弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

全称命題の罠ー自己論駁

2016-12-03 00:44:03 | 思考
某SNSのコミュニティでも話題になり、おそらく専門的な領域でも議論がされ尽くしているものとして、
価値相対主義の自己論駁性
というものがある。

およそ、あらゆる価値や主義(イズム)に普遍的かつ共通の(善悪・上下等の)判断基準はないとする、その価値相対主義自体には価値があるか否かというものである。
つまり、全ての主義主張を対象にすると、もはやその主義主張にまで射程が及ぶ。そうすると、どうなるか。

あまり深入りする気はないのだが、ニヒリズムの場合はどうなるのか。
全てが無価値だとするその言説自体はどうなるのか。

考えられるのが、
この主張を除いて
とする方略だが、それではその主義主張を特権的な地位に置いてしまう。

何か、嘘つきパラドックス(私は嘘つきである、と言うと自己矛盾になる)と同様の怪しい感じがする。

どうでもいいが、全てに価値を見出せない理由が、
どうせ全て終わるから
であるのならば、時間、そのことについても考えねばならない。

・・毎晩毎晩、死を思うのは苦しいが、明日目を覚ますことは出来るだろうか。


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