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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

中国・北朝鮮の表現の自由を問題にする日本,その現代版焚書事件「はだしのゲン」問題の本質は何か!

2013-08-31 | 日記

「はだしのゲン」問題は、以下の記事にあるように、一件落着課のような事態になりました。しかし、本当に一件略着か、というと、大いに疑問です。それは、今回の問題の本質的側面について、議論が向いていないからです。

 

1.教育界の「要請」と「手続き」の問題点について解明されていない。

2.「学校の自主性」の尊重について、解明されていない。

3.教育委員会委員長の「手続きには不備があったが、当時の担当者が十分に考えて行った措置であったので、間違っていない」発言、「担当者が十分に考えて行った」のであれば「手続きには不備」があるわけがないと思いますが、正当化しているのですが、その矛盾について解明されていない。

4.特に以下に掲載した下村大臣発言の誤りについて、問題にしていかなければなりませんが、どうでしょうか?免罪していないでしょうか?信濃毎日には、大アッパレ!です。

5.今回の問題を提起した勢力の問題点が解明されていません。こうした状況が、安倍政権のデタラメを補っているのです。

 

そこで、いくつかの記事を紹介しながら、問題点を指摘しておきたいと思います。

 

「ゲン」閲覧制限要請 松江市教委が撤回へ  8月26日 17時2

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130826/t10014043101000.html

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漫画「はだしのゲン」の一部に過激な表現があるとして、松江市教育委員会が、小中学校の図書室で自由に読むことができない措置をとるよう学校側に要請していた問題で、松江市教育委員会は、26日開いた臨時会議で、「要請が事務局だけで決定されるなど手続きに不備がある」として、要請を撤回するのが妥当だとする結論をまとめました。

この問題は、中沢啓治さんの漫画、「はだしのゲン」について、松江市教育委員会の前の教育長が、「一部に過激な描写がある」として、去年12月に開かれた小・中学校の校長会で、子どもが図書室などで、自由に読むことができない「閉架」の措置をとるよう要請していたものです。この要請は、市教育委員会の事務局だけで決定されていたことなどから、大学の名誉教授など5人で構成する教育委員会は、26日、臨時の会議を開き、対応を協議しました。この中では、要請が事務局だけで決定され、教育委員に報告されていなかったことは、「慎重さに欠けていた」と委員全員から指摘されました。また、「閲覧の制限を行うかどうかは、それぞれの学校が決めるべきだ」という意見が出されました。そのうえで、会議では「要請が事務局だけで決定されるなど手続きに不備がある」として、要請を撤回するのが妥当だとする結論をまとめました。また、今後の取り扱いについては「各学校の自主性を尊重する」としています。教育委員会会議のあと、記者会見した松江市の清水伸夫教育長は、「今回の件で、混乱を生じさせたことを改めておわびします」と述べました。そのうえで清水教育長は、「学校の自主性を尊重するという結論に至ったので、今後は、児童や保護者にどう説明するかを、学校としっかりと協議していきたい」と述べました。
また、松江市教育委員会の内藤富夫委員長は、「手続きには不備があったが、当時の担当者が十分に考えて行った措置であったので、間違っていないと思う」と述べたうえで、「今後、学校の対応について、しっかりと見守っていきたい」と話していました。漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「松江市教育委員会の要請が撤回されて、本当によかったです。夫は『ゲン』を通して、戦争や原爆のことを知ってほしいと、子どもたちにも分かるように、絵やストーリーを考えて作品を描きました。これからも、子どもたちに自由に手にとって読んでもらいたい」と話していました。(引用ここまで 

はだしのゲン「適切な取り扱いを」 8月27日 13時43分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130827/k10014065271000.html

下村文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、漫画「はだしのゲン」を巡って、松江市教育委員会が、小・中学校に行っていた閲覧制限の要請を「撤回するのが妥当」としたことに関連して、「各学校で児童・生徒の発達段階も考慮した適切な取り扱いを期待したい」と述べました。漫画「はだしのゲン」を巡って、松江市教育委員会は、26日市内の小・中学校に行っていた閲覧制限の要請について、「委員会の事務局だけで決定したもので、手続きに不備があり、要請を撤回するのが妥当だ」とする結論をまとめました。これについて、下村文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、「教育委員に諮らずに決定したことは配慮が足りなかったという判断だろうと考えている」と述べ、松江市教育委員会の決定に理解を示しました。そのうえで、下村大臣は、「文部科学省として何らかの指導をするということではない。今後は、各学校で児童・生徒の発達段階も考慮した適切な取り扱いが行われることを期待したい」と述べました。また、菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「教育委員会の判断によって、学校に具体的な指示を行うことは通常の権限の範囲であり、今回の判断も学校の設置者である松江市教育委員会の責任で行われたものだと思う」と述べました。引用ここまで 

