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観自在

身辺雑感を気ままに書き込んでいます。日記ではなく、随筆風にと心がけています。気になったら是非メールください!

人身事故のささやかな余波

2009-06-22 23:30:12 | コラム
 今日は家を出るのがいつもより少し遅れ、ちょっと気持ちが焦っていました。駅に着くと、駅員さんが入口の階段のところで「運転を再開したところです」と声を掛けています。そこで初めて電車が止まっていたことを知りました。
 改札口では大勢の人が、掲示板を見ながら不安そうにしていました。私は、そこをかき分けて、改札を通りました。ホームへ降りる階段から人の動きがほとんどなくなりましたが、ホームには列車が入っており、とにかく、それに乗り込もうと階段を下って行きました。
 幸運にも、数分でその電車は動きだしました。ただ、すし詰め状態で、とんでもなく遅い。私は2駅間しかないので、あまり気になりませんでしたが、先まで行く人は気が気でなかったでしょう。車内報道で、私が降車する駅で人身事故が発生し、それで電車が止まっていたとわかりました。あの駅のホームから、誰かがふらふらとホームに飛び降りてしまったのか、と想像しました。自分だっていつそうなるかわからないという気持ちがあるので、当事者を非難する気にはなりませんでした。
 下車する駅に着いて、迷いました。安全策をとるなら、遅延証明書をもらわなくてはなりませんが、かなり行列になっていて時間がかかりそうでした。時計を見ると、急げば出勤時間ぎりぎりで間に合いそうでした。何と、こんな日に限って携帯電話を忘れて来たので、会社に連絡することもできません。となれば、駅から走って通勤するしかありませんでした。
 私は、毎日、昼食をコンビニで買います。しかし、今朝は時間がありませんでした。汗だくになって会社に着くと、タイムレコーダーは始業1分前でした。何とか間に合ってほっとしました。
 昼になって、コンビニまで行こうと外に出ました。すぐに雨が降り出し、雨脚が強まっていきます。傘を持って出なかったので、これは戻るしかないと思いました。しかたがないので自動販売機でお茶を買い、昼食はそれだけになりました。
 自殺した人がいたのかどうかさえわかりませんが、そのおかげで、私の1日は朝から混乱してしまいました。恨む気持ちにはなれませんが、私などよりもっと影響を受けた人がいるのかと考えると、罪なことだと思います。私が死にたくなったら、朝、電車に飛び込むのはやめようと改めて思いました。

エレベーターの中で

2009-06-16 00:38:08 | コラム
 私はマンションに住んでおり、日常的にエレベーターを利用します。大きな建物ですから、自分だけが乗るという機会はそう多くはありません。たいていは一人か二人の方と相乗りということになります。三人以上いればそうでもありませんが、密室で二人という状況は、相手が同性だとしてもやはり何か緊張しますね。なるべく相手を見ないようにしたり、危害を加えませんということを雰囲気で知ってもらおうと思ったり、そんなことありませんか?やっぱり私の病気なんですかね、そんな気を遣うのは。
 朝なら「おはようございます」、夜なら「こんばんは」と当然挨拶をします。思っている以上には返ってきます。私も言うたびに10円取られるなら言いませんが、挨拶はタダですから言うようにしています。返ってこなくても気にしなければよいのです。「何だ、返事もしないで」と非難するくらいなら、最初からこちらも言わない方がよいでしょう。
 なかなかできないと思うマナーや言葉をかけてもらうことがあります。例えば、扉を開けたまま待っていてくれて、「乗りますか?」と声を掛けてくれる人。先に降りるときに「ご無礼します」と言ってくれたオジサン。今日は、若い女性がいたので待ってあげました。彼女は私より上の階のボタンを押しました。きっとお金持ちなんだな。黒くて長い髪、強いコロンの香りもせず、清楚なご令嬢のようでした。私が先に降りるとき、「お疲れ様でした」と言ってくれました。彼女はただのOLではなく、受付嬢なのかと勝手な妄想を抱きました。「お疲れ様」とは、何と温かな言葉でしょうか。ついぞ聞かない言葉に、一瞬ぼうっとしてしまいました。私のオジサン度もかなりのレベルまできたようです。

