なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

棋譜つけ

2010-01-16 03:33:46 | Weblog
 棋譜取りでも棋譜つけでも同じような気はしますが、敢えて自分の棋譜を記録する方を棋譜つけ、他人の対局の棋譜を記録する方を棋譜取り。(勝手に自分だけのローカルルールです)
 結局は記録することには変わりが無い。
 さて棋力をアップさせるのには棋譜を記録するのは良い方法だと言うことは昔から言われている。
  プロの先生はほぼ100%賛成だろうし、アマの高段者も殆どはそう考えると思います。
 マア、アマの場合は高段者でも「俺はそんな必要は無かった」いう方もいるかもしれませんが、それはその人の場合であって、方法として考えたら・・・棋譜の記録が役に立つかどうかを質問すれば、「無用」と言う人はいないのではないかと思います。
 では、アマが誰しも思う「強くなりたい」と言う願いに、棋譜の記録をその為にやって見ようとする人の割合はどうでしょうか?。
 具体的には分からないし、想像もしにくいのですが100%ではなさそうですし、私の知っている人達を物差しにすれば50%も無いと想像します。
 本音で言うと棋譜の記録を取る人の方が稀でしょう。

 仮に碁会所で自分の棋譜を取っていたら、感心して褒めてくれるでしょうが、半分は「真面目だけれど変わり者に近い」と見られるかも知れません。
 チョット極端だったでしょうか
  これは学校の普段の勉強に対する態度みたいなものです・・・「出来るようになりたければ、実際に勉強をするしかない」・・・天才でもない限りこれです。
 でも「勉強は出来る方が良い」と考えても「実際の勉強はしない」;分かっている事とやることは別みたいなものです。
 そういう私だって、お医者さんの助言に忠実では無いのですから威張れません。
 
 棋譜に戻ります。
 いつだったか、ある囲碁大会で真面目そうな女性が対局していまして・・・初段から3段くらいの部だったと思いますが、なんで目についたかと言うと、女性だから?、いや女性の打ち手は多いのです。
 この人は、数手打つと右手にペンを持ち左手は碁罫紙帳に持ちかて記録する。
  一人40分の時計付き大会ですから相当忙しいと思いますが、それでも記録をしながら対局。
 その姿勢は素晴らしいとは思ったものの、費用対効果では無いがかかる手間と効果を考えたらこれは手放しで誉められるのかどうか疑問には感じた。
 勿論本人の意志だし、人それぞれの向き不向きがあるでしょうから一概には結論づけられないでしょうが、これは目的と手段が怪しく交差しているような気がします。
 私はお勧めは、対局後に思い出して棋譜を作成することだと思います。
  当然初めから250手以上を記憶することは無理に決まっています。
 でも最初は50手でも良いかと考えるのです。
  碁会所などでの対局なら、局後に対局相手にも協力して貰って100手くらいに伸びるでしょう。
  意識的に行う事、慣れることが大事でしょう。
 こういう尺取り虫的な実践の方が結果として効果があると考えるのです。
  実戦を打ちながら記録するのもアリでしょうが、記録する方に神経が行ってしまい、「打つ」事がおろそかになる事の方が心配です。

 それでしたらいっそ3人グループなどで二人が対局し残りの一人が棋譜取り役をやる方が勉強になるように思います。
 終局後に3人で検証出来ますし。

 では私は・・・
  私の棋譜取りの初体験はK畑先生の級位者の囲碁教室みたいなものを手伝っていた時に、先生の指導碁を記録したことです。
 その時は大した目的意識も無かったし、「先生はかく教えました」みたいなものでも無い、単に記録をしただけです。
 指導碁の横についてただ棋譜を取るだけです・・・。
  でも、棋譜取りも緊張しますね、アマの碁ですから早く打つ時は大変。
   プロみたいに長考に沈むような休憩タイムなどは無いのですから集中していても大変。
 そこで、デスクトップのパソコンがあったので棋譜管理ソフトを使ってマウスで棋譜取りをしました・・・当時はソフトも記録も5インチフロッピーなんて懐かしいです。
 対局が終わったら対局日・対局者・場所などを入れて、ちょっとしゃれた紙にプリントアウトして生徒さんにプレゼント。
 余裕があれば、良い手のところ疑問手のところもプリント。
  こういったものは喜ばれました。
 生徒さんを喜ばせて、ついでに棋力アップにも役立つなら目的を果たしています。

 自分自身については、実はこれが大いに役立ったと思っています。
  多子局の指導碁ですが故梶原先生みたいな口調で言うなら「白5でこの碁はオワ」みたいな感想を抱きつつ観戦したのです。
 つまり普通の指導碁ですと、黒が勝負所を逃がしたり、ちょっとミスをしたり、時に半手休みをして細かい碁に持ち込まれ、最後に白に逆転されるのが普通のストーリー。
 ですから終盤でここでこう打っていたらとか、あそこでミスをしなければなどと言う感想になるわけです・・・先生もそういうでしょうし。本人もそう思うかも知れません。
 でも、棋譜をつけていて同じような指導碁を記録することで、少し見えてきたものがありました。
  イヤ、見えたと言う錯覚かも知れませんが・・・。 
 多子局でも勝負ところは意外と早い時期にあると考えたのです。
  多子局で序盤にハンデを意識して凹んで無難に打って、仮に数目でも残せるならこれは手合いが違う筈で、丁度良いハンデの場合こういう打ち方では結局は地が足りなくなる筈です。
 それに上手恐怖症を繰り返しているようでは困ったものですし、どうせ先生相手には勝てないからと無謀な万歳攻撃も感心しません。
 ともあれ、指導碁の棋譜取りで「どうしてこんなにハンデがあって下手は上手に負けるのか」分かったような気がしたのです。
 私としては何十局か棋譜を取って、説明用に繰り返し見なおした経験が自分にも役に立ったと考えています・・・具体的には・・・私の段の内2つくらいはそうかも知れません。

 ところで最近はネット碁が多いので、打てば即記録されているので便利この上ない。
  敢えて棋譜をつける必要が無いのですから、これを利用しない手は無いと思っている。
 少なくとも打った碁は見直す・・・勝った碁も負けた碁も・・・負けた碁は特に何回も。
  そのくらいしないとせっかくの棋譜倉庫機能がもったいない。

 パソコンで碁罫紙がダウンロード出来ることを知りまして早速プリント。
  19路のA4サイズの碁罫紙と、A4の中に12面(10×10路)の碁罫紙。
 後者は部分的記録ようです。
  先日早碁で時間を使った部分を記録するのに丁度良い。
 もしこういうものが溜まれば、ザルの手筋・詰め碁集が出来そうです・・・さてさて言うことは大きいです。