たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

通信教育レポート-シェイクスピア研究

2023年12月27日 19時30分32秒 | 日記

シェイクスピア研究レポート

課題:Timon of Athensを熟読し、一つのテーマを設けて1000字以内で論評しなさい。

「King Rear(リア王)は、荒野をさまよいぼろぼろになって、はじめて眼にうつるものの裏にある実体としては見えないものがみえてきた。悲劇的な状況に陥って内面における自己との葛藤に苦しみ、真理を悟っていく。その人間Rearの姿が、観客に向かってエネルギーを放つ。このような、観客に何らかのエネルギーを与えてくれる存在としての悲劇の主人公を期待するなら、Timon(タイモン)はその役割を果たすには不十分過ぎるだろう。頼みにしていた友人たちに次々と裏切られていく過程を悲劇と呼ぶならば、状況はRearと似通っているかもしれない。が、Timonに自己の内面での葛藤は生まれないで死んでいく。直接死の場面も出てこない。この物語の中で、Timonの役割は何だろう。

 

 表面的には三幕四場の前と後ではTimonは極端に対照的だ。善意の化身のようなTimonが我が身の財産と言い切っていた友人達の一人も金を貸してくれないと知ると、途端に彼らへの怒りを爆発させる。しかし、観客はそのとどまるところを知らない罵倒の言葉を履くTimonの姿を、距離をおいてみるだろう。Opemantusが、観客に状況を鵜吞みにさせない批判的な視点をもたせている、初めから終わりまで。彼はTiomnを好きなのだろう、皮肉を浴びせることでなんとか救ってやろうとしている。しかし、Timonはそれを汲み取ることができない。自己中心的で、自分以外の全てを否定するばかりだ。Timonには身の破滅を招いた要因としての、自身への追及という姿勢は生まれてこない。眼にうつるものだけで考えている。ならば、結局、寛容で慈愛に満ち溢れたようだった前半のTimonも、なんだかそれだけの奴だったのか、ということになりはしないか。悲劇的状況も、悲劇として観客に働きかけてこなくなる。Timonの中では、運命の女神の腕に抱かれていたのが突然振り落とされたものとして、自分の位置付けがあるようだが、観客の眼には彼はそういった枠の外にいるものとみえるのではないか。己を誇り偽りの世をあざ笑いながら外的にみじめに死んでいった、ただそれだけのことだった。Rearのような、外的には不幸だが内的には幸福な状態だといえる死ではない。観客に対して何らの意味も持たない、それだけのことでしかなかったという点で悲劇的であり、しかし同時にそういう自身が観客にあざ笑われる、という道化的な役割をTimonはもっているのではないだろうか。」

 

参考文献

『アテネのタイモン』小田島雄志訳(白水社)

『劇場のシェイクスピア』喜志哲雄(早川書房)

『遺書をかくシェイクスピア』小津次郎(岩波書店)

 

平成6年に書いたレポート、評価はA、

講師評は

「この劇の特長及び主題の大きな点よく取り出し、まとまりも良い。

準見出しに○○○文章に慣れると一層よいかー。」

○○○は達筆過ぎて判読できず、想像力で補うこともできず。

 

イギリスへの旅の思い出-ストラットフォード

 

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