なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

棋譜つけ

2010-01-16 03:33:46 | Weblog
 棋譜取りでも棋譜つけでも同じような気はしますが、敢えて自分の棋譜を記録する方を棋譜つけ、他人の対局の棋譜を記録する方を棋譜取り。(勝手に自分だけのローカルルールです)
 結局は記録することには変わりが無い。
 さて棋力をアップさせるのには棋譜を記録するのは良い方法だと言うことは昔から言われている。
  プロの先生はほぼ100%賛成だろうし、アマの高段者も殆どはそう考えると思います。
 マア、アマの場合は高段者でも「俺はそんな必要は無かった」いう方もいるかもしれませんが、それはその人の場合であって、方法として考えたら・・・棋譜の記録が役に立つかどうかを質問すれば、「無用」と言う人はいないのではないかと思います。
 では、アマが誰しも思う「強くなりたい」と言う願いに、棋譜の記録をその為にやって見ようとする人の割合はどうでしょうか?。
 具体的には分からないし、想像もしにくいのですが100%ではなさそうですし、私の知っている人達を物差しにすれば50%も無いと想像します。
 本音で言うと棋譜の記録を取る人の方が稀でしょう。

 仮に碁会所で自分の棋譜を取っていたら、感心して褒めてくれるでしょうが、半分は「真面目だけれど変わり者に近い」と見られるかも知れません。
 チョット極端だったでしょうか
  これは学校の普段の勉強に対する態度みたいなものです・・・「出来るようになりたければ、実際に勉強をするしかない」・・・天才でもない限りこれです。
 でも「勉強は出来る方が良い」と考えても「実際の勉強はしない」;分かっている事とやることは別みたいなものです。
 そういう私だって、お医者さんの助言に忠実では無いのですから威張れません。
 
 棋譜に戻ります。
 いつだったか、ある囲碁大会で真面目そうな女性が対局していまして・・・初段から3段くらいの部だったと思いますが、なんで目についたかと言うと、女性だから?、いや女性の打ち手は多いのです。
 この人は、数手打つと右手にペンを持ち左手は碁罫紙帳に持ちかて記録する。
  一人40分の時計付き大会ですから相当忙しいと思いますが、それでも記録をしながら対局。
 その姿勢は素晴らしいとは思ったものの、費用対効果では無いがかかる手間と効果を考えたらこれは手放しで誉められるのかどうか疑問には感じた。
 勿論本人の意志だし、人それぞれの向き不向きがあるでしょうから一概には結論づけられないでしょうが、これは目的と手段が怪しく交差しているような気がします。
 私はお勧めは、対局後に思い出して棋譜を作成することだと思います。
  当然初めから250手以上を記憶することは無理に決まっています。
 でも最初は50手でも良いかと考えるのです。
  碁会所などでの対局なら、局後に対局相手にも協力して貰って100手くらいに伸びるでしょう。
  意識的に行う事、慣れることが大事でしょう。
 こういう尺取り虫的な実践の方が結果として効果があると考えるのです。
  実戦を打ちながら記録するのもアリでしょうが、記録する方に神経が行ってしまい、「打つ」事がおろそかになる事の方が心配です。

 それでしたらいっそ3人グループなどで二人が対局し残りの一人が棋譜取り役をやる方が勉強になるように思います。
 終局後に3人で検証出来ますし。

 では私は・・・
  私の棋譜取りの初体験はK畑先生の級位者の囲碁教室みたいなものを手伝っていた時に、先生の指導碁を記録したことです。
 その時は大した目的意識も無かったし、「先生はかく教えました」みたいなものでも無い、単に記録をしただけです。
 指導碁の横についてただ棋譜を取るだけです・・・。
  でも、棋譜取りも緊張しますね、アマの碁ですから早く打つ時は大変。
   プロみたいに長考に沈むような休憩タイムなどは無いのですから集中していても大変。
 そこで、デスクトップのパソコンがあったので棋譜管理ソフトを使ってマウスで棋譜取りをしました・・・当時はソフトも記録も5インチフロッピーなんて懐かしいです。
 対局が終わったら対局日・対局者・場所などを入れて、ちょっとしゃれた紙にプリントアウトして生徒さんにプレゼント。
 余裕があれば、良い手のところ疑問手のところもプリント。
  こういったものは喜ばれました。
 生徒さんを喜ばせて、ついでに棋力アップにも役立つなら目的を果たしています。

 自分自身については、実はこれが大いに役立ったと思っています。
  多子局の指導碁ですが故梶原先生みたいな口調で言うなら「白5でこの碁はオワ」みたいな感想を抱きつつ観戦したのです。
 つまり普通の指導碁ですと、黒が勝負所を逃がしたり、ちょっとミスをしたり、時に半手休みをして細かい碁に持ち込まれ、最後に白に逆転されるのが普通のストーリー。
 ですから終盤でここでこう打っていたらとか、あそこでミスをしなければなどと言う感想になるわけです・・・先生もそういうでしょうし。本人もそう思うかも知れません。
 でも、棋譜をつけていて同じような指導碁を記録することで、少し見えてきたものがありました。
  イヤ、見えたと言う錯覚かも知れませんが・・・。 
 多子局でも勝負ところは意外と早い時期にあると考えたのです。
  多子局で序盤にハンデを意識して凹んで無難に打って、仮に数目でも残せるならこれは手合いが違う筈で、丁度良いハンデの場合こういう打ち方では結局は地が足りなくなる筈です。
 それに上手恐怖症を繰り返しているようでは困ったものですし、どうせ先生相手には勝てないからと無謀な万歳攻撃も感心しません。
 ともあれ、指導碁の棋譜取りで「どうしてこんなにハンデがあって下手は上手に負けるのか」分かったような気がしたのです。
 私としては何十局か棋譜を取って、説明用に繰り返し見なおした経験が自分にも役に立ったと考えています・・・具体的には・・・私の段の内2つくらいはそうかも知れません。

 ところで最近はネット碁が多いので、打てば即記録されているので便利この上ない。
  敢えて棋譜をつける必要が無いのですから、これを利用しない手は無いと思っている。
 少なくとも打った碁は見直す・・・勝った碁も負けた碁も・・・負けた碁は特に何回も。
  そのくらいしないとせっかくの棋譜倉庫機能がもったいない。

 パソコンで碁罫紙がダウンロード出来ることを知りまして早速プリント。
  19路のA4サイズの碁罫紙と、A4の中に12面(10×10路)の碁罫紙。
 後者は部分的記録ようです。
  先日早碁で時間を使った部分を記録するのに丁度良い。
 もしこういうものが溜まれば、ザルの手筋・詰め碁集が出来そうです・・・さてさて言うことは大きいです。

