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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

ロータスの伝説

2009-09-19 21:30:40 | コラム
 F1にロータスが帰ってくるかもしれないというニュースを耳にしました。ロータスはイギリスの自動車メーカーで、かつては国際舞台で活躍した栄光と伝統を誇ります。
幼いころ、私は緑色に塗られたナショナルカラーのF1マシンのプラモデルを父に作ってもらい、大切にしていました。当時は、現代のようなラジコンカーの玩具はとんでもなく高価でした。私のロータスも、室内サーキットに行かないと走れないマシンでした。室内サーキットと言えば、現代ならラジコン車用でしょうが、当時は、電気が流れている溝があって、そこに車体の先端を差し込み、あとはコントローラーのハンドルを押し込んだり放したりしながら速度を調整し、コースアウトしないように周回を重ねるというものでした。私の町には、そうしたサーキットが一か所しかありませんでした。結局、そこでロータスを走らせたのは1度か2度だったと思います。当時、私のお小遣いは毎日10円と決まっていましたので、何度も行くことは不可能でした。そして、行けない間に、そのサーキットはつぶれてしまいました。
当時、マンガでジム・クラークというロータスのドライバーを知りました。彼は「天駆けるスコットランド人」と言われ、1960年代に活躍したレーサーでした。農家の生まれの彼は真面目な人柄で、不調のマシンでも難なく乗りこなしたといいます。若くして事故死するまで、オーナーからも信頼され大活躍しました。
私は、自分のプラモデルのロータスに乗っている人物をジム・クラークと決め、走らせることができないロータスを眺めて満足でした。今、ジム・クラークを思い出すとき、彼に重なるのは、音速の貴公子アイルトン・セナです。圧倒的な強さと真面目な性格、人を惹きつける魅力は、二人とも同じものを持っていたのではないでしょうか。レースで事故死したことも同じです。
動かせないロータスに、物語を与え、私を夢中にしてくれたのが、ジム・クラークでした。サーキットを疾走することがなくても、動かないロータスは速かった。私の想像力が、動かないロータスを動かし、感動させてくれたのです。現代の子供たちは大型のラジコンカーでも手に入れることができます。しかし、それは、あまりにも実物に近い疑似体験しか与えてくれないのではないでしょうか。実物との距離が遠ければ遠いほど、子どもの想像力はそのギャップを埋め、物語を作り上げることができると思うのです。

2009-09-18 01:00:08 | コラム
 先週末は、久しぶりに営業部門の仕事を手伝う機会がありました。2日間で何人の相手をしたでしょう。ひと組30分以上の時間対応し、休む暇もありませんでした。
 多くの方々と接していると、不思議だと思うことがあります。もちろん皆初対面なのに、わずかな時間で好意や親近感を覚える方もいれば、そうでない方もいます。共通の時間を過ごしているだけで、何とも温かな気持ちになれる相手がいるのです。相性というのか、ウマが合うとか、気が合うとか言いますか、そんな言葉でしか言い表せないものが生まれるんですね。袖触れ合うも多生の縁と言いますが、前世になにか関係があって、それがもとで今生でも出会い、通じ合うものが生まれているのではないか、そんな気さえしました。毎日、一緒に暮らしていても、まったく心が通わない相手もいるのに、本当に不思議なことです。
 来月には、数名の方に対して、3日間、プレゼンをするような行事があります。ほぼ人数が確定して、今日から準備に入りました。また、不思議な糸で結ばれた方々と数時間を一緒に過ごすことになりそうです。どんな出会いがあるのか、少し楽しみな気もしてきました。
 今までは、出会いをあまり大切にしてきませんでした。新しい関係を築くことに臆病だったのです。自分を卑下し、積極的に働きかけることができませんでした。歳をとった最近になって、ようやく異性とも話すことができるようになってきましたが、遅すぎた感があります。遅きに失した感はあります。でも、気がついただけよかった。負け惜しみ的に、そう思うようにしています。
 来月の行事でも出会いを大切にできたらよいと思います。自分をさらけ出す気持ちで、先方の期待に応えられるように頑張りたいと思います。