魚の飼育

2009-06-12 23:08:49 | コラム
 どうして魚を飼うのが好きだったのでしょうか。ヒブナ、ヒゴイ、金魚、メダカ、ドジョウ、ナマズ、熱帯魚などなど、実にたくさんの魚たちを飼育してきました。
 今でこそアクアリウムですか、水槽の中に魚だけでなく、様々な観賞用の水草を植え、エビなどを飼うのが流行っているようですが、私が子供の頃には、そのような趣味は、趣味として成立しておらず、今のように豊富な機材も売られてはいませんでした。できることは水中に石をレイアウトするくらいでしたが、水中に別世界を作ると言うことに、幼い私は憧れていたように思います。一種の現実逃避と言えるのではないでしょうか。
 熱帯魚は、当時飼っている人もあまりいませんでした。一般の家庭で普通に飼うものではなかったと思います。ネオンテトラとエンゼルフィッシュから始まって、いろいろな熱帯魚を飼いました。熱帯魚で困ったのは停電です。私の小学生くらいの頃には、夏の台風シーズンと冬の季節風が吹き荒れる頃に、必ず停電があったのです。夏ならいいとしても、冬は大変でした。積雪のある地方でしたので、夜は冷えました。私は、水槽の前でストーブを焚き、湯を沸かしながら、温度計とにらめっこの夜を過ごしました。水温が下がればお湯を注ぐ行為を繰り返して朝を迎えたこともあります。
 色とりどりの熱帯魚は本当に綺麗で、見飽きることがありませんでした。
 それがいつ頃からでしょうか、魚を飼うことに情熱がなくなっていきました。時間がなくなったこともあるでしょう。他に興味のわくものができたせいかもしれません。いずれにしても、魚への関心は薄れ、飼わない時期が長く続きました。
 ところが、数年前から、また魚を飼い始めました。近くの川ですくってきたときには、メダカほどだったのに、今では5センチメートル以上あるでしょう。大きくなりました。図鑑で調べてみるとアブラハヤのようです。ときどきじっと見入っていることがあります。
 どうしてまたなのか、と自分でも不思議です。あるいはまた現実逃避したくなっているのかもしれません。

柔道の思い出

2009-06-10 23:14:12 | コラム
 今日、柔道着で走っている学生達を見て、自分の学生時代を思い出しました。私の地方では、冬の間、体育は格技の授業となり、柔道と剣道をやっていました。
 高校時代は、体育の時間が特に嫌でした。体育では、グループに分かれたり、二人一組になって種目の練習をするようなことが多くありましたが、私は親しい友人がいなかったので、スムーズに誰かと組むと言うことができませんでした。ただ、柔道のときは、身長順に並んで相手が決まっていたせいで、私の相手は常にS君でした。S君は私ほどではないにしても目立つ方ではなく、身長のわりには華奢な体格で、投げ技をかけるのも楽でした。しかし、ある年、S君は急に入院し、しばらく学校を休んでいました。やがてS君は復帰しましたが、右腕が二の腕のあたりからなくなっていました。コツニクシュだと教えられました。
 冬になり、私はまたS君と組んで柔道をしました。袖をとっても、彼の右袖には手がありません。それでも、私は腰を使って何とかS君を投げ、S君も左手だけで受け身をしました。難しいのは、私がS君に投げられる番でした。彼が左手だけで引く奧襟で、私は上手く投げられなければなりません。最初はうまくいきませんでしたが、何回か投げられているうちに、息を合わせることを覚え、そのうちに何とか柔道らしく投げられるようになりました。試験の日も、皆の前で乱取りをやり、私は少し手加減して彼に投げられました。彼は、受け身をした私に向かって、にやりと笑って見せました。私も、それに応えて微笑みました。
 彼との交渉は、そんな体育の時間、それも冬の柔道のときだけでした。その後、彼がどうなったのか、私は風の噂にも聞きません。どこかで逞しく生きていてほしいと漠然と思うだけです。

上野に小明洞を見た!

