愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

沖縄の全学徒隊の悲惨を伝える「碑」も韓国『慰安婦少女像』も思いは一つ!慰安婦少女像撤去を「是」とするならば「風化」をどう防ぐか!

2017-03-17 | 慰安婦

他民族の人権を否定する民族は自由にはなれない!

他県民の人権抑圧を見過ごす県民は自由にはなれない!

慰安婦少女像撤去を是認する国民は

慰安婦問題の風化をどうするか!

韓国・北朝鮮国民など、被害国民に

解答しなければならない!

安倍政権は全く不問・黙殺・隠ぺいしている!

沖縄タイムス  全学徒隊の碑/語り継ぐ新たな試みを  2017/3/16
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/88732

戦前、沖縄には師範学校や中学校、高等女学校、実業学校など21の中等学校があった。住民を巻き込んだ苛烈な沖縄戦では、これら全ての学校の生徒が戦場に駆り出され、多くの若い命が失われた
沖縄戦から72年、糸満市摩文仁の平和祈念公園に21校の校名が刻まれた「全学徒隊の碑」が建立された。
修学旅行生など多くの人が訪れる公園内に合同石碑が建てられたことを、学徒隊の戦争体験を後世に伝えていく大きなきっかけにしてほしい
師範学校女子部と第一高女のひめゆり同窓会が運営する糸満市伊原の「ひめゆり平和祈念資料館」は、壁一面に犠牲者の遺影がかけられ、証言ビデオや病院壕のジオラマが戦争の恐ろしさと平和への思いを語る施設だ。
那覇市首里金城町の養秀会館にある「一中学徒隊資料展示室」には、遺影のほか数々の遺品、家族あてに書かれた遺書などが展示されている。
実際には21の中等学校にそれぞれの「沖縄戦」があったにもかかわらず、その体験に日が当たることはなく、戦後、時がたつにつれて県民から忘れられようとしている学徒隊もある
合同石碑建立のきっかけはひめゆり平和祈念資料館が1999年に企画した「沖縄戦の全学徒たち展」である。その後、関係者が県に合同石碑の建立を要請、2015年に県議会が建立に関する決議案を可決した。
「沖縄戦に参加した全学徒について忘れてはならない」との思いは、ひめゆり同窓会を含む全ての元学徒に共通する。

全学徒隊の碑は、沖縄全戦没者追悼式が開かれる広場と平和の礎との間に建つ学徒隊の説明や世界の恒久平和を願う碑文のほか、学校名と学徒隊の通称、学校の位置などが記されている。
しかし動員された学徒数や犠牲者数には触れていない。確かな数字がないからというのが県の言い分だ
ひめゆり平和祈念資料館編「沖縄戦の全学徒隊」によると、動員された生徒は1923人、そのうち半数を超える981人が亡くなっている。全容の把握が難しいからといって2人に1人が亡くなった事実が記されなければ、「地獄の戦場」を伝えることにならないのではないか
14歳から19歳までの若者を戦場に動員した法的根拠、県と守備軍の動員に関する交渉経過、犠牲者数などの事実を、空白になっている石碑の裏面に書き込んでほしい
既に沖縄戦体験者は県人口の2割を切り、学徒隊体験を語ることができる人も一人二人と年々減っている。
碑ができたことを契機にもう一度、生存者と同窓生、若い人たちが世代を超えて協力し、「沖縄戦の全学徒たち展」を開いてみてはどうだろう。女子学徒隊に比べ男子学徒隊の戦場経験を聞く機会は少なく、あまり知られていない。あらためて証言を集め、史実を掘り起こし、学徒隊の戦場体験が意味するものを問い掛けるべきだ。(引用ここまで)

沖縄タイムス 慰安婦問題で合意/関係改善の機が熟した 2015/12/29

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=147773

歴史的な合意ではあるが、現時点では政府レベルの交渉妥結にとどまる。元慰安婦の女性たちはこの決着をどう受け止めるか、韓国の世論はどう評価するのか。
両国関係に突き刺さったトゲを抜き取り、相互理解を深め、和解を実現するためには、何は差し置いても日本における官民の真摯(しんし)な取り組みが欠かせない。
日韓両外相は28日、ソウルで共同記者会見し、「従軍慰安婦」問題について「最終的」な合意に達したことを明らかにした。
「不可逆的な」という言葉をあえて加えたのは、両政府の間では今後、この問題を蒸し返さない、という意味である。
会見で岸田文雄外相が明らかにした日本政府の見解は、この問題を考える際の新たな出発点になるものである。
岸田外相は慰安婦問題について「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」だと指摘し、「日本政府は責任を痛感している」と述べた。
さらに岸田外相は、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」との安倍晋三首相の気持ちを伝え、元慰安婦の方たちの心の傷を癒やすため日本政府の予算から10億円規模の資金を拠出することを明らかにした。
元慰安婦への賠償について、1965年の日韓請求権協定で「解決済み」と主張してきた政府が、国の責任を認め、政府予算を使って支援事業を実施することを明らかにしたのである。一歩前進したのは間違いない。
    ■    ■
だが、政府間交渉の結果が国民に受け入れられるとは限らない。例えば、安倍政権の閣僚が合意内容に反するような暴言を吐いたり、謝罪や反省や責任を否定し元慰安婦の尊厳や名誉を傷つけるような草の根の運動が表面化すれば、政府間合意が崩壊する可能性もある。
ソウルの日本大使館前に設置された少女像の取り扱いについて尹炳世(ユンビョンセ)外相は「関連団体との協議を通じ適切な解決に努力する」ことを明らかにしたが、簡単にはいきそうもない。
外交と内政は密接につながっている。韓国の人たちが「変わらない日本」を実感し、逆に日本の人たちが嫌韓感情を抱えたままだと、両国の和解は遠のく。政府間合意によって新たな革袋ができたのは確かだが、これにどのような中身を盛り込んでいくか。課題は多い
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日韓両外相の記者会見をテレビで見ていてふと頭に浮かんだのは、ペ・ポンギさんの姿である。ペさんは44年、旧日本軍の慰安婦として沖縄に連れてこられ、渡嘉敷島に配置された。 逃げ場のない離島で日によっては何十人もの兵隊の相手をさせられ戦後は帰るのをいやがって米軍統治下の沖縄にとどまった。身寄りもなく、方々を転々とする不安定な生活。頭痛、神経痛の持病…。ポンギさんが異郷の地でひっそり生涯を閉じたのは91年10月のことである。 国の責任の重さをあらためて思う。(引用ここまで)



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