5年に一度の

2009-09-11 20:48:36 | コラム
 今日は休暇をとって免許の更新に行ってきました。威張る訳じゃないけど「優良」ということで、近くの警察署で手続きできたのはラッキーでした。それでも、土日は休みだし、夕方も4時半頃には終わってしまうので、勤め人は、やはり休みをとって行くしかありません。公務員批判をするつもりはありませんが、対象が一般人であることを考えれば、もう少しサービスがあってもよいのではないかと思いました。
 免許更新センターに着いたのは10時。すでに部屋はいっぱいでした。まず、申請書を記入して提出。今回から、この間に、4桁の暗証番号を機械に登録する作業が課せられました。本籍をICチップ化するためのようです。視力検査の後、写真を撮って、講習の開始です。10:15でした。講習は約30分間。昨日の死亡事故の話、教本の道路交通法改正部分について説明少々。飲酒運転等のポイントが重くなったは知っていましたが、普通免許が中型免許になったことは初めて知りました。その後、福留功介アナウンサーが出てくるDVDを見て、終わったのが10:50でした。
 多くの人がおっしゃるように、窓口の応対、講習の口調など、民間から見たら、とんでもなく無愛想ですが、「また来てください」という商売ではない以上、あんなものかなと思ってしまいました。まあ、どちらにせよ、あと5年間は行かなくてすむのは有り難いことです。この5年間も無事故・無違反に努力して、次回もゴールド免許をもらえるようにしたいと思いました。他の人もそんなふうに感じるとすると、更新手続き自体に、交通安全教習の意味があるのかもしれませんね。

恐ろしいXデー

2009-09-03 00:59:03 | コラム
 この数日というもの、毎日、パソコンで必ず確認する恒例の行事がなくなり、大変淋しく思っていました。以前なら、時刻を確認したり、成績を気にしたりしながら開いていたサイトにアクセスすることもなく、淡々と仕事をした数日間、何とも味気ないものでした。この間、政権交代やら、いろいろなニュースはありましたが、それほど興味を惹かれることなく、ただただその男が帰ってくるのを待っていました。以前にも書いているので、これだけの思い入れがある理由を繰り返しは述べませんが、彼こそ、私のヒーローです。
 イチロー選手がふくらはぎの張りを訴えて途中交代してから、長引きそうな嫌な予感がしていました。大事をとって・・・・・・というニュアンスが強調されればされるほど、不安になるのが人情。大記録達成を前に、いったいどうなってしまうのか、とやきもきした人は私だけではないはずです。
 今日、9試合ぶりですか、先発出場を果たしたイチロー選手は、復帰早々の2安打。すばらしいですね。周囲の期待だけでも大変なプレッシャーのはずなのに、体の不安要素まで抱えての復帰初戦での活躍、改めてイチロー選手の精神力の強さと自信を感じました。その自信は、彼の場合、しっかりしたトレーニングやコンディション作り、頭脳的な計算などに裏打ちされているものですから、強靱なものになっていますね。努力に勝る天才なしという言葉は、彼のためにあるようなものです。
 今後、記録達成がカウントダウンに入ったら、仕事も手につかなくなるのではないでしょうか。今年の夏は、故郷の高校が甲子園で大活躍をしてくれたおかげで、2日ほど仕事が手につきませんでした。今回も、そんな感じになってしまうのか、それを考えると焦ってしまいます。Xデーはいつなのか、それが今最大の関心事です。仕事休んでしまうかも。いい歳をして馬鹿ですか?

夏の思い出

2009-08-24 00:39:46 | コラム
 今年の夏は、仕事漬けでした。尾瀬にも行き、祭りにも参加し、楽しいこともありました。故郷の友人と酒を酌み交わし、普段出来ない話もしました。ビアガーデンは予約がなければ入れませんでしたが、銀座のバーで飲むこともできました。帰省して墓参りをしました。
 気がつけば、カレンダーも8月下旬となりました。今週末は、各地で最後の祭りや花火大会が催されることでしょう。それが終わると、今年の夏もおしまいです。思春期には、そうした祭りの音が遠くで聞こえるのが嫌いでした。メランコリックに切なくなってしまいました。
 今日、道を歩いていると、街路樹から聞こえていた蝉の声も少し弱くなり、ツクツクホウシの声が多くなっていることに気づきました。夏を謳歌する虫に代わって、来月になれば秋の虫が鳴き出すことでしょう。季節の移ろいがはっきりと表れるようになりました。
 そろそろ終わりになる今年の夏、いろいろな思い出が残ったと思う反面、期待したような出来事はありませんでした。何を期待していたのか、と言われれば、明解には答えられません。答えられませんが、満たされない日常が、少しでも満たされることを願いながら、結局、満たされることはありませんでした。
 今年の夏は、蒸し暑かったけれど、昨年の夏よりは過ごしやすかったのではないでしょうか。冷夏だったのかどうかはわかりませんが、そんな気がします。これから秋になり、冬を経て、春が巡り、やがて訪れる夏。私はどんな境遇になっているのでしょうか。見当もつきません。

