時のすぎゆくままに

気ままに散策し、時の過ぎ行くままにアップしたいと思います。

国歌君が代

2019-07-13 | 歴史探索
日本国国歌「君が代」の本当の意味が分かった

私が義務教育を受けている間、日本国国歌「君が代」を歌うな、という

教育が無かった・・・

それが、いつの間にか学校の入学式、卒業式で歌わない先生がいたり

起立しない人が居たり・・という現象が

しかし、最近はサッカーの国際試合や相撲の表彰式、高校野球の開閉会式

等で歌われるのが目立つようになった


日本国国歌「君が代」を歌詞つきで聞きましょう

(画面中央の▶をクリックすると再生します)



これが美声で歌われると、なんと素晴らしい歌かと感動する!!


---第82回選抜高校野球大会開会式から---

最近、「君が代の本当の意味」というyoutubeを発見したので

ご覧ください



本当に分かり易く、納得しました。

こんなすばらしい意味が学校で教えられなかった

日本人ならぜひ知っておきたい話です


皆さん、ぜひお子様やお孫様に教えましょう

そして、たくさんの方に拡散しましょう


さらば "平成"

2019-04-30 | 歴史探索



今日が"平成"最後の日

今夜0時00分から新しい元号がはじまる

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THANKS "平成"

WELCOME "令和"

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新時代も穏やかで活況に溢れることを願って

"千葉神社"に祈願する




そして、

将来を担う若人たちの合格祈願・・で有名







活気のある新時代を築いていただきたい・・おみくじ




2019.04.30.18:21




大嘘を暴く

2017-01-28 | 歴史探索
南京事件はアメリカが捏造した大嘘だった!!

最近中国外務省が日本の「アパホテル」を非難し、中国人はアパホテルを
使うな!!と憤っているらしい。

なぜ、中国政府がが日本のビジネスホテルである「アパホテル」を
使うなと禁止令を出しているのか?

実は、アパグループの元谷外志雄代表が著した「理論近現代史学Ⅱ」
(2016年6月発売)という本をホテルの各部屋に置いてあり、
宿泊者は無料でこの本を読めるのだ・・・

その本の中には、「南京大虐殺や従軍慰安婦を虚構だ」と記している
日本語と英語で記されているから外国人も読める。

これが中国にとっては宿泊した中国人が読んで中国内で拡散されては
一大事と真っ青になったのだろう・・

アパグループ側は、「日本には言論の自由がある」から撤去しない
と頑張っており、日本の岸田文雄外務大臣がめずらしく中国の攻撃に
反論している。

ネット上では、激しく炎上しており、「煩く行儀の悪いチャイナ人が
いないホテルは静かで快適だろうからこれからはアパホテルを利用す
る」というネチズンが多い。海外からもこれに賛同する人が多い・・





さて、「南京事件」とか「南京大虐殺」と言われる事件は昭和60年代
から国内で注目され始めていたが、真相がはっきりせず
日本人でも認識している人が少ないかもしれない。

しかし、インターネットが発達したおかげで、真相が分かりつつある。

You tubeで、いろんな情報を集めて分かり易くまとめているのが
あったので以下に紹介する・・・ただし発行元を推奨するものではない・・


南京事件とは、











さらに、中国にある「南京大虐殺記念館」を作ったのは日本人とのこと
これは次を参照されたし・

ここをクリックする


日本を辱める日本人・・反日日本人は糾弾されるべし・・

孫たちの時代に禍根を残すべからず


日本政府はもっとシッカリと反論・主張すべきだ!!

韓国駐在大使を帰国させたのは正解だ!!

スワップ交渉は無意味だから永久に中止すべし!!






歴史探索 1.

2015-02-13 | 歴史探索
真実の歴史探索は、サイパンで目覚めた!!

