時のすぎゆくままに

気ままに散策し、時の過ぎ行くままにアップしたいと思います。

歴史探索 1.

2015-02-13 | 歴史探索
真実の歴史探索は、サイパンで目覚めた!!

昭和50年(1975年)4月のある火曜日、

仕事の撮影で、15人ほどのクルーとサイパンに渡った

常夏の暑さ、白い砂浜、透明感あふれるブルーの海・・・


(島の図は横になっています。右側が北方向)

この当時、サイパンはまだリゾート開発される前の状態で

繁華街と言っても、未舗装の道路を挟んでパラパラと3軒ほどお店があるだけ・・


翌日、朝から撮影のロケーション探しで島内を散策

3日目の木曜日、朝からゴルフ場 (9ホールだけ、手入れなく荒れ放題) で撮影

午後は、スタッフに任せて島内見学・・・

年配の運転手さんのタクシーをチャーターして、案内してもらった

日本語が上手だった・・日本統治時代に教わったらしい


バンザイクリフ、ラストコマンドポスト、斎藤中将の自宅、飛行場周辺、等々


◆「バンザイクリフ」・・サイパン島最北端の岬で、昭和19年6月15日~7月9日

間の日本軍とアメリカ軍のサイパン戦で追い詰められた日本兵や民間人がアメリカ

兵の投降勧告や説得に応じず、80m下の荒波の海に身を投じて自決した

悲劇の断崖(岬)である。

このことから「バンザイクリフ(Banzai Cliff)」といわれるが、

正式名はプンタンサバネタ。


◆「ラストコマンドポスト」・・太平洋戦争中、サイパン島のマッピ山の崖下にある

洞窟で、日本軍最後の司令部が置かれたとされるトーチカである。

トーチカの壁はいたるところに砲弾の跡があり、砲撃のすさまじさがわかる

トーチカの前には玩具のオモチャみたいな機関銃が数台錆びまみれで

台座に残っていた。

その近くに艦砲射撃で撃たれて破損した小さな戦車があった。

経年劣化で錆びついていた。

このトーチカ内で司令官の南雲中将、斎藤中将、等が自決したらしい。


◆「斎藤中将の自宅」・・丘の中腹に平屋で残っていた。その座敷からは南方の海が

見渡すことができる風光明媚なところだった。


運転者は、車中でしみじみと話した。

日本人は我々住民にいろんなことを教えてくれた。

特に、お米の作り方はわれわれの暮らしを一変させるほどのものだ。

おかげで暮らしが楽になった・・と


これらの話は私が教わったものと相いれないものばかりだ

私の「真実の歴史探索」の炎となった



空港近くの海岸通りを車で通っていた時、

袈裟をまとったお坊さんが一人ジャングルから出てきた・・!?

(空港周辺は、まだジャングルが繁っていた)

「あの人・・誰れ!?」・・とおもわず奇声をあげた

日本のお坊さんで、戦没した日本軍人のお骨を拾っているのです・・と

運転手が平然と話してくれた


数年前から遺骨収集が行われ、慰霊祭が盛大に行われたとのこと

まだ眠っている遺骨を、日本のお坊さん達が探して収集しているとのこと

まったく頭が下がります・・



あれから何十年が去り

リタイヤして本格的に調べ始めた「真実の歴史探索」

手始めに、「日本人が知っておきたい戦争の真実」という題を

2例ご紹介しましょう

(画像真ん中の△をクリックすると動画が始まる)










終戦後、GHQが日本人の洗脳教育をした

日本の左翼がかった連中を利用して、自虐史観を植え付けてきた

それが教育の場で、マスコミ報道で、「日本は悪いことをした・・」と

洗脳し続けてきたのである

後日、掲載予定であるが、GHQの「プレスコード」に明記されている


われわれの先祖、お祖父さんや父たちが周辺国に多大なる迷惑行為をしたのか!??

われわれの子、孫たち、ひ孫たちのためにもハッキリさせておきたいと思う

そのために、微力ながら「真実の歴史探索」として太平洋戦争の真実探索を続けたい


インターネットの発達で、昔は不可能と思われた資料や話が入手できる

この文明の利器をフル活用して探索していきたい。


昨年の10月末に、当ブログに掲載した「自虐史観」もその一環である