老母と過ごした夏の日

2009-08-20 21:00:34 | コラム
帰省して久しぶりに老母と過ごしました。毎日、テレビの前でうとうとしている生活のようです。食事の支度も片付けも老父が引き受けています。
 昼食に外へ連れ出したときのことです。冷房が寒いらしく、持ってきたカーディガンをはおりました。「これは小学校5年生のときに作ったの。大事に着てきたから綺麗でしょ」と真面目に言うのです。
 そればかりではありません。私が上京する朝は、「来ていた親戚はもう帰ったの?何も知らなかった」と言うのです。よく訊いてみれば、母の故郷から親戚が皆来ていて泊まっていたとのこと。もちろん誰も来ていないのですが、その言葉を10回も繰り返すので、さすがの父も怒り出す始末。夢の中の出来事と現実の出来事の区別がつかなくなっているようでした。
 少し前から、物忘れが激しくなり、おかしなことを口走るようになりました。認知症の症状としては、まだ軽い部類かもしれません。でも、今のままの生活を続けていれば、近い将来、母は完全に壊れてしまうでしょう。せめて、友人でもいて話でもできれば刺激になるのでしょうが、母の知人はほとんど他界しています。もともと口数が少なく、趣味もない人なので心配はしていました。頭を使ったり、気遣いをする必要もなくなった今、もうブレーキになるものはないような気がします。
 私も責任を感じます。今まで、出来る限り近況を知らせる手紙や葉書を送り、写真なども郵送して来ました。月に数回はしてきたと思います。それが、4月以来、ほとんど何も送っていません。夏休みも短くなり、帰省の回数も減りました。仕事はますます忙しくなりますが、何とかしないと、後悔することになると思います。何らかの意味で刺激を与え、忘れられた存在ではないということを教えてやらねば、と思いますが、もう遅すぎるかもしれません。

受け継がれていくもの

2009-08-19 00:29:20 | コラム
 炎天下、町内を練り歩く祭り行列に参加していて、今回、自然に癒されるという体験がありました。小さなことでしたが、通りを折れて路地に入ったとき、ぱっと目に飛び込んできた芙蓉の大輪の花。一輪だけ、家の壁を背に咲いていました。それが、疲れた心には、笑っているような、楽しい顔のように見えて、思わず微笑んでしまいました。これは尾瀬に行って、花の表情を見る力が身に付いたのではないか?と思われる一瞬でした。
 また、生と老を対比して見たシーンがあります。祭り行列も目的に近づいた終盤、ある民家の玄関先の情景です。一家三代くらいの人々が揃って見物をなさっていました。右端の老婆は、もうおそらくは認知症になっていらっしゃるでしょう。そんな感じの方でした。それが、御輿を見るや、本当にうれしそうに微笑まれていました。子供のように無邪気な笑いで、昔日を思ってとか、そういう意味はなくて、ただ御神輿が来てくれたのがうれしいという表情に見えました。一方、家族の中には、新生児に近い小さな赤ちゃんがいました。父親にしては少しお歳かなという感じの男性が、宝物のようにうやうやしく抱いていらっしゃいました。私は、老婆と赤ちゃんのいる、その家族の様子を眺めていて、訳もなく目頭が熱くなりました。
 血というものが受け継がれ、続いていく素晴らしさ、といったものに感動したように思います。老婆はこの先、そう長く地上にとどまることはないかもしれないが、そのDNAは確実に地上に残り、子や孫によって継承されていくのです。
 花も人間も自然の一部として、大きな流れの中で同じように生きているのだと思われた、そんな夏の午後でした。

