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昭JIJIの島旅賛歌⋇参加Ⅱ

日本の有人島は、416島で、414島(硫黄島、南鳥島は渡島できず)に渡島しています。2度目の全島制覇を目指しています。

博多湾4島への旅 3回目 玄界島

2021-07-11 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
小鷹神社に行こうと思いましたが、階段を見て、ツアーの皆さんは、行かないということで、通過しました。


(階段を見て)

その階段横に丸い石碑があり、「猿田彦大神」と刻まれていました。


(丸い石碑)

その横に背の高い石碑が数基並んでいました。






(背の高い石碑が)

花が咲いていました。ツアー仲間が「キリンソウ」と言ったので、そう書きましたが、違うようで、「ユキノシタ」のようですね。


(ユキノシタ)

島内散策を続けました。


(島内散策)

野鳥がつながれて、とまっていました。タカのようでした。


(タカ)

沖に島影が見えました。大机島です。


(大机島)

白い花が見られました。シシウドのようです。


(シシウド)
(写真撮影:2004.05)
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博多湾4島への旅 2回目 玄界島

2021-07-10 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
ここからは、私が持っていたMiniDVテープから専門家に依頼して、DVDにしてもらい、それをパソコンに取り込んだデータを使います。少し不鮮明で申し訳ありません。
定期船内の風景です。


(定期船内の風景)

窓越しに「ヒルトン福岡シーホークと当時、福岡ドーム、現、PayPayドーム」が見られました。


(ヒルトン福岡シーホークと当時、福岡ドーム、現、PayPayドーム)

能古島の横を通過しました。



玄界島港に着き、上陸しました。なお、福岡県西方沖地震(2005.03.20発生)以前に渡島しており、現在とは異なっていますので、ご承知おきください。




(玄界島港に着き、上陸)

玄界島の集落は、港の近くに集まっていた。


(玄界島の集落)

雨の中、玄界島の散策を開始しました。


(玄界島の散策を開始)

港には、たくさんの漁船が係留されていました。


(たくさんの漁船が)

漁から帰ってきた漁船が、魚を陸揚げされていました。


(魚を陸揚げ)

小鷹神社にやってきました。


(小鷹神社)
(写真撮影:2004.05)
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博多湾4島への旅 1回目 玄界島へ

2021-07-09 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
今日からは、前日でも書きましたが、「島旅ブログも全島制覇に」というライフワークに沿って、投稿します。このツアーは、2004.05.15~18までの3泊4日の島旅ツアーでした。
羽田空港から福岡空港へ向かい、到着し、バスで、博多港へ向かいました。


(バスで、博多港へ)

博多第1ターミナルに着きました。




(博多第1ターミナルに)

博多港客船ターミナル内には、巨大な水槽がありました。


(巨大な水槽)

ターミナル埠頭から玄界島へ向かいました。




(ターミナル埠頭)

玄界島への定期船、「ニューげんかい」です。




(ニューげんかい)

定期船は、博多港を出港し、玄界島へ向かいました。




(玄界島へ)
2021-07-09 04:00:00
(写真撮影:2004.05)
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島旅ブログも全島制覇に

2021-07-08 04:00:00 | 99島旅
私は、学生時代に46都道府県(この時期は、沖縄へはパスポートが必要でした)を1周しました。
就職後も旅行を続けて、この時には、47都道府県を1周しました。
それからは、皆さん、海外に行かれるでしょうが、私は、「日本の海外=島」にすることにし、2001年から島旅に出かけました。
それ以前に、37島に出向いていました。
それから16年かけて、累計、431島の有人島に渡島しました。東京都にありながら行けない島、硫黄島、南鳥島には、渡島していませんが、「有人島全島制覇した」と言わせてもらっています。
なお、国交所の有人島は、416島となっています。
そこで、島旅ブログで何島の有人島を投稿したかを調べると431島中、68島が未投稿になっていました。



それは、島旅ブログを投稿開始したのが、2006年7末からでした。
その間に、撮影していたビデオのデータ(VHSテープ、DVD)を調べると53島分がありました。



それらのデータをパソコンに取り込みました。今後は、それらから写真を取り出し、古新聞になりますが、島旅ブログを投稿しようと思っています。
今回は、その最初として、博多湾の四島(玄界島、能古島、志賀島、小呂島)を投稿します。
その間に、コロナが終息したら、未投稿の島々に出向きたいと思っています。



なお、「カテゴリー別から島別へのリンク」です。
      ↑ ここをクリックしてください。
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関西遺構・廃墟巡り 友ケ島 10回目 友ケ島

2021-07-07 04:00:00 | 18紀伊・和歌山県
定期船の出発時間まで、少しあったので、野奈浦桟橋辺りを散策しました。石柱があり、見に行くと「宝くじ桜植栽地」と刻まれていました。この付近には、桜は見られませんでしたが。




(野奈浦桟橋辺りを散策)

砲弾がありました。「要塞砲弾」と書かれた説明板があり、「この砲弾は、友ケ島「第三・第四砲台」に配備されていた大砲(8インチ砲)の弾丸です。」と書かれていました。


(要塞砲弾)

近くにリスがいました。大きなリスで、「タイワンリス」だといわれました。




(タイワンリス)

シカもいました。


(シカ)

飼育員のような人の後をついて行って、エサをねだっていました。


(エサをねだって)

定期船に乗って、加太港へ向かいました。


(加太港へ)

上空を関空からの飛行機が、通過しました。


(関空からの飛行機)

その後、バスに乗り、宿泊ホテルの大阪へ向かいました。


(大阪へ)
(写真撮影:2020.09)
これで、和歌山県の友ケ島の投稿が終わります。
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