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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

ペットショップにて

2009-11-08 00:07:18 | コラム
 スーパーのペットコーナーにふらりと立ち寄りました。特に、犬や猫を買おうと思ったわけではなく、積極的に見たいというわけでもなく、本当に軽い気持ちでちょっと前を通ったという感じでした。
 あまり人目につかない場所であるにもかかわらず、予想以上のお客さんがいました。中には、既に購入する犬を決めて、その犬を抱きながら、店員さんと話している主婦もいました。
 壁面のオリには、さまざまな犬がいました。子犬は本当に可愛いですね。特に、室内犬の子犬は愛らしくて、いつまで見ていても飽きません。
 そんな中で、中央のゲージには大きな犬が一頭いました。それはハスキー犬の子供でした。メスだと書いてありましたので、オスよりは小さいと思いますが、それでも、壁面の子犬たちに慣れた目には、堂々として見えました。そのハスキー犬は血統が正しいと犬のようでした。とはいえ、まだ子犬。私が手を出すと、さかんに甘噛みしてきます。自身は甘噛みのつもりでも、鋭い歯で噛まれるとかなり痛いです。でも、それが気にならないのは、私も相当な動物好きだと改めて感じました。手や袖に噛みついてくる仕草は何とも可愛らしくて、いつまでもそうしていたい気分でした。幼いうちから母親とも離れ、淋しいのだろうと思うと、かわいそうになり、ますます離れがたくなりました。こうして、多くの人が、衝動買い的にペットを買ってしまうのだろうと思いました。
 しばらくして、ハスキー犬の目を見ると、左右の色が違うことに気づきました。一方が水色、一方が茶色なのです。人間が人為的にしたことなのかと思うと、暗い気持ちになりました。猫でも左右の目の色が違う種類があったと思いますが、何もそこまでという気がしました。
 思いの外長い時間、ハスキー犬と遊んでいましたが、いつまでも遊んでいるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで立ち去りました。数日後、顔を見に寄ると、ハスキー犬はもうゲージの中にいませんでした。今頃、広い庭のある家で飼われていたらいいと思います。

ユニバーサルデザインについて

2009-11-02 22:46:28 | コラム
 高齢化や国際化も手伝って、ユニバーサルデザインという言葉が市民権を得ています。誰にでも使いやすいデザインという感じで考えてよいのではないでしょうか。すでに一般化したバリアフリー、ペットボトルの形など、さまざまなモノでユニバーサルデザインは採用されていると思っていました。
 難しいマニュアルなど読まなくても、ある程度なら感覚で操作できる機械。私はユニバーサルデザインはそういう分野にも応用されるべきだと思います。今日、エアコンのリモコンが効かなくなったので、電池切れだと思い、交換しようとしました。しかし、どこをどうやって開けたらよいのかわかりません。リモコンの下部をスライドさせると、隙間から電池が入っているのが見えるので、その電池を取り出せばよいことはわかります。わかりながら、できないもどかしさは何とも言えず不快なものです。無理をして開けようとすればどこか壊れそうですし、マニュアルには書いてあるのでしょうが、それを探し出して読むのは面倒です。
 普通ならば、PUSHとかOPENとか表示があると思うのですが、それもなく、どうやって電池を替えたらよいかわからない。これは、ユニバーサルデザインの精神に反していると思います。電池交換などは数年に1度の作業です。経験したとしても、特殊なやり方では覚えていることはできません。誰が、どのように考えても、直感でわかるような開け方にするべきだと思います。それが「ひとにやさしい」ということではないでしょうか。物作りをする方は、ぜひ忘れずにいてほしいことだと思いました。
 ちなみに、イタリアで面白い経験をしました。トイレに入って水を流そうとするとき、どこにレバーやボタンがあるのか見当がつかないのです。イタリアはデザインの国で、トイレの内部もなかなか凝っていました。それ故に、困るのです。感覚の違いなどもあったでしょうが、とてつもなく大きな板のようなスイッチだったり、足下のほんの小さなペダルだったりと、水を流すことがどれほど大変なことかを知りました。これは、イタリア一流のお遊び精神なのかもしれませんので、ことさら怒るつもりはありません。でも、急いでいたときなど、慌てたことは確かでした。

頑張れマツイ!