自己満足の一局

2010-01-15 00:32:08 | Weblog
 先生が認めてくれるなら言うことは無いが、アマですから少なくとも自己満足が無くてはいけませんね。
 普段は四苦八苦しているのに、たまにこういうものが上手い具合に忘れた頃に訪れるので、病み付きになるようです。
 これはパチンコとか競馬では絶対に胴元には勝てないと分かっていても、たまに痺れるような快感を覚えてしまうと抜けられなくなるようなものかも知れませんね。
 ましてや、囲碁の場合は胴元などが無い1対1の勝負です。
  尤も他のスポーツなどに似ていて、単に勝ち負けだけを意識するのではなく、内容を重視する割合が大きい競技だとは思います。
 たまたま運良く、相手のミスに助けられて連勝した場合・・・仮に小さな大会などではどんな形であれ4連勝すれば優勝あるいは入賞圏内でしょうから、それはそれで立派ではある。
 しかし内容に不満が多い時などは素直に喜べないし、負けてくれた相手に申し訳ないような気持ちだったり、変にはしゃいだりしたら印象が悪い筈です。

 さて今日の1局。
  相変わらずのヤジロベイ状態で勝ったり負けたりですが、久し振りに自己満足の1局でした。
 上手相手で私の先で4目半コミ貰い
  最初のあいさつで緊張を感じる。
 上手からの定型文の挨拶ですが「お相手をしていただきありがとうございます」
  私の経験ではこういう挨拶は多子局で指導碁を打って貰う時なら自然ですが、上手から下手に交わす挨拶となると「!?」の気がします。
 これは「お手柔らかに」という挨拶と同じように要注意。
  マアそういう挨拶1本をセットして変えないと言うところだとは思いますが、たいていの場合実際のところは「お手並み拝見」くらいに思っている人が多いと思います。

 私は慎重にいつもの2連星、白は目ハズシ+小目。
  この碁は早碁ルールですから1手30秒、NHK杯のイメージで相手が打つと自分の秒読みが始まり10秒・・・20秒・・・と読み30秒を越えると、各々考慮時間10分を消費することになります。
 但し1手で初めの30秒+考慮時間10分を一度に使うことは出来ません。
  これは5分ルールというものがあって、1手は初めの30秒+5分以内で打たないとルール違反になります。
 従って最高で5分29秒。

 脱線しますがこの5分ルールは、私が事務局にある出来事を報告したことがきっかけで生まれたかもしれません(契機の一つかもしれませんが)。
 私が2子で打って貰った時、黒圧倒的に形勢が良かったので白は長考に沈みまして、30秒を越え考慮時間10分を全て使い切る寸前に接続アウト。
  ひたすら待たされて、挙句接続アウト!。
 そのままでも勝敗は傾いていましたが、上手にあるまじき行為なので事務局に電話で報告したことがありました。
 それからしばらくして5分ルールが生まれました。
  マア、10分待たされた挙句逃げられたのが、5分に短縮されただけではあるが事務局としてはマナーまでは規制しにくいのでしょう。

 話は戻ります。
  166手辺りで「詰め碁」の問題に出来そうな形が出現・・・ここで両者の考慮時間が一気に減って行きまして、お互い残り3分くらい。
 (このくらいは残っていないと終盤何が起こるか判りません)
 275手完、黒半目勝ち・・・4目半コミ貰いが効きました。
  残り時間1分30秒。
 尤も終盤で2目半残るつもりで打っていたのが、2目詰められた誤算があり冷や汗でしたが、マア内容もはっきり悪手と言うものは少なかったと思うので、内容も、緊張感も、両者のぶつかり合いも満足がいく碁だったと思います。

 毎回そう打てば良いのにとは思うのですが、そこはアマ・ザルの身「そうはいいかない」のが悲しい。
 

どこか間違っている!?

2010-01-14 00:39:31 | Weblog
 今週の水曜日午前は生活習慣病クリニックの定期検診日。
  結果は時期的にも、予想通り×。
 この景気が悪いご時世で、アップしてはいけないものもある・・・体重とか血糖値とかは改善の余地大いにありと言う事で、4週間後の検診までに改善が見られなければ何らかの対策を講じるという御託宣。
 マア、今回はお正月の後遺症と言う事で執行猶予判決でした。
  午後は歯科大に回って歯の検査。
 先月の中ごろに虫歯処置で一応一区切りはついたのですが、歯茎に難ありなので検査をしまして、今後どうするかの相談でした。
 こちらの方はなんとか簡単に済みそうですが、一応2週間の様子見・・・次は総合病院の3カ月検診の帰りに寄ることになりました。
 1週間おきに複数の病院・クリニックの掛け持ち検診・・・全く困ったものです。

 さて検診以外は予定が無いから、早朝はゆっくりした気分でネット碁でした。
  対局は1敗1勝、打ち分けなら良しですね。
 観戦の方では考えさせられる対局を見てしまいました。
  私は早朝に2局打ったので、3局目は消極的でしてたが、対局希望リストに乗っている人はほぼ同じくらいの点数なので迷っていると、その人の名前が消えて対局者リストの方に移動していきました。
 そこでその人の対局を観戦することにしました。
  対局者はほぼ同じ点数の人同士、局面を見ると黒3手まで打ってある。
 しかし唖然!。
  こういう構図は初めて見ました。
 「黒①:1一、白②:天元、黒③:19十九」要するに対角線の両端と中央に石があり一直線に並んでいる状態。
 これは一体どういうことだろうか?
  初手で1一に打つと言うことは常識では考えられないからクリックミスなら納得します。
 しかし19十九にも打っていると言うことは何かの意図があって打ったと言うことらしい。
 ではどういう意図か?
  常識的にはこういう布石は考えられない。
 もしあるとすれば(かなり根拠は薄いけれど)、例えば1一の石を即2二打って取りに来たとすれば、今度は3三に打って取らせながら圧迫するような嵌め手モドキの作戦だろうか?(そういう嵌め手があればですが)
 しかしこれは相手に天元打ちと言う形ですっぽかされてしまっているから全くの無駄手のようにも感じます。
  もう一つ考えたくは無いけれど、仮に「初めに無駄手を二つ打っても、勝負に持ち込めるゾ!」という意思表示だろうか?
 もしそうなら相当なめられてているいるというか、遊ばれている。
  現実には初めに無駄手を2手打っているので、本来先手のところを自由置き碁の2子局後手条件になっています。
 
 この対局は案の定中盤で白必勝の体勢(それはそうでしょう・同じくらいの手合いの人が2子局まがいにしたのですから)。
 ところが黒は投げずに、あちこちでデタラメとも言える手を繰り出して、どう打っても白勝ちのところ大チョンボを冒してナント形勢は逆転してしまいました。
 そうなると初めに黒が2手酷い手を打ったのが、『2手くらい、どうにでもなる』みたいになってしまう・・・。
 マア、この局に関しては間違う方も酷いですが。
  但し、黒さんが後から地力を出して逆転したとは言えないでしょう。
 単に白さんのチョンボで勝敗が入れ替わっただけのことでしょうネ。
  仮に私が対局していたら、黒氏はやはりこういう悪戯みたいなことをしてきただろうか?
 その可能性は高い・・・気分としてはこういう人と打ちたくない思う。