我以外皆師

2009-08-18 00:09:09 | コラム
 「我以外皆師」というのは吉川英治氏が色紙に好んでお書きになった言葉だそうですが、それを痛感するような出来事がありました。
 祭り行列に参加した日、夕食を隣で食べたオジサンは、交通整理員の方でした。御輿を先導して、車を止めたりする仕事です。小柄で日焼けした方で、70歳を超えていると聞いたときはにわかに信じがたいくらい若く見えました。
 その方は、アメリカで15年間、もぐりで観光ガイドをしていたと教えてくれました。ホテルで日本人観光客を勧誘して、観光や食事に案内し手数料を取るという感じの商売だったようです。そんな商売があったのかという驚きと同時に、異国で生きていくためのたくましい生活力を感じました。そして、失礼ながら、英語が活用できる方のようには見えなかったので驚きました。海外生活ではお子さんも同行されていたようで、現在はロンドンで看護婦をされているそうです。外国の病院のお話は、経験者の方から聞いたことがありますが、看護師は医師と対等に近いくらい地位が高く、日本とはかなり異なることは知っていました。きっと、仕事に生き甲斐を感じ、活躍されているのだろうと勝手に想像しました。
 時間にしたら10分そこそこしかお話しできなかったのが残念でした。きっと面白いエピソードがたくさんあるのだろうと思います。お酒でも飲みながら伺えば楽しかっただろうと後悔されます。
 身近に、すごい人っているものですね。話せばわかるが、話さなければわからない。当たり前のことですが、そういった出会いを大切にしたいと思う体験でした。

今年も参加した祭り

2009-08-17 00:15:57 | コラム
 毎年参加している祭りについては、昨年も書きました。1年は早いと改めて思います。
 今回は晴天に恵まれましたが、暑さもなく、日陰に入れば風も涼しく快適な日でした。私の故郷では8月に入ってからの真夏日はまだ1日しかないそうで、異常気象と言えるのでしょうか。
 前回は、御輿を担ぐ手伝いなどもしたのでしたが、今回は、お札配りが専門でした。これは、御輿の先に立って、沿道にいる人々から、お金や酒、米などをもらい、お札を差し上げるという仕事です。
 朝8時から夜7時まで、途中で昼食と夕食を弁当でいただき、その他にも、数百メートル歩けば休憩所がしつらえてあり、ビールをいただけるという環境です。昼間から公然とアルコールがいただける機会はないとばかり、つい飲み過ぎてしまいます。
 今年も歩いていて気づいたのは、空き家が多くなり、人が減っているということ。昨年同様、遺影を抱いて祭り行列を迎える人もいました。でも、行列で歩いていいなあと思うのは、子供と年寄りがとても喜んでくれること。祭り行列には天狗様もいるのですが、今日は子供達と一緒に何枚も写真におさまっていました。お年寄りも、御神輿を拝んでうれしそうでした。
 私は地元でもなんでもない人間ですが、縁あって長年参加しています。炎天下を行列する仕事は大変ですが、少しでも喜んでもらえるとうれしいですね。

もう少しがんばるか

2009-08-05 09:46:01 | コラム
 人付き合いも得意でなく、考え方も不器用で、家庭は不和、職場でも思うように自己表現ができません。このブログは、何とか、ほかの方とコミュニケートしたいという気持ちで始めました。趣味とか考え方といった点で、何かを感じてくださる方はいないかと思っていましたが、案の定、ほとんど反響はありませんでした。やっぱり、読んでいただくということは難しいのだなあと改めて思います。
 最近、夏バテしているわけではないのですが、書く意欲が萎えてきました。7月は特に低調でした。書く内容がないというのは今に始まったことではないので理由にはならないでしょう。どうせ読んでもらえないんだから・・・とひねくれていたこともあります。
 以前から感じていたことですが、今回、尾瀬に行って、自然保護の地道な活動を再認識しました。帰りに東電小屋に立ち寄ったこともあるかもしれません。ご存じの方も多いでしょうが、東京電力は尾瀬に水力発電の調査のために進出して以来、開発ではなく、土地を所有し、木道を整備するなどの自然保護活動に尽力しています。冬期の除雪作業やトイレの管理なども含まれます。国立公園となり、特別天然記念物に指定されている尾瀬が、一企業の力に依存しているのは実に奇妙なことだと思います。
 しかし、そういった地道な努力があるからこそ、尾瀬の自然は守られ、次の世代に引き継がれていくのです。厳しい冬を耐えて、夏を謳歌する生き物たちに接することで、どれだけ多くの人々が癒されているか。まったく有り難いことで、頭が下がるばかりです。
 そうした尊い行為と、私の稚拙なブログを比較するのは申し訳ない限りですが、継続は力なりと言います。少しでも長く続けていれば、ごくまれにでもメッセージを送ってくださる方も出てくるかもしれない。そう信じて、この夏も書いていこうと思います。