2009-11-01 20:19:56 | コラム
 松井秀喜選手を見て、実家の母は「私はこの子が好き。顔が悪いから」と決まって言います。失礼ながら、イチロー選手に比べるとスマートさやキレのような印象は薄く、鈍重に近い印象を受けます。ゴジラというあだ名も影響しているかもしれません。
 現在、松井選手はワールドシリーズ参戦中です。今シーズンの松井選手は怪我に泣き、出場機会も限られ、DHでの起用が多かったと思います。打率は3割を切りましたが、それでもホストシーズンまで含めれば30本の本塁打を放っています。その本塁打も、ワールドシリーズ第2戦で放った勝ち越しのソロホーマーに象徴されるように、価値ある一発が多かったように思います。ヤンキースとの契約が切れる時期、その去就が注目されているようですが、松井選手の活躍はもっと評価されてよいように思います。
 最近流行の言葉で言えば、私は、松井選手はサムライだと思います。凡退しても言い訳をせず、不調でもインタビューにはくさることなく答え、よい結果を出すべく地味ながら努力している姿は、立派だと思います。アメリカのメディアも、松井選手のこういう姿を採り上げてくれれば、日米交流の架け橋にさえなりうる人材であると思います。また、日本でも、数少なくなったサムライとして、若い人々にアピールしてもよいのではないでしょうか。
 折から日本シリーズも戦われていますが、私はワールドシリーズの方に興味があります。できれば、松井選手の活躍でヤンキースが勝ってくれることを祈りたいですが、神頼みはせずとも、しっかりと結果を出すところまで働いてくれるのが松井選手です。活躍を見守りたいと思います。
 

女医さんとのこと

2009-10-31 21:41:37 | コラム
 先週、犬歯を抜き、今週は親不知を抜きました。以前、このブログにも紹介した歯科医師がよかったのですが、今年度初めに転勤したこともあり、前の歯科には距離的な問題で通えなくなりました。しかし、ここへきて調子が悪くなり、これ以上放っておくこともできなくなって、職場の方に尋ねて、新たな医院を紹介してもらいました。
 紹介者にも女医さんであることは聞いていましたし、こっそりネットで調べて、「美人歯科医」であることも情報を得ました。表面的には「そんなことは関係ないよ。腕が全てだからね」などという表情を装っていますが、内心はかなり期待して(何の?)行きました。初対面の先生は、マスクやメガネでお顔はほとんどわからないものの、端正な顔立ちで、恐ろしく華奢であることは、すぐにわかりました。
 物腰も女性的で、つつましい印象を受けましたが、さすがに治療に対する決断は早く、2回通院して2本の歯を抜きました。「抜きましょう」という優しい声とは裏腹に、力ずくで引っこ抜くので、すごく痛くて、大の男が泣きそうになりました。こんな綺麗で、華奢な先生の、どこにこんな力があるのかと、たじろぐほどでした。
 一部の男性には偏愛される先生かな、と思います。でも、私にはそういう趣味はないので、女性はやはり怖いなあと妙なことを感じてしまいます。もうしばらくは通院しなければならないのですが、ちょっと不安になっています。