 その黒氏が続いて対局したので、私もしつこく追っかけみたいに観戦。
  今度は白番で打っていまして・・・
 白は四2から四18まで、全て1間トビで白石が9子並んでいる(要するに8連続1間トビの形)。
 マナー違反でもルール違反でも無い・・・しかし、これも作戦と言うより遊びの匂いがする。
 仮にこの一間トビの内側は地とすると57目+αは確定地と言うことになる・・・しかし、黒だってこの間に9手は打っているわけで、この碁の場合碁盤の4分の1が黒の地に近い勢力範囲になっていた。
 つまり白の確定地60目としても、黒はほぼ80目を見込めるのですから白の非勢は明らか。
 この黒氏はこの後落ち着いて対処。
  白が地で追いつこうとした時に、白の地が出来そうなところを無理に阻止しないで、白に地が出来るなら同じくらい黒にも地がつくと言う形で対応したので、白は手掛かりをつかめずに投了となりました。

 さてさて一風変わった碁を連続して見てしまいました。
  やってはいけないルールは無いけれど、「作戦」と言うには余りにもデタラメな感じがします。
 「デタラメなら負かせれば良いだけ」という言い分はあるかもしれませんが、相手をおちょくっているような気もするし、一人で遊んでいるようにも思います。
 5五布石、6六布石などは初めての時は驚きますが、無理っぽいにしても無いことはない作戦です。
 ところが1一作戦・・・こう人は避けたい気分です。
  「勝って当たり前、負けたらアホみたい」なプレッシャーを感じます。
  

寒稽古!?

2010-01-13 04:06:27 | Weblog
 火曜日は特に寒い日でした。
  雪が降る地方の中には嗤われるかもしれませんが、自分でも情けなくなるほど寒さに弱いのです。
 体がそういう風に出来ているかもしれないし、精神的にも弱いと言うこともあるでしょう・・・。
 今日、仕事で訪問した会社の社長さんは私より多分先輩格だと思いますが、壁にかかったスケジュール表を見ると仕事の予定以外に「寒稽古」の文字が並んでいます。
 これは私と縁が無い言葉、聞いただけでダメです。
  話を聞くと2月の初めまで続くのだとか・・・。
 柔道・剣道・空手などでは珍しくは無いかもしれませんが、人様の修業には『ようやる』と見るが、自分では何かを寒稽古することが無いことを前提に見ている。
 冬はコタツで丸くなる。
  ネズミ年のネコ的性格なんです。
 「稽古」と言うものに寒稽古の要素が必要だとしたら・・・囲碁も棋道と言う事で「道」がつく仲間なので、「寒稽古」によって棋力がアップするとしたら、それは困る・大いに困る。

 当地は降りは大したことは無いけれど雨模様。
  都心では少し雪が降ったらしいけれど、こちらは雨・・・しかし寒い1日。
 この天気の中を、予定していたとはいえ市内の事務所訪問で、トータルで5,6キロ歩きました。
 寒がり屋の運動不足人間にとってはまさに地獄の修業みたいなものですが、仕事であって苦行ではあるけれど何のす業でも無い。
  
 家に帰って足温器を入れたベッドにもぐりこみ、部屋をデロンギで温めていますが、ちっとも温かく感じない。
 足の裏などは、『本当に足温器が効いているのか?』と不思議なほど。
  マア、多少は感じるものの『これは一体どうしたものか』と思うほどです。
 もしも温まらない様なら、布団を追加しなくてはいけないと思っています。
  
 これは基礎的な体温が低いのも影響しているのでしょうか?
  先日、同僚との雑談で基礎体温の話が出まして、その人のお姑さんの基礎体温が35度6分なんだそうで・・・「あなたはそれよりも低いのですね」「筋肉でエネルギーを燃焼していないから体温が低いのではないですか?」などと思いっきり運動不足・ナマケモノを指摘されれてしまいました。(当たっているので否定できない)
 体質的に低いのと、運動量が少ない・・・そうかもしれない。
  更に温かいところで育ったことに加え、辛抱出来ない性格・忍耐強くない。
 
 これから冬の本番。
  女房殿の前では「寒い」とは言いにくい・・・「私みたいに動きまわっていれば寒い何て感じませんよ」と一蹴されることは間違いない。
 暖冬だと言われているのに、個人的には今年は長い冬になりそうです。

半目で始まり半目で終わる?

2010-01-12 04:16:29 | Weblog
 昔は碁会所では看板と言うか段級位で打っていました。
  昔の剣道場の壁に下がっている門弟札みたいなものがあって、師範○○とか6段□○とか・・・その札で表示されている段位で対局したものです。
 但し相性というか、成長期と言うか、そこの師範格とか席亭が認めていなくても対局者当人同士の取り決めでハンデの変更はありました。
 こういう段位はマア中心的なメンバーで昇段を決めるか、何かの大会で優勝・あるいは好成績を収めると上がったものです。
 これは段位を決める権威は無いとは言っても、概ね昔からのやり方でしょう。
  但しこういうやり方では、降段・降級が無いのでインフレになる恐れはある。
 低い段より高い方が良いので、情実も絡んだりするとなおさらです。
  それで、チェスのレーティングとか点数制と言うものが導入されました。
 点数制の方が簡単なので点数制の方が普通になったようです。
  これの問題点は、新入会員のランクをどうするか、あるいは誰かが勝てば誰かが下がることになるので、そういう点数の変化と段位の整合性みたいなものでしょうね。
 また、会員全体の点数の総量が問題かも知れませんが、これはまだ未整理。

 ところで私の点数のMAXを仮に100点とすると、99点、98点辺りで息が切れてピークに達しないのです。
 普段は95辺りを中心に生息しておりまして、自分で名づけた「勝ったり負けたりゾーン」は90点くらいから96点くらいの間のようです。
 87点辺りから下は「イエローゾーン」と言うか「イエローランプ点滅ゾーン」
で、ここより下は降格・レッドですね。

  さて、98,99辺りは自分で好調を意識しながら上がって行くのですが、ここで負の方向転換が待っている。
 この始まりは「半目負け」で始まることが多い。
  一番最近のターニングポイントでは、99点の時にコウ材ミスで好局を落とし、次の対局で向う2子局の白で善戦しながらもハン目及ばなくて、この辺りから負のスパイラルが始まりました。
 「集中しているつもりが、肝心のところで抜けている」
 「酔っ払ったような、説明がしにくい手を打って自滅する」
 「単純なところが見えなくなる・・・辺りをかけられて気がつくみたいな、悪いコースに嵌っているのに見えていない」
  もう完全に自信喪失寸前、『こんなんでは止めるしかない・・・』みたいに気持ちが落ち込むのです。
 それでも止めないのですから碁キチではある。
  そしてイエローランプ寸前で半目勝負をものにすると流れが一転する・・・今まではそうだった・・・今度そうなると良いな・・・今度もそうあって欲しい。
 
 半目勝負で流れが変わることが多いですね。
  今までの経験で「半目勝ち」「1目半勝ち」「半目勝ち」の3連勝をしたことがありますが、振り返って見ると一番気持ちが集中していた時期だったように思います。

