たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年ルーヴル美術館展より‐《聖エウスタキウスのいる風景》

2024年08月12日 14時09分39秒 | 美術館めぐり

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオラ

(1576‐1622)

《聖エウスタキウスのいる風景》

1610年頃

油彩、カンヴァス

68.2 × 67.8 cm

(公式カタログより)

「17世紀初頭の優れたローマの風景画家のひとりの手になる本作品は、さまざまな理由から検討に値する。第一に、この作品は古典主義的趣味の風景画であり、自然と敵対するのではなく、遠くに広がる見事な構成物(町だろうか、それとも、城館だろうか)が示すように、人間の手でつくられた心地よい世界の中で、主役のエウスタキウスは動きまわっている。つまり、描かれているのは再構成された自然なのである。第二に、そこで演じられているキリスト教のドラマもまた、見事なものである。前景に描かれた犬に何やら指示を出していると思われる狩猟者は、今まさに馬から降りて地面に跪き、大鹿を凝視している。この鹿の角のあいだには十字架が見え、そこから光が発し、この人物を驚かせている。幻視の後、キリスト教に転向したアントニウス帝時代のローマの兵士であるエウスタキウスの姿をそこに見ることができるが、ヴィオラが描いたのはまさにその幻視の場面である。

 この作品の図像学も単純ではない。対抗宗教改革という時代を考えれば、カトリックのイタリアにおいて、この主題は戦闘的意味を纏っている。ヴォラギギネのヤコブスとその「黄金伝説」を信じるならば、エウスタキウスは4世紀におけるコンスタンティウス大帝のキリスト教への改宗とそのローマ帝国における国家宗教としての同教公認以前の人物である。エウスタキウスの物語にこだわることは、すなわち、原始教会と最初期の英雄たちを全面に押し出すことを意味する(エウスタキウスはローマで殉教した)。特に、この作品はキリスト教の奇跡と異教のそれとの称賛に値する統合を打ち立てている。両者のあいだの視覚上、物語上の均衡も注目されよう。古典主義的絵画における超自然の表現は、古代とキリスト教的物語のあいだに立つヴィオラの本作品において見事に例証されている。」


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