なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

楽しい棋譜並べ

2010-01-23 00:18:17 | Weblog
 先日いつもの大型スーパーの3階にある本屋さんでは無くて、その近くの本屋さんでNHK囲碁講座2月号を買いました。
 どこで買おうと同じ本だし、私が客として買うわけですから何の差しさわりも無いのですが、どこか後ろめたさと言うか、誰かに迷惑をかけているような気がしてしまうのです。
 大型スーパーの中の本屋さんは大型店舗なので、NHK囲碁講座に限らず各種のテキストなど種類も多いし量もあるので平積みしてありますが、こちらの本屋さんにはいつも1冊しか置いてないのです。
 私は通常は大型スーパーで買い物をしたついでに3階までエスカレーターで上がって、初めに囲碁・将棋・ゲームの本のコーナーをチェックしてから、テキスト売り場で囲碁講座を買うのが手順なんですが、店に入って上まで上がるのが面倒な時はこちらの小さな本屋で購入する。
 但し、先ほども言ったように、いつも1冊しかないことが多いし、1冊も無いことも確率50%くらいです。
 つまり確率50%で小さな本屋で無駄足をするか、確実に買えるけれど大きな店の3階まで上がって行くか・・・ものぐさ太郎としてはここは考えどころ。
 
 小さな本屋さんの方には、実は別の問題があります。
  本屋さんの問題では無くて私自身の問題・・・大げさに言うと心の問題。
 この本屋さんだってNHK囲碁講座の本は3冊以上は入荷する筈(今まで最高で3冊並んでいました)ですが、1冊しか棚に無いことが多い・・・こういう時買うのをついためらってしまう。
 気が弱いので・・・嘘です。
  マア、本を手に取る時ふと考える。
 もしかして、後で買いに来た人が本棚に1冊も無くてがっかりするのではないか?・・・たまたま買えない事で購入を諦めるのでないか?
 「最後の1冊ゲット、ラッキー」とは思わないのです・・・それなら大型店の方で買えば何の問題も無いのでそちらに行けばよいのに、簡単に買える方に入るのですから矛盾した事をやっているし、ためらいながらも結局買うのですから我ながら変な性格です。

 ところで一番初めに読むところ、それはやはり「桂馬の両アタリ」。
  たった1ページのエッセイですが、これが楽しみで本を買っているようなところもあります。
 さて今月号では「楽しい棋譜並べのために」と言う話。
  筆者の先崎さんは将棋のプロですが囲碁のプロでは無いので棋譜並べには苦労することもあるらしいので、ほっとする感じです。
 当然の話ですが、囲碁プロは棋譜並べでもすごいですね、、、いや逆かもしれない、、、こんな事で苦労していたらプロには慣れないでしょうから。
 ともあれ、アマにとっては大切な・重要な勉強方法ではありますが、簡単に乗り越えられないから素人だと開き直るしか無さそうです。

 先崎さんの「序盤だけでなく、手数が進んでも”右上”とか”左辺”とか方向を示して置いてくれれば探すのが楽になる」と言うお考え・・・半分賛成で半分保留です。
 「棋譜並べではなくて、探している」と言う話はよーく解ります。
 私が超初心者以前の時代、ルールも何も知らないのに毎日新聞の囲碁欄を見ていた時代はまさに”数字探しゲーム”だった筈です。
 ルールを憶えて、こんなにたくさん対局して、棋譜だってしょっちゅう見ているのに、今でも探すことはある、、、いやかなりある。
 ですから探せないような時はイライラして、せめて方向を書いてあれば楽なのにと思う。
  でも一方でそれで良いのか?とも思うのです。
 「棋譜並べは勉強ではあるが、イライラしながら並べるのではなくて『勉強という目的では無く、並べる事を楽しむゆとりが無いのか』」とも思うのです。
 慣れれば早く並べられるでしょう、、、どれだけ早く並べるかが気力のバロメーターになっているところもあります。
 ゆったりとした気分で並べる、、、探すのも楽しむのも気持ちのゆとりでは?とも考える。
  それに、方向が指示されている棋譜に慣れてしまうと”勘”のようなものが鈍くならないだろうかとも心配する・・・棋譜を並べていて、棋譜の数字を追いながら、理由はともかく「次の手はこっち方向」と感じることも大事かも知れないと思うのです。
 方向が指示されていれば数字を探すのには便利だけれど、感じる力をつけるのにはヤヤ問題は無いだろうか?
 アマの碁の棋譜では着手の関連と言う意味で探すのは大変なことはあるだろうけれど、プロの場合はそういうことは無い筈、イヤ、たまにあったとしても、そういう場面であった事を感じられるかも知れません。