愛国者の邪論

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自由と民主主義を標榜する日本資本主義社会では人間の命を守る医師が無給だなんて知っている人は少ないのでは?!医師h奴隷か!安倍政権は何をやっているか!

2019-06-09 | 犯罪社会

アベ政治のデタラメ・スリカ・ゴマカシは医師の世界にも!

「働き方改革」は

選挙で票をかすめ取るための

アベ政治をゴマカスための方便か!?

     NHK  無給医 少なくとも2000人 国が初めて存在認める 公表へ     2019年6月7日 20時39分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190607/k10011945161000.html?utm_int=news-social_contents_list-items_037

大学病院などで無給で診療にあたっている若手医師。「無給医」と呼ばれていますが、国は長年その存在を否定してきました。しかし、全国の大学病院を調査した結果、少なくともおよそ50の大学病院に2000人を超える無給医の存在が確認できたとして、近く明らかにする方針です。

無給医は、大学病院などで診療にあたっているにもかかわらず、研修中であることなどを理由に給料が支払われない若手の医師や歯科医師のことです。
1960年代には大学の医局の権力構造を象徴する問題として学生運動のきっかけにもなりましたが、国はその後、若手医師の処遇は改善されたとして、長年その存在を否定してきました。
平成24年に行われた調査でも「無給医は存在しない」としています。
しかし、ことし1月から文部科学省が全国108か所ある医学部と歯学部の付属病院を対象に調査したところ、無給医が今も存在することが確認できたということです。
この調査結果を踏まえ、文部科学省は近く無給医の存在を認めるとともに、その数が少なくとも全国およそ50の大学病院で、合わせて2000人を超すことを明らかにする方針です。
国がこうした無給医の実態を明らかにするのは今回が初めてです。

無給 ピラミッド構造で声上げづらく

無給 ピラミッド構造で声上げづらく
医師を目指す学生は医学部で6年間学んだあと、国家試験を受けて医師免許を取得します。
「初期研修」と呼ばれる最初の2年間は月給30万円ほどが手当てされますが、そのあとも大学の医局に所属しながら、「大学院生」や「医局員」などの立場で数年間にわたり若手医師として診療などの経験を積むケースがほとんどです。
医局は教授を頂点とし、准教授、講師、助教と連なるピラミッドのような構造となっていて、最も下に位置する大学院生や医局員などは、医師として診療にあたっていても無給だったり、わずかな給与だったりすることがあるということです。
しかし医局に所属する若手医師は、専門医や医学博士の資格などを取るためや、関連病院に出向する際の人事権などを握られているため、現状の制度に対して医局の上司らに疑問や不満の声を上げづらく、問題が顕在化しなかったと見られます。

「勤務は週一日」とうその契約書

「勤務は週一日」とうその契約書
首都圏の大学病院で働く30代の男性医師は、朝から深夜まで外来診療や手術などにあたっていますが、わずかな手当以外は給料をもらっていないといいます。
男性は医学博士になろうと大学院に進みましたが、実際は研究に充てる時間はほとんどなく、ほかの医師と同じくフルタイムで大学病院で診療にあたっています。
しかし給料はもらえず、健康保険や雇用保険などにも加入できません。
院生のため学費を支払う必要があり、週一日、外部の病院でアルバイトをして収入を得ています。
所属する大学は文部科学省による調査のあと、全くの無給状態から月に数万円程度が支払われるようになりましたが、実際は毎日働いているにもかかわらず、大学には、勤務は週一日だけ、とうその契約書を書かされたといいます。
男性は「勉強中だからお金がもらえなくて当たり前ということがこれまでまかり通ってきました。しかし、実際、医師として行っていることは通常の大学病院の業務です。当たり前にやっていることを当たり前のように認めてほしいです」と話していました。

大学病院医師「氷山の一角では」

国が初めて無給医の存在を認めたことについて、都内の大学病院に勤める30代の医師は「ようやく認められたかという気持ちです。これまで、業務命令を受けて医師として診療に従事しているのに、自分だけそれは『実習』だと言われて、無給で働く屈辱的な思いをしてきました」と話しました。
そのうえで「私の大学では医師個人には調査しておらず、調査結果の2000人は氷山の一角ではないでしょうか。国の調査後も待遇改善の兆しはありません。この調査で終わりにせず、行政には適切に対応してほしいです」と訴えていました。