2009-06-07 21:39:48 | コラム
 土曜日は、知人に上野に連れて行ってもらいました。最初は待ち合わせ場所に偶然あったアイリッシュバブでギネスを飲み、その後、すぐに移動。初めて裏通りの焼肉店街に行きました。ここは狭い二、三本の通りに間口の狭い焼肉店が密集しており、真ん中あたりに公衆トイレがあるという造り。韓国の方がやっている店が多いそうで、キムチや香辛料の専門店もありました。
 ちょうど2時近くだったので、昼の定食タイムが終わり、狭い路地では、お姉さんが一心不乱に焼き肉の鉄板を洗っていました。まず入ったのは比較的綺麗な店。1階は4~5人が座れるカウンターしかありません。そこでタンやカルビ、ロースをいただき、大変美味でした。また、すぐに移動、今度は隣のお世辞にも綺麗とは言えない店。1階は小あがりが二つほどしかありませんでしたが、落ち着いてホルモン焼きを中心に食べました。リストラというメニューには笑いました。これは首の部位の肉でしたが、とても美味でした。センマイやハツなんかも久しぶりに食べました。日本酒を二合飲みました。
 これで韓国街には別れを告げ、次は上野駅近くの日本酒の店へ。樽酒が旨い店で、昔からよく行っていた店へご案内です。ここでもジョッキから日本酒2合飲みました。
 知人とは上野で別れましたが、自宅の最寄り駅でさらに一軒。回転寿司でジョッキ2杯飲みました。
 久しぶりにはしごをし、時間があったこともあって、かなり飲めました。また行きたい場所です。今度はぜひマッコリを飲みたいです。
 ちなみに「小明洞」などと知っているふうの書き方をしましたが、私は韓国には行ったことがありません。でも、非常に好きな国ですので、やはり本場に行ってみたいものです。

夏近し

2009-06-03 23:11:06 | コラム
 今朝、バスで通勤途上、目の前の席の方が降りたので、珍しく椅子にかけました。混んでいる車内では、空いたところに座った方が、他の人の迷惑にならないと思いました。でも、確かに疲れていたのも事実です。
 長い時間ではありませんが、車窓を眺めていると、薄着になった女性が颯爽と歩いている姿が見えました。空に目を転じると、今年初めてツバメが飛んでいるのが見えました。人からも自然からも夏の近さを感じる風景でした。
 それなのに、私はどうも不調ですね。何もする気が起きないというか、疲れている感じです。よい季節になったのに、いいアイデアが浮かばずに仕事も行き詰まっていますし、家庭では相変わらず小さくなって息苦しい毎日が続いています。何か気が晴れることはないかなあなどと思っているのがダメなんですね。自分から動かなければよいことに当たるわけがありません。
 仕事帰りは、バスは使いません。交通費を浮かせるために歩きです。運動不足解消の意味もありますが、先日のように迷子になってしまってはしかたがありません。遅いと言って家人に叱られるだけです。今日のような日は、せめてお酒がのみたいなあ。