文科相 閲覧制限は自治体判断 NHKニュース - NHKオンライン

松江市教委の「はだしのゲン」閲覧制限要請 文科相「問題ない」 - MSN ...

信濃毎日新聞[信毎web] はだしのゲン 拝啓 下村文科相様

下村文科相、閲覧制限を容認 はだしのゲン「配慮必要」2013/08/21 21:22   【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013082101001388.html#fb-root

censorship:はだしのゲン騒動 2013/08/26

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2013/08/censorship-2f29.html

次は、以下の記事とそれに対する反応です。

「ゲン」閲覧制限の罪深さhttp://www.nagasaki-np.co.jp/news/mizusora/2013/08/30091228011370.shtml

 漫画「はだしのゲン」は被爆の惨状をリアルに描いて胸に迫るが、被爆の場面に至るまでに重要な前段がある。ゲンの父が戦争批判を口にしただけで、一家が「非国民」のレッテルを貼られ、徹底的にいじめられる話だ▲いじめるのは特高警察に限らない。周囲の普通の人々が強者の意向を忖度(そんたく)し、迎合して、いじめに加担する。そんな無思慮な行動の集積が国民自身の自由を奪い、戦争を許し、結局は国民が犠牲になった▲苦難に耐えながら父はゲンに教える。「自分の命、ひとの命を大切に守ることが、いちばん勇気のいることなんじゃ」。人々が、自由を脅かす圧力に屈し始めたとき、平和は崩れる。みんなで勇気を出し合うことが大切だ▲松江市教育委員会が、市立小中学校への「はだしのゲン」閲覧制限要請を撤回した。被爆の実相を伝える優れた作品を読む自由が守られたことに安堵(あんど)する▲ただ、この話には前段がある。昨年、作品の歴史認識を批判して学校図書館からの撤去を求める陳情があったが、市議会は不採択とした。にもかかわらず、市教委事務局が、教育委員会会議に諮らずに独断で閲覧制限に動いた。議会や教育委員を無視してまでも暴走した事務局は一体、何を忖度し、何に迎合したのだろう▲無思慮な行動で自由を奪う罪深さに気付かなかったのなら、そのような大人こそ、「はだしのゲン」を読んで戦争の真実を学ぶべきである。(信)(引用ここまで

この記事に対して、以下の記事が共同通信に掲載されました。

:【はだしのゲン】暴走した松江市教育委員会は一体、何を忖度し、何に迎合したのだろう

注目したのは、この記事に対する反応でした。コメントランが閉鎖?されているために、ここに掲載しておくことにしました。以下ご覧ください。

長崎新聞コラム「水や空」の最後のほうに、

>無思慮な行動で自由を奪う罪深さに気付かなかったのなら、そのような大人こそ、「はだしのゲン」を読んで戦争の真実を学ぶべきである。

とあったけど、「はだしのゲン」ってフィクションだろ?現実に起こったことを参考にしていてもフィクション、即ち、作り話なんだから、戦争の真実を学ぶことはできないと思うが。
 戦争の真実を学ばせたかったら、もっと信頼性のある資料を提供すべきでは? 

投稿者 不法行為能力者 : 2013年08月31日 01:52

問題点に全く触れないクソ記事。
閉架対象は問題のある後半部分であるが、それさえ書いていないではないか。
それでマスメディアのつもりか。やめてしまえ!

投稿者 nakayama : 2013年08月31日 00:04

 

 

これに対して、愛国者の邪論の考えを述べておきます。 

>「はだしのゲン」ってフィクションだろ?

大いなる錯覚ですね。調べてみれば判ることです。 

>戦争の真実を学ばせたかったら、もっと信頼性のある資料を提供すべきでは?

そのとおりですが、まず真実を調べてみては如何でしょうか? 