新たな祭り

2009-07-26 23:07:44 | コラム
 故郷があって、そこの祭りに参加できるのはよいですね。顔見知りの中で安心できるし、地域としての一体感が何となく心地よい。あまり濃密すぎるのは考え物ですが、今は地方へ行っても、ご近所づきあいに辟易しているような土地はなくなったでしょう。皆、根無し草のように放浪している、それが現代ではないでしょうか。五木寛之氏はかつてデラシネという語で、その感じを表現なさっていました。
 先週の土曜日、私は、また傭兵として祭りに参加しました。今回は、町内の山車を曳くという仕事。午後から御輿とともに町内を回り、夜、山車を曳いて祭り行列に加わりました。その町内は、若手がいないということで、参加しましたが、知らない土地で初めての参加ですから、勝手もわからず、知る人もいないという状況で、あまり盛り上がることはできませんでした。それでも、太鼓や鉦といった鳴り物が、大人から子供へうまく伝承されており、祭り囃子を聴いているだけで楽しい気分にはなれました。やはり、自分は祭り好きのDNAを持っているのだなあと再認識しました。
 この太鼓ですが、山車の上で三人が横に並んで叩きます。体を左右に振りながら、拍子をとりつつ叩くわけですが、この地区の独特の叩き方なのか、時折、右手を斜め後方に振り上げて、器用にばちを回転させ、少しのけぞった姿勢で止めてから、また叩き始めるという所作があります。女性がやっているのを見ていると、三人三様の味わいがあり、同じ所作でも個性とか、天分というものが出るのだろうと感心しました。
 山車を納めたあとは、近くの酒場で飲むのが恒例とのことでしたが、さすがに参加するのは憚られ、祭りはあっさりと終わってしまいました。そんなことから、これが自分の故郷で、地域の祭りだったらなあと思ったわけです。

見果てぬ夢

2009-07-16 23:13:22 | コラム

 ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン主演の「ラマンチャの男」を映画館で見たのはいつのことだったのでしょうか。30年以上前になるのは確実です。ミュージカル映画でしたが、挿入曲「見果てぬ夢」は実に感動的でした。松本幸四郎氏の舞台も見ましたが、この歌が始まると目頭が熱くなります。
 もう夢を語る年齢ではなくなりました。だから、夜見る夢のことを書きましょう。幼い頃、いつも見る夢がありました。一つは、屋根から落ちる夢。私の父は器用な人で、自分で屋根のモルタルを塗り替えたりしていました。私が手伝いに駆り出されるのですが、屋根にかけた梯子を登る怖さは大変なものでした。それがよほど印象深かったのでしょう。以来、梯子がはずれて落下する夢を繰り返し見ました。ふわっと体が浮遊する感じが何ともリアルで、脂汗を流して目覚めたものです。
 その後、歯が抜ける夢をしつこく見ました。これは大学生の終わり頃まで。縁起の悪い夢なのだそうですが、不快感と喪失感がリアルで閉口したものです。
 以上、二つの夢を見ることはほとんどなくなりましたが、今でもたまに見る夢があります。それは小銭を拾う夢。道を歩いていると、10円玉や百円玉が落ちている。幸いにあたりに人はいません。私は、急いでそれを拾います。ときどき500円玉も落ちていて感動します。
 こんなせこい夢を見て喜んでいる。何ともあさましい限りです。これでは大人物にはなれないなあ、改めて嘆息することになります。

久々の出会い

2009-07-05 11:47:22 | コラム
 1年に1回会うか会わないかというような人はいませんか? 私には何人か、そういう人がいます。親戚だったり友人だったりしますが、昨日は、以前お世話になった、そういう人に会いました。
 久しぶりに会った、その方は、見違えるほどやせ細って弱っていました。60代と思いますが、以前は、とても活動的で押し出しも強く、お話をしていても、こちらが常に聞き役でした。それが、この1年ほどの間にすっかり老け込まれたようでした。お聞きしたら、それもそのはず、癌で胃を切除されたということでした。
 もともと禅をなさっている方で、私ともそうした接点もあってお付き合いしてきたところがあります。入院中の2ヶ月間、いろいろなことを考えたそうです。ちょうど居間のテレビで故石原裕次郎氏の特集番組をやっていましたが、ときどきそちらを見ては、感慨深そうになさっていました。酒好きだったにもかかわらず、ほとんど飲めなくなっておられ、私は代わって飲みたいような気になって、かなり飲んでしまいました。
 最近、故遠藤周作氏にまつわる文章を集めた『遠藤周作のすべて』という本を読みました。弔辞なども含まれていて、遠藤周作が亡くなった後に、周囲の人間が生前のエピソードや感慨を書いたものを、文藝春秋社が編集したものです。その冒頭に、遠藤氏のご子息である遠藤龍之介氏の文章が載っていました。肉親が見た遠藤周作は、風変わりであり、いたずら好きであり、大まじめであり、愛すべき人物でした。病弱だった遠藤周作は、常に死と向き合っていたようです。
 「メメント・モリ」という有名な言葉がありますが、死と向き合って生きるというのは、どういうことなのでしょうか。いずれ、私にもそういう時期が来ると思いますが、そのときにじたばたしないように、悔いのない生き方をし、従容として死を受け容れる度量を身につけたいと思いました。

