下村文部科学大臣が、こともあろうことは、あの侵略戦争である大東亜戦争に国民を動員していくうえで重要な役割を果たした「教育勅」について、「至極まともなことが書かれていると思う。軍国主義教育の推進の象徴のように使われたのが問題だった」(8日付朝日夕刊)と述べたという記事を読んで、この御仁、本当にいい気になっているんだなと思いました。
こんなことを言っても、一つは、批判の声は上がらないだろう、二つ目には、安倍首相からも「発言に注意しろ」などとは、当然言われないだろうから、閣僚を罷免されることはないだろう、だから、選挙でも落とされることはないだろう、という思い上がりが透けて見えてきます。これも、教育勅語について、国民的議論が忘れ去られているからでしょう。第一安倍内閣の時に、教育勅語を国会決議で失効させ、日本国憲法とセットに制定された教育基本法をいとも簡単に、国民の反対を押し切って改悪したことも関係しているからでしょう。また侵略戦争を批判し、加害の事実を教える平和教育を「自虐的」「反日」として罵倒し、自分たちの歴史観を「自由主義史観」として位置づけ、自民党や財界を動かしてきたこと関係しているからでしょう。
そこで、この発言について、改めて検証してみることにしました。具体的には、下村博文文部科学大臣記者会見録(平成26年4月8日)で検証できます。問題は、記者の質問です。教育勅語に「賛否両論がある」として質問し、大臣に、確認されているのです。そうした経過の中で発言されたことがわかります。
下村大臣問題発言とは何か
1.NHKは、以下のように報道しました。
「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だったが、戦前の教育における重要な文書であり国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」と話しています。(引用ここまで)
2.日経は
下村博文文科相は8日の閣議後の記者会見で、教育勅語について「中身は至極まっとうなことが書かれている」とした上で、「軍国主義教育の推進の象徴のように使われたのが問題ではないか」との認識を示した。(引用ここまで)
3.産経も毎日も、下村発言は取り上げませんでした。隠蔽でしょうか。それとも問題などないという認識からでしょうか。いずれにしても、極めて問題と言わなければなりません。こうしたマスコミの対応が、安倍政権を、如何に応援しているか、ますます浮き彫りになりました。
下村大臣発言の何が問題か、その理由は何か
NHKの配慮ぶりと報道する側が、仲間の記者の思考回路を慮って書かれていることが判ります。
大臣は、批判が起こることを想定していたのでしょう。「軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だった」と述べています。しかし、
1.教育勅語の内容は「至極まっとうなことが書かれている」としたことです。
2.この「至極まっとうなことが書かれている」教育勅語のどの部分が「軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だった」と言うのか、「賛否両論」論にたつ記者は、それ以上追及していません。
3.極めて政治的発言であるにもかかわらず、記者の「ノー天気」さが、この発言の本質を際立たせることを逃したのでした。
「至極まっとうなことが書かれている」という発言の問題点は何か
そこで、大臣発言の何が問題か、再度検証してみたいと思います。
1.この教育勅語は、軍国主義の推進装置として使われたからこそ、ポツダム宣言に沿って戦後国会で失効決議があげられていること。その理由を大臣が知らないはずはありません。知らないとすれば、大臣の資格に係わる問題ですし、知っていたとすれば、確信犯です。
2.「軍国主義教育の象徴のように使われた」という発言は、曖昧です。「軍国主義の象徴」だったのです。大臣はそのような認識に立っていないことを示しています。
3.何故軍国主義か。それは教育勅語の核心部分である「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の部分とその意味にあります。これについては、以下のような解釈があります。
(1)『教育勅語図解読本』(大日本国舞会本部謹刊 昭和17年11月刊)
若し萬一戦争でも起こった場合には皆勇気を立って君国のため一身を捧げて大いに尽くすように心掛けねばならぬ そうしていついつまでも天地と共に窮まりのない皇位の盛運を扶け奉るべきである
(2)戦前の「修身教科書」には「教育勅語」の内容はどのように、臣民に教えられていたでしょうか。以下ご覧ください。
尋常小学修身書 巻四 大正9年11月発行。 第二十七 よい日本人
尋常小学修身書 巻五 昭和3年1月発行 第二十七課 よい日本人
忠君愛国の道は君国の大事に臨んでは、挙国一致して奉公の誠を尽し、平時にあつては、常に大御心を奉じて各自分の業務に励んで、国家の進歩発達をはかることであります。我等が市町村の公民としてよく其の務を尽すのは、やはり忠君愛国の道を実行するのであります。
尋常小学修身書 巻六 昭和2年11月発行
第二十五課 教育に関する勅語
第二十六課 教育に関する勅語(つゞき)
もし国に事変が起つたら、勇気を奮ひ一身をさゝげて、君国のために尽さなければなりません。かやうにして天地と共に窮ない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等の務であります。
第二十七課 教育に関する勅語(つゞき)
(3)この教育勅語は、以下の行事で徹底して教えられていたのです。
教育勅語発布後1891年6月17日「小学校祝日大祭日儀礼規程」を制定し、「紀元節」「元始祭」「神嘗祭及新嘗祭」儀式を通して、天皇への忠誠心を植えつけるための装置をつくったことを忘れることはできません。「御真影」礼拝、「君が代」「紀元節」「天長節」など「祝日大祭日唱歌」斉唱、「教育勅語」朗読と訓話です。これが、昭和になると、「四方拝」「明治節」が加わり「四大節」となったのです。この「儀式」が、今日入学式・卒業式・始業式・終業式など、学校教育における「儀式」として疑問をもつことなく継承されているのです。
もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。
(5)教育勅語
もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
(6)【教育勅語の口語文訳】http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html
非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
(7)教育勅語と現代語訳
そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。(引用ここまで)
どうでしょうか。戦前と戦後の解釈の大きな違いが判ると思います。スリカエ・大ウソです!こんな文章が、今また復活させられようとしていいるのです。自民党政権のスリカエ・大ウソを何としても、国民的批判に晒し、打ち破っていかなければなりません!