席料のことなど

2010-01-11 01:04:49 | Weblog
 お正月からセコイ感じもするけれど、碁を普及することと同時に打てるようになった人が気楽に碁を打てるようにする条件みたいなもので、初級者を受け入れる環境と同時に、負担となる物も考える必要があると思うのです。
 それに最近は経済事情が厳しいですから初級者だけの問題では無い。
  囲碁愛好者の年齢が上がっているとすれば、たいした額では無いかもしれないけれど経済的な(ちょっとオーバーな表現ですが)裏付けが無いといけない。
 例えば収入が年金だけだとすると、碁会所に行くのに交通費+多少のお茶代とかと席料を考えると・・・これを考えなくては済む人は少なくともこの程度ではあるが経済問題に関しては恵まれている。
 仮に席料が1000円だとすると(私の住む近辺ではこれがい多い)概ね1回2000円程度の負担となりますから週に3回通うと月間15000円から20000円はかかる。
 マアこれは趣味とか娯楽教養費なんですが。
  (この程度の出費であれこれ考えるのは情けないと思う人もいるかもしれませんが・・・)
 私の住む地区にはかつては普通の碁会所があり(当然有料)、その近くにコミュニティセンターの中に無料の自主運営クラブの囲碁将棋クラブがあり、そのまた隣のビルの中の老人施設(60才以上利用可)にも囲碁室があります。
 (これとは別に住宅公団の方では集会所を借りて土日のクラブ、車でいける人はゴミ焼却場の熱を利用した風呂付きのコミュニティにも囲碁クラブがある)
 それぞれに利用の仕方とか、好みがありますから使い分けというか、掛け持ち利用と言うかそういう感じでしたが、長い間には変化が生まれます。
 有料の碁会所は苦しい立場になります。
  貸しビルの一部屋を借りて営業しているので、これは無料には出来ませんし、利用者が増えなければ経営は苦しくし、値上げも出来ません。
 
 結局店を閉めざるを得ませんでしたが、これはこの地区の利用者が「無料を選んだ」とも言えます。
 碁会所にもそれなりに良いところがあるのですが、結局は一定以上の利用者が無ければ商売としては成り立たない。
 これが自宅の離れなどを利用して開いているような碁会所なら家賃負担が決定的に違うのです。
 
 要するにお金を払ってでも行きたいかどうか。
  あるいはそういう魅力があるかどうか。
  仮にネットですと、、、ネット利用料は私の場合NTT光で月額一定料金(息子も利用していて、まもなく女房殿もパソコンを買うと言っていたので、実質接続料は3分の一程度)、囲碁の会員料が月額2000円程度。
 これは町の碁会所に通うのと比べると4分の一以下程度の負担です。
  しかしネットではいつでも打てる利便性があるが、碁会所には直接人と人の触れ合いと言う捨てがたい要素がある・・・従って両方利用するとなると・・・。
 トータルは碁会所に週に2回くらい顔を出してネット碁を兼ねれば、碁会所週3回くらいとほぼ同じ負担でしょうか。

 最近コミュニティには顔を出していません。
  それは私の我がままかもしれません・・・イエ誰かと諍いを起こしたなどと言うことではない(私は短気ですがトラブルは起こしません)。
 女房殿などに言わせると「なんでそんな細かいことを気にする?」と言われますが、我慢できないことがあるのです。
 気にならない人には気にならないのでしょうが、私は和室の碁会所(椅子席でも同じですが)で、野球帽など帽子をかぶったままで片手をポケットに入れたまま碁を打つ人を見るのを我慢できないのです。(対局中の鼻歌より気になるのです)
 「人に頭を見せられない?」のかもしれませんが・・・。
  直接クレームをつけたことはありません・・・私がそこに行かなければ見ることは無いわけですから。
 結局こういうところから足が遠のくのです。

 碁会所にはコート掛けのところに帽子をかけていましたから、こういう人はいない。
 有料の碁会所が”神聖”な碁を打つところで、コミュニティが大衆向けと言うことは無い筈。
 別の表現で言えば雰囲気が料亭と大衆酒場の違い?
  囲碁の内容の上下ではなく雰囲気の違いは「料金」だろうか(席料は雰囲気を含めた料金・・・利用者自身もその空気を作るのですが)。
  そうなると都内のホテルなどの囲碁サロンは超高級料亭並み?
 超高級囲碁サロン・・・一度は覗いてみたいとは思うものの「でもね」と言う感じ。
 会員制でしょうから私などはステータスも無いし懐具合も宜しく無いから、向こうから断られるでしょうし財布の裏付も無い、更に地理的な問題もある。
  結局私などは異種でしょう。
 結論として私は大衆料金の割烹ランクかも。

 

 

何時か巡礼!?

2010-01-10 05:27:24 | Weblog
 日本で巡礼と言えば四国八十八カ所、関東では秩父に巡礼コースがあり、私が住む千葉県にもあるらしい・・・昔別の用事で千葉寺に行った時に確か立札に○番目とか書いてあったような記憶がある。
 宗派などを問わなければ古いお寺はある筈ですからコースは作れると思います。
  下総中山とか笠森観音とか成田山とか、、、狸囃子のお寺もあるし,房総には日蓮上人縁のお寺もある。
 それに里見八犬伝の里見氏とか、お城のあった大多喜とか、佐原、小見川、飯岡などの平手神酒?関連とか、伊能忠敬の里と言うか・・・それに佐倉にも古いお寺がある筈。
 ただ、こういうものは数が揃えば良いというものでは無い。
  四国の場合は弘法大師が嘗て修行で歩いたと言う確固たる軸がある。
 従って観光コースを作るように考えてはいけませんね・・・それに何と言っても私自身信心深くは無い!
 これは決定的な要因。
  仮に自分用にコースを作るとすれば・・・囲碁にちなむ巡礼コース。
 まずは東京の本因坊家のお墓、他の家元関連(林、井上、安井、・・・)、京都寂光寺本因坊関連、安芸因の島、、、もしかしたら信濃松代藩の家老様関連、あるいはタイトル戦に因む宿舎、全国各地の碁石浜海岸、ハマグリの産地に榧の木のま銘木巡り・・・こういう風に考えながら、ご利益を考えてしまうから、やはり信心深くないのがミエミエです。
 まあ、それでも旅行に行く動機にはなり得る目的地です。

 もう一つ「動機になり得る」ところとしては、やはり生まれ故郷の碁会所などに一度は行ってみたいと思うのです。
 実は故郷では中学一年の時に”碁らしいもの”を一局打っただけでなので、なんとなく寂しい気がします。
  姉の義理の父、中学時代の恩師・・・”一度打とう”と言いながら皆他界してしまったし、高校の同窓生で打てる人はいる筈なのに打ったことは無い。
 打ったからどうということは無いにしても、そこの人たちの囲碁を打っている姿を拝見するだけでも良い、、、この地でも囲碁ファンがこんなにいるんだな思えるだけで良い。
 それにもしかしたら、「ひょっとしたら○○さんですか?」なんていう再会も期待できるかも・・・
 それでネットで故郷の囲碁クラブ・碁会所を検索して・・・『うっそー』と言う感じ。
 3つしかヒットしない。
  人口からしてそうかもしれないけれど、もしかしたら検索できないだけで存在している可能性はある(でも仮にも政令市政都市の一つの区だし、かつては一つの市だったのに)・・・今度行ったら探検・探訪するしかない。
  一つは桜橋・・・実の姉の家の近く・徒歩10分・・・ここは行ってみたい。
  二つ目は草薙駅の近く・・・ハトコで高校の同級生家がある。
  三つ目は御穂とある・・・清水の名所三保の松原近くにある神社は「御穂神社」だった筈・・・ここも覗いてみたい。
 他にもきっとある筈。
  仮に訪問して、昔の私を知る人に出会ったらきっと「お前も打つのか?」と言われそうだが・・・。

これも国際的!?