昭和50年(1975年)4月のある火曜日、

仕事の撮影で、15人ほどのクルーとサイパンに渡った

常夏の暑さ、白い砂浜、透明感あふれるブルーの海・・・


(島の図は横になっています。右側が北方向)

この当時、サイパンはまだリゾート開発される前の状態で

繁華街と言っても、未舗装の道路を挟んでパラパラと3軒ほどお店があるだけ・・


翌日、朝から撮影のロケーション探しで島内を散策

3日目の木曜日、朝からゴルフ場 (9ホールだけ、手入れなく荒れ放題) で撮影

午後は、スタッフに任せて島内見学・・・

年配の運転手さんのタクシーをチャーターして、案内してもらった

日本語が上手だった・・日本統治時代に教わったらしい


バンザイクリフ、ラストコマンドポスト、斎藤中将の自宅、飛行場周辺、等々


◆「バンザイクリフ」・・サイパン島最北端の岬で、昭和19年6月15日~7月9日

間の日本軍とアメリカ軍のサイパン戦で追い詰められた日本兵や民間人がアメリカ

兵の投降勧告や説得に応じず、80m下の荒波の海に身を投じて自決した

悲劇の断崖(岬)である。

このことから「バンザイクリフ(Banzai Cliff)」といわれるが、

正式名はプンタンサバネタ。


◆「ラストコマンドポスト」・・太平洋戦争中、サイパン島のマッピ山の崖下にある

洞窟で、日本軍最後の司令部が置かれたとされるトーチカである。

トーチカの壁はいたるところに砲弾の跡があり、砲撃のすさまじさがわかる

トーチカの前には玩具のオモチャみたいな機関銃が数台錆びまみれで

台座に残っていた。

その近くに艦砲射撃で撃たれて破損した小さな戦車があった。

経年劣化で錆びついていた。

このトーチカ内で司令官の南雲中将、斎藤中将、等が自決したらしい。


◆「斎藤中将の自宅」・・丘の中腹に平屋で残っていた。その座敷からは南方の海が

見渡すことができる風光明媚なところだった。


運転者は、車中でしみじみと話した。

日本人は我々住民にいろんなことを教えてくれた。

特に、お米の作り方はわれわれの暮らしを一変させるほどのものだ。

おかげで暮らしが楽になった・・と


これらの話は私が教わったものと相いれないものばかりだ

私の「真実の歴史探索」の炎となった



空港近くの海岸通りを車で通っていた時、

袈裟をまとったお坊さんが一人ジャングルから出てきた・・!?

(空港周辺は、まだジャングルが繁っていた)

「あの人・・誰れ!?」・・とおもわず奇声をあげた

日本のお坊さんで、戦没した日本軍人のお骨を拾っているのです・・と

運転手が平然と話してくれた


数年前から遺骨収集が行われ、慰霊祭が盛大に行われたとのこと

まだ眠っている遺骨を、日本のお坊さん達が探して収集しているとのこと

まったく頭が下がります・・



あれから何十年が去り

リタイヤして本格的に調べ始めた「真実の歴史探索」

手始めに、「日本人が知っておきたい戦争の真実」という題を

2例ご紹介しましょう

(画像真ん中の△をクリックすると動画が始まる)










終戦後、GHQが日本人の洗脳教育をした

日本の左翼がかった連中を利用して、自虐史観を植え付けてきた

それが教育の場で、マスコミ報道で、「日本は悪いことをした・・」と

洗脳し続けてきたのである

後日、掲載予定であるが、GHQの「プレスコード」に明記されている


われわれの先祖、お祖父さんや父たちが周辺国に多大なる迷惑行為をしたのか!??

われわれの子、孫たち、ひ孫たちのためにもハッキリさせておきたいと思う

そのために、微力ながら「真実の歴史探索」として太平洋戦争の真実探索を続けたい


インターネットの発達で、昔は不可能と思われた資料や話が入手できる

この文明の利器をフル活用して探索していきたい。


昨年の10月末に、当ブログに掲載した「自虐史観」もその一環である



自虐史観

2014-10-31 | 歴史探索
歴史を正しく認識せよ、と迫る隣国の民がいるが・・

太平洋戦争について、

日本人はアジアの国々に悪いことをした、と

教えられてきた。

そして、謝り続ける姿を何度も報じられてきた・・・

最近、これに一縷の疑問があって調べることを試みた

まず、次の動画をご覧あれ





まず、我々の父や祖父達が行った行為を正しく認識したい

我々が誤った認識を持つと、

我々の子や孫たち、ひ孫たちにまでその影響が及ぶからだ


「侵略」とは、主権を持つ国家と交戦状態に至り

その領土に侵入して主権を侵すこと


太平洋戦争では、アジアの国々に侵攻したが、

シナを除いた国々は白人たちの植民地で

主権はその白人たちが握っていたのである


したがって、交戦状態となったのは植民地支配を

していた白人たちの国家であり、

植民地の国民ではなかったのである



では、どうしてこんなことが教えられてこなかったのか?