専門家「若い医師が希望持てるよう解決策を」

専門家「若い医師が希望持てるよう解決策を」
国が初めて無給医の存在を認めたことについて、医師の働き方に詳しく厚生労働省の「医師の働き方改革検討会」の委員も務めた特定社会保険労務士の福島通子さんは「出るべくして出た結論だと思います。今まで手を付けられなかった医療という分野にさまざまな手が入り、医師は聖職ではなく、一人の労働者だという考え方が広まり始めたのではないか。昔からこうだから同じようなことを繰り返すという考え方はもう通らないと思います」と述べました。
そのうえで「調査されて実態がある程度把握できた今を好機と捉えるべきです。これからの将来を背負う若い医師が将来に希望を持てるよう、国、医療機関、国民も含めて総力を挙げて解決策を考えていかなければならない」と指摘しました。(引用ここまで)
 
NHK ある無給医の死  2019年6月4日 17時44分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190604/k10011940271000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001

白衣で笑顔を見せる若手医師。大学病院で徹夜で緊急手術にあたった後、アルバイト先の病院に向かう途中に交通事故を起こして亡くなりました。この医師、「無給医」でした。(社会部記者 小林さやか)

無給医たちの叫び

無給医とは、大学病院などで無報酬で診療にあたっている若手医師のことです。取材した当事者たちは、生計を立てるため、病院のアルバイトを掛け持ちし、疲弊し切っていました。
「うつになった」「心身共に限界」「いつか死ぬのではないか」
そんな悲痛な声も数多く聞きました。そこで、無給医が過去に最悪の事態に至ったケースはなかったか取材したところ、今から16年前の前田伴幸さんという若手医師の死にたどりついたのです。
無給医たちの叫び前田伴幸さん(享年33)

志半ばの若手医師の死

私はその足跡をたどろうと前田さんの鳥取県にある実家を訪ねました。
取材に応じてくれたのは、亡くなった前田さんの母親、三女子(みなこ)さん(69)です。
志半ばの若手医師の死
当時のことを伺うと、こんな答えが返ってきました。
警察から連絡を受け、息子が運ばれた病院に行ったあたりから、あまりにショックで記憶があいまいなんです。
そんな母親の心情を思うと、話をうかがうことを一瞬、躊躇しました。しかし、三女子さんは「少しでも後に続く医師の役に立てたら」と息子の死について話してくれたのです。
小さな中華料理店を営んでいた前田さん一家。貧しさ故、自分たちは大学進学を諦めた両親にとって、長男の伴幸さんは自慢の息子でした。
亡くなった父親と伴幸さん
なんで医者になりたいと思ったかは分かりません。だけど、小学生の時から大学に行って医師になりたいと自分で言っていたんですよ。
淡々と語る三女子さんでしたが、よけいにその無念さが伝わってきます。
伴幸さんは念願がかなって地元 鳥取大学の医学部に進学。花形の心臓外科医の道を選びました。
医師としての誠実な仕事ぶりが分かる手紙が残されていました。それはある患者の家族から送られたものでした。
そこには、「少しでも病気が楽になれるようにとお心を砕いて下さいました」と伴幸さんへの感謝の気持ちがしたためられていました。
患者の家族からの手紙
そんな伴幸さんが交通事故を起こしたのは医学博士の学位取得も決まり、大学院の卒業を目前に控えた2003年3月8日のことでした。

裁判を決意させた教授の態度

午前8時ごろ、伴幸さんが運転する車は鳥取県倉吉市の道路で、対向車線にはみだし、トラックと正面衝突。事故で車は大破し、伴幸さんは命を落としました。
裁判を決意させた教授の態度
当時、遠く離れたアルバイト先の病院に向かう途中だった伴幸さん。警察の調べで、現場にはブレーキ痕はなく、伴幸さんの居眠り運転が原因とされました。
なぜ息子は事故を起こしたのか。三女子さんの脳裏をよぎったのが生前の伴幸さんの異常なまでの働きぶりです。
実家には、弟の結婚式と父親の還暦祝いの時しか顔を出しませんでした。その式でさえ、途中で帰っていました。
気になって訪れた下宿の部屋は散らかり放題だったといいます。
そんな生前の息子の様子を聞こうと、三女子さんは夫とともに、事故後、医局の教授に面会を求めました。そこで教授の態度に大きな衝撃を覚えます。
あまりにショックで何を言われたか覚えていません…。
こう話す三女子さん。記憶にあるのは若い医師を医局の駒としか見ていないかのような教授の態度だったといいます
こんなところで息子は働いていたのかと本当にショックを受けました。このピラミッド構造の中、誰も何も言うことができず、息子も限界を超えて働いていたのではないかと直感的に感じたんです。