壊れた目覚まし時計

2009-05-31 12:36:24 | コラム
 昨年の今頃買った目覚まし時計が動かなくなっていたので、購入したホームセンターへ持って行きました。保証書やレシートはなくなっていました。サービスカウンターの女性に調べてもらったところ、修理に出してもたいていは買い換えになってしまい、手数料等を含めると2800円程度になるとのこと。その時計は、まだ棚に陳列してあって、1980円の値札がついていました。
 現代の日本では、こういうことになってしまうんだなあと思いました。予想していたことではありましたが、やっぱりそうなのか。もったいないとは思いますが、動かない時計ではしかたがありません。新しい時計を購入して、この時計は捨てなければならないのだなあと、わかりきったことを何度も考え、結局、今回は購入せずに帰宅しました。
 私達の身の回りはモノにあふれています。しかし、どれもこれも安物の一時しのぎのようなモノばかり。安いものは大切にしませんし、愛着もわきません。実家には、子供の頃に使っていたモノがまだたくさんあり、それを見て昔を懐かしむこともあります。しかし、自宅には、そういったモノがほとんどありません。これは淋しい気がします。例えば、代々引き継がれているようなモノを大切に使い、それを子孫にも伝えていくというような生き方の方が、すっと素晴らしいと思います。おじいさんがそれを手に取り、じっと見ていたなあといった思い出は、そのモノの価値以上に尊いのではないでしょうか。
 幼い頃、私の宝物は自転車でした。それは近所のお兄さんが使っていたのを譲っていただいたもので、所々錆の出た汚い代物でした。でも、私は、暇さえあれば自転車を磨き、大して綺麗にならないことに苛立つこともなく、本当に大切にしていました。当時、自転車は高価で、私の家では買ってもらうことはできませんでした。ところが、どうでしょう。今日行ったホームセンターではママチャリが5750円で販売されていました。時代が変わったのだということを改めて感じました。
 目覚ましがないのは不便ですが、どうも釈然としない気持ちが残ります。

予告~出会い系の闇を暴く

2009-05-21 00:10:13 | コラム
 このブログでもメルトモを探していましたが、1年近くなろうというのに、何も反響がなく、遂に業を煮やしたといった感じです。自分や自分の文章に魅力がないというのが原因でしょう。当然の結果といえるでしょう。勝手にかいているのは当方ですし、それに反応がないからといって恨む筋合いはありません。
 今までの私ですと、ここでもう諦めるのですが、今度ばかりは違います。自分からもっと積極的な出会いを求めなければなりません。
 最近、教育のレベルが高いことで有名になったフィンランドですが、結婚する人のかなり多くが出会い系のサイトで知り合うそうです。そうです。その手があった。
 4月から既にかなりの調査を積みました。体験的レポートということでお金もかかりました。今のところ、残念ながらまだ出会いはありませんが、近いうちには会うところまで漕ぎ着けたいと考えております。少し前に、髪の問題で悪徳商法のレポートを決行しましたが、第二弾を目指しております。乞うご期待です。努力の甲斐あって、書く材量はかなり集まりましたが、まとめる時間をいただきます。題して「出会い系の闇を暴く」というタイトルでいきたいと考えております。
 このように書くと、私は暇人のように思われるでしょう。しかし、本当は忙しいのです。人はなぜか忙しいときに馬鹿馬鹿しいことを考えるもののようです。淋しさや虚しさもありますが、今は、それらも忘れるくらい忙しいのです。こんなことを訴えてもしかたがないのですが、今回はかなり気合いが入っていますね。

休日出勤

2009-05-17 23:30:56 | コラム
 今日は仕事で朝から有楽町へ出かけました。雨が心配されましたが、なんとかもちこたえ、傘を使わずにすんだのはラッキーでした。
 思えば、ずいぶんと久しぶりに都心へ出たものです。仕事が終わってから、一人で街を歩きました。現代は、本当にお付き合いが空疎になっていますね。休日出勤で一緒に仕事をしたのだから、労をねぎらうのも結構ですし、今日のことは今日のうちに総括して、普段は言えないような根本的な問題について話がしたい。昔人間の私は、そんなふうに思ってしまうのです。しかし、何もなく解散・・・・・・。
 しかたがないから一人で飲むかと向かったのは、昔からよく通っていたおでんやさんでした。カウンターがあるので一人でも行けたし、連れがいるときにはテーブル席がたくさんありました。しかし、今日行ってみると、その店はなくなっていました。おそらく、相当な老舗であったはずです。店がなくなったことは、その事実だけにとどまらず、何か自分の青春の1ページがなくなってしまったような、大きなダメージでした。何度も、場所を確認して、諦めたとき、呆然と立ちすくんでしまいました。
 しかたがないので、その足で、ガード下の沖縄料理店へ。泡盛を飲み、豚肉を食べて憂さを晴らしました。
 でも、今日は落ち込んでいません。いろいろ仕事上の刺激を受けて有意義でした。他の部署の人達に負けてはいられない、そういう思いを新たにしました。

