戦後70年談話問題で黙殺する臣民に対する戦争責任!
またしてもスリカエで日米の戦争犯罪を黙殺!
戦後70年談話問題で世間の目を中韓の「反日」に注ぎ込み、国民の中に沈殿しているナショナリズムを煽っているテレビ・新聞ですが、そこに最も抜けているのは、臣民であった国民への加害行為です。臣民を侵略戦争に仕立て上げた様々な装置に目を向け、二度と同じ過ちを繰り返さないために、何が必要不可欠か。
戦前70年、戦後70年、今後70年の歴史に流れているものは、憲法9条もそうですが、憲法97条の基本的人権の本質に浮き彫りになっている人類のたたかいの総和である人権思想が結実した日本国憲法と言えます。
このことを踏まえた戦後70年談話問題と位置付けることこそが、国際連盟から国際連合へと発展させてきた、戦争の違法化に到達した人類の知恵を、更に発展させていくことになるでしょう。それはまさにNPTで問われて非人道兵器である核兵器を、この70年で廃絶に持ち込めるか、否か、というレベルの話となるのです。
軍事抑止力論の装置として日米軍事同盟によって、アメリカの核の傘の下で、核兵器抑止力論に立ち、東アジアを威嚇し、集団的自衛権行使と自衛隊の海外武力行使を掲げることで、地球儀を俯瞰する「威嚇」外交を選択しようとしている安倍政権の思想の根幹に、戦後の天皇制政府の思想と思考回路が継続されていることを、更に暴いていかなければなりません。
それは、あの一発の原爆から、今や地球をも滅ぼすほどの核兵器が存在する中で、ヒロシマとナガサキを検証し、その後の原発事故を検証することで、人類と核の問題を決着させていくことにもなるでからです。
ところが、現在振り撒かれているような視点で戦後70年談話が出されても、それは、安倍政権とアメリカとの「希望の同盟」と「未来志向」の本質を覆い隠して、アメリカの侵略の肩代わりと、あの大東亜共栄圏構想の現代版である「地球儀を俯瞰する積極的平和主義」、すなわち憲法平和主義を否定した「積極的侵略主義」を隠ぺいする戦後70年談話になることは、この間愛国者の邪論が指摘してきたところです。
そのことを裏付ける主張については、すでに記事に書きましたが、具体的にしておくことが必要と考え、記事にしました。ご覧ください。
NPT会議報道で中国不信を煽る日本のメディアが報道しない原爆投下の戦争犯罪免罪共謀罪について! 2015-05-25 08:15:19 | 核兵器廃絶
産経の不道徳史観を浮き彫りにした「荒唐無稽な『共同謀議』史観」論は世界に恥を晒す! 2015-05-22 20:24:03 | 戦後70年
国民には一億総懺悔を吹聴しながら、アメリカ政府には戦争責任を免れるために、原爆投下や都市空襲などを行ったアメリカの戦争犯罪を利用して天皇の戦争責任免責交渉を謀る。そうして占領後には天皇とマッカーサーの会見などを通して天皇の潔さをアピールし、「平和主義者」としての「地位」を構築しようとしたのです。
国民のあずかり知らぬところで、何が行われていたのか、たくさんの資料の隠匿・焼却がなされた中にあって、未だ資料の全面公開がなされていない中、扉を開けた試みが、このヒロシマの試みと言えます。
この論文はすでに「2003年」の段階で公表されていたにもかかわらず、マスコミを含めて、日本の大きな世論になっていなかった!少なくとも愛国者の邪論の頭の中には資料化されていませんでした。浅学さが悔やまれるのみです。
だからこそ、今後、系統的記事にして取り組んでいきたいものです。
永井均 原爆投下と戦犯問題の影
広島市立大学広島平和研究所Vol.5 No.3 March 2003
1.日本政府による対米抗議
ポツダム会談を終えて帰国したハリー・トルーマン米大統領は、1945年8月9日にラジオ演説を行い、米国民に対して広島への原子爆弾の投下理由とその意義を説明した。
そこでは原爆投下の決断要因として、自国兵士の人命救助論とともに日本軍の真珠湾奇襲攻撃と捕虜虐待問題が指摘されていた。ここには、投下の正当化ロジックの萌芽を早くも見て取ることができる。
