S30~40年代、私たちの冬の通学は、朝7時半頃に浜のいりこ納屋に集合。
寒いとみんなが集まるまで「肉弾」というゲームをやっていました。
二手に分かれて攻撃と防御のゲーム。攻撃側が防御網を破って敵陣地に侵入し
陣地を獲得すればおしまい。すごく単純な遊び。スリルがありました。
それをやっていた季節に、前の湾ではたまに写真のような光景が現れていました。
冷え込んだ朝の光景は今でもたまに見られますが、温暖化のせいか以前よりは
少なくなったようです。
S30~40年代、私たちの冬の通学は、朝7時半頃に浜のいりこ納屋に集合。
寒いとみんなが集まるまで「肉弾」というゲームをやっていました。
二手に分かれて攻撃と防御のゲーム。攻撃側が防御網を破って敵陣地に侵入し
陣地を獲得すればおしまい。すごく単純な遊び。スリルがありました。
それをやっていた季節に、前の湾ではたまに写真のような光景が現れていました。
冷え込んだ朝の光景は今でもたまに見られますが、温暖化のせいか以前よりは
少なくなったようです。
そうこうしているうちに、狩浜に車が着いた。夕ご飯を食べて、東京の叔母と、いとこと、
K子おばちゃんとで、門脇集会所に行った。
私は、「今年もT君に会えるかも」と楽しみにして、プログラムを見てみたら、T君は、今年はお舟踊りに出ないことになっていた。
それで、少々がっかりする。あはは。聞いたところによると、今年はT君は、「牛鬼」を担ぐようだ。
ひゃー、お舟踊りが良かったのにぃ、と私は思ってしまった。あはは。
牛鬼だと、どのあたりで担いでいるのかが、見えないので、分からないからだった。牛鬼のメンバーで知っているのは、
T君と、TT君だけだ。2014年に吉村作治先生が、狩浜のお祭りにやってきたときの、ビデオを見ているので、
T君は知っているのだった。2名を除いて、他のメンバーのことは、さっぱり分からない。
やはり、知っている人が、牛鬼を担いでいると、嬉しい気持ちがするのだった。
プログラムを見ると、小さい子が5人、大人が6人踊ることになっていた。私は、小さい子の踊りはかわいらしいとは
思うものの、大人の踊りのほうが好きなのだ。今年は、どんな大人の踊りがあるんだろうと、舞台をじっと見つめていた。
集会所の、舞台の近くでは、B君とOおばちゃんがいた。K子おばちゃんと、東京の叔母といとこは、ずっと後ろの椅子に
腰かけたが、私はいつもの通り、一番前のほうで見ることにしたのだ。やっぱ、前がいいもんねー。
小さい子のかわいらしい踊りを見て、私は、去年のお舟踊りを思い出した。姉妹で踊った去年の踊りがあるが、
今年もまたその姉妹が出ていた。やっぱり、なつかしい。
いよいよ大人の踊りが始まった。今年も、男が女に化けて踊る女形が嬉しい。私は、ひゃーと思ってしまった。
すごい色気が出ていたからだ。聞いた話によると、Iさんは、70歳のおじいちゃんなんだそうだ。わはは、と笑ってしまった。
目にお化粧をしているせいか、目をパチパチすると、とてもかわいらしかった。あはは。
去年は、T君のファンになったが、今年はIさんのファンになってしまったのだった。あはは。
M君も、女形で踊った。Mさんのお孫さんのI君と同い年だそうだ。ふうむと私は思ってしまった。
門脇は、芸達者な人が多いなあと思ってしまう。そういう土壌なのだろう。この先、お祭りのお舟は
消滅しないでいることを願うばかりだ。踊り手がいなくなっては、困ってしまう。
私は相撲練りより、お舟のほうがいいなあと思っているので、是非ともお舟は、続けて欲しいものだと思っている。
何人かが女形で踊ったのだ。今年も、大人の踊りは良かった。やっぱり、子供のかわいらしいのもいいけれど、
大人の踊りのほうがいいなあと私は思っている。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ、S家に帰った。27日の日は、H家とF家と、O家に行く予定で、11時からは、
春日神社の祭典を見る予定でいる。夜は、宵祭りを見る予定にしているのだ。