2010-01-09 00:06:03 | Weblog
 大げさに言うと食文化と言うことになると思うのですが、日本人だから日本的な食生活に拘らなくてはいけないと言うことも無いだろうし、逆に外国の物と自然に接しているようです。
 たった1年間ですが、息子がスペインに住んでいた時の話を聞くと・・・「日本レストランなんて無かったよ・・・(あっても高級レストランのイメージ)、仮に回転寿司の店があっても、高いから貧乏学生には無理」と言うことらしい。
 日本では手軽・安価な回転寿司も向うでは少し違っていて、日本人的な感覚では酒場の「バル」で食事をするのが普通。
 マア本人はサッカーが好きなので試合のTV放送を見ながらワイワイやっていただけかも知れませんが。
日本では回転寿司は大衆的でスペイン風のバルはチョットおしゃれで高そうですから反対のイメージです。
 ともあれ日本的なものたまには食べたいかもしれないのでこちらから送ってやらなくてはいけない(この点親バカな母親は超マメ)。
 「カレールー」「クリームシチュー」「オタフクソース」こういうものは向うでは売っていないらしい。
 向うではインスタントラーメンはあるもののシチューなどはルーから初めから作るので、誰でも簡単に作ってしまうと言うことは出来ない。
 お好み焼き用のソースにしても、こういう商品の発想と言うもの無いから、現地では他の国の留学生仲間に好評で、ステーキなどにつけて食べる人もいたとかで、あっという間に1本終わってしまったとか。
 ともあれ「美味しい」と感じるところは似ていても、日本人はこういう食材を商品化するように文化の違いはある。

 ところで木曜日は仕事で市内を歩いて何軒かの事務所を訪問・・・こういう日は昼に事務所に戻れないので注文弁当では無く外食になります。
 さて昼時間になり、お昼はどうしようかと町を見て、笑ってしまいました。
  その場所は駅から歩いて15分くらいで、割合住宅地に近い場所なので比較的飲食店は少ない場所・・・勿論0では無いが。
 大型スーパーに行ってみるとそこにはハンバーガーの店しかなくて、これをお昼の食事にするにはチョット寂しい。
 店の前の大きな通りの向こうには3軒ありました。
  ドイツレストラン・これはランチにするには当方の懐具合にふさわしくなさそう。
 中華蕎麦屋・他になければこれでも仕方が無いが、私としては猫舌なので最後の選択肢。
  タイ料理店・タイに行ったことは無いし、食べ物としては「トムヤンクン」「グリーンカレー」の名前しか知らないけれど、予算的に高級では無さそうなので試してみることにしました。
 同行者とは敢えて別の物を注文して味比べ・・・食べ物を交換したりはしませんでしたが、見せあって意見交換。
 お店はタイ人の旦那が料理を作って、奥さんがウェイトレスをしている感じの店で、夜は結構アルコール客も多いような感じですが昼間は落ち着いている。
  ともかく「なるほどタイ料理とはこういうものか」と言うには僅かですが体験出来ました。

 食事を終って店の前で笑ってしまいました。
  ドイツに中華、タイと店が並んでいますし、近所にはハンバーガーショップ。
 少し離れた所には持ち帰り寿司店、ホッカホカ弁当・・・考えてみると国際的ではありませんか。
 マア日本的大衆食堂と日本ソバの店だけないのですが、こういうものを全て受け入れてしまう文化があるようです。
 そう言えば事務所への帰り道にはスペインのバル風のスペインレストランやイタリア料理店チェーン、もある。
 全て「本物」か「本物っぽいアレンジ」なのかは別としてなんでも受け入れてしまう胃袋を持つ国民であることを実感した1日でした。

 仏教も異国の宗教だし、囲碁も渡来した頃は異国風の遊びだった筈です。
  私も受け入れてアレンジする民族の子孫です。
 

売り切れ!!

2010-01-08 01:58:10 | Weblog
 ”へいほう”さんと言う方のブログに日本の文化・伝統などを英語で表現する講座についての記事がありました。
 私はそういう放送があればいいなと思うのですが、実際にあると言う事を知りませんでしたし、しかも今月は「囲碁」についての放送もあると言う事で嬉しくなりました。
 「世界で4000万人の愛好家・・・」だそうで、となると日本の愛好家1000万人はまずは誇大広告ですね。
 おそらく日本より中国の囲碁ファンの方が多いと想像出来るし、韓国だって人口は日本より少なくても囲碁人口は同じくらいはいるに違いない。
 更に台湾とか、アメリカだってアジア系アメリカ人の中での囲碁ファンも多そうですし、ヨーロッパだって侮れない。
 従って日本人愛好家が1000万人もいたら世界では囲碁ファンが1億人以上いないと計算が合わなくなるように思います。
 世界の囲碁ファンが4000万人とすると、せいぜい日本人は300万人くらいかなと想像します・・・これだって日本人の40人に1人は年間で1回は対局するかどうかで考えたら相当怪しい。

 ともあれネットでテキストを検索すると1月は「独楽」とか「囲碁」などとなっています。
 週1回の放送で、再放送+オンデマンド。
  過去には「神社」と言うテーマもあったらしいが、惜しくも見逃しています。
 水曜日は休みなので、早速近所の大型書店へ急行!・・・こういうことになると迅速に行動します。
  NHKテキスト類のコーナーを探すものの”無い”。
 英語・イタリア語・スペイン語・ハングル、それに英語の発音講座、ビジネス講座・・・皆1月号が置いてあるのに「トラッドジャパン」だけ無い。
 良く見ると、テキスト置き場の平積みの山に1箇所だけ空きスペースがあるので、もしやと思い店員さんに聞くと「トラッドジャパンは売り切れました」とあっさりと宣言されてしまいました。
 そりゃー1月に入ってから1月のテキストを求めるのは遅いのは確かですが、全く事務的と言うか愛想が無いと言うか、お世辞でも「取り寄せましょうか?」と言うことが出来ないようです。
 売り切れが残念だし、同時にこういう店員に腹が立つ。
  近所で一番大きい書店で売り切れ・・・こうなったらネットで注文するしかない。
 絶対なくてはいけないテキストでは無いが、無いとなると意地になる。

 家に帰って家族に「売り切れ」と「店員の対応」の話・・・商売が厳しい時代と言いながら結構こういうタイプの店員さんが多いらしい。
 客の側からの対応策としては、不愉快なことがあったら黙って店員の名札を見ておいて、後で店に電話をするのだそうです・・・。
 逆襲としては効果がありそうですが、客の立場は強い筈ですがそこまでやるのも気が引けますね。
 
 結局女房殿が休み明けに出勤して都内の大型書店で買ってくることになりましたが、売り切れていなければ良いですが。
 「トラッドジャパン」、囲碁について英語でどういう風に紹介するのか興味があるのです・・・現実にそういうことを知っても知らなくても生活が変わるわけではないのですが「興味」「好奇心」と言うのはそういうものでしょうネ。
 それにしても「売り切れです」と言った本屋の店員さんの作り笑顔?がチラチラと目に浮かびます。

