たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ベートーヴェン』より-「ハイリゲンシュタットの遺書」

2022年01月05日 13時31分19秒 | 本あれこれ
雪組『フォルティッシッシモ』『シルクロード』-東京宝塚劇場公演(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f94bddd986cd6fce0030ff9a03e5338b

 1938年11月20日第一刷発行、1964年3月20日第30刷改版発行、1985年5月20日第54刷発行、長谷川千秋著『ベートーヴェン』(岩波新書)、長い間積読本になっていた1冊をようやく読みました。昨年雪組『フォルティッシッシモ』で、だいもん(望海風斗さん)演じるベートーヴェンに出会ったあとで読むことができてよかったのかもしれません。もがきにもがきながら生き抜いた56年の生涯に、リリカルに迫った1冊。本との出会いもタイミングですね。

「つんぼ」ということば、今は差別的としてNGワード、ことばも時代によって変わりますが、是非については考えてしまうところ、「障害者」は、いつの間にか「障がい者」、うーん・・・。




「1796年ごろから、彼は耳に変調のあるのに気がついていた。98年ごろから、それが悪化してきて、激しい耳鳴りとともに、耳がはなはだしく遠くなってきた。心配した彼は、ひそかに医者に療治してもらったが、少しも効能がなかった。音楽家が耳が聞こえないということになれば、ほとんど致命的の問題である。それが普通の音楽家に起ったのであったら、もう、このこと一つだけで、社会から葬られる可能性がある。彼は自分の病を秘し隠した。社交をつとめて避けるようにし出した。彼は、元来その粗暴な性質にも似合わず、人々と温かく交際することを非常に好んでいた。時々、知人にたいして爆発する狂的な怒りや、軽率や、容赦しない皮肉などの結果から、しばしば彼はみじめな孤独に投げ込まれたが、たちまちそのような孤独に堪えきれなくなって、もうみえも外聞もないような陳謝の手紙をよせて、新しい友愛を求めている彼を見れば、人一倍人々の愛に飢え、暖かい付合いを求める彼の寂しがり屋には、涙を催させるものがある。その彼が、耳の故障を秘し隠すために、故意に人ぎらいといわれて、人々の前から、できるだけ遠ざかろうとしていたのである。彼の悩みは、激しかった。」

「1802年、彼の病は、少しもよくならなかった。彼はこの年の夏をハイリゲンシュタットへ引っこんで過ごした。ハイリゲンシュタットは、カーレンベルヒとレオポルズベルヒの方に伸びている美しい森に覆われた谷の中にあって、ウンター・デブリンクの前にあるもっとも辺鄙な村である。彼は、ここにきて、都会の空気と離れた寂しい田舎住いをしながら、ギッチアルディのことや、自分の絶望的な耳のことを考えた。耳ではこの間、弟子のフェルディナンド・リースが訪ねてきて、両人で散歩した時のことを思い浮かべた。その時リースはどこかで笛がなっていると言った。ところが彼にはそれが聞こえなかったのだ。そして、今まで隠していた。彼の耳がだめになていることを、ここでとうとう暴露してしまった。会話については、注意すればさほどでもなかったが、この時の笛の音が全然聞こえなかったこは、もはや覆い隠すすべもなかった。他人にたいする秘密ということのみではない。彼の心は、一方では相当に聞こえなくなったと自ら思いつつも、一方ではそれをできれば否定したい気持に駆られていた。錯覚でもいいから希望のある気持でいたいとねがう人の心に、事実の証拠を知ることほど恐ろしいことはない。
それを、この時の笛で彼は知ってしまったのだ。自然。あれほど彼の愛した自然が、もはや眼で接し得るのみで彼の耳とは全然関係がなくなってしまった。彼はこの、否定し得ない証拠を得て、絶望のどん底に落ちた。彼は、その10月に、遺書を書いた。30歳にして、すでに遺書を書くほどこの時の気持は、絶望していたのである。その遺書の全文を掲げてみよう。」

                                      →続く







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