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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

南三陸町防災対策庁舎

2014-08-31 22:38:13 | 旅行

 二泊三日で三陸に行ってまいりました。私は旅をするときは、事前に名所旧跡の類を調べ、効率よく回れるようにスケジュールを決め、もちろん、宿泊先も決めて出かけます。行き当たりばったりという旅はほとんどしたことがありません。しかし、今回はほとんど計画を立てずに、泊まるところだけを決めて出かけました。
 どうしても行ってみたい場所としては、南三陸町の防災対策庁舎がありました。住民に避難を呼びかけて流された遠藤未希さんはじめ、20名の職員が命を落とした場所です。
 宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入77という住所を調べ、それだけを頼りに行きつけるかどうか、方向音痴の私は不安でした。しかし、実際に行ってみると、不安は杞憂に終わりました。なにしろ、防災庁舎の周りは何もなく、一面の荒地だったのです。土地を造成している作業場のほかには、目に映るものは何もなく、鉄骨だけになった防災庁舎ははるか遠くからでも目に入ってきました。
 車で下まで行き、降りてみました。献花台が設けられ、たくさんの花が供えられていました。海に近いのに潮の香りはなく、線香の匂いが周囲に漂っていました。
 震災直後からの報道や、いろいろなことが思い出されました。言い知れぬ迫力の前に、ただ恐怖を感じました。自然の力の桁外れの大きさが、曲がりくねった鉄骨やゆがんだ外階段から容赦なく伝わって来るようでした。
 私がいた間だけでも、多くの方々が訪れ、献花台の前で手を合わせていました。中には涙をぬぐっている方もいて、非業の死を遂げた方々もうかばれると思いました。周りを歩いているとき、千羽鶴から落ちたのか、小さな折鶴を拾いました。大事に持ち帰りました。
 町では、解体の方針であるということですが、この遺構がなければ、震災は忘れられ、その悲惨さも後世には伝えられないと思います。多くの震災遺構が撤去され解体されていきましたが、本物の持つ説得力は本物にしかありません。現地の方々にとってみれば、復興の妨げになったり、悲惨な記憶につながったりと、難しい面があるとは思いますが、震災の恐怖と悲劇を伝えるためにも、残していただけたら……と思いました。維持管理はしかるべき部署が責任をもってできるように配慮がなされるべきだと思います。
 三陸の道路は、トラックと、トラックの出入りを誘導する係員の方々が目立ちました。山を削って土砂を運び、造成したり道路を作ったりしていました。そういう意味では、復興は進んでいるようにも見えましたが、土台だけが放置された住宅地、おびただしい数の仮設住宅など、まだまだ復興は始まったばかりだと思いました。


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