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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2014年『キトラ古墳壁画展』-その2

2022年11月24日 13時57分43秒 | 美術館めぐり
2014年『キトラ古墳壁画展』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e11ba29da448539c72ab2ec36b6ef31b

 宙組『HIGH&LOW』、宝塚のオリジナルキャラクターである苦邪(クジャク)組は中国マフィアのイメージ、役名は中国の神話からきていると『歌劇』9月号にあります。ボスのリンは麒麟から、そして苦邪組四天王はGEN(玄武)、SUZAKU(朱雀)、バイフー(白虎)、ロン(青龍)、とのこと。

 読んだ時すぐに上野の『キトラ古墳壁画展』を思い出しました。展示場を入ると正面に「キトラ古墳壁画複製陶板」が展示されていました。中に立って3面が鑑賞できるようになっていて、見づらかったですが獣が描かれていることを確認しました。どういう死生観が込められているのかと不思議な心持ちになったことを思い出します。

 
 朱雀;キトラ古墳壁画 南壁 四紳

 白虎;キトラ古墳壁画 西壁 四紳

 玄武;キトラ古墳壁画 北壁 四紳


会場におかれていた朝日新聞の別刷りより。

 「キトラ古墳とは、7世紀末~8世紀初めに築かれた直径14m、高さ約3.3mの円噴。石室の四方の壁に中国の神獣・四神(青竜・白虎・玄武・朱雀)、動物の顔と人間の身体を持つ十二支像、天井に天文図が描かれていたが、保存のために取り外された。被葬者については天武天皇の皇子や大臣クラスの豪族、朝鮮半島から亡命してきた百済王家の人物などの説がある。」

「込められた 陰陽五行説-

 四紳や十二支にはどんな思想が込められているのか。来村多加史(きたむらたかし)・阪南大教授(考古学)は「墓室の棺を納める部分は四角い大地、天井部分は天を表現する。天の目盛りが二十八宿の星座、地の目盛りが四紳(ししん)に代表される二十四方位で、それをサポートするのが十二支。こうした中国思想『陰陽五行説』が表されている」と説明。玄武が起点を定め、朱雀が先導し、青竜と白虎に挟まれて被葬者の魂が昇天する、というイメージを語った。

 青柳(青柳正規文化庁長官)さんは「描かれているのは当時の東アジアで最新の宇宙観。恐らく被葬者が生前に『自分の墓に描いて欲しい』と言い残したのでは」と推測した。



 被葬者について来村さんは、同じく四紳が描かれた高松塚古墳の壁画からこう推測した。高松塚の男子像が持つ四角い傘は緑色。718年に制定された養老律令では皇太子らの傘は紫、その下の「一位」の臣下が緑とされている。高松塚古墳に一位以下の臣下が葬られたなら、よく似たキトラ古墳も同様ではないかー。

 壁画が描かれた7世紀後半~8世紀初め、東アジアは激動していた。松村(松村恵司奈良文化財研究所長)さんは「唐に敗れて660年に百済、668円に高句麗が滅亡。日本も663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた。百済や高句麗から日本に亡命した人々が石室に壁画を描く風習を伝えたのでは」と推測。来村さんは「高松塚、キトラ両古墳の壁画は唐の壁画を実際に見ていないと描けない」として、669年の遣唐使とともに帰国した画師(えし)の黄文連本実(きぶみのむらじほんじつ)を作者の最有力候補に挙げた。」
 











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