フツーの理髪店に行く

2009-05-14 00:07:05 | コラム
日曜日に、散髪してきました。いつもは1700円の店に行くのですが、今回は3800円という、フツー?のお店を奮発しました。平日に行く機会がないので、日曜を活用しなければならなかったのです。
フツーのお店へ行ったのは久しぶりでした。理髪店がハイテクを導入し、独特のサービスをしていることなど、今回、行ってみるまで知りませんでした。
私が行った店は、国道に面した田舎にあると言ってよいと思います。ただ、建物はモダンで広々しており、都会の理髪店とは趣が異なります。
私の散髪をしてくださったのは、初老のご婦人でした。まず、してくれたのはシャンプーです。普通、シャンプーは髪を切った後に行うものでしょう。そこでは、初めての人は最初にシャンプーするそうです。しかも、シャンプー前に、毛穴の脂を見るためのスコープとモニターが登場します。これには本当に驚きました。シャンプーや養毛剤のCMで、よくやっているあれを生で見せられたわけです。その頭皮の状態を見て、ふさわしいシャンプーを選ぶのだということでした。ちなみに毛穴の脂は想像以上でした。
シャンプーは時間をかけ、ゴム製のブラシを利用して行われました。そこでアドバイスされたのは、頭頂部を強くブラシでマッサージすると、生え始めた髪を切ってしまうということでした。私が最近ブラシを使いだしたのは、既にお知らせしたとおりですが、私がやっていた方法では、髪をどんどん切っていたと思います。私は、そこで、間違ったやりかたでシャンプーしていたことに気づきました。
丁寧にシャンプーし、コンディショナーをすりこんでいただいて、頭皮に爽快感やほてりのような感覚を久しぶりに覚えました。髪が健康になったような気がしました。
安ければよいと考えて理髪店を選んでいましたが、それだけではいけないと気付きました。マッサージもそうですし、髪型についても、ハゲをフォローするような気配りでカットしてもらいました。安い店の中には、切れば見てくれなど気にしないというお店もたくさんあるのです。
若い時ならいざ知らず、年齢相応な、年齢にふさわしい店を選ばなければならないと改めて思いました。これは理髪店だけに限りませんね。

近所で迷子に

2009-05-12 23:58:33 | コラム
 毎朝、バスで駅まで通勤していますが、帰りは交通費節約のため、歩いて帰宅しています。約30分くらいでしょうか。気分を変えるためにも、いろいろな道を通るようにしています。
 昨日も、途中から脇道にそれて歩いていました。考え事をしていたせいか、気がつくと知らない道を歩いていて、既に方向感覚もありません。それでもしばらく歩いて、何となく見覚えのある場所に出て、事なきを得ました。まあ、相当な遠回りをしてしまいましたが、帰れてよかったと思います。家からの距離にしたら20分程度のところでも、迷子になってしまうとは情けない限りです。
 おぼろげな記憶をたどってみますと、道をはずれることになった発端は、花の香りでした。通りを曲がったところで、強い百合の花の匂いがして、通りに面した家々の花壇を探したのですが、見当たりません。そこで思い出したのが、百合によく似た香りのする白い花でした。私は、その名前を知りませんが、最近、道を歩いていると、よく匂ってくる花です。蔓状になって、かなり高く茂る植物で、小さいけれども結構肉厚な花が咲いています。
 そこで、伊集院静氏のエッセイを思い出したのです。氏の作品には、本当によく花が登場します。机の上に飾られていたり、酒場のカウンターに置かれている花々の名前を、伊集院氏は大変よくご存知です。
 最近読んだのは『母の男言葉』というエッセイ集です。そのあとがきで長友啓典氏が、伊集院氏の品格ということを話題にしています。ありていに言えば、だらしない私生活なのに、どうして伊集院氏には品格があるのかということでした。私が思うに、それは伊集院氏が信念を持って生きているからでしょう。一本筋が通っている人間には、品格が備わるのだと思います。
 私は、品がない人間だと思います。それは、いつまでも迷い惑い、ふらふらと筋の通らない生活をしているからでしょう。そして、お金がほしい、女性と親しくなりたいなどと、いつもだらしなく願っているからでしょう。
 そんなことを考えているうちに、家の近所で迷子になってしまった。救われません。