星目観戦

2010-01-07 00:20:55 | Weblog
 タイトルに星目と書きましたが正しくは井目なんでしょうね。
  井の字形で井目、最近は星に全て置き石を置くので星目・・・マア堅いことを言わずに。
 6日は本年度最初の水曜日で、私の平日休業日で何も義務的なスケジュールは無い日。
 おまけに女房殿はまだ学校が始まらないので今日は休業、息子も春休み・・・平日なのに我が家は全員休みの日で、なんだかナマケモノ一家のムードです。

 朝からネット碁を覗いてみると、これが案外朝から盛況で大勢の人が打っています・・・と言うことは今日は全国的に暇な人が多い一日かも知れません。
 さて対局待ちリストを見ると、強豪のM氏がエントリーしていまして、条件はサンサン棋院時間でも早碁でもどちらでも良く、相手も誰でも良いと言うオールかマーです。
 こういう強豪に指導して貰うビッグチャンス、めったにない機会です。
 と、見ている間にエントリーボードから消えたので、対局リストを見ると対局室の方に移っていました。(しまった!遅かった)
 相手は点数から見ると入段直前くらい、あるいは町の碁会所などでは初段格かもしれませんがこの対局は9子局。
 Mさんは県代表格に相当する点数で、仮にこのネットでプロと打つとしたらコミ貰いながら先の手合いになるでしょう(勝敗はともかく善戦出来る筈)。
 
 実はこの対局の後ですがMさんをネットでグーグル検索するとヒットするのです。
  やはり住んでいる県の大会でベストスリーに入っているし、地方のブロック大会では県のチームの代表の一人になっている。
 それでも9子局は上手にとっても大変だと思うのですが、そういう条件でどういう打ち方をするのか勉強させてもらいたいと思い早速入室して観戦しました。
 自分では3子局までしか打たないし、ネットでも点数のやり取りの対象となる対局では2子局までですが、でも観戦としては興味はあります。

 「必争点を逃していないか?」「一手休みを打っていないか?」「強い石と弱い石を間違っていないか?」「攻められる幻想・恐怖を抱いていないか?」・・・そんなことを考えながら観戦します。
 逆に、白にとっては「かさにかかると言うか、”あざとい”というか、下手を力任せに押さえつけるような碁になっているか、あるいはプロのような鮮やかな感じでは無いにしても上手らしい碁になっているかどうか」興味があるのです。
 碁は、やはり9目置くだけの棋力差があるのでハンデがありながら黒が押されているようなところはある。
 逆に、そうだから9子のハンデが必要なわけですが。
  やはり黒の大石が白の包囲の中で目二つで生きたり・・・つまり周辺は白の勢力範囲に変わっている。 
 それと生きている石に一手入れた感じもある・・・。
  「そういう読みなのか」、あるいは「おびえたのか」それとも「それでも勝てる」と考えたのか、この辺の違いは大きいと思う。
 厳冬のロシア後退戦では無いですが、多子局はなかなか上手の形勢は良くなりません。
 現実に9子局ですから、勝敗を考えたら白の方が大変なことで、問題は9子置いた黒さんでしょう・・・勝敗も大事ですが内容の方がもっと大事。
 
 
 「9子も置けばどう打っても勝てる・・・」これはこれで黒さんが力を証明したことになるかもしれません。
 「9子のハンデを活かして白を攻めきる・・・」それが出来れば苦労は無いかもしれないし、そういう場合逆襲の危険性も大きいのも確か。
 「白があれこれ仕掛けても動じる隙を与えない・・・」それが理想かもしれないが、それが出来たら置き石が一つ減るかも。
 自分では打ちそうもない9子局をあれこれ考えながら最後まで見させて戴きました。
 他の方がどう思うかは分かりませんが、私としては上手の打ち方、下手の心理など、見ていて技量以上に勉強になると思いました。

 その後自分でも一局。
 相手は少し上手で、2点差ですから私の先でコミ4目半出し。
  直前に見ていた9子局が、気持ちだけかもしれませんが案外参考になっていたように思います・・・・。
 幸いな結果で、これで今年に入って3勝3敗。
  点数で言うと自己MAXの4点手前。
 結構苦しい胸突き八丁ですが、なんとかずるずると下がらないで頑張っています・・・今のところ。

チョット気になると・・・

2010-01-06 00:13:24 | Weblog
 昨年末に女房殿が友人から韓ドラのCDをセットで借りて来ました。
  これにはちょっとした策略的な匂いがします。
 本人は韓ドラが好きですから、コミュニティでやっているハングル講座に入会したものの1年くらいで・・・マア会話は諦めた経緯はあります。
 それでも字幕スーパーでドラマを見ながら断片的に分かる単語が出て来ると喜んでいる。
 同じような仲間が持っている連続ドラマのCDを借りて来て、私にも貸してくれるのですが・・・。
 私の場合こういうCDの再生は自分の部屋でノートパソコンでやりますから、結果として部屋に籠もる時間が増えるのです。
 年末年始の休みなど、部屋で本を読む、ネットで碁を打つの他にCD鑑賞が増えるのですから、結果的に静かな亭主。
 極端に言えば、三度の食事さえ与えておけば風呂・トイレ・食事・TVのスポーツ番組以外は部屋から出てこないのですから、マア静かなものでしょう。

 と言う分けで、恐らくCDは飴玉みたいなものなんでしょう。
  ともかくCD28枚セット:1枚に6話入っています。
 昔の連続紙芝居みたいなもので、必ず話の終わりは「続きはどうなる?」みたいな気の持たせ方で引っ張られて行く。
 ストーリー自体は他の同種の物と概ね同じような展開だし、出演している役者もお馴染みの役者が多いし・・・それでも、分かっていても引きずられて行くようなところがあって、後を引く大好物みたいな感じです。

 ところが一カ所気になるところを発見。
  ドラマで走行中の車の中で携帯の呼び出し音がする場面・・・主人公が電話に出ようとしないのを見た同行者が「電話を取れ」と言う。
 同じくこの携帯に電話をした方の人:「電話を取らないナ」と言う。
  どうでも良いところですが、こういうところが気になる性格。
 携帯の場合「電話を取る」と言うところに違和感を感じて気になって仕方が無い。
 電話を取るって固定電話のイメージだし、仮に携帯で使うとしたら体から離れたところに置いてある携帯が鳴って、それを手に取るイメージです。
 但しその場合は、人と携帯の距離関係が電話をした人にも見えていなければ表現できない筈でこれは矛盾します。
   こうなると、ドラマの進行よりこういう違和感についての詮索の方に気持ちが行ってしまいます。
 
 ドラマの最後の部分に[字幕スーパー]制作会社が出ているので、その名前で検索して見ると日本にある会社のようです。
 アジアの言語に特化して字幕を制作する会社らしい・・・
  韓国・中国・台湾のドラマのスーパーをやっているのでしょうね(想像)。
 他にインドネシアとかタイとかマレーシア、ベトナム、インドなどもやっているのだろうか?
 だんだん想像の世界に嵌って行く。
  『おそらく、ネイティブの日本語を話す人でない無い人・・・この場合は韓国語を母国語としている人で日本語も達者な人が訳したような気がする』
 『正しい日本語を学んだ人は、ネイティブより奇麗で正しい言葉を使うのですが、時としてこのように微妙なニュアンスが違う』
 さてどうなんだろう?

