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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

ブラック学校から、ブラック企業へ、そしてブラックニッポンへヒタヒタとすすむ精神貧国大国ニッポンへ

2013-01-27 | 日記

昨日は、小・中・高において、子どもを大人の付属物としての子供として、いや人間以下の「犬猫」として扱う「大人」の視点が温存されているが故に、人権と民主主義がないがしろにされていることを記事にしました。

 こうした非人間的な扱いは、大学ではどうか、と思いきや、以下のような人権侵害が、横行していました。

森岡孝二『就職とは何か―≺まともな働き方≻の条件』岩波新書(2011年11月刊)参照

 しかし、大卒がエリートであった当時の大学進学率は、専門学校令による高等教育機関である専門学校を含めて、三%程度に過ぎなかった。いまでは大学進学率は五〇%を超え、二〇一〇年では、大学は五一%、短期大学を含めれば五七%に達している。今日の大学生の就職問題の背景には、「はじめに」で述べたような正社員の雇用減少下での大学進学者の増加がある。最近では高校と短大の深刻な就職難がさらに大学進学率を高めているともいわれている。

 学生にとって職業選択と職探しは一生の大事である。それだけに、多かれ少なかれ不安や迷いがつきまとう。その一方、就職は夢と希望の実現に向かう旅立ちである。これまでもそうであったし、これからもそうであってほしい。とはいえ、長く苦しい就職活動で打ちひしがれた学生たちを見ていると、安易に夢や希望を語れないのがいまの就職であると言わざるをえない。

 『朝日新聞』に「心も凍る、就職氷河期」という記事が出ていた(二〇一〇年一二月二七日)。それによれば、最近は就職活動中の学生が自信を失ったりうつ状態になったりして、専門家のカウンセリングを受けるケースが増えているという。その記事にあるように、私の勤める関西大学では、キャリアセンターのスタッフが「精神的なケアも必要」と判断した学生には、数大の臨床心理上や産業カウンセラーの資格を有した専門相談員(キャリアデザインアドバイザー)がいる「キャリアデザインルーム」を紹介し、さらに深刻なケースについては学内の「心理相談室」と連携をとっている。

 このところ就職活動の失敗に起因する学生の自殺が急増している。警察庁によれば、二〇一〇年の「就職失敗」を原因あるいは動機とする大学生の自殺者は、前年の二倍の四六人(男性四〇人、女性六人)になった。二〇〇七年は二三人(男性一八人、女性〇人)、二〇〇八年は二二人(男性一七人、女性五人)、二〇〇九年は二三人(男性一八人、女性五人)であった。二〇〇八年から二〇一〇年で見ると、大学生のあらゆる原因による自殺者総数は五三六人から五一三人に減少している。にもかかわらず、就活を原因とする大学生の自殺が増加していることはゆるがせにはできない(警察庁「自殺の概要資料」各年版)。

 近年は、三〇歳代、さらには二〇歳代の若い労働者の過労自殺が増えて社会問題になっている。過労自殺では企業の責任が問われるが、就活自殺は、面接の失敗や圧迫面接が引き金になったとしても、加害責任を特定することが難しく、労災保険制度のような補償の

あてもなく、内密にしたいという保護者の心情もあって、社会問題になりにくい。それだけに大学関係者は学生の就活自殺の増加に警鐘を鳴らす必要がある。

 就職の失敗による大学生の自殺者は男子のほうが女子よりずっと多い。しかし、このことは女子学生のほうが男子学生より就職活動の苦労が少ないということを意味しない。むしろ、女子学生は、総合職の門が狭いうえに一般職の採用も厳しく抑えられている。そのなかで、男子より多くの企業に応募しながら、内定がなかなか取れず、内定の出る時期も遅い。内定率が低いだけに、「泣いている率」が高い。

 学生が面接を経て内定を得るまでに思い知らされるのは、企業の強さと学生の弱さである。雇われる側と雇う側の網引きでは、いつの時代にも雇われる側が弱いが、「新就職氷河期」あるいは「超氷河期」といわれる昨今にあっては、雇われる側の学生は、とりわけ弱い立場に置かれている。(引用ここまで)

 どうでしょうか?現在の学生が置かれている深刻で、悲惨な、そして重要な事実が、ここに示されていると思います。

 就活にあけくれる学生と大学の生き残りのために、「いい企業」に就職させるために、あの手この手のカリキュラムを組み、就活に集中させる大学。今や幼児から児童、そうして少年から青年に至るまで、「狂ったように」、マジになって競争と選抜、没個性に向かって突き進んでいるかのようなニッポンです。

あの「リクルートスタイル」に、今日の経済大国ニッポンが精神貧国大国ニッポンに突き進んでいることが手に取るように判るというのは、愛国者の邪論の独断と偏見でしようか?

 青年である大学生が、気の毒であると同時に、かわいそうで・・・。言葉になりません!

