たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小田さんもおわったか

2023年04月23日 00時56分02秒 | 日記
https://twitter.com/VPIbflbSdnuQKaw/status/1649586166604378112

「さよなら小田さん
30年以上にわたり、本気で好きでした。どれほどあなたの曲に励まされ救われたことか。でも今回のやり方はあまりに悲しい。
FC先行販売は2月7日締め切り。国がマスクを任意にすると通達したのが2月10日。ガイドラインも変更された。なのに

5月8日以前はもちろんガイドライン廃止後も全公演を通じてノーマスク入場禁止という発売時の規約は変えないとキョードー北陸の担当者は言った。「皆さんの安心のため」。それはすなわちノーマスクがいると安心安全な公演の催行が妨げられるという思想であり、あまりに非科学。

令和5年4月の時点で未だにノーマスクをウイルスをばらまくテロリストと見なし「安心のため」排除する。科学は1ミリも存在しない。3年間繰り返されたカルトを未だに続ける今回の措置が真っ当に社会で働き生きてきたファンをどれほど傷つけたか考えて欲しい。どんな思いでこのチケットを

破いたかを想像して欲しい。Twitter上にはマスクをしても歌えると喜ぶ書き込みに溢れていることも情けないですしこのようや圧倒的多数の暴走がこの3年でした。事業者ができるのはどこまでも「協力のお願い」までであり着用するかどうかは個人の判断。国の通達を上回る強要を

平気で続けることへのこれは問題提起です。戦時下のような権利侵害を一日でも早く終わらせて欲しいと切に願います。
リプ欄がこの問題の本質を理解できない方からの誹謗中傷・攻撃で溢れることも容易に想像されますがそんなものには一切応じませんし即ブロックします。」


 たしかにツィッター上にはマスクしながら声出しOKになったことを喜ぶ声の方が圧倒的にあふれており、疑問を感じるのはおそらくほんのひとにぎり、後期高齢者になってきていることを考えればいつまで歌えるかわからない、これが最後のアリーナツアーになる可能性も高い、なんとしてもいきたいファンの方が圧倒的に多いのは当然だろうと思います。だからといって、国が公式に任意としてからも(もともと任意ですが)非着用者は入場不可という、憲法にうたわれている基本的人権の侵害に目をつぶって会場にいくことは全体主義に加担していることになるという葛藤。長年夢と希望を届けてもらい、励まされてきたからこそ納得できないという葛藤。たかがマスクとスルーできる話ではありません。もはやマスクはカンセンタイサクではなく顔隠しアイテムであり、権力への隷従の証、感情の表出を封じる猿ぐつわ。

 欧米諸国に追いつけ追い越せと必死に走りはいあがってきた戦後日本、高度経済成長期を経て、バブルを背景に先進国の仲間入りを謳歌した1980年-90年代に愛や自由を賛美する言葉を紡ぎ一世を風靡したアーティストたちが高齢者となり、どこまで本気でコロナの物語を信じて怯えているのかはわかりませんが、粛々と体制に組みしているのはあまりにも悲しすぎます。彼らが若き日に紡いだ言葉とメロディーは虚構に過ぎなかったということでしょうか。

 コロナ騒動というフィルターをとおして次々と可視化されてきた本当の姿。かつて信じていたもの、輝いてみえていたものの多くは幻想に過ぎませんでした。

 58歳の尾崎の姿を想像することはできませんが、もし今尾崎が生きているならどんな言葉を届けてくれるだろうかと考えます。不器用で生きることが下手くそ過ぎた尾崎にとって、窒息しそうな息苦しさに無自覚でないと生きていけない日本は生きずら過ぎたのだとここまできてわかりました。

 没落日本、民は国もろともに破滅へとまっしぐら、絶望的・・・。
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