4.「至極まともなことが書かれている」とされる徳目の部分です。ここにこそ、スリカエ・デタラメ・大ウソ・トリックがあるのです。その理由は、
(1)これらの徳目は、最後の忠君愛国のための「徳目」であったこと
(2)この徳目は儒教精神と言われていますが、この儒教のメッカである中国に対して、無礼を働いた不徳は不問です。或いは儒教精神を天皇への忠義にスリカエるという不徳も同様です。
(3)日本の家族主義は、日本以外の国と国民にも当てはめなければ、その徳目は大ウソということになります。
(4)知識や博愛も同様です。本当に知識を世界に求めるのであれば、あのような加害行為、残虐行為はできなかったはずです。アジアの人々は「朋友」ではなかったのです。
(5)儒教精神を使って「武士道」「サムライ精神」を説いていますが、であるならば、戦争責任、加害の責任を隠蔽し、免罪することが、如何に潔くないものか、ハッキリします。
5.「至極まともなことが書かれている」という下村大臣は、その部分はどこか、具体的に指摘し、説明しなければなりません。「賛否両論」があるなどと、無知をさらけ出した記者も、このことを追及すべきです。
教育勅語の本質を報道していない各マスコミ!
NHK 「教育勅語」の原本発見か 公開へ 4月8日 11時47分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140408/k10013579831000.html
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明治から戦中にかけて国民道徳の基本とされ、全国の学校で朗読されていた「教育勅語」の原本とみられる文書が50年ぶりに見つかり、文部科学省は「軍国主義教育の象徴のように使われたが、重要な文書だ」として公開していくことを決めました。文部科学省によりますと、教育勅語は明治23年に発布され、親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きたときは身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本として全国の学校で朗読されていました。戦後、国家主義的、軍国主義的な教育を一掃するために、衆参両院が教育勅語の排除や失効を確認する決議を行っています。教育勅語の原本は昭和37年以降、所在が分からなくなっていたということですが、おととし、50年ぶりに東京国立博物館にある文部科学省の保管庫から原本とみられる文書が見つかったということです。文書は茶色に変色していて、当時の担当者のメモには、関東大震災で文部省庁舎が焼けた際、金庫の中に入れていた教育勅語が熱で劣化したと記されているということです。文部科学省は今後、この文書を国立公文書館に移して原本かどうか確認するとともに修復し、公開することにしています。下村文部科学大臣は8日の閣議後の記者会見で「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だったが、戦前の教育における重要な文書であり国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」と話しています。(引用ここまで)
日経 教育勅語の原本、50年ぶりに確認 修復後に公開へ 2014/4/8 12:01 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0800P_Y4A400C1CR0000/
文部科学省は8日、明治天皇が1890年に発布し戦前の道徳教育の根本理念とされた「教育勅語」の原本を約50年ぶりに確認したと発表した。歴史的価値がある公文書として明治時代などの他の公文書20点と共に、近く国立公文書館(東京・千代田)に移管する。傷みが激しいため修復され、公開される見通し。原本は4ページの冊子。旧文部省で保管していたが、1923年の関東大震災で庁舎が全焼し、金庫内にあった原本も全体が黒く変色した。62年に都内で展示された後、所在不明に。田中真紀子前文科相の指示で探したところ、2012年秋、東京国立博物館(東京・台東)内の文科省の保管庫で見つかった。教育勅語の正式名は「教育ニ関スル勅語」で、父母への孝行や夫婦の和など12の徳目を記している。各地の小学校などに謄本が配られ、その後の軍国主義教育に使われた。1948年に衆参両院が「排除」「失効」を決議した。下村博文文科相は8日の閣議後の記者会見で、教育勅語について「中身は至極まっとうなことが書かれている」とした上で、「軍国主義教育の推進の象徴のように使われたのが問題ではないか」との認識を示した。(引用ここまで)
産経 教育勅語の原本、半世紀ぶり確認 国立公文書館で公開へ 2014.4.8 10:00
公開された教育勅語原本(右)と謄本
文部科学省は8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本とされる文書を、52年ぶりに確認したことを明らかにした。大正12(1923)年の関東大震災で文部省(当時)の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっている。歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開される見通しだ。文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・銀座のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断した。
明治天皇が山縣有朋内閣に与えて発布された教育勅語には、父母への孝行、夫婦の調和、博愛など12の徳目が示され、修身(道徳教育)の根本規範とされた。明治24(1891)年から原本の謄本が全国の小学校に配布、掲示されたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで排除され、学校から回収された。
文科省では今回、原本のほか謄本の巻物一巻と、初代文部大臣の森有礼が明治19(1886)年に職員の心構えを記した「自警」、日露戦争中の明治37(1904)年に明治天皇の意向が示された「軍國多事ノ際教育ニ関スル御沙汰書」などの資料20点を国立公文書館に移管することした。(引用ここまで)
毎日 教育勅語:原本見つかる 百貨店展示後、半世紀間不明に 2014年04月08日 11時08分(最終更新 04月08日 12時13分)
以下参考資料をご覧ください。
「日本を、取り戻す。」に従う下村博文文科相が、「教育勅語」復活を目指し 2014年1月3日
神政連(神道政治連盟国会議員懇談会:現在の会長は安倍晋三)
http://www.sinseiren.org/torikumukadai/kyouiku_katei/sengokyouiku/kyouiku_sengokyouiku.htm