トルーマンが米国民に原爆の意義を力説していた頃、日本政府は米政府に対する抗議文の発出準備をしつつあった。そして8月10日、スイス政府を通じて米政府に抗議文が提出される。
日本政府はこの抗議文において、ハーグ陸戦規則第22、23条を引証した上で、原爆投下を国際法違反・反人道罪と位置付けて米政府の責任を激しく糾弾、抗議文の趣旨を赤十字国際委員会に説明するなど国際世論にも訴えようとした。
しかし、こうした政府の姿勢は戦後、「封印」状態に置かれてしまう。そこには、どのような事情が潜んでいたのだろうか。以下、その淵源に光を当ててみたい。
2.原爆投下と戦犯問題の相殺論
1945年9月2日、日本は降伏文書に署名し、ポツダム宣言の受諾を再認、誠実にこれを履行することを約した。
同宣言第10項が「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人」の厳罰を明記していたこともあり、日本の行政府や陸海軍各部隊では、迫りくる戦犯追及を見据えて、公文書の焼却・隠匿が遂行された。
連合国軍総司令部(GHQ)はほどなく本格的な戦犯捜査を始動するが、日本側がこれに反発心を抱いたのも確かであった。
近年、外務省が公開した外交記録に含まれる
「軍律会議ニ拠ル処断者ニ対スル米ノ調査ニ関スル件(終戦処理幹事附議案)」
と題する文書はその一端を伝える。
9月初旬の起草と推定されるこの文書は、陸軍関係者が、当時の最高意思決定機関である終戦処理会議に諮るべく準備した資料と考えられる。
主題は、戦時中に墜落した米軍搭乗員が日本陸軍の軍律会議(戦時下に設置された軍事審判機関)で死罰処分を受けた案件をめぐるものだった。ここでは、処刑の至当さと米軍による現地調査の回避を方策とする旨の記述に続く、次の一節に注目したい。
米ニシテ若シ執拗ニ其〔米軍搭乗員の殺害〕非ヲ迫ルカ如キコトアラバ、機ヲ失セズ米ノ無差別爆撃、就中、原子爆弾ノ使用コソ先ヅ速カニ戦争犯罪者トシテノ責任ノ所在ヲ糺明スベキ事項ナルコトヲ指摘強調シ、米側ノ一方的調査ニ陥ラザルコトニ勉ム。
文書の行間からは、事態が戦犯追及にまで発展することを極度に警戒する当事者の緊張感が伝わってくる。
欄外に「先方ニ申入セントスルモノニ非ズ、我方ノ…心構」と陸軍側の立場が記されているから、原爆問題を政府の交渉カードとして直ちに利用しようとはしなかった模様だが、戦犯問題をめぐる対応過程で、米側の犯罪捜査を阻止するための駆け引き材料として原爆問題を位置付けている点が興味深い。
原爆投下を戦争犯罪ととらえ、これを持ち出すことで日本側の罪責と相殺し、もって米側の一方的な責任追及にブレーキをかけようとする牽制意図が読み取れるからである。
ただし、文書には外務省関係者による書き込みと見られる
「両方ヲ相殺ノ形ニスルノハマスイ、品ヲ亡フヘキコトナリ」
との欄外記載もあり、政策立案者の間で相殺論を疑問視する見解があったことをうかがわせる。
ところで、原爆投下と戦犯問題の相殺論それ自体は陸軍にユニークな発想ではなかった。むしろ、当時、政府関係者の間でも見られた考え方だったということができる。
例えば、重光葵外相は9月13日にスウェーデン、スイス、ポルトガル駐在の外交官に宛てて、米側は近頃、日本の捕虜虐待問題で大騒ぎしているが、我々も宣伝戦において原爆問題を利用するあらゆる努力を払うべきとの考えを伝えていた。
この秘密電を傍受・解析した米軍担当官は、日本の指導者が捕虜・抑留者虐待と相殺する意図をもって原爆問題を強調している、と重光の発言に鋭い観察眼を向けている。
さらに、東久邇宮稔彦首相はAP通信記者に「米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか、日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう」と書き送り、9月15日に米国で翌16日には日本国内でも報じられたが、これも同じ相殺論の文脈からのものと見てよいだろう。
