弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

まだ寒かった日のこと。そんな初春の日のこと。~断片的なECTの記録

2017-01-17 01:53:42 | 思考
・・・斜視の手術。
それが初めての入院、手術だった。
でも、3日ほどだったのでよく覚えていない。
何より15の頃だったから。
でも、「背が高いからモテるでしょ?」
とか、前時代的なことを言われ、
「いえ、男子校ですので」
と、言葉を濁したことは何故か記憶にある。
大部屋だった。患者は目の手術に限らないようだった。

・・・入院している父親の見舞い。
それもよく覚えていない。
これも、16~17の頃だったから。
最後の見舞いは息を引き取る前日だったから。

・・・去年の入院と手術。
でも、2週間に一度は実家に帰っていた。
それでも、このゲームをやって、ろくに入院の記録を記していなかったことを思い出す。

国立の病院。
最初は、日帰りで手術を受けられる所を主治医に紹介してもらったけれども、少し信用が置けない所だったので、結局、一番権威ある病院に。
最初に驚いたのは、院内に喫煙施設無し。敷地内全面禁煙。敷地外に出れるのは一日一回。(手術当日は無理)。事前の申請が必要。敷地内には検査の予定などが無ければ、ナースステーションに声をかけて何回か出ることが出来た。
近くにはスーパーがあって、そこに喫煙所があって、たまに敷地内とうそをついてその喫煙所で吸った。
でも、勿論、タバコなど院内に持ち込めなかったので、一日数本で廃棄もバカらしく、隠し場所を決めた。。監視カメラっぽいところを避けて、枯葉に埋めて。

外出申請も場所と目的が必要で、最寄駅の喫茶店で、購買・喫茶と書き、時間を潰した。

食事はまずかったけど、売店での購入も近くでのスーパーでの購入も自由だった。
最初の頃は夜中にカップラーメンを食べていた。
共用の給湯器で温かった。

手首の白い認識票は外泊の時にしか外せなく、でも、冬だったし隠せた。
バーコードが付いていて、手術や検査の時の電子管理に利用された。

窓は数センチしか空かない。
開放病棟で自殺の危険性はないと思うのだが。
でも、同じフロアに「処置室」という閉鎖っぽい病室があった。
あれは何だったのだろう。。。

精神科だからか、全室個室。
テレビは最初、間違って手配された部屋は無料。
後に移った部屋は、例のごとくテレビカードだったが、いちども観たことはない。
最初の部屋は最上級の部屋で、シャワーがついていたが、後の部屋には無く、共同のシャワールーム。勿論、時間は決められていた。
共同のテレビの前にはクッションがあり、たまにDVDを他の患者が観ていた。
漫画も少し置いてあった。
利用したことはない。

食事は個室ではなく、いっせい食事のスペースで。
男は男のテーブル。
でも、どんな人が同じテーブルだったのかを思い出せない。
病棟全体が中高年の人がほとんどだった。
あのフロアで手術を何回も受けていた人はほとんど見ない。
たまに、ストレッチャーで運ばれていくのを見た。

検査の日は、床に貼ってあるテープと渡された地図を標に自分一人で向かう。

病院内はもっと深刻そうな神経の病・障害の人も多くて気が滅入る。
此処は、自分がいるにふさわしいのかと。

手術。
朝、術前に点滴を刺しに来る。
手の甲なので痛い。
朝食は抜き。
院内外出は点滴の30分前なら可能だったので、手術の日だけは早起きして、気持ちの整理に。もう死んでもいいように。(全身麻酔自体に死亡のリスクはごく僅かある。)
戻ってきたら、点滴。
看護師長が直々にやってくれた。優しい中年男性だった。
点滴後、しばらくして移動。最初はストレッチャーだったらしいが、図体がでかいので、初回時にせん妄を起こして落ちそうになったらしく、2回目からベッドごと移動。
フロアから外れて、リノリウムの緑色の床の通路を運ばれてゆく。。
おそらく、階も移動したのだろう。待機室に入れられて、前の手術患者の意識が戻るまで待つ。
何故か、前の患者の名前を今でも覚えている。数回、いや、人によっては十数回受けるもので、何回か聴いているうちに覚えたのだろう。
どんな人かは知らない。
「Kさん、Kさん、聞こえますか?」
と。全身麻酔から解けて、すぐに返事できるものなのだろうか。。
ともかく、その後は自分の出番だ。
手術室内ではアメリカのポップス(ゴスペル?)が、リラックスのためか流れている。
それが妙に癪に障った。
(ほとんどあり得ないけど)手術室で死ぬ人は、こんな音楽とともに死ぬのかと。
もっと、劇的な死に方を望む。聴くなら、チャイコの交響曲第6番第一楽章。
ともかく、そんなこんなでジェルを塗り電極を頭や額に貼っていく。
主治医が穏やかな声で安心させるような言葉をつぶやく。
麻酔医も同じ感じ。
だが、「その時」は急にやってくる。初回時は何が起こるのかも分からない。

左手、沁みますからね~

・・・

ブラックアウト。
自分の病室にいる。
喉がカラカラだ。全身が痛いが、声をあげられるほど意識が明瞭ではない。
しばらくすると、ようやく水を飲ましてくれる。
嗚呼、こんなに美味しい水は、未だかつてあっただろうか。
記憶の確認か、自分の名前などを言った気もするが、定かではない。
時間はそんなに経ってないようだと、時計で確認する。
ワープ。この言葉がふさわしい。

昼食がやけに美味しく感じる。
外も観てみたいが、手術の日は院内にも出れないようだ。。。

最初の手術の日は、普段来ない母親もやってきた。
物語のように、
私はダレ?ここはドコ?
にはならない。だが、初回の手術の日でそんなに覚えていることもない。

見舞いに来たのは、母と友人一人。
その友人も格別仲は良くなかったし、手術日程は終えた退院間際のことだった。

・・そんなものなのだろう。
病院で最期を迎えられるようなそんな人生は送れないと思う。寂しく朽ちてゆくのだ。
そういえば、周りの患者さんの見舞客もフロア内では見たことはない・・・
精神科・・・それはそういう所なのかもしれない。


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