見えてきた常軌を逸した勤務

息子の事故死には、その異常な働き方が関係していたのではないか。三女子さん夫妻は民事裁判で事実を明らかにしようと動きます。
私は裁判を担当した松丸正弁護士に当時の話を伺いました。
判決から10年。しかし松丸弁護士は法廷で明らかにされた事実を鮮明に覚えていました。
松丸 正 弁護士
伴幸さんは、大学院での『演習』として無報酬で診療行為を行っていました。しかし『演習』といってもそれは名目で、実態的には勤務ですよ。しかも、尋常じゃない長時間労働だったのです。
松丸弁護士らは、勤務記録すら存在しない中、大学から電子カルテの記録などを取り寄せ、実態を明らかにしました。
時間外勤務は月に200時間。一般に過労死ラインと呼ばれる月100時間の2倍を超えていました
さらに事故前の1週間は、徹夜勤務を4日間こなし、そのまま通常勤務を行っていたことも分かりました。
亡くなる直前も、徹夜で緊急手術にあたり、そのまま仮眠さえとらずにアルバイト先に運転して向かおうとしていたのです
弁護士が作成した勤務の実態 週4回も徹夜

『勉強しているのだから勤務ではない。責任ない』

この異常な勤務を伴幸さんが働いていた大学側はどのように裁判で説明したのか。
以下が大学側の主張の概要です。
▽診療行為はあくまでも院生だった本人が選択した「演習」であり勤務ではない。
▽アルバイトは、本人が希望し、自ら進んで行っていた。大学の業務とは関係がない。事故について大学には責任がない。
▽アルバイト先への移動は公共交通機関を使うように指導していた。車で移動したのは自己責任だ。
これを聞いて、私自身強い憤りが湧いてくるのを抑えることができませんでした。それは大学の主張に対してでもあり、16年もたった今でも、無給医たちが私に訴える状況と、あまりにも似通っていたからです。
裁判では「実態としては勤務医に近く、自由意志で業務を辞めることができたとはいえず雇用契約がなかったとしても、大学側には安全に配慮する義務があった」として、大学側の責任を認め、損害賠償の支払いを命じる判決が出されました。

「無給」はなぜ争点にならなかった?

しかし、この裁判で私にはどうしても引っかかる点がありました。
それは大学での診療が無給で行われていたことが裁判では一切争われていなかったからでした。大学で生活できるだけの給料が支払われていれば、伴幸さんもアルバイトに行く必要はなく、事故を起こすこともなかったのではないかと感じたからです。
この疑問を松丸弁護士にぶつけてみました。すると、少し考え込んだあと、こんな言葉を口にしました。
「無給」はなぜ争点にならなかった?
確かに、『演習』だから無報酬というのは違和感はありました。しかし、当時はそういうものだと思っていて、そこに問題があるということを私たちも気付くことができなかった。今思えば、きちんと裁判で争い判例を作るべきでした。

母の思い「医師も同じ人間」

亡くなった伴幸さんは、両親に負担をかけまいと、大学院の学費や生活費などを全て自分でまかなっていました。
別の病院でのアルバイトは、所属する大学病院が無給である以上、欠かせない生活の手段だったのです。
母親の三女子さんは「兄弟で自分だけ大学に行かせてもらって親には迷惑をかけられないと思っていたんじゃないかな」と振り返ります。
母の思い「医師も同じ人間」伴幸さんの遺品
なぜ外科医を目指したのか、どんな医師になりたかったのか。
伴幸さんは、三女子さんのそんな問いに答えることなく、この世を去りました。
いつか孫の顔も見れたかな。親はそういうことを思います。息子が亡くなって人生が変わってしまいました。何もする気がなくなってしまって。夫ががんで亡くなったこともストレスが原因だったと思います。ずっと生き地獄でした。
取材の最後、三女子さんは、息子が命を落とした現場を案内してくれました。
見通しの良い直線の道路。ここを訪れるのは数年ぶりだということでした。
もし大学病院での勤務が無給ではなかったら、違う結果になっていたかもしれませんね。大学にとっては、若手の医師は駒のひとつかもしれない。でも皆、大切な同じ人間なんです。
三女子さんは、そうつぶやきました。