要するに、占領初期の時期、原爆の違法性は独立した問題領域としてではなく、戦犯追及を緩和するためのカードとして位置付けられる傾向にあった。指導者たちの発言は、原爆による未曾有の惨禍への理解や、被爆市民に対する深い配慮とはやや隔たりがあるように思われる。むしろ、こうした相殺論は、日本の政治指導者たちが戦犯問題に憂慮を募らせていたこと(特に昭和天皇の処遇問題と結び付けて考えられたため、事態は深刻だった)、それゆえ、これが政治的優先事項と見なされていたことを浮き彫りにしていよう。
3.むすび
原爆の投原爆の投下直後に手交された日本政府の抗議文に対して、米政府が回答を寄せたのは10月24日のことである。しかも、その内容は抗議文に対する米政府の見解に触れぬまま、文書の受領確認だけを通知するという、事実上黙殺に近いものだった。その一方で、日本政府が敗戦直後に改めて対米抗議で展開した責任論を持ち出して米政府を告発し、あるいは国際世論に訴える態度に出ることはなかった。
戦後の政府見解は、原爆投下を国際法違反であると明言しないまま今日に至っている(1995年11月にハーグの国際司法裁判所で行われた、核兵器使用の国際法上の評価をめぐる日本政府と広島・長崎市長の陳述内容の著しい乖離は記憶に新しい)。報道統制に象徴されるGHQの強硬姿勢が、日本側に萎縮効果をもたらし、原爆違法性の追及を封印する一要因になったとの見方もできるかも知れない。しかし、占領初期に日本の政治指導者たちが志向した戦犯問題との相殺論という認識の枠組みそれ自体が、その後の政策の選択肢を狭めてしまった可能性もまた、否定できないと思われるのである。(広島平和研究所助手)(引用ここまで)
戦後レジームの真の脱却のために
憲法を活かした政権の樹立をこそ!
対ソ戦争を想定して抑止力として天皇の政治的利用を画策するアメリカと、天皇の戦争責任を免責して国体護持を謀る天皇制政府が一致していることを見抜いていく必要があると思います。
同時に、このような「反共反ソ」路線は、日米軍事同盟として、現在もなお、継続し残存しているのです。このことが、アメリカの核の傘の下に位置していながら、平然と「積極的平和主義」と「世界平和」を語り、「核兵器の究極的廃絶」「非人道兵器」を語らせているのです。
同時に、第二次世界大戦の反ファシズムという大義名分を掲げて行われた戦争のアジアにおける終結宣言であるポツダム宣言の最大の大義名分であった「日本の民主化」「軍国主義駆逐」のための延長線上に位置していた日本国憲法が、原爆投下を表現したポツダム宣言第13項と矛盾することは明らかですが、天皇の戦争責任を免罪する戦後自民党政権は、「非人道兵器である核兵器」「人道主義」を語りながら、あの原爆投下について、アメリカ政府に謝罪も補償も求めていないのです。
ここに、問題の本質を隠ぺいする実態が浮き彫りになります。そこで、この問題の本質を浮き彫りにするためには何が必要か、改めて整理しておくことが必要かと思います。以下ご覧ください。
1.臣民である日本国民を侵略加害者に仕立て上げた装置を明らかにする。
2.臣民である日本国民への加害責任を認めさせる。そして謝罪させ、補償させる。
3.アジア諸国民への加害責任を、日本国民自身が認め謝罪し、補償する。
4.二度と同じ過ちを繰り返さないためには、日本国民とアジア諸国民が連帯し、日本軍国主義の真の加害責任について、明らかにして、その復活を許さない装置を構築する。
5.そのためには、「非人道行為には時効は適用されない」とする国際条約のレベルを確認する。日本はこの時効不適用条約を批准していない!
6.「国際連合憲章に従った国家間の友好関係及び協力についての国際法の原則に関する宣言」の立場を確認する。
7.戦争放棄条約、核兵器禁止条約の締結から核兵器廃絶条約の締結する。
8.そのためには、日本国憲法を活かした地位共同体構想を検討し、実現する。
9.日本国民は率先して、以上の方向を目指す政権を樹立する。