無視された警告?

2011-11-04 | 歴史探索
東日本大震災の津波は警告されていた!

本ブログの2011年4月8日に、「16年前に警告」と題して仙台の歴史学者飯沼勇義さんが著した
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」を紹介した。
本は絶版となっていたが、仙台の印刷会社が復刻版を販売していたので入手した。



著者は40年余にわたって、仙台平野を襲った過去の地震・津波について歴史文献、口承、口伝、等を
丹念に研究を重ねてきた結果、仙台平野は歴史的に津波の常襲地域であるという結論に達した。
宮城県の多賀城が現在の地にあるのも、大津波に起因しているらしい。
それらの研究成果を出版原稿にし、平成6年9月30日に仙台市長藤井黎氏宛、さらに平成7年9月に
宮城県知事浅野史郎氏宛に「陳情書」と「仙台平野の地方の津波防災について」を提出している。

著書では、三陸地方の方々は津波がいつか必ず襲ってくる・・と知恵を出し合ってその予知・予防に
全力尽くされているが、仙台地方の沿岸の方々は残念ながら津波災害に対する認識は全く無いといって
良いでしょう。これは、千年以上も前の「貞観津波」(869年=貞観11年)や1611年の「慶長津波」
(慶長16年)等を忘れ去られ、津波とは無縁であるという意識が醸成されたとしている。
さらに、各市町村史を編纂する際、これらの不都合なことは無視されてしまったことも一因にあげられる。

急いでこの本を読み終わった時、今回の東日本大震災はまさにこの本が警告していたものが
来るべくして来た・・という思いでいる。

宮城県・仙台市・沿岸各市町村の行政に関わっている方々が津波に対する危機意識がもう少し高かったら、
そして、教育委員会および学校関係者も同様に危機管理として地震だけでなく津波に関心を抱いていたなら
70余人もの児童を失った大川小学校のような悲劇が発生しないで済んだのでは・・なかろうか・・。
せっかくの警告が無視(?)されて活かされなかったことは、まことに残念至極である。

3.11発災後、多くの地震学者たちは「想定外の震災」と言ったが既存の知識の詰め込みに努めて
イマジネーションの発揮がなされない方々の言い訳だったのではなかろうか。
民間会社では、こんな言い訳が通用しない。
そして、危機管理を怠る企業は直ちに消滅していく・・。

【追加】

復刻本は、本田印刷株式会社のホームページで・・





名は体を表す

2009-10-10 | 歴史探索
屋号はその家の家業を示す

昔、屋号は家業を現し、仕事の受注に結び付けた。
今風にいえば、看板であり広告である。

国道294号を那須に向かって北上するたびに
この屋号らしき看板の街を通るのである。

昔の屋号で街おこしをしているのだろう・・と
勝手に思いながら気にかけていたのである。

先月末に訪れた時ついに足を運んで撮った。

 


どんな家業の看板であろうか?
皆さんはお分かりでしょうか?




このような看板なら、わかりやすい。
みなさんも理解できるでしょう。



これを発見した時は、絶唱してしまった。
絶唱でなく、絶笑でした。
街はずれにあって、最後に近いところで出るから
なおさら、落語のオチみたいで可笑しい。

なんとなく、ユーモアチックで、笑わせる。

ついに腹を抱えて大笑いであった。

亀井さんはどう思われますかな?

