2011年の3月、東日本大震災が起こって、それから10年あまり。
岩手と愛媛の間で続く暖かい交流の節目のイベントが、11月20日におこなわれました。
東北岩手の子供たちが食べたみかんの種から育ったみかんの木が今年、いっぱい実をつけました。収穫に当時の先生が実をつみました!
いつまでも続いてほしい交流なのです。
2011年の3月、東日本大震災が起こって、それから10年あまり。
岩手と愛媛の間で続く暖かい交流の節目のイベントが、11月20日におこなわれました。
東北岩手の子供たちが食べたみかんの種から育ったみかんの木が今年、いっぱい実をつけました。収穫に当時の先生が実をつみました!
いつまでも続いてほしい交流なのです。
平成27年度より地区と行政で進めてきた、狩浜の文化的景観選定ですが
今日正式に官報にて告示され、晴れて重要文化財として取り扱われることとなりました!
今後は「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」という名称でこの景観が呼ばれることになります。
おおまかに説明すると
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 太平洋側気候とリアス海岸湾奥の位置、仏像構造線が通る地質を有する自然風土
● 法華津湾と山地傾面を利用し、外部との交流を通じて生活又は生業が営まれる歴史風土
● 森林となっている里山、傾面地に形成された石垣の段畑、谷底の低地に集まる集落、
養殖やシラス漁などをおこなう里海が、一体的に把握できる景観の全体構造
● 生業の履歴を知ることが出来る景観構成要素
● 農漁村として展開した狩浜を象徴し、集落をまとめる紐帯となっている祭礼
以上のような価値を有する「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」は、
四国西南部の温暖な気候と仏像構造線がリアス海岸に現れる独特の地質、地形環境のもとで
沿岸漁業と傾面地農業に依存して展開した農漁村の特徴が現れた文化的景観である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということです。
う~ん、難しい!
一言でいうと、景観が文化財になったということです。
私たちが通った旧狩江小学校は、残念ながら昨年、長い歴史に幕を閉じました。
多くの思い出や記憶を残しながら、しばらく小学校は休眠しておりましたが
この度、新「かりえ笑学校」として蘇ったことはこのブログにも紹介いたしました。
そして8月28日、その新しい学校の開校を記念して、地区では一日イベントを
企画したのでありま~す!
市長さん、議員さん、校長先生はじめ愛媛大学、高校生、音楽家、地域関係者、
地区住民など約100名ほどの一大イベントとなりました。
いろいろな催しが各教室でおこなわれたのです。
また、いくつかの教室はすでに使用者が決まっており、その部屋は
オープンにされていました。
老人会主催のある教室では、牛鬼の面作り教室が現在進行中で
十数体の面が希望者の手で作られております。
かなり、いや本物に限りなく近い力作が半年後に出来上がるとのこと。すばらしい!
また、「(笑)」をモチーフにした写真展もありました。↓
この日は「小さな田舎の、大きな音楽会パートⅡ」もあったんです。
このように、かりえ笑学校はいろいろな多様性を持った、地域の人による、
地域の為の学校として、新たなスタートをきりました。
なくなったものを嘆くのではなく、前を向き可能性を探ってゆく
姿勢が大事だと思います。
これまで以上に、学校へゆく機会が増えていけばいいですね!
かりとりもさくの会の、段々畑ガイドチームでは、ガイドコースの
いろいろなメニューを提供していますが、夏を迎え、海からの
ガイドを実施しています。ジオパークのジオサイトはもちろん、狩浜段々畑が
メインですが、生業の一環としての海のガイドも承っています。
コースは本浦から~恋の浦~立岩~水越島~渡江魚付保安林~島の元~真珠いかだを
巡ります。海上の爽快感や海から見た狩江の風景など、なかなかいいもんです。
是非一度お試しください。詳しい内容は、かりとりもさくの会ホームページのガイドまで。
愛媛新聞11月7日朝刊から抜粋。
「西予市宇和町で大和エネルギーが進める風力発電事業に、予定地近隣の西予市明浜町狩浜地区の
住民が段々畑の景観保護などを理由に反対していた問題で、風車を段々畑から離れた
旧宇和町寄りに位置変更することで住民側と大和社が合意したことが6日、わかった。・・・・」
昨年よりこの問題で、地区では「風力発電を考える会」を立ち上げ、事業者と交渉を
重ねてきました。そしてさる10月31日、両者は合意書を交わし、約1年半続いた
この問題に一応の終止符が打たれました。
個人的ですが、ちょっと振り返ってみたいと思います。
まず、おおまかにその合意書を要約すると
①今までの設置位置より北よりの方角に、ほぼ狩浜からはその羽根が見えなくなる位置に限定する
②風力発電を考える会が提出した住民署名の取り下げ
③考える会を解散し、以後の事業活動に干渉しない
以上のような内容です。
約1年半の考える会の活動も、これをもって終了しました。
さて、この問題の始まりは平成26年の春頃でした。
狩浜に生まれ、現在ここで生活をしている私にとって、この狩浜の山に計画された5基の
巨大な風車の話は、晴天の霹靂そのものでした。約120mもある巨大な建造物が
権現山の両脇と、この地区の最高峰「十が森」の山頂付近に計画されているというのです。
その計画を知れば知るほど、これは大変なことになるのでは・・・と危惧しました。
ずっと昔から、静かに日々我々の暮らしや生き様を見つめている、そんななつかしい存在。
一日の終わりに浜に出て、ふと考え事をしたくなるような時、穏やかな海と、背後にそびえる山々は
私たちに安堵感を与えてくれます。そんな生活の一部であるこの山々。
そこに風車・・・・・・?
私たちの住むこの狩浜は、農業を営むにあたって決して恵まれた環境ではありません。
土地が狭く、業を成すには過酷な地形です。そんな宿命の中で、先人たちは必至の思いで
稼いだお金を段々畑に投資し、石灰石の石垣を積み上げてきました。
やがて現在に至って、その段々畑と青い宇和海の景観が、内外に評価され
国の重要文化的景観の選定候補として、ただいまその学術調査中です。
そんな地域風土にあって、降って湧いたような風力発電事業。
どうしてこの場所なのでしょう?
どうしてこんな静かに慎ましく暮らしている所に?
どうして狩浜の山に?
多くの疑問や、憤りや、不安が交差しました。
また風力発電事業について、知れば知るほど、それがここには不似合いであることを感じました。
なんとか狩浜が、今も将来もそのままであって欲しい。
そんな素朴な思いが、風力発電事業の反対・見直しを求める署名活動につながっていったのだと思います。
守るべきものは何か?何を守り、何を未来につなげてゆくか?
心地よいふるさととは、どうあるべきか?
住民の真剣さがとわれる時でした。
私たち地方に根を張る住民として、ここに心地よく暮らせるということが、第一です。
何はともあれ、私に限って言えば、ここしか住む所もありません。
そういう中での、考える会と企業との協議が続いていました・・・・・・・。
そしてこの度、両者の合意ができ、進展をみたことに評価したいと思います。
わたしはまた今日も、いつものように空を見上げ、いい天気だなぁ~とのんびり一息つきました。
この安らぎはけっしてお金では買えません。
いつもの風景、いつもの生活、貴重な財産です。