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トランプ現象を、生活心情を基準とする社会指標への希望へ

2017-01-23 11:30:19 | 暮らし・街・環境

 大統領就任演説でも、心情的なAmerican Firstを、’自由・平等・博愛’という言語知性で批判するのは容易なこと。しかし、タテマエとしての社会性の上で、生産/流通/消費の経済的最適化を進める国際企業が国家を越えた組織となって、国際金融資本市場の為替や株価を動かす主体となって、国家を越えた存在となってきた。国家武力による植民地軍事争奪から、資源/生産労働力/消費力争奪に移ると、自由で誰とでも通貨交換で済む企業経営のほうが優位である。 その交換差益の蓄積に対する国家課税を逃れるために、企業・資産家は、タックス・ヘブンへと資金を隠す。この通貨による経済の自由・平等・博愛(経済のグローバリズム)に、ピケティの『格差』論が火をつけ、労働者の心情を表現したがトランプ氏だった。

 ブリクジットは更に深層の変化だ。グローバル金融国家であった英国が、グローバル政治・経済モデルのEUから離脱したのも、英国民の生活信条だった。EUは、アフリカ・中南米・アジアを植民地化し、人と資源を収奪し、植民地農業による商品作物て栄えた国家群だった。植民地の地力・生活・自律経済を破綻させ、治安・政治破綻による移民・難民の増大が、大戦以後の米国、経済と政治を統合してしまったEUの先住者の生活信条を変えてきた。

 世界は、GDPに表象される経済交換活動の指標が金融相場数値として日々の主要ニュースとなっている。言語は既知の概念を強化・共通化して個別生活文化の違いを越えにくい。しかし、映像で即時に交換される表情や仕草などは、情動で共感されやすい。ベルリンの壁は衛星TV、アラブの春はインターネット、トランプはtwitter という言葉の断片を放出しつづける。知性が専門化・細分化するほどに社会の複雑性があらわになり、知性の論理/倫理ではなく直感的な分かりやすい断片を重ねるだけとなり、身の回りの生活心情を満たす衝動によって動いてゆくネットワーク世界に入っている。

 情報・通信・交通のコストが安くなる程に、共通/持続する価値観は崩れて、絶えず相手を確かめられる近縁に凝縮してゆく。世界的な知性も倫理も、言語以前の背景の異なる生活文化では、通じ切らないという、臨界点を迎えた世界。人間の動物性を根底にすえれば、理解し合うのではなく、認め合う世界が望まれる。


地勢的歴史的に蓄積されつづけてきた理念や心情で、理解し合うことは難しい。誰もが環境や社会的関係からの身に付いた記憶や心情を白紙にもどして、共通の刺激に書き換えることはできない。生と死の自由は人間自身にはないし、それぞれの生まれてからの軌跡がそれぞれの尊厳でもある。

認め合うとは、地域の自然/経済/社会状況を俯瞰し、個別の生活感情を抽象化し、地域社会と隣接・広域社会とのバランスをとってゆく手がかりを共有することから。それは、このネットワーク社会での、それぞれの活動や変化のセンシング技術とそのビッグ・データの活用の中にある。

 通貨基準/会計基準/組織基準/生産手段が共通化するほどに、大企業は統合化を進めグローバル化を進めて、地域的な差異の大きさを梃子に成長する。
そこで新たな欲求を掘り起こすコミュニケーション・メディア、マーケッティング・顧客管理などの情報技術の活用は更に進むだろう。
その一方に、世界規模での衣食住の最小限を満たし、資源利用の最適化を計り、ゆっくりとアジア・中南米・アフリカの生活を充足させてゆく方法があるはずだ。急速なバブルと崩壊の波で、成長と破壊を繰り返すのではなく、身辺の心情のバランスをとりながら、持続的な生活・社会として明日を望める方法が。それが、「絶望」の渕からの局所的な武力行使やテロを減少させてゆく道ではないか?


経済成長指標とか市場取り扱い高とかではなく、生活充足度をその地域の状況に添って図る指標はつくれないものか?経済成長の大きさは差異の大きさ、ショックの大きさ。市場は相場の差異が大きい程に取り扱い高が大きくなる。

では、国は何ができるのか? 経済成長や市場指標ではない、持続的な生活指標ではないか? 


アンペイドワークと云われた女性生活の社会市場活動参加も、定年/引退後に長期化するシニアライフも、生産・消費額など経済指標だけで測れば萎縮する。
在るべき論の知性から、感情を衝動へ暴走させない環境/生活充足度を総合化するデータサイエンスの高度化を望む。
そういえば、言語も論理も科学も、人が外部化した道具であったはずだ。

*写真はグローコム主催のInovation Japan より。


「我思う前に、我在り」、『文化を生きる身体』を読んで’社会システム’による制御社会へ向かう途上で芸術を考える

 


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