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1984年に、ソ連から、亡命宣言を、せざるを得なかった、
巨匠 Andrei Tarkovskij
( アンドレイ ・ タルコフスキー ) 監督の、
’86年の遺作となった映画 『 Offet / Sacrificatio 』
( 「 サクリファイス 」 ) を、家で、久しぶりに見ました
その感想を、書きたいと思います
映画 『 サクリファイス 』
1986年度 スウェーデン = フランス合作映画
149 min
監督 ・ 脚本 アンドレイ ・ タルコフスキー
撮影監督 スヴェン ・ ニクヴィスト
美術 アンナ ・ アスプ
音楽 J . S . バッハ < マタイ受難曲 > BWV . 244 第47曲
“ 神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください ”
( Wolfgang Gonnenwein / Julia Hamari )
スウェーデン民族音楽 / 海童道宗祖の法竹音楽
製作 アンナ = レーナ ・ ヴィボム
出演 エルランド ・ ヨセフソン ( アレクサンデル )
スーザン ・ フリートウッド ( 妻 アデライデ )
アラン ・ エドヴァル ( 郵便夫 オットー )
スヴェン ・ ヴォルテル ( 医師 ヴィクトル )
ヴァレリー ・ メレッス ( 小間使 ジュリア )
トミー ・ チェルクヴィスト ( 子供 )
1986 Svenska Filminstitutet
【 ※ ここから先は、この映画のネタばれが、
含まれています! ご注意ください!! ※ 】
バッハのマタイ受難曲が、静かに、流れている中、
レオナルド ・ ダ ・ ビンチ作の 『 東方の三賢人の礼拝 』
の絵が、クローズアップされています。
幼いキリストと聖母マリアの間から、1本の木が、
その指さす、天上に向かって、真っすぐに、伸びている姿が、
ゆっくりと、上に向かって、クローズアップされていきます。
海辺の近くの、緑の草原に包まれた大地に、住む、
アレクサンデルとその家族たち。
ある日、アレクサンデルは、海辺に、
“ 日本の木 ” を、植えていました。
それを、手伝う、彼の “ 子供 ” は、
言葉を、話すことができません。
「 ずっと むかしのあるとき 年とった修道僧がいて
僧院に住んでいた パムべといった
ある時 枯れかかった木を 山裾に植えた
こんな木だ ( と言って、アレクサンデルは、
自ら植えている木を、見ています )
そして 若い門弟に言った ヨアンという修道僧だ
『 木が 生き返るまで 毎日 必ず 水をやりなさい 』
毎朝 早く ヨアンは 桶に 水をみたして 出かけた
木を 植えた 山に 登り 枯れかかった木に 水をやって
あたりが 暗くなった 夕暮れ 僧院に もどってきた
これを 3年 続けた
そして ある晴れた日 彼が 山に 登って行くと・・・
『 一つの目的を 持った行為は いつか 効果を生む 』
時々 自分に 言い聞かせる
毎日 欠かさずに 正確に 同じ時刻に
同じ一つの事を 儀式のように きちんと 同じ順序で
毎日 変わることなく 行っていれば
世界は いつか 変わる
必ず 変わる 変わらぬわけにいかぬ・・・ 」
と、枯れかかった “ 日本の木 ” を、植えながら、
“ 子供 ” に、語る、アレクサンデル。
そこへ、アレクサンデルの友人、
郵便配達のオットーが、やってきました。
「 見事だろう 日本の生け花のようだ 」
と、アレクサンデル。
「 待っていても ムダです 待たぬことです
我々は 皆 何かを 待っています
いつも 感じていたんです
そして いつも 今までの人生は 本物ではなくて
ただ ずっと 長い間 本物の人生を
待っていたのに すぎないとね
・・・・・・・・・・
時々 妙なことが 頭に 浮かびます
“ 永劫回帰 ” といったような
私たちは 希望を抱き 希望を失い
何かを 待っていて 一歩一歩 近づいていって
最後には 終わりが やってきて