そうしてやっとのことで就職したとき、どのような現実が待っているか。それは今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖快』文春新書(2012年11月刊)には、さらに酷い事実が書かれています。

 ■新卒=コスト」「人間としておかしい」と罵られる

 人格を傷つけるような暴言を含む異常なハラスメントの数々がまかり通るのは、常日頃から社員が恐怖によって支配されヽ社内の価値規範を強固に内面化しているからに他ならない。例えば、ここでいう社内の価値規範は、人事部執行役員による入社式の挨拶に端的に現れている。

「お前たちはクズだ。異論はあるだろうが、社会に出たばかりのお前たちは何も知らないクズだ。その理由は、現時点で会社に利益をもたらすヤツが一人もいないからだ」

「営利団体である企業にとって赤字は悪だ。利益をもたらせないヤツが給料をもらうということは悪以外の何物でもない。だから、お前たちは先輩社員が稼いできた利益を横取りしているクズなのだ」

「クズだから早く人間になれ。人間になったら、価値を生める人材になり、会社に貢献するように」

 これらはすべて執行役員の発言である。入社初日から、「新卒は歓迎されていない」ことを知らしめられた新入社員たちだったが、その翌日から始まる過酷な新人研修のなかで執行役員の「コストり悪」という価値観を叩き込まれていく。

 新人研修では、新人社員たちは膨大な課題を与えられ、徹夜もまれではなかった。あるときは、終業時間の1時間後に翌朝提出の課題を与えられ、研修施設が閉まってから同僚の家に集まって仕事をこなし、一睡もせずに出勤することもあった。彼らに「課題をこなせない」という選択肢はない。新人社員は数人単位のチームに分けられ、作業をこなすが、チームの構成員は連帯責任を負うため、例えば、1人が課題を提出できなかったためにチーム全員が椅子なしでの仕事を強制される制裁を受けることもあったという。ある若手従業員によれば、「研修期間中の平均睡眠時間は3時間未満」であった。

 このような肉体的な追いつめと並行して精神的な圧迫も間断なく加えられた。1年先輩の新卒教育担当者は、執拗に「新卒=コスト」発言を繰り返した。具体的には、「新卒は赤字であり、会社にとってコストだ。先輩社員の時間を取ることはコストを増やすことだ。コストを増やすことがないように」「新卒は赤字なので営業や先輩社員の出す利益を給料としてもらっている。そのお蔭で生活できている」といった発言である。ある新人社員は教育担当者に「成果を出せ」と言われ、研修の成果をレポートにまとめて人事部に報告すると、「成果とは会社に利益をもたらすことだ。そんなこともわからない新卒は最悪だ。人間としておかしい」と詰られたという。

「新卒はコスト」「人間としておかしい」と毎日のように罵られ、否定される環境下で、新入社員は睡眠不足と言葉の暴力から精神的にも肉体的にも追いつめられ、早く価値を生む人間にならなければ、ただのクズとして扱われるという恐怖に支配された。与えられた課題や仕事が終わるまでは寝ずに働く習慣が身に付き、彼ら/彼女らは上司への絶対服従と「コスト=悪」意識とを身に付けていく。この職場において新人研修は従業員の「奴隷化」の最も重要な手法のひとつなのであろう。しかし、新入社員にとっては過重な労働と圧迫の恐怖に耐える日々の始まりに過ぎない。(引用ここまで)

 日本中に、とまでは行かないまでも、人権と民主主義がないがしろになされている事実は、列島を覆っているのではないでしょうか?何故このような非人間的な実態が横行しているのでしょうか?

 ここで指摘されていることが、実は、以下の本にも書かれているように思いました。読んではいませんが、以下をアクセスしてみて、そう思いましたので、参考までに掲載しておきます。

 「橋下徹は損得勘定が発達している人間」“行列仲間”丸山和也氏が書いた暴露本の中身

http://www.cyzo.com/2013/01/post_12427.html

同書によると、橋下氏は降板した弁護士の代役として登場し、茶髪に色つきメガネの風貌やテレビ向きのキャラが、番組の制作サイドや当時司会を務めていた島田紳助に気に入られ、あっという間にレギュラーに。当時は自身の法律事務所を経営していたが、「稼げないヤツはうちの事務所にはいらない」というスタンスで、丸山氏は番組内のトークの端々や日常会話から「ドライな現実主義者で、勝ち負けと損得勘定が発達している人間」という印象を抱いたという。(引用ここまで)

大阪市立高校の「体罰」=「暴力指導」事件、大学生の就活自殺事件、そうして企業戦士の自殺やパワハラや解雇事件などなど、「赤ちゃんから墓場まで」、この経済大国ニッポン、いや精神貧国大国ニッポンをみるにつけ、大変革が求められているようなところまで来ているように思います。

後は、国民がどのように動くか、そこにかかっているのではないでしょうか?

ちょうど、啄木が、100年前に記した「時代閉塞の現状」で、青年に呼びかけた言葉、思い、それが、今の日本に求められているのだと、確信して、今日は終わることにします。