>閉架対象は問題のある後半部分であるが、それさえ書いていないではないか。

恐らく日本兵が首を刎ねる描写、マスコミが報道している「過激な描写」のことでしょう。しかし、日本軍の試し切り、刺突訓練は、常識中の常識です。何故こういったことが横行したか、そのことを考えてみては如何でしょうか? 

>被爆の場面に至るまでに重要な前段がある。ゲンの父が戦争批判を口にしただけで、一家が「非国民」のレッテルを貼られ、徹底的にいじめられる話だ

いじめるのは特高警察に限らない。周囲の普通の人々が強者の意向を忖度(そんたく)し、迎合して、いじめに加担する。そんな無思慮な行動の集積が国民自身の自由を奪い、戦争を許し、結局は国民が犠牲になった・・・苦難に耐えながら父はゲンに教える。「自分の命、ひとの命を大切に守ることが、いちばん勇気のいることなんじゃ」。人々が、自由を脅かす圧力に屈し始めたとき、平和は崩れる。みんなで勇気を出し合うことが大切だ(引用ここまで 

この部分があったからこそ、大東亜戦争という侵略戦争が可能になったことを調べてみては如何でしょうか?

下村大臣もそうですが、侵略戦争の加害の事実を「自虐史観」と称して「自由主義史観」を主張する人たちが、自分の思想に都合の悪いことには、蓋をしてしまおうという作為が、今回の本質であったように思います。 

6.中には、この「はだしのゲン」が、共産党の「文化評論」、日教組の「教育評論」に掲載されたことと結びつけて、何か思想的な背景があるかのように、或いはそのような印象を強調する主張もあるようですが、こうした主張こそが、戦前の「政治風評」そのものだということを確認しなければならないと思います。このことも今回の本質を示していると思います。

以下の記事をご覧ください。

 

戦争学のすすめなぜ『はだしのゲン』なのか?2013年08月29日

http://downing13.exblog.jp/20997146/

連日、漫画『はだしのゲン』が話題となっているようですが、個人的には『はだしのゲン』ぐらいなら学校の図書館にあっても問題ないと思います。ただし内容的には疑問に感じる点も少なくありません…特に方々で指摘されていますように、共産党系の雑誌に連載し始めた頃から話の内容が、露骨な政治批判やヒロポンの話など、本筋からどんどん逸れていきます。…同じ原爆でも、こうの史代氏の『夕凪の街 桜の国』の方が遥かに出来が良いですし、平和教育であれば『火垂るの墓』などでも戦争の恐ろしさを十分に学ぶことができます。要は「なぜ『はだしのゲン』でないと駄目なのか」という点が曖昧なままなのです。義務教育で平和教育を行うこと自体は賛成ですが、平和教育だけというのにも大いに不満があります。平和を教えるのであれば戦争についても教えるべきでしょう。とにかく日本の平和教育というのは、「平和=善、戦争=悪」という単純な二元論、もっと言えば「反戦教育」であって、昔あった「バイク=悪」の「バイク三ない運動」に近いものがあります。大学教育を見ても、「平和学」や「平和構築論」のような講座は多いですが、「戦争学」という講座は聞いたことがありません。恐らくやっているのは防衛大学校ぐらいのものではないでしょうか。つまり「平和の素晴らしさ」一辺倒では、結局「ダチョウの平和論」から一歩も抜け出ることはできません(もちろん現場の先生なり、その上の某組織なりが反戦教育を行うこと自体を目的としていることは想像できますが)。現在の国際政治学という学問が100年以上かけて辿りついた結論は、「結局、国際関係を安定させるのは武力による抑止と勢力均衡である」(リベラル派はこれに「経済の相互依存の深化が戦争を遠ざける」と付け加えますが)という古典的なものです。つまり平和を理解するためには戦争や軍事を学ばないと教条的な平和論から一歩も進めません。日本が現在「平和」なのは、戦後の教育の賜物ではなく、在日米軍と自衛隊の存在であるということは言うまでもありません。もちろん現在の義務教育の体系では本格的な戦争論を教えることはできないとは思いますし、現場の意識改革も必要なのですが、「できない」ではいつまで経っても前に進みません。(引用ここまで 