熊野の地蔵

2009-05-10 01:24:12 | コラム
 一昨日は、本当に久しぶりにコメントを頂戴し、大変うれしく拝読しました。子供の日に、路地で一人で遊ぶ少年を見て、その姿を思い出して何となく書いたものでしたが、その方も、同じような少年時代を過ごされていたようです。社会不安障害という病も接点だったのかもしれません。最近は、読んでくださる方も少なくなって、コメントをいただくこともなくなっていました。反響があるというのは、やはりうれしいですね。誰かの心を少しでも動かすきっかけが作れたことは、名誉のようにさえ感じます。
 私は、両親が働いていたこともあり、保育園に通っていました。その頃から、すでにおとなしい子供で、現在、手元に唯一残っている、誕生日の写真には、はにかんだ笑顔が写っています。自分をうまく表現できない子供でしたが、おそらく自己顕示欲はあったのでしょう。そうでなければ、長じてこんなブログは書いていないと思います。
 このブログもそうですけど、最近は、ケータイやパソコンのメールの方が、実際に話している会話の数より多いように思います。これも問題ですね。やはり、直接のコミュニケーションがないのは危険だと思います。
 先日、都心に出た折、熊野の観光キャンペーンをやっていました。世界遺産になって10年がたつようです。早いなあと思います。地蔵が売られていたので買ったら、木製のホルダーをサービスでもらいました。一緒に写しておきます。また行きたいなあ、熊野。

子供の日に

2009-05-07 00:16:32 | コラム
 昨日はGW最終日、車で上京しましたが、それほどの渋滞はなく、助かりました。都内へ入る時間を20時過ぎにしたのがよかったみたいです。
一昨日、実家から外へ出ると、路地で一人の少年が、シャボン玉をして遊んでいました。幼稚園の4~5歳くらいの年齢でしょうか。連休なのに、どこへも行けず、友達もいない淋しさが、その肩のあたりからにじみ出してくるような感じでした。
 私も、その路地で生まれ育ちました。私には、同じ路地に住む友達が二人いて、いつも三人で遊んでいました。そのうちの一人は中学生頃に郊外へ引っ越し、もう一人はずっと路地に住んでいますが、もう親交はありません。たまに会っても、何となく目を背けるような気まずさがあります。どうしてなのか、自分にもよくわかりません。
 友人はいたものの、私は孤独な少年でした。一人で絵を描いたり、自転車に乗って遊んだりしていた時間が長かったように思います。たくさんいた友達も、中学ではうんと減り、高校では誰もいませんでした。フランクに仲間に入っていくことができずに、虚勢をはっていたように思います。適応能力がない、一種の障害者でした。それが現在、社会不安障害となって残っていたのでしょう。
 現代は子供が減って、路地にも子供の姿はありません。あの少年は、路地で見かけた久しぶりの少年でした。私は、彼の姿に自分の少年時代を重ねていました。懐かしい友人達の顔も浮かんできました。あの頃の私は、淋しかったけれど、未来の可能性を持っていました。今は駄目でも、きっとよくなれると思うことができました。
 しかし、現在の私は・・・・・・。押しつぶされそうな閉塞感と、何も思い描けない未来の狭間で、もうもがくことさえ出来なくなっています。