 私も気になるとしつこい・・・このしつこさが勉強とか囲碁で役に立てば・・・仮に囲碁で発揮されればきっと段で2つくらい上がるかもしれないのに。
 定石でのちょっとした手順の違い。
  周囲の条件の違い・・・定石後の違い・・・。
 不幸なことにそちらの方はかなりズボラ。
  

熱のある日

2010-01-05 00:33:01 | Weblog
 1月4日朝・・・新年初出勤。
  冬の朝は6時過ぎれもまだ暗いので、目覚めは良くないし気力が湧いてきません。
 自分で自分の性格を知っている・・・気力を沸き立たせて何かをやるタイプでは無いので、朝から漲るエネルギーはあり得ませんが、それでもバッテリー不足な感じがします。
 一番考えられるのは昨日の発熱の影響。
  後遺症なのか真っただ中なのかは分かりませんがどうも体がだるい。
 今日が新年の最初の出勤日でなければ休暇を取りたいところですが、約束のあるお客はいないものの、初めの日と言うものは休みにくい。
 そうでなくても年休があっても休みを取るにが下手なのです。
  取り敢えず女房殿に体温計を出して貰って検温すると、36度3分・・・普通の人なら平熱の範囲なんですが私にとっては微熱を少し越えた感じです。
 それでももし職場に電話をして「熱があるので休みます」と言えば「どのくらいの熱?」と聞かれる筈で、「36.3」と答えるとなんだか新年の初笑いのネタ見たい・・・なので見栄を張って出勤することにしました。

 こういう日は自転車に乗っても自覚症状が現れます。
  普段ですと動き始めてゲップなどでると胸がすっきりして調子が出て来ますが、体調の芳しく無い日は自転車に乗って運動しているのに欠伸を連発するのです。
 眠くないと言う分けでも無いにしろ、体を動かしているのに欠伸が続けて出る。
  素人考えではこの欠伸は、体の中の血液中の二酸化炭素と酸素を入れ替えて出て来るものなんでしょうか?・・・なんだか体調不良の象徴の生欠伸のようです。

 新年の所長挨拶(比較的短くて・・・短いことは良い事です)の後仕事開始。
  昨年の最終日に残した入力データを処理して、年末年始に届いた書類を整理。
  これが今年は例年になく多い・・・もしかして景気がやや上向きなんだろうか?
 6連休後の初仕事なので調子が出なかったのか、午前中一杯はかかってしまいましたが、午後は逆に時間を持て余してしまいました。
 書類による申請のお客は無いし問い合わせの電話も無い・・・もしかして世の中はまだ動き出していないのかも知れませんが。
 ともかく睡魔との闘い。
  何か面白そうなキーワードでグーグル検索したりプリントしようと思うのだが、「キーワード」を思いつかない・・・全く頭が働いていない。
 傍目にはどうか知らないけれど、自覚症状としては悲惨な1日でした。
  原因は多分”熱”。

 熱のある日は囲碁は控えないといけません。
  これまでの経験では外傷みたいな場合は囲碁は運動では無いので殆ど影響はありません。
 しかし頭痛、歯の痛みなどは影響があります(胃の痛みは経験が無いので分かりませんが)・・・これは集中力、考えるという行為に悪影響がある筈。
 熱の場合はもう少し違う影響がありそうです。
  これは一見自分としてはやや体調が悪いものの概ね普通に打っているつもりなのが、実はおかしな手を打っていて、気がついた時は挽回不能。
 「自覚なしで変なことをやる」危険性が大きいと思うのです・・・でも。
 考えてみたら、普段もそれに近かった。
  と言うことは普段から「微熱的」かも・・・それでは熱を恐れていては碁を打てなくなってしまいます。
 打たないわけにはいかない?・・・相手も微熱であることを願って打つ?。

三日目の朝

2010-01-04 01:05:32 | Weblog
 新年を迎えて三日目の朝=三が日の最終日。
  明日は今年の初出勤日ですから、やはり想像していた通りのあっけなさで年始休みが行きすぎていきます。
 それでも元旦の未明からここまでに4局も打ったのですから、いつもの年に比べたら倍以上の対局数です。
 私は昔から年始回りと言うものをしたことは無いし、家に客が来ることも無いのでどっぷりと「自己完結型生活?」に浸かっています。
 年明けに近くの市に住む娘が婿さんと毎年一緒に来ますが、あれは私の故郷から送られて来る生桜エビのかき揚げを食べに来る用事みたいなものです。
 結局はいつもと同じように時間が流れて行く。
  年末「紅白」はチラッと数秒見た程度、新年のTVは「実業団駅伝」「国立の天皇杯」「箱根駅伝」・・・これが毎年の定番で、高校サッカーを少し覗く程度・・・あとはネット碁と本を読むくらい。
 考えてみるとこういう生活では休みが何日有ろうが「終わって見ればあっけない」と言う感想に違いない。
 極論すると、死ぬまでこの流れで『それで良いのか?』と思いつつ『そんなものさ』という感じでもある。
 6日だろうが10日休もうが大きな差は無さそうです。
 
 ところで平成22年の碁は出だし○●○●、奇麗に白と黒が並んでいます。
  勝敗は今のところ五分だしまずまずのスタートと言えますが、(贅沢に)気分としてはトータルの勝敗では無くて、最後が●と言うのが宜しく無い。
 何だか損をしたままのような、負けた悔しさだけが気持ちのどこかに残っているようなそういう気分を引きずっている。
  これは博打で言えば、負けるほどに止められなくなる自己破滅型の傾向です。
 碁で勝てた時はともかく、負けた時はそれなりの理由がある筈です。
  序盤から作戦をミスしたとか、中盤で勝負所を間違ったとか、手を入れてジッと耐えるべきところを誤ったとか、考えもせずに打った手が実は勝負所を逃していたとか、逆に相手のチャンスを招いてしまったとか・・・。
 相変わらず反省点が多い割に反省は生きていませんから、これは反省では無くてく悔んでいるだけです。

 ところで3日の午後は大変でした・・・多分。
  昼食後に一気に体に違和感を感じたのです。
 ・・・これは12年前の大晦日の午後に家で一人でいる時に倒れた時と少し似ている。
 あの時は体をコントロールできなくて床に倒れた・・・暫くして動けるようになったので自分で119番に電話して救急車に来て貰った。
 生まれて初めて入院した・・・大晦日から正月の20日間。
  今回も女房殿も息子も出かけていている。
 体を動かすのも億劫で、体全体が何だかおかしい。
  加えて持病の傾向が・・・。
 オーバーに言うと、『最後の時と言うのはこういうものか』・・・寝具をかけてベッドに横になっているのに寒い・・・暖まらない・・・デロンギは確かに作動しているのに部屋が暖かく感じない。
 これは相当に熱が出ていると想像出来るのだが、体温計の置き場所を知らない。
  マア、それでも意識はあるし震えまでは無いし、咳なども無い。