最近の保守派の一部はどうも度量が狭くなってきた2013-08-18

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20130818/1376799935

さて、その後『はだしのゲン』は『市民』『文化評論』『教育評論』と三つの媒体を転々としながら発表されていくわけですが、『文化評論』は日本共産党、『教育評論』は日本教職員組合日教組)が刊行母体の雑誌であります。 実はここに、『はだしのゲン』は日教組を中心とする教員たちに広くプッシュされていた事実と符合します… 『はだしのゲン』は、ジャンプ連載時の第一部と、その後の第二部に分かれるのですが、その内容が事実に即していない、偏向しているとの批判が一部から起きます、以下は昨年11月高知県教育委員会に活動家から提出された陳情書です。…で、これはおそらくですが、この作品を知って上記の「陳情書」にあるように「反日」教育が施されているという指摘は、少しばかり大げさでしょう、今日の共産党支持率や日教組組織率の低落を見ても、少なくとも「反日」教育などは成功はしていないでしょう。 この作品は全編を通じて差別的記述や天皇制などへの過激な発言が見られるのは事実ですが、それをもって閲覧制限を求めるのは賛成しかねます。 本作品の内容に反論するような別の素晴らしい作品を両論併記のような形で平和教育に活用する、可能ならそのような建設的な策を希望します。 当の昔から記述に「偏向」が見られるのは読者はみな気づいています『はだしのゲン』を今更閲覧制限するとは・・・ 最近の保守派の一部はどうも度量が狭くなってきた、そう感じてしまいます。(引用ここまで 

はだしのゲン 

上記のコメントについて、一つ一つ反応するほどのことはないような気がしますが、注目すべき点について、述べてみたいと思います。(この問題については、以後記事にしてみます)

1.「なぜ『はだしのゲン』でないと駄目なのか」、という疑問は、「はだしのゲン」だけが平和教育ということでしょうか。だとしたら、それは誤解ではないでしょうか。

2.そもそも「平和教育」とは学校教育の中でどのように位置づけられているのでしようか。

3.そもそも「平和」とは何か、です。

4.日本が「平和」であったのは、安保条約があったからでしょうか。

5.「平和学」と「戦争学」は面白い指摘ですが、日本における中身は?

6.「最近の保守派の一部」とは、どのようなものか、またその「度量」が「狭くなってきた」からこそ、今回の問題が起こったのであり、決して軽視はできないと思います。このような「度量」は、歴史からみて、また日本国の最高法規である憲法の理念からみて、双葉のうちに摘み取る必要があるように思います。と言うことは、言論戦で国民的支持を喪失させていくということです。 

そこで、以下の記事を書きましたので、ご覧ください。

ナチスの焚書が自由と民主主義を価値観に持つ日本で現実化!中国・北朝鮮の脅威は足元の日本にあった! 2013-08-20 12:46:32

松江市教委のナチスの焚書的手口を容認した下村文科相の思想と論理を検証すると安倍内閣のナチスぶりが! 2013-08-23 09:44:39

「はだしのゲン」閲覧制限の一方で戦争につながるものには子どもを近づける!今戦前と北朝鮮に似ている! 2013-08-25 23:12:38

悲惨隠蔽社会と富士火力演習参加に沸く国民はどれだけ「ゲン」の悲惨を想像できるか!悲惨に学べ! 2013-08-26  13:26:04



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「フィクション」の意味をわかっていますか? (不法行為能力者)
2013-10-05 05:45:20
 「不法行為能力者」本人です。
 『はだしのゲン』は、中沢啓治氏による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画であることは承知しています。中沢啓治氏自身の原爆の被爆体験を元にしていても、『はだしのゲン』はフィクションです。ノンフィクションであれば、主人公の名前をわざわざ『中岡 元(なかおか げん)』としなくても本名の『中沢 啓治(なかざわ けいじ)』で良かったはずです。(本人のことであれば仮名にする必要が無いはずですし、本人のことを仮名にすると信頼性が低下します。)
 2011年(平成23年)8月に公開された『はだしのゲンがみたヒロシマ』というドキュメンタリー映画は、中沢啓治氏が自身の生い立ちを語っている、即ち、「証言」しているのでノンフィクションであると思いますし、信頼性もあると思っています。
 『はだしのゲン』単独でなく、証言集もセットにすれば信頼性の高い教材になるでしょう。
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