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映画『珈琲時光』の”親しさ”、『東京物語』から遠く離れて

2006-08-30 06:23:22 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
”電車でのうたた寝から目覚めたら、見守ってくれていた人がいる・・・”

映画『珈琲時光』は、『東京物語』の小津安二郎監督へのオマージュとして、
『非情都市』などのホウ・シャオシェン監督2003年の映画です。

『東京物語』では、瀬戸内、尾道から東京にでた子供達の家庭を訪ねる両親の話です。
工業化が進み、大都市化してゆく東京で、子供達は、
仕事もそれぞれに、家庭を持ち、孫も都会の子になっている。
自然、街、家族、近所の人などとの関わりの変わりようを、
諦めがちに描かれます。

『珈琲時光』では、東京に暮らす一人のフリーライター陽子の話。
東京は、もう都市と田舎の境界を失った限りない世界のようなもの、
電車と携帯電話で、人に会い、昔を尋ね、育った田舎もその先に繋がっています。
「未婚の母」を選ぼうとしている陽子に、訪ねてきた父は無口に酒をのむばかり、
義母は気遣い、受け入れるだけ。
陽子を想う古書店の青年、肇は、他人の子を宿す陽子に、深入りする言葉なしで、寄り添っています。
人が会いつづける映像は、
運河・橋・地下を行きかう電車や、車中、ホーム、路面電車、駅、
アパート・喫茶店・古書店・実家など、
だれにでもある感じの、特別でない所が映っています。

『東京物語』では、都会の喧騒を復興として受け入れつつ、
親子の気持ちのずれは深まります。
『珈琲時光』では、喧騒も発展も電車での移動に置き換えられ、
血縁、親子の繋がりは問われず、親しい人との緩やかな関わりが大切にされます。

地縁より、血縁よりも、感覚の近しさとして、
生まれた地域に留まらず、結婚・家族で繋ぎ留まるでなく、
愛は、至高でも、情熱でも、結婚ばかりでない、
親しさ=インティマシーの時代でしょうか?

”電車でのうたた寝から目覚めたら、あなたが見守ってくれていた・・・”

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