忘れてた1周年

2009-07-04 00:27:12 | コラム
 このブログを始めたのは、1年前の6月21日でした。横浜の記事が最初でした。当時、私は、身内の人間に裏切られ、いわれのない酷い仕打ちを受け、自らのアイデンティティーさえ失うほどの境遇にありました。さすがに死のうとは思いませんでしたが、何かにすがり、何かを頼りに日々を送らねばなりませんでした。そのために始めたのがこのブログでした。
 あの当時と比べれば、現在の生活は安定しているように見えます。しかし、孤独感は変わりません。そして、何より、失った自信や誇り、アイデンティティーは容易に回復していません。軽蔑に値する相手から、否定され、蔑まれ、人間として見られなかった事実が頭を離れません。あのときに味わった惨めさ、情けなさは、恐らく一生消えることはないでしょう。それまで築き上げてきたつもりでいた自分自身が、あっという間に崩壊してしまったのです。あの喪失感をずっと引きずったまま、日々を送っています。今まで以上に、自分を主張できなくなり、自分に閉じこもる心が強くなってしまいました。
 人間なんて、それほど変わるモノじゃないと、変なたかをくくっていました。事実はそうではない。今の世の中、毎日暗い話題ばかりで、犯罪やトラブルが絶えることはありません。おかしな人間はたくさんいる。もちろん、自分も例外ではないでしょう。
 このブログは、自分の復活をかけたものと言えるかもしれません。そんなタイソーなものではもちろんないけれど、自分の中ではそんな気持ちでした。思えば、過去にもそういう時期がありました。そのときは、日記だけが友達でした。それに比べれば、今回はブログという形で、一応開かれた方法を選択しています。くだらない内容で、まったく反響はありませんが、それでも、自分の気持ちが外へ向かって開いているというのが救いです。他者を求め、自分を開いていくというスタンスはこれからも忘れないようにしていきたいと思っています。
 

梅雨の幸運

2009-07-02 22:48:37 | コラム
生きていると、本当にたまによいこともありますね。今日は午後から本社へ出張でした。雨でうっとうしいなあと思いつつ、会社を出ると、隣の課で働いている女性と一緒になりました。彼女も本社の研修に行くと思ったので気楽に声をかけたのですが、電車で本社まで一緒に行く間に、昼食もご一緒するという幸運に恵まれ、天にも昇る気分でした。
 彼女とは、今年から同じ支社の勤務ですが、不思議と顔を合わせる機会が多く、素敵な方だなあと憧れていました。同僚の女子社員から情報を得ていたので、結婚していることは知っていました。でも、妙なことは考えていないので、問題ありませんでした。魅力的な人は、魅力的な人です。変な意味でなく、それは問題ではありません。
 彼女の魅力とは何なのでしょう? 明るくて少しシャイな感じでしょうか。今日も、決して私より先を歩こうとしない。聞いてみたら福岡の出身ということで、何となく納得したりしました。
 御陰様で嫌な出張も楽しく終えることができました。純情オヤジの私も、「今度、飲みに行きましょう」というお誘いをすることはできました。彼女も「ぜひ」と言ってくれましたが、叶う日は来るのでしょうか。
 帰りは、久しぶりに神保町へ行ってみました。古本屋の店頭で『源氏物語と仏教思想』という本を見つけて買いました。すると、店主が「あそこに積んである本は何冊ぐらい出ているんでしょうか?」と声をかけてきました。見ると『源氏物語』の写本を活字にしたらしい本が4冊くくられ、2000円の値札が付いていました。店主は明らかに『源氏物語』には不案内のようでした。帰宅して調べてみると、この本には、私の買った値段の10倍以上の値が付いていました。読みたかったので購入したのですが、久しぶりに掘り出し物を見つけた気がします。
 今日はとてもよい日でした。たまにはこういう日もなくてはね。