を増やすのを、モリッシーが嫌がるように

なったことが、第一にあげられたようです。また、ジョニー・マーも、モリッシーの音楽的な柔軟性のなさに、いらだっていた

こともあるようです。


バンドが最後に揃ってセッションした、シングル『GIRLFRIEND IN A COMA』のB面の

『WORK IS A FOUR LETTER WORD』と『I KEEP MY HIDDEN』について、ジョニー・マーは「僕は『I KEEP MY HIDDEN』を書いたが、

『WORK IS A FOUR LETTER WORD』(シラ・ブラックのヒット曲のカヴァー)は嫌いだ。本当に我慢の限界だった。

僕は、シラ・ブラックの歌を演奏するために、グループを作ったんじゃない。」と、語っていたそうです…。


近年になって、当時を振り返ったモリッシーは、こう言ったそうです。


「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが、彼(ジョニー・マー)は終わらせたかったんだ。」




読んでくれて、ありがとうです

それでは、また。。。


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