浮世絵美人

2009-09-27 | 歴史探索
江戸のMODE
--浮世絵美人の総合ファッション展--

シルバー連休の最後の日に、3泊4日の小旅行へと
わらじを履いた、というよりハンドルをきった。

今回も国道294号線で北上である。
目指すは栃木県の那須にある温泉である。

その途中にある「広重美術館」が今回の本命である。
同館では、「江戸のMODE--浮世絵美人の総合ファッションガイド」
の秋季特別展が開催されている。
美人の文字にはめっぽう弱い体質で、どうしてもナビク・・。

国道294号線に入ると名峰筑波山が迎えてくれる。

これを横目に294号線をひた走る。
そして、途中にある道の駅で地産地消の品々を愛でながら疲れを癒す。

目指す温泉に着くと何はともあれ入浴、
そして、夕食である。

翌朝は、午前6時の一番風呂を楽しむのが恒例。
そして、朝食までの間、朝のテレビで鳩山外交のニュースを楽しむ。

朝のワイドショーが終わると部屋の掃除を依頼して
予定のコース・・・へと走る。
途中、那珂川であゆ釣りを愛でる釣人たちを撮ってほくほく・・自分も釣った気分

目指す地点に予定より遅れて到着。この日は30度もあり夏日である。
はじめて目にした広重美術館は垢抜けた建物である。
目を見張るばかり・・!!


館内は撮影禁止です。

80数点の浮世絵、しかも本物が見れたのは素晴らしかった。
江戸の美人も素晴らしかった。
いいな~ぁ!! 江戸時代の人たちは・・!!

長い間展示していると色があせてしまうので短期の展示。
そして、会場の証明が暗くされ、色の保全に務められている。

こんなことをしている間に、3泊4日もあっという間に終わる。
帰りの日も一番風呂を楽しんで、帰途につく。

昼食はいつもの美味しい蕎麦をもくろんで直走る。
この道の駅で、図らずも真岡鉄道のSL走行に出会う。

4日間の昼食は、すべて蕎麦であった。
国道294号線沿いの道の駅5カ所が利用対象で
この道の駅の蕎麦はいずこも美味しい。

こちらに来ると、蕎麦処が豊富だが、道の駅+3ケ所が
レパートリーとなっている。

殺生石

2009-06-04 | 歴史探索
殺生石河原の親不孝もの

つつじの群生地を後にして山を下りてきたら
殺生な名称の河原がありました。
由来掲示板を読んでいたら面白そうで、足を入れてしまいました。

ここに殺生石河原に、親不孝ものを戒める「教傳地獄」と言うものがありました。
そのシーンをアニメにしました。8枚で20秒位でしょうか。アニメの再演はサイトを再起動するとできます。


教傳地獄の由来をあげておきます。


殺生石河原は「殺生石」という標識で案内されています。
その殺生石とはどんなものかというと、日本をわがものにしようとした
白面金毛九尾の狐の伝説の地なのです。
伝説の掲示板もあげておきますのでご覧ください。


殺生石は祟りがあるといけないので見ませんでした・・くわばらくわばら!!

これが殺生石河原
殺生石は正面の白く見える部分にある・・とのこと。

通路に囲まれた中は、賽の河原といわれています。
その左上が教傳地獄のエリアです。

ここを終わって那須街道にでたら、お腹がグーと鳴っていました。
腹時計が正確になっていました。
目に付いた所で昼食としました。込んでいるので。

そこは那須御用邸の前でした。
那須街道の左が御用邸で、さすがお店は一軒もありません。あたりまえですよね。


これにて3回にわたった那須旅行のブログは終わりです。
次回は東京に行きますので、何かをアップしましょう。

参道の珍事

2009-03-28 | 歴史探索
成田山がお休み?

3月27日(金)久しぶりに天気がよいので成田山参道散策。
いゃ~驚きましたわ!!

今日は、成田山が休業かいな・・?

と錯覚するほど、いつも混雑している参道がスカスカなのです。
大混雑の参拝客が見あたらないのです。
昼時でしたが、こんな光景は見たことがない。

でも、こんなに人が少ないのなら
行列をなすあの鰻のお店も空いているかも・・
待つのが嫌でいつも横目にしていた鰻料理を嗜もう
と一目散!?

こんな光景を14枚にまとめてみました。
※サムネイルにマウスオンするとメイン画面が替わります。


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春の成田山参道を散策


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※ソースはnon_nonさんからお借りしました。

このスカスカの参道はなんだったのでしょうか???
いつも大混雑を目にしている私には「春の珍事」でした。

お陰様で念願の鰻料理を食べられたし
空いた成田山をシッカリ散策できたし
満足いく一日でした。