弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

病歴13年目の真実-義務と願望の混同からの脱却-名状しがたい何か

2018-12-05 23:45:03 | メンタル
午前中に哲学書を読み、家事をこなしてからデスメタルを聴きながら精神科に行き、ゲームセンターに寄った後に、クラシック音楽をかけて帰宅し、さっきまで小説を読んでいた。

何というか訳が分からない。自分は幾重にも分裂しているのではないかと疑った結果、これが私にとっての正常なのだと気づいた。

こういう人間でなくてはならない。
趣味の領域に限らず、それが全ての誤りの原因だったのかもしれない。

高2の頃に醜形恐怖に襲われ、異性への願望を抑えつけ、父が亡くなってからは自分自身と対人的に義務と願望がごっちゃになり、大学に入ってもそれが治らず、むしろ悪化。真面目な人たちに取り囲まれ、余計に両者を混同し、病状も人生どう過ごしていきたいのかもあやふやなまま、結局何もなせずにいた。

電気痙攣療法を受け、行くとこまで行ったと思っても、両者の混同は避けられなかった。

ようやく6月に転機が訪れ、新天地に向かえそう。

昨日、友人に、
勿体ない人
と評され、今日主治医からは何故か
真面目な人
と言われたが、精神科からの帰り道、途端に合点がいった。

義務、つまり「かくあるべき」を、対他的に使うことでそれが内面化した。
自己呈示の内在化の一種だろう。(敢えて「抑圧された~」とか精神分析の用語を持ち出すまでもない。)

本質的に真面目でも不真面目でもない。どちらかのカテゴリーに収めようとする。それも「べき」の一種というか「白黒思考」の一種で。
そういうもので縛っていたから、友人にもそう言われたのだろう。
もう失うものがない、いや、いつ死んでもいい、と思って辿り着いた境地だが、そんなことを声高に言う必要もない。
この道で大成しなかったら死ぬしかない。
と思い込むのもよそう。

そんなものは必要ない。
かといって、声高に
自分のしたいことだけしかしない。
と言うのも違うだろう。

まあ、ただ自殺を考えないこともない。それはもう冷静に、その時が来たらそうするだろう、というだけ。
病気に振り回され、振り回すこともないと思うが、結局、元には戻らないとも思う。
まあ、それはそれでいいのだろう。回復「したい」と思ったならその努力をするだけだ。

ただ、はっきりさせておかなきゃいけないことがあるのも事実。
この道で食べていきたいが、そうすんなりは行けないだろう、ということ。
だから、それは考えよう。

余計なものをそぎ落としたせいか、前よりもシンプルに考えられるようになった気がする。
もはや、「自由」だとか「あるがまま」という標語さえもそれに縛られるので要らない。

名状しがたい何か、それで幾分か楽になる。






コメントを投稿