ある訃報

2009-10-25 22:48:44 | コラム
 夜になってから訃報が届きました。知り合いの若い知人から、お父さんの死を知らせる電話でした。前にこのブログでも書いたことのある方です。胃ガンの手術をし、すっかり痩せたお父さんと、知人の新築した家で酒を飲みました。あれが最後の出会いになりました。今思えば、お父さんにも覚悟があったのだろうと思います。そういう感じの、静かな別れでした。
 お父さんとは仕事上からの付き合いでした。3年近く、ときどきお目に掛かって言葉を交わしたにすぎません。しかし、仕事が終わった後になっても連絡をくださいました。1年に1度も会ってはいないと思います。そもそも息子である知人とは、私はずっと会っていませんでした。知人よりお父さんの方に会っていたというおかしな話です。
 今日、電話がきたときも、お父さんだと思って挨拶していました。知人から電話がくることはなかったのです。いつも、お父さんがかけてきて、待ち合わせ場所へ行くと、知人がいるという感じでした。声も似ていたので違和感なく話し始めていましたが、すぐに話が理解できなくなり、その後、すぐに飲み込めました。
 知人は2日、病院に泊まり込み、死に際にも立ち会ったようなことを言っていました。よかったと思います。おそらく意識もすでに混濁していたのではないでしょうか。道元を慕って、禅に打ち込まれていた方ですから、死というものも、しっかりと受け容れられたのだろうと思います。70歳はまだお若いけれど、思い通りの人生を歩かれた方だと思います。
 私も近い将来、知人と同じような経験をするでしょう。そして、次は、私自身が、知人のお父さんの立場になるでしょう。そう考えると、順番なのだなあと思います。私たちは巡ってきた場面場面で、それぞれの役割を演じ、消えていくのです。それは無駄と言えばそれまでですが、壮大なリレーのバトンを渡していくようなものです。自分が引き継いだバトンを、次のランナーにしっかり渡せるように、皆生きているのだと言うこともできます。子供がいる人にははっきりとそれがわかります。しかし、子供がいない人でも、周囲の人とのさまざまな交流が、バトンを受け渡していることだと思われます。
 目先のことだけに忙殺されがちな日常にあって、今日の訃報は、そうした壮大なリレーを思い出させてくれる貴重な機会でした。
 最後に、知人のお父さんのご冥福をお祈りします。合掌。

毎朝会う父と娘

2009-10-13 22:48:18 | コラム
 毎朝、通勤途上である父娘に出会います。父親は少し小柄ですが、40代後半くらいでしょうか。娘さんは制服のような服を着ていますので、中学生か高校生と思われます。その娘さんは明らかにダウン症であると思われます。ダウン症に特有の顔立ちをしています。
 父親と娘は、毎日手をつないで、何やら楽しそうに話しながら、私の横を通って行きます。最初は、少し痛々しいような、辛い気持ちですれ違うことが多かったのですが、最近、私の気持ちは変わってきました。
 中高生の娘が、父と手をつないで、毎朝一緒に登校するなどという話が、現実にあるでしょうか。健常者であれば、まずありえないことでしょう。年頃になると、男女の区別なく、子供は親を疎ましく感じ始めるのが普通でしょう。私が毎朝顔を合わせる父娘は、世間の多くの親子のようではありません。信頼感と愛情が、それぞれからにじみ出ているように感じられてなりません。娘は現実をよく理解できないかもしれませんが、父親は罪悪感のような感情に苦しみ、娘の将来を思って悲嘆に暮れたはずです。でも、二人の笑顔からはそんな経緯はまったく見えてきません。静かで親密な空気が感じられるだけです。
 父親も母親も、現実を受け容れ、娘のために明るく振る舞ってきたのでしょう。悲しんでいても何も始まらないと悟ったのかもしれません。そんな感情が生まれる以前に、現実との葛藤だけで精一杯の生活だったかもしれません。
 私が感じるようになったのは、家庭の平和です。妙な同情をするつもりはありません。でも、あの父親は、ある意味、幸せな人だと思わずにはいられません。現実を知らないで、あまりにも無責任な感想だとは思います。しかし、最近は羨ましいような気がしてならないのです。