生まれ変わっても 何も覚えていません
また 第一歩から 始めるんです
まったく 同じではなく ほんのわずか 違っていますが
希望が ないのは 同じで なぜかは わかりません
訳は わかりません まったく 同じなんです
文字どおり 同じなんです ただ 次の舞台 というだけです 」
と、オットーが、アレクサンデルに、語ります。
「 君は “ 永劫回帰 ” を 信じるのか 」
と、アレクサンデルは、オットーに、問いかけます。
「 ええ 」 「 時には 信じます 」
「 わかるでしょ 心の底から 信じれば 実現します 」
『 人それぞれ・・・ 信じるところによりて ― 』
と言い、自転車で、去っていく、オットー。
「 “ 初めに ことば ありき ” 」
「 だが お前は 口がきけないんだ 」 「 魚と同じだ 」
と、その “ 子供 ” の手を、つなぎながら、
家へと、歩いていく、アレクサンデル。
「 どうやら 道を 間違えたよ
人類も 危険な道に 迷いこんでる 」
と、アレクサンデル。
そこへ、医者のヴィクトルと、アレクサンデルの妻 アデライデが、
車に乗って、やって来ます。
“ 子供 ” は、喉の手術を、していたのでした。
「 口が きけないのは 辛いだろうが とく もある 」
「 付き合いを しないですむ 」
と、医者のヴィクトルは、言うと、
「 大きく 開いて 」 と、 “ 子供 ” の口を、
開けさせて、喉の状態を、診察します。
「 ご存じかな 」
「 ガンジーは 毎週 一日だけ 口をきかなかった
彼の掟に していた 人間に 会いたくなくて 」
と、アレクサンデルに、話す、ヴィクトル。
「 人間は 絶えず 自分を 守ってきた
他の人間から 自然から
絶えず 自然を 破壊し そして 文明が
権力 抑圧 恐怖 征服 の上に 築かれた
我々の技術は 進歩したが ―
我々が 得られたものは 型にはまった満足と ―
権力維持の 兵器だ
我々は 未開人と 同じだ 顕微鏡を 兵器に使う
いや 未開人には 我々より 魂が ある
我々は 科学的発見があると ―
すぐに 悪用する 罪悪とは 不必要な物の事だ 」
と、松の木々の根元に、座り、独白する、アレクサンデル。
その傍らを、 “ 子供 ” が、無邪気に、
這いつくばって、遊んでいます。
その、松の木々と、緑の草々が、風に揺れていて、
時おり、青く、光って見えて、今まで、見たことのないような、
美しい光景が、描かれています。
「 ある 賢人がいった 」
「 それが 真実だったら ― 文明は 最悪の上に 築かれている
そして 恐るべき 不調和が 生まれた
物質的進歩と 精神的進歩が 調和を 欠いている
我々の文化は 病んでいる 根本から 間違っているのだよ
問題を 探求 解決策を 探れば と言うが ―
時機を 失っている もう 遅い
口にするのさえ 空しい ―
『 言葉 言葉 言葉! 』 ハムレットの心境だ
彼は 口を開くのに 飽きた 」
「 なぜ 私は こんなことを いう! 」
「 もの を いうのを やめて 何かを なすべきだ
試みるのだ 」
と、アレクサンデルが、独白しているうちに、
“ 子供 ” の姿が、見えなくなっていました。
「 坊や! 坊や! 」
すると、アレクサンデルの後ろから、いたずらに、
背中に、抱きつこうとした、 “ 子供 ” を、
驚きのあまり、地面に、叩きつけてしまう、アレクサンデル。
「 神様 私は どうしたのです・・・ 」
と言い、倒れこむ、アレクサンデルでしたが … 。
一方、アレクサンデルの家では …
夕食の支度を、していた、小間使のジュリアが、
手にしていた、並べられた、ワイングラスが、
カタカタと、音を立てて、揺れ始めたかと思うと、
急に、家全体が、激しく、揺れ …
空のほうから、凄まじい、轟音を立てながら、
得体の知れない飛行体が、恐ろしい勢いで、飛んできたようでした … 。
“ 世界の終末 ” に、おびえる、アレクサンデルの家族たち … 。
しかし、 “ 子供 ” だけは、ずっと、眠っていたために、
何が、起こったのか、知らないでいました。
