上田駅から徒歩3分。「なかむらや」は、肉うどんの名店だ。今回はセットを注文した。ところで写真では良く分からいが、冷奴にカラシがついてくる。冷奴には、生姜とねぎ若しくはおかかが定番だと思っていた。ところが、ここ上田ではカラシが定番だ。信州でも、この地域だけだと思う。肉うどんの肉は、馬肉。少し甘いのが、拙者の好みと違う。でもこれが、上田の「ソールフード」だ。前に訪れた時は、単品だったが、今回はセットで正解。でもね、今の拙者には少し重かった。
上田駅から徒歩3分。「なかむらや」は、肉うどんの名店だ。今回はセットを注文した。ところで写真では良く分からいが、冷奴にカラシがついてくる。冷奴には、生姜とねぎ若しくはおかかが定番だと思っていた。ところが、ここ上田ではカラシが定番だ。信州でも、この地域だけだと思う。肉うどんの肉は、馬肉。少し甘いのが、拙者の好みと違う。でもこれが、上田の「ソールフード」だ。前に訪れた時は、単品だったが、今回はセットで正解。でもね、今の拙者には少し重かった。
会議中のことだ。突然メンバーの携帯から警報音。そういえば、地震等の時、急を知らせる警報音がなることは知っていたが、一斉に鳴り出すとは。少し遅れ鳴ったのはau。ドコモのほうが早かった。「土砂災害の警報」拙者はガラ携なのか、設定をしていなのか、ビクともしない。ネクサスセブンでヤフーの防災速報を入れてみた。どうなることやら。
ところで、この花(名前は失念した)と梅雨は同期している。花が散るころに梅雨は終わるらしい。
田植の跡です。この先が、田んぼ。
さて、ラジオで情報だが、「アベック」は大学生には伝わらいらしい。新卒者に聞いてみてください。今は「カップル」と言う。
安全保障関連法案と憲法との関係が問われている。新進気鋭の首都大学准教授「木村草太」に注目している。彼のブログから長谷部恭男との対談を聞くことができる。(ラジオの録音)興味ある方は是非どうぞ。詳しい主張は分からないが、これから勉強だ。
写真は、万葉温泉の紫陽花。
深志神社内にある恵比寿殿。御祭神は、事代主神・大国主神。本町一丁目の守護神として、寛保二年(1742)に境内に祀られた。例祭日には、恵比寿様の御神像が飾られ、商売繁盛を願います。とある。
写真は、googleフォトが自動変換?した、白黒写真。
自由民権家 松沢求策 記念碑
松沢求策は、現在の穂高町(安曇野市)に生まれ、明治初年、国会開設運動に携わり、長野県の代表として、また全国の運動の先頭に立ち請願権の確立、政党の結成などに大きく貢献しました。この記念碑は大正三年(1914)、ともに運動した奨匡社員が中心となり、神道会館で開いた救策の追悼会で建設を決定し、大正十三に完成をみました。「松澤君碑」の篆額(てんが)は、西園寺公望の筆によるものです。碑文の大意は次の通りです。
幼いころから学問が好きで、高島章貞に指導を受けた。松本新聞の編集長となり、自由民権運動を進めた。郷里に奨匡社を結成し、大阪の国会期成同盟大会に参加し、上條螘司(ありじ)とともに積極的に請願運動を行った。政党結成を提案し、後の自由党の起源となった。
明治十四年に国会を開設する詔勅が発せられたが、これより先、西園寺公望、中江兆民、松田正久らと東洋自由新聞を設立し、西園寺が脱社するとそのいきさつを暴露したとして投獄された。
明治二十年六月二十五日享年三十三歳で病気のため亡くなり穂高町の東光寺に葬られた。色白で目つきが鋭く、笑うと女性や子どもにも親しまれ、一度怒れば活動家も席を避け議論に優れ文章も達者な快男児である。
平成十三年十一月 松本市教育委員会 松沢求策顕彰会
昨日の続きです。駅を背に縣の森方向に10分ほどのところに深志神社がある。すぐ隣は、「まつもと市民芸術館」がある。参拝を終え、鳥居をくぐった女子高校生が、振り返り、社殿に向かって、一礼し、立ち去った。清々しい光景だ。金曜日の夜、友人との飲み会で久しぶりの夜の松本。かつて行きつけだった「鶴」は「鳥蔵」に代わっていた。信州松代真田地鶏を使った水たきを頂いた。長野にも、長野駅前店があるらしい。
今朝5時半ごろ起床。ホテルの近くを散歩に出かけた。松本は随分変わった。この場所は何度も通っているが、初めて発見した。橋桁はあるのだが、上は道路になっている。高知のはりまや橋のようだ。
中日の和田選手が、42歳11ヶ月で通算2,000本安打を達成した。高校・大学・社会人と遅咲きの和田だった。規定打席に達したのが2002年だから、30歳の時だ。あきらめない姿勢が大記録を生んだといって良いだろう。
写真は、「おかあさんのの木」お勧めです。
写真は、「おかあさんのの木」お勧めです。