愛媛新聞11月7日朝刊から抜粋。
「西予市宇和町で大和エネルギーが進める風力発電事業に、予定地近隣の西予市明浜町狩浜地区の
住民が段々畑の景観保護などを理由に反対していた問題で、風車を段々畑から離れた
旧宇和町寄りに位置変更することで住民側と大和社が合意したことが6日、わかった。・・・・」
昨年よりこの問題で、地区では「風力発電を考える会」を立ち上げ、事業者と交渉を
重ねてきました。そしてさる10月31日、両者は合意書を交わし、約1年半続いた
この問題に一応の終止符が打たれました。
個人的ですが、ちょっと振り返ってみたいと思います。
まず、おおまかにその合意書を要約すると
①今までの設置位置より北よりの方角に、ほぼ狩浜からはその羽根が見えなくなる位置に限定する
②風力発電を考える会が提出した住民署名の取り下げ
③考える会を解散し、以後の事業活動に干渉しない
以上のような内容です。
約1年半の考える会の活動も、これをもって終了しました。
さて、この問題の始まりは平成26年の春頃でした。
狩浜に生まれ、現在ここで生活をしている私にとって、この狩浜の山に計画された5基の
巨大な風車の話は、晴天の霹靂そのものでした。約120mもある巨大な建造物が
権現山の両脇と、この地区の最高峰「十が森」の山頂付近に計画されているというのです。
その計画を知れば知るほど、これは大変なことになるのでは・・・と危惧しました。
ずっと昔から、静かに日々我々の暮らしや生き様を見つめている、そんななつかしい存在。
一日の終わりに浜に出て、ふと考え事をしたくなるような時、穏やかな海と、背後にそびえる山々は
私たちに安堵感を与えてくれます。そんな生活の一部であるこの山々。
そこに風車・・・・・・?
私たちの住むこの狩浜は、農業を営むにあたって決して恵まれた環境ではありません。
土地が狭く、業を成すには過酷な地形です。そんな宿命の中で、先人たちは必至の思いで
稼いだお金を段々畑に投資し、石灰石の石垣を積み上げてきました。
やがて現在に至って、その段々畑と青い宇和海の景観が、内外に評価され
国の重要文化的景観の選定候補として、ただいまその学術調査中です。
そんな地域風土にあって、降って湧いたような風力発電事業。
どうしてこの場所なのでしょう?
どうしてこんな静かに慎ましく暮らしている所に?
どうして狩浜の山に?
多くの疑問や、憤りや、不安が交差しました。
また風力発電事業について、知れば知るほど、それがここには不似合いであることを感じました。
なんとか狩浜が、今も将来もそのままであって欲しい。
そんな素朴な思いが、風力発電事業の反対・見直しを求める署名活動につながっていったのだと思います。
守るべきものは何か?何を守り、何を未来につなげてゆくか?
心地よいふるさととは、どうあるべきか?
住民の真剣さがとわれる時でした。
私たち地方に根を張る住民として、ここに心地よく暮らせるということが、第一です。
何はともあれ、私に限って言えば、ここしか住む所もありません。
そういう中での、考える会と企業との協議が続いていました・・・・・・・。
そしてこの度、両者の合意ができ、進展をみたことに評価したいと思います。
わたしはまた今日も、いつものように空を見上げ、いい天気だなぁ~とのんびり一息つきました。
この安らぎはけっしてお金では買えません。
いつもの風景、いつもの生活、貴重な財産です。