高齢化の波

2009-10-12 09:33:14 | コラム
 体育の日にふさわしい天気の良い日になりました。
 私は帰省して、昨日は教会のバザーに行ってきました。私はクリスチャンではありませんが、叔母の家族が信者で、毎年声をかけられ、帰省しているときなどは出かけてみます。小さな教会でしたが、シスターや信者の方々が、雑貨を売ったり食べ物を作ったりして賑わっていました。
 今回、気がついたのは高齢者が多いこと。ちょうど来ていた一つ年上の従兄弟によれば、若い信者やシスターはいないということでした。クリスチャン自体の数が減っているようです。私は、核家族化が原因ではないかと思いました。昔のように大家族であれば、信仰も祖父母から父母、子供、孫へと自然に続いていくでしょう。核家族化はそれをとぎれさせてしまうのではないかと感じたのです。
 従兄弟は、夫婦で仲良く食事をし、話をしていました。明るく穏やかな印象は昔以上になっていました。よい歳の取り方をしていると思いました。彼は昔から熱心な信者で、奥さんも教会で知り合った人で、やはり強い信仰心を持っています。三人の子供達も入信していますが、あまり熱心ではないようです。昨日も姿が見えませんでした。あの従兄弟夫婦にしても、子供達が信仰から遠のいてしまうのなら、全体として信者が減っているという現実も、さもありなんと思われました。熱心な信徒の叔母も高齢のために来ていませんでした。
 連休最終日、今日は上京しなければなりません。昨夜は久しぶりに酒を堪能しました。ビール、ワイン、日本酒と楽しみ、今日は頭が痛いです。車で来たので、運転は気をつけないといけません。どうも今日は日記になってしまいました。

幼なじみの夢

2009-10-12 01:22:01 | コラム
 幼なじみからメールが届きました。私が帰省して、一緒に電気店へ買い物に行った夢だそうです。私は熱心にカメラを眺めていたらしい。その後、私と別れた友人は山中で不思議な寺を見かけます。それは、2階建てで、建物の中央を大きな木が貫いているらしい。驚いた友人は、それを私に伝えようと決心して目が覚めたという事のようです。
 友人は、この夢を見て、予感めいたモノがあり、メールを開いてみました。すると、そこには私からのメールが届いていて、「やっぱり」と感じたそうです。私のメールは、もう2週間くらい前に、友人からもらったメールの返信でした。なかなか返事が出せず、ようやく、前日に送ったモノでした。友人にとっては、まさに忘れた頃に届いた返信であったはずです。
 友人からのメールを読んで、私は不思議な気がしました。まず、ここしばらく、不意に思い出す光景がありました。盛岡の県庁前にある石割桜です。一度、旅行で見た木でしたが、それを何のきっかけもなく、本当に不意に思い出しては、紅葉の写真でも撮れば美しいのではないかと思っていた。どうして思い出すのか、いぶかしく思っていたのです。石割桜は、その名の通り、大きな岩を二つに貫いて、桜の巨木が根を張っている。友人が見た、寺を貫通する巨木と通じる姿が感じられます。次に、この連休に私は帰省する予定でした。描きためていた絵を手放すためです。友人の夢は、私の帰省を予期していたようでもあります。
 友人とは、深い部分でつながっているのかな、と改めて思いました。思えば、保育園からの付き合いです。私の人生を考えたとき、こんなに長い期間、友人だった人間はほかにいません。古い木には神が宿ると言いますが、古い交友関係にも、説明できない不思議な絆が生まれるようです。

西友の片隅で

2009-10-10 00:09:37 | コラム
 最近の私の密かな楽しみは、通勤途上にある西友で一杯やることです。店の片隅にテーブルと椅子が置かれたスペースがあり、自販機が置かれています。帰り道、そこで缶ビールや酎ハイ、ワンカップの日本酒などを飲むのが、癒される時間です。つまみはお菓子が1袋あれば十分。たまに帰り時間に余裕がある日は、立ち寄っています。いい歳をした男が、スーパーの片隅で酒をあおる姿は惨めかも知れませんが、家では禁じられている以上しかたありません。
 今日も立ち寄って500mlの酎ハイを飲んでいました。すると隣りに、小学校3~4年生くらいの女の子を連れた主婦が来ました。主婦は、娘にジュースを与えて、買い物に向かいました。しばらくすると、娘が、売り場の方に向かって「おかあさーん」と連呼し始めました。その不思議な抑揚を聞いていると、自分も幼い頃、こんなふうに母親を呼んだことがあったような気がしてきました。その連呼は、かなり長く続き、その間に私の心の深層に染み渡っていくようでした。懐かしくもあり、もの悲しい響きでした。
 その声に気づいたのか、母親が現れ、なにがしかのやりとりがあり、母親はまた売り場に戻って行きました。気がつくと、女の子は赤いランドセルから勉強道具を取り出して、勉強を始めていました。宿題をやっていたのかもしれません。この親娘はいったいどういう家庭環境で生活しているのだろう、他人事ながら、何だか心配になりました。
 格差社会を迎え、勝ち組と負け組の差は広がるばかりです。私なども負け組に属すと思います。勤め帰りのスーパーで缶酎ハイをあおっている図は、どう見ても勝ち組ではないでしょう。そして、あの母娘の姿も、場末の光景のような気がしてなりませんでした。生活も心も、私達の身近なところが既に、暗い方向へ向かって傾斜し始めている。蛍光灯が煌々と照らし出す店内が、一転してブラックライトに照らし出されるような幻覚を感じて、背中に寒さを覚えました。