声を上げる勇気を

今回の取材は、無給医がいる状態を見過ごしてしまえば、単に本人がただ働きして、つらい思いをするだけでなく、本人、さらにはその周囲にも深刻な事態を招くのではないかと思ったのがきっかけでした。
そして、無給医の息子を亡くした三女子さんから話を伺い、その思いをさらに強くしました。
松丸弁護士も「今の社会情勢であれば、無給であることを裁判で争えば違法だと認められると思います。誰かが勇気を出して声を上げ、裁判を起こせば確実に世の中が動くと思うし、そうした支援をしたいです」と話しています。
皆さんはどのように思いますか? また医療関係者の方、こうした働き方のリスクは、ほかにもないのでしょうか? 私たちは取材を続けたいと思っています。
どうかご意見や情報をこちらまでお寄せ下さい。 (ニュースポストリンク)https://www3.nhk.or.jp/news/contents/newspost/
 
NHK ただ働きする医師たち~知られざる“無給医”の実態  2018年11月2日 21時05分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181102/k10011696251000.html?utm_int=netnewsup-detail_contents_news-related_004 

先月26日、私たちはNHKのニュースウオッチ9で「無給医」と呼ばれる医師を特集しました。 すると、ネット上で医師を中心に多くの反響をいただきました。「医学界のタブーである大学病院の無給医に首突っ込みますか」「学費払いながら診療に従事し、終電は当たり前の生活だった」「うちもトップが、この大学に無給医はいない(ということになっている。だから無給医とか会議でいうな)と言っていたらしい…」 「無給医」とは、診療をしても給料がもらえない医師のことです。取材のきっかけは、世間を騒がせたあの事件でした。(社会部記者  小林さやか)

無給医の涙

それは、ことし8月の東京医科大学の不正入試事件です。
このなかで、大学が10年以上にわたり、女子受験生を一律に減点していたことが明らかになり私は現役の女性医師がどう感じているのか、取材していました。
この取材で、1人の女性外科医がこんなことを口にしました。
「4年前に大学病院勤務中に妊娠したところ、産休を取ることを理由にポストを後輩に譲るよう言われ無給になった」
女性医師によると、大学病院で働く医師は、給与をもらえる人数が限られていて、若い医師や、女性のように子育てなどで勤務に制限がある医師は、無給で働く場合があるといいます。
この医師も、産休に入るまで、それまでと同じく手術や外来診療に当たっていたにもかかわらず、「ただ働き」だったのです
さらに、給料がもらえないため就労証明が整えられず、子どもを保育園に入れることができず、復職できなかったといいます。 「仕事を続けられなくて悔しい」涙を流す女性医師を前に、この無給医の実態を取材することを決めました。

無給医は本当にいるのか?

しかし、あらゆる会社が「働き方改革」に取り組む時代。 さすがに、当初は限られた大学病院の話ではないかと思いました。
ところが、さまざまな医師に取材すると、ほとんどが「大学病院で無給はよくあること」「自分も無給だった」と答えたのです。
そんななか、1人の無給医が匿名を条件にインタビューに応じてくれました。
男性は10年以上のキャリアがある外科医です。
「目の前の患者さんを治したいと考えているけど、疲弊してしまっている。現場でいちばん働いている人たちに給料が出ないのは制度として絶対におかしい」と訴えました。
男性は9月の給与明細を見せてくれました。
給与明細には基本給の記載はなく 支払われたのは当直料だけ
外来診療をしていたといいますが基本給の欄はありません。支払われていたのは当直料の1万円余だけでした。生活費は、別の病院で外来や当直のアルバイトを掛け持ちしてまかなっているといいます。男性が所属する大学病院では、多くの診療科で半分くらいは無給医だといいます。

無給の仕組み

どうして診療を行う医師がただ働きなのか。男性医師によると、それは大学病院における医師のキャリア形成と関係するといいます。
一般的な医師のキャリアです
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