なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

チョット気になると・・・

2010-01-06 00:13:24 | Weblog
 昨年末に女房殿が友人から韓ドラのCDをセットで借りて来ました。
  これにはちょっとした策略的な匂いがします。
 本人は韓ドラが好きですから、コミュニティでやっているハングル講座に入会したものの1年くらいで・・・マア会話は諦めた経緯はあります。
 それでも字幕スーパーでドラマを見ながら断片的に分かる単語が出て来ると喜んでいる。
 同じような仲間が持っている連続ドラマのCDを借りて来て、私にも貸してくれるのですが・・・。
 私の場合こういうCDの再生は自分の部屋でノートパソコンでやりますから、結果として部屋に籠もる時間が増えるのです。
 年末年始の休みなど、部屋で本を読む、ネットで碁を打つの他にCD鑑賞が増えるのですから、結果的に静かな亭主。
 極端に言えば、三度の食事さえ与えておけば風呂・トイレ・食事・TVのスポーツ番組以外は部屋から出てこないのですから、マア静かなものでしょう。

 と言う分けで、恐らくCDは飴玉みたいなものなんでしょう。
  ともかくCD28枚セット:1枚に6話入っています。
 昔の連続紙芝居みたいなもので、必ず話の終わりは「続きはどうなる?」みたいな気の持たせ方で引っ張られて行く。
 ストーリー自体は他の同種の物と概ね同じような展開だし、出演している役者もお馴染みの役者が多いし・・・それでも、分かっていても引きずられて行くようなところがあって、後を引く大好物みたいな感じです。

 ところが一カ所気になるところを発見。
  ドラマで走行中の車の中で携帯の呼び出し音がする場面・・・主人公が電話に出ようとしないのを見た同行者が「電話を取れ」と言う。
 同じくこの携帯に電話をした方の人:「電話を取らないナ」と言う。
  どうでも良いところですが、こういうところが気になる性格。
 携帯の場合「電話を取る」と言うところに違和感を感じて気になって仕方が無い。
 電話を取るって固定電話のイメージだし、仮に携帯で使うとしたら体から離れたところに置いてある携帯が鳴って、それを手に取るイメージです。
 但しその場合は、人と携帯の距離関係が電話をした人にも見えていなければ表現できない筈でこれは矛盾します。
   こうなると、ドラマの進行よりこういう違和感についての詮索の方に気持ちが行ってしまいます。
 
 ドラマの最後の部分に[字幕スーパー]制作会社が出ているので、その名前で検索して見ると日本にある会社のようです。
 アジアの言語に特化して字幕を制作する会社らしい・・・
  韓国・中国・台湾のドラマのスーパーをやっているのでしょうね(想像)。
 他にインドネシアとかタイとかマレーシア、ベトナム、インドなどもやっているのだろうか?
 だんだん想像の世界に嵌って行く。
  『おそらく、ネイティブの日本語を話す人でない無い人・・・この場合は韓国語を母国語としている人で日本語も達者な人が訳したような気がする』
 『正しい日本語を学んだ人は、ネイティブより奇麗で正しい言葉を使うのですが、時としてこのように微妙なニュアンスが違う』
 さてどうなんだろう?

 私も気になるとしつこい・・・このしつこさが勉強とか囲碁で役に立てば・・・仮に囲碁で発揮されればきっと段で2つくらい上がるかもしれないのに。
 定石でのちょっとした手順の違い。
  周囲の条件の違い・・・定石後の違い・・・。
 不幸なことにそちらの方はかなりズボラ。