台風の日に考えたこと

2009-10-09 00:38:45 | コラム
 昨日は台風が上陸し、列島を縦断しました。私は、朝の出勤途上で強い風雨のためにズボンがびしょぬれ。ひどい目に遭いました。
 それでも、バスも電車も動き、いつも通りに通勤できました。もちろん、電気も止まらず、ほとんど生活には支障がありません。ライフラインが寸断されることもなく、インフラ整備ができているのかなと思いました。
 昔は、台風や大雪で、停電になることがしばしばありました。家庭には懐中電灯のほかにロウソクが常備されていました。長い停電もあったので、懐中電灯だけでは、光源として心許なかったのです。
 家族が顔を合わせて、揺れるロウソクの火を見つめていた情景を、今でもはっきりと思い出します。子供は無邪気なもので、停電という非日常的な事件を結構楽しんでいました。もちろん、いつ復旧するのかという不安や、天井の暗がりに潜む何者かの気配に怯えていたのも事実です。でも、それさえもスリルとして楽しんでいたようです。家族が1つ部屋に集まり、息を殺すように過ごしていた時間も、楽しかったのかもしれません。そうでなければ、母は夜なべで内職をしていて、子供達と話す時間もありませんでした。あの頃は、母もまだ若く、写真を見るとはちきれそうに太っていました。逆上すると、箒の柄で叩かれました。私の手首には、そのときのアザが残っています。老いた現在の母からは、想像もつかないエピソードです。
 今なら虐待でしょう。DVといってもよいかもしれない。でも、私は、恨んではいません。母の存在や行為が、私の性格に大きな影響を与えたことは間違いありませんが、それはそれとして受け容れるしかありません。それは過ぎたことだし、私が選択できることではありませんでした。だから、今、何を言ってもしかたがありません。私は、あの母に育てられたという事実しかないのです。
 先日、これがいよいよ最後かも知れないと考え、温泉旅行に連れて行きました。そろそろ、私自身が覚悟しておかなければならないことが多いと考えるようになりました。でも、そう書いているだけで、本当に覚悟はしていませんね。そう遠くない将来、母を看取ることができるとするなら、私には最後に母に告げたいと思っている言葉があります。それは、まだヒミツにしておきます。

散歩の楽しみ

2009-10-04 20:46:36 | コラム
 散歩の醍醐味は、見知らぬ町を歩くことにある。気に入った町を何度も訪ねるのもよいが、角を曲がると何があるかと胸をときめかせることができるのは、やはり知らない街角に立ったときである。
 そもそも散歩とは何であろうか。常套手段として『広辞苑』をひくと、第三版には「気晴らしや健康のために、ぶらぶら歩くこと」と出ていた。
 最近は、健康ブームのせいか、ジャージを着込んで早足で歩いている人をよく見かける。深夜に中年の女性が歩いていると、他人ごとながら、何もそこまで……と思ってしまうし、危険ではないかと不安になったりする。そのような歩き方は、ぶらぶら歩くという散歩の趣旨からはずれている。当事者も散歩ではなくスポーツとして楽しんでいるのだろう。そう考えて見回してみると、現代、散歩を楽しんでいる人はごく少ないと気づく。
 私は最近、初めて浅草の裏通りを歩いてみた。まず、最初に目にして驚いたのは、芸妓さんに出会ったことだった。風呂敷包みを抱え、優雅に下駄を運ぶ姿に、思わず立ち止まって眺め入った。艶やかな白粉を見送って、何か得をしたように思ったことであった。
 狭い露地に入ったところで、微笑ましい光景を目にした。ポメラニアンを散歩させていたお嬢さんが、犬を放したのか、紐でもはずれて結果として放すことになったのか、ともあれ走る犬を追いかけていた。犬は大喜びで道路を走り回って捕まる気配はなかった。その時、近所の八百屋のお兄さんが駆け寄って、犬の行く手を阻んでとおせんぼをした。犬は喜んで、今度はお兄さんを相手に走り回った。近くにいた人達は皆足を止め、微笑みながら、犬とお兄さんのやりとりを眺めていた。
 都会では散歩をする場所がないという人がいたら反論したい。散歩心を持っていれば、どこにでも感動や発見が待っているのである。