GWの収穫

2009-05-06 00:15:42 | コラム
 GWも明日までになり、道路や鉄道のUターンラッシュが話題に出てきました。この間、私も帰省していましたが、夏物のスーツを買いに行ったり、普段の生活ではなかなか時間のとれないことができました。地方都市というのは、なかなか暮らしやすいもので、車でちょっと出かければ、何件も回って商品を探すことができます。効率がいい。それに比べると、都会では、電車に乗ったりしなければ、次の店へ行けません。百貨店などは、近くにいくつもあるでしょうが、私は百貨店は使わないのでメリットがありません。
 今回、古着屋さんでジャケットを5、6枚、イトーヨーカ堂でパンツ4枚とスーツ1着などを仕入れました。これで、しばらく着るものには不自由せずにすみそうです。これを機会に、今までの服を整理する予定です。それに、今回、絵の置き場を提供してくれる人が現れました。自宅に保管している油絵を預けようと思います。これで自宅では、ずいぶんとスペースができるでしょう。衣類と絵を整理して、家もスリムにできると思います。
 今日は、いよいよ上京します。連休最終日、高速道路はどうなのか、大渋滞でしょうか。休んでいる間、人に会ったりもしましたが、そこで感じたのは、自分の疲れでした。日常は気が張っていて、気づきませんでしたが、休みになって、自分は随分疲れているなあと実感しました。集中力がなくなり、すぐに眠くなる症状は、重態かも?と思いました。連休明け翌日には、本社での研修があります。これで大丈夫なのか? 今日の渋滞で、疲れが増幅されないとよいのですが………。

フリマにて

2009-05-05 00:10:06 | コラム
 帰省して嫌なことは、知人の要請で、フリマの手伝いをしなければならないことです。荷物の積み卸しや接客など、日頃慣れていないことをするのは大変です。
 3日は朝から天気も良く、過ごしやすい日でした。商品を並べていると、隣には初老の男性が店開きを始めました。折りたたみ式の陳列台や、ケースに整理されている商品を見ても、プロの方のようでした。彼は骨董店でした。古いガラクタ(失礼)のようなものをいろいろ並べる手際の良さも、素人には見えませんでした。
 そのうちに、話をするようになり、彼が地元大学の法学部をでて、サラリーマンになった後、退職後に骨董店を始めたことを知りました。店舗は持たず、奥様と各地の骨董市やフリマを回っているようで、東京まで出かけることもあるということでした。
 骨董店にも専門があり、彼は刀剣を扱うのがメインのようでした。頼みもしないのに、刀剣の見方を教えてくれました。昔の刀は、4ミリの鉄板さえまっぷたつにできること、最初は長かった刀が戦闘形式の変化で短くなっていったこと、軍刀はきれいで騙されるが、本当の良い刀は、刃でない部分に木目や正目が美しく出ていること、よい刀は錆が黒くて光沢のあること、コンピュータ制御で作られた偽物にはたがねで削った凹凸がないことなど、いろいろ教えてもらいました。刀を買うことは一生ないでしょうが、知らないことを知るということは面白いと単純に思いました。
 儲けることも損することもあるそうですが、第二の人生で好きなことができるのはよいなあと思いました。客に対する態度も場慣れしていて、そばで見ていて楽しいものでした。その一方で、古本を仕入れたり、ジャケットや鞄を買ってきたり、しっかりフリマを楽しんでもいるようでした。そういうゆとりが羨ましいと思いました。
 どこのだれかも聞きませんでしたが、また会ってみたい人です。