弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

lost identity - 異邦人

2018-10-05 12:38:25 | 思考
私の母親は熊本県出身である。
亡き父親も福岡県出身だが、父方の祖父は熊本県出身なので、血的には熊本人、九州人と言っていいだろう。

実際、小学生までは熊本や福岡に頻繁に長期間帰っていた。
自由研究も熊本県をテーマにしたこともあり、熊本県で行ったことのない所の方が少ない。
(母の叔父が阿蘇山の火山博物館の館長だったりもした。)

なので、九州や熊本には特別の思い入れがある。

ところが、私は育ちは東京の市部である。
育ったのはずっと同じ市。
だが、そんなに愛着はない。
中高で行っていた国立市にも愛着はない。父が一橋大学だったのもあり、ゆかりを感じてもおかしくはないが。
むしろ、高校時代に発症したのもあり、国立にはもう通いたくない。

大学は仙台だった。
当時はそこまで愛着を感じていなかったが、離れた今は割と愛着は感じる。
震災のこともあり、東北地方の力になれたら、と思うこともある。
ところが、だ。やはり仙台の気候は心身に堪えたし、母校は理系中心の大学で文系のキャンパスには飽きが来ている。
東北地方の人たちは真面目で忍耐強いというのは多分本当のことだが、面白みには少し欠ける印象がある。
やはり、過去を美化しているのだろう。
実際、戻ったところで、友人がもう去っていた場所で一回りも二回りも遅れて研究生活を送る、というのは寂しいし、生粋の東北人ではないということはずっと変わらぬ事実だ。

長々と書いたが、要は、
アイデンティティを感じられる場所など世界中を探しても無い。
(国としては北欧が好きだが、そこへ行って認められるわけがない)

それは関西地方でも同じで、仮に自分が関西に行ったとしても、一部関東にライバル心を持っている関西人の方にも、自分がどういうスタンスで臨めばいいか分からない。

東京は嫌いだ。
だが、関西地方に馴染めるとも限らない。
九州、熊本はルーツはあるが定住したことがない。
仙台、東北は好きではあるが、結局過去を美化しているだけで、実際戻ったらハードであろう。

地域、組織共に何か所属意識を持って、というのはこれからの人生に期待してはいけない。
自分の問題関心とペンだけで生活する。
その覚悟が必要だ。


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