商品レビュー~ヘアカバースプレーは買いだ!

2009-10-03 23:31:36 | コラム
 「髪が増えてみえる!」これがパッケージの宣伝文句でした。この姑息な言い回し、実によく正体を言い表していて、かえって信用できると直感しました。というより、気に入ったのは値段かもしれません。1980円。これなら騙されても諦められる金額だと思いました。
 西友の薬売り場でシャンプーを物色していたところ、棚の片隅に置かれていたのが、ウテナから販売されている「マッシーニ クイックヘアカバースプレー」という商品でした。私は心に快哉を叫びました。私を絶望の淵から救ってくれるのはこれだ!と。
 パッケージにはつむじが薄くなり始めた後ろ頭の写真が「before」と出ており、それが全然わからなくなった写真には「after」の文字。その上には赤字の注釈が。「スプレーするだけで、ミクロの天然微粉末が髪1本1本に付着し、太くふんわりボリュームアップ。自然な仕上がりです」とありました。読んでいるうちに、私は視界がぼやけ、涙を抑えるのに必死になっていました。思い起こせば、ここ十数年、生え際の後退にコンプレックスを持ち続けた日々でした。会う人の視線が皆生え際に向いているような感覚に苦しみ、異性とまともに話もできない有様。リアップにも投資し、カツラメーカーの頭髪診断も受けました。しかし、事態が好転することはなく、遂に今日まできてしまいました。
 このパッケージの文句こそ、私には福音でした。迷わず購入。翌日から早速使用を始めました。結論から言えば、実にイイ。どう考えても、この言葉しかありません。「イイ」んです。私は毎朝、前髪に軽くスプレーするだけですが、ずいぶん黒く見える。それだけで、多少の自信が生まれるから不思議です。そういった表面上の効果、これは「イイ」と表現するしかないでしょう。根本的な解決など望んではいないのです。誤魔化せればいいのです。それも、もう2~3年くらいでいい。そのあとは、どうあがこうと、もう立派な老人ですから慌てることはないでしょう。問題は今なのです。人生最後の輝きを、短期間でも演出できればよいのです。
 私と同じような悩みを持っている皆さん。これはイイです。自信をもってオススメします。化繊の人工毛をスプレーするような商品が出ていることも知っています。でも、それは高価です。高いお金を出して真面目に誤魔化しをするのは道に反するやり方だと私は思います。インチキはインチキらしくするのがスジというものではないでしょうか。「マッシーニ クイックヘアカバースプレー」は、その胡散臭いところがイイ。私は、しばらく愛用する所存です。