アレクサンデルは、郵便配達のオットーに、導かれて、
世界を、救うために、神に、誓いをたて、あることで、
神と、 「 取り引き 」 を、試みようとしますが・・・。
あれから …
“ 子供 ” は、バケツに、水をくんで、
アレクサンデルと植えた、 “ 日本の木 ” に、
密かに、毎日、水を、与えていたのでした。
父、アレクサンデルとの約束を、信じて ・ ・ ・ 。
ここで、最初に、流れていた、
バッハのマタイ受難曲が、再び、静かに、流れてきて …
黙々と、 “ 日本の木 ” に、水を、やり続ける
“ 子供 ” の、無垢な姿と、バッハのマタイ受難曲が、
海辺の陽光のさす、穏やかに、きらめく波と、
輝く、緑の草原に、色どられて …
とても、印象的で、心が、ふるえるほどの、
切ない、美しさに、満ちあふれています。
ひとすじの光りのような、希望が、感じられる、
この場面が、わたしは、とても好きです。
そして ・ ・ ・
「 “ 初めに ことば ありき ” 」
「 なぜなの パパ ? 」
と、 “ 子供 ” が、はじめて、言葉を、口にしました … !
陽の光りが、水面に、反射して、
きらきら、輝いているのを、背景に、
まだ、枯れている “ 日本の木 ” が、
息を、のむほどに、美しい姿に、見えます ・ ・ ・ 。
最後に ・ ・ ・
「 この映画を 息子 アンドリォシャ に 捧ぐ
希望と 確信を 以て
アンドレイ ・ タルコフスキー 」
と、字幕に、書かれていたのを、見て …
昔、映画館で、見たときも、そうでしたが、
あれから、だいぶ、時が経って …
今、ビデオテープで、 TV で見ても、
あのときと、同じ想いで、見ることができて、
同じように、涙が、溢れてきました … 。
1986年の、カンヌ国際映画祭審査員特別大賞、国際映画批評家賞、
エキュメニック賞、芸術特別貢献賞、を受賞した作品です。
アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品との、出会いについて
当時、タルコフスキー 監督は、以前から、
西側の国で、芸術活動を、行っていて、
彼の故郷の田舎に、よく似た風景のある、
イタリアで、映画を制作していました。
その後、彼は、1984年に、正式に、ソ連から亡命しました。
しかし、タルコフスキー 監督は、1986年12月29日に、
パリで、癌のため、亡くなりました。
当時、世界中の芸術家や、あらゆる人々が、
彼の死を、悲しみました。
タルコフスキー 監督が、亡くなる1年前の、
1985年に、新たに、ソ連の書記長に、就任した、
ミハイル ・ ゴルバチョフ 書記長が、「 ペレストロイカ 」
を、行い、ソ連当局の検閲などの、規制緩和が、進んでいました。
タルコフスキー 監督が、亡くなる、わずか前に、
ゴルバチョフ書記長が、公式に、タルコフスキー監督の、
名誉回復を、宣言し、帰国を認める声明を、出したそうですが、
それも、叶うことのないまま、彼は、この世から、去りました … 。
当時の日本では、アンドレイ ・ タルコフスキー 監督を、
特集する番組が、某テレビ局で、放送されていました。
遺作となった、1986年の 映画 『 サクリファイス 』
の、撮影シーンや、生前の監督、俳優、スタッフたちのインタビュー
などが、放送され、初めて見た、その撮影シーンが、
あまりにも、美しくて … 。 瞬間的に、魅せられました。
それから、タルコフスキー 監督作品に、
引き寄せられていきました。
日本の映画館でも、 アンドレイ ・ タルコフスキー 監督
を、追悼するため、彼の作品の特集を、組んでいました。
こちらは、私が、以前書いた、映画 『 サクリファイス 』 の
前作の、映画 『 ノスタルジア 』 のあらすじと、感想です。
よろしかったら、ご覧になっていただけましたら、幸いです
映画 『 ノスタルジア 』 1983年 イタリア映画 アンドレイ ・ タルコフスキー 監督作品の感想
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