 こういう時は一人で眠るのもやや不安なものですが、、、一眠りすると家族は皆戻っていました。
 体温を計ると・・・36度8分。
  これは落ち着いた状態だからさっきは多分これよりは1度以上は高かったと想像出来る。
 平熱が35度3あるいは4だからまだ1度以上は高いものの落ち着きました。
  ほんの数時間前のあの危機的な症状は一体何だったのだろうか?
 もしかして、新型インフルエンザに感染して、ワクチンを接種してあった効果が発揮された経過を体験したのだろうか・・・

 新年の3日目の僅かな時間でいろいろ体験しました。
  でも、明日は本年の初出勤です。

いつものように幕が開く

2010-01-03 00:11:31 | Weblog
 大晦日の夜中、つまり1月1日の未明・これは暦の上では新年ですから平成22年の囲碁です。
 マア年が変わったと言っても昨日の今日、細かく言えばほんの数時間の違いですから、それほどあらたまることも無いですが、ともあれ新年の碁です。
 ネット碁に接続すると対局希望者リストにはMさんが一人だけエントリー。
  この人には入会以来お世話になっています。
 じかに顔こそ合わせていませんが、メールでも肉声でも会話をしたことは一度も無いとは言え、(もしかしたらどこかで擦れ違っているかもしれないし、どこかの大会で対局している可能性は0では無い)親しみを感じるお馴染みさんである。
 このネットに入会して初めて打ったのは確かMさんだったように記憶していまして、それ以来6,7年のお付き合いとなります。
  
 ネットですから実名は出ていても当然顔までは見えていません。
 入会して初めて対局希望ボードに名前が載れば、対局数がごく僅かでもあるし「誰?誰?」と言う感じで、見慣れない者は多少気にになると思いますが、このMさんは初めから気楽に相手をしてくれたと言う印象です。
 素人だし初めから碁を打つための会ですから、それが当然でもあるけれど、そうは言っても新人にとっては嬉しいものです。
 碁会所ストレンジャーにとっては相手をしてくれる人は有りがたい。

 Mさんは想像ですが対局数で五本の指に入っても十番以下では無い筈です。
  そういう意味では誰とでも打ってくれるので、私などは大勢の中の一人かも知れないのですが、それでも嬉しいことです。
 その頃彼の挨拶文は「○○市のMです。宜しく願いします」のようになっていた。
 その市は私の住む市から車で15から20分でいける距離。
  ネットですからそういう地理的距離は関係ないと言えば関係ないですが・・・九州沖縄でも北海道でも同好の士に変わりが無いですが、でもなんとなくお隣さん的な親しみを感じてしまうのです。
 実際には囲碁人口そのものがそれほど大きくは無いでしょうから、友達の友達の友達・・・と辿って行くとどこかに繋がる可能性もある。

  ともあれ以来月に1局以上は打っていると思いますから、極控えめに考えても100局以上は打っている筈で、私が入会以来の対局数1600局余で、その中では一番対局が多い筈です。
 (Mさんは1万局を遥かに越える対局数がありますから、そのうちの100では彼の中では1番では無いでしょうが。)
  そういう意味では、私にとっては年明けの1局を打つ相手としてはふさわしい相手です。

 対局はMさんの先でコミ2目半出し。
  彼の黒番での出だしはほぼ決まっている・・・星と目ハズシの組み合わせ。
 私もいつもなら平行型で2連星になるのですが、年の初めでもあり星と小目の組み合わせにしてみました。
  この時一瞬頭を過ぎったのは、昨年他界された梶原九段のことです。
 「年の初めだから4手目をいつもと変えてみた・・・」なんていう事を言ったら、多分「馬鹿もん!」みたいなものです。
 熟考を重ねた上での選択では無い・・・ただの思いつき、気分の手。
  何と言っても「今日のハマグリは重い」の先生ですから、「4手目に考えに考えて・・・」なら例えおかしな手でも叱られないかもしれませんが、いかにも「気分転換」的な手では怒鳴られるか、笑われるか、はたまた無視されるか。
  結果は170手辺りでMさん投了・・・勝ち星だけで言うと幸先の良いスタートとはなりましたが、内容はいつもの結果OK。
 さてさて、今年もいつものように幕が開いたとも言えますね。

一年の計

2010-01-02 00:02:50 | Weblog
 「一年の計は元旦にあり」と言う言葉は子供時代にはごく普通だった筈です。
  イヤ、最近でも年初の有名人やスポーツ選手へのインタビューでは「年の初めに当たり、今年はどんな1年にしたいですか?」という質問は定型ですから、これは実質的に”1年の計”です。
 私は改まってこういう質問を受けるような立場では無いので、陳腐な質問にあらかじめ応えを用意して置くことも無いので気は楽だし、実際にも何も考えずに年の初めを迎えている。

 子供時代ですとこういうテーマで作文を”書かされ”るので、否応なく一年の計を立てさせられて、発表させられたり、書き初めにしたりしたものです。
 しかし、必ず一年の計の裏側には「三日坊主」という言葉がついて回る。
  さて、どんなことを年頭に考えたのか・・・
 「今年は日記帳をつける」・・・こういうのが多かった。
  新しい日記帳を用意する。
 しかし、初めの2,3ページだけを使用し、後ろの362日分は白紙のまま。
  こういう無駄に気がつき、専用の日記帳では無くて普通の学習ノート・大学ノートを日記帳にして、初めの2,3ページは日記として使用し、そこから後ろは普通の学習用に転用したものです。
 子供ながら合理的と言うかいい加減と言うか・・・。

 もう少し成長すると、無駄な努力はしなくなるもので、新年に日記帳を用意することも無くなり、同時に「一年の計」とも疎遠になって行きました。
 職場では年頭の所長挨拶などにはまだ生きている言葉ではありますが、個人的には「恒例の」がつきそうな感じ・・・マア、仕事に関してはこういう目標と言うものも必要かも知れませんが。
 個人的には「そういう生真面目な生き方は私らしく無い」というイメージだし、「我を見失うな」と言う感じ。
 
 年の暮には職場にかけて置くカレンダー新年用にを変えます。
  課全体としては予定を書き込めるもの2、見やすいように壁に貼っておくもの1で、これらは出入りの方から戴いたものから選びます。
 それと戴き物の中から卓上カレンダーを選んで机の上に置く。
  年によっては使い勝手が良さそうな手帳を選んで使います。
 
 さて今回、カレンダーとか手帳などの戴き物を置いてあるところで物色していると普通のノートサイズの黒いビジネスダイアリーが残っていた。
 ハードカバーで厚手のタイプです。
  毎日の記録とか予定とかを書きとめるだけならメモ用紙を箱の中に取っておくとか、目玉クリップで整理すれば良いので、こういう立派な感じのダイアリーを使うとなると途中で投げ出せない、、、初めから「選ぶなら覚悟して取れ」です。
 迷った挙句、この大層なビジネスダイアリーを選んでしまいました。
  予定も書けるし、ちょっとした日記帳でもあります。
 
 俗に「三日、三月、三年」という言葉があります。
  何かを始めたならまず初めの三日、次の目標は三カ月継続すること、そして三年続くようなら一生続く。
 ダイアリーは12月29日から使い始めたので、とりあえず三日はクリアー・・・長い一年が始まった。