難しい決断

2009-10-03 00:24:30 | コラム
 昨日、友人に頼まれて離婚届に署名捺印しました。協議離婚の場合、2名の証人が必要なのです。私は、その旦那とも奥さんとも大学時代からの付き合いでした。
 今日、二人は届けを出しに行きました。昼過ぎに、奥さんからメールが届きました。正式に旧姓に戻ったという知らせでした。彼女は、5年前から地方にある実家に戻り、高齢になったご両親の介護に明け暮れていました。
 二人の間がうまくいかなくなった頃から、二人からは、それぞれ、それとなく相談を受けたり、奥さんからは仲介を頼まれたこともありました。私は顛末を知っていますが、ここで細かく書く必要はないでしょう。仕事熱心な旦那と専業主婦になった奥さん。奥さんの方はやがてうつ病になり、気力も萎えていき、夫婦の間の会話さえなくなってしまいました。
 しかし、私は大学時代から、二人の付き合いを疑問視しているようなところがありました。あまり合いそうもないという気がしていたのです。ですから、二人の仲を取りもつと言うことを積極的にはしませんでした。むしろ、お互いに別れた方が幸せになれると思っていました。
 旦那は別居中の5年間、毎月送金を続けてきました。偉いと思います。離婚にあたっても十分過ぎるほど、金銭的な約束を取り交わしていました。
 夜になってから、旦那に電話しました。肩の荷が下りたと同時に、淋しさも感じているのではないかと心配したのです。案の定、気が抜けたと言っていました。そして、いざ離婚してみると、不憫さと、今まで支えてくれていたことに気づいた罪悪感でいっぱいになったと、電話口で泣いていました。改めて、優しい人だと思いました。
 人間は、自分に裏切られることがありますね。そんなはずはないと思っても、意地や強がりを排除したときに、本当の気持ちにぶち当たりたじろぐということがあるようです。特に男女の間は難しいですね。それでも、私は、この結論でよかったのだと思っています。同情が相手を苦しめることだってあるからです。

ネコグッズ大集合

2009-09-22 02:30:14 | コラム
 コレクターです。収集癖があるようです。ネコが好きなのでネコグッズも集めています。今日は、その中から選りすぐりの5点を紹介させてください。
 左上は、佐野だったかの小さなお店を訪ねて買いました。ガイドブックに紹介されていたので立ち寄ったのですが、本当に小さなお店でした。しかし、素朴な味わいが何とも言えず、作った人の温厚な性格がよく表れているのではないかと思います。
 左手前は、映像が少しぼけてしまいました。イタリアのオリヴィエートという街で購入した大理石のネコです。オリヴィエートは塔が林立している街として有名です。特産のワインとこのネコを土産に買いました。自分のために購入したイタリア土産は、このネコだけでした。私のイタリア旅行の思い出の品ということになります。
 右奧は、金沢の物産館で買った置物のネコです。ずっしりと重く、ラフスケッチのような豪快な造型は、柔らかい繊細さも兼ね備えています。
 右手前は、布製のネコ。この中では最も安価でしょう。山形の紅花会館だったか、で買いました。小さなお手玉のような感じですが、表情が可愛らしくて大変気に入っています。
 最後は、中央のネコ。作家モノで、この中では一番高価なものです。おそらく、私の所有するネコグッズの中でも最も高価なモノでしょう。プランタン銀座で、定期的に開かれるネコグッズの販売会?で、一目見て気に入ってしまい、私としては思い切って買いました。家宝といえる逸品です。
 この他にも、ネコグッズはケースに入れて飾っています。またの機会にご紹介しましょう。ネコファンは大勢いらっしゃると思います。私のコレクションはいかがでしょうか。レベル高いでしょう?

9月18日の空

2009-09-20 23:47:16 | コラム
 9月18日、自宅のベランダから撮った空の写真です。春から夏の間はまったく見えなかった富士山が、青いシルエットを見せてくれるようになりました。毎朝、窓の外に富士を眺めるのが朝の日課になります。当然、空や雲に目が行くと、雲にもさまざまな表情があることがわかってきます。この雲も、見つけてすぐにカメラを用意してシャッターを切りました。
 職場や仕事で閉塞感を感じるようになったら、通勤途上で空を眺めるようにしています。それだけで、うつむき加減の気持ちが少し上向きになるような気がするから不思議です。広がる空間は、心も広くしてくれるように感じられます。それがマンションを購入した一つの動機でした。エレベーターから部屋までの廊下は180度のパノラマが開けていて、雲の博物館のような気がしたものです。
 あなたが、もし同じような閉塞感を感じていらっしゃるなら、たまには空をご覧になってください。極